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   白と黒の守り神


 夕暮れ時。

 競技場を後にし、誰も通っていない廊下で二人、クランとフィリアがいた。

 それでも相変わらずフィリアは持ち上げられたままで。せめて落ちないようにと、控え目にクランの肩を掴んでいるしかないのだった。

 少しだけフィリアの視界に映るクランの色素の薄い茶色の髪が、廊下の温かい光に照らされて金色に見える。その軟らかな金色がとても綺麗だと、フィリアはぼんやり眺めていた。

 真っ直ぐに廊下を見据えて固く引き締まったクランの表情も、じっと俯きがちな今のフィリアには見えていないのだった。


 競技場を後にしてからクランはなぜか、話そうとはしなかった。黙々と進んでいるのである。

 そんな状況で先程まで抱え上げられている事にパニックだったフィリアも、今は落ち着きを取り戻し、クランの意図が全く分からない事に一人もんもんと頭を悩ませていた。

 考えても考えても、やっぱり分からない。

 すると急に、うつむいて黙ったままのフィリアの頭上から声が降ってきた。フィリアはその声にハッと我に返る。


「フィリア」

「……その名前で呼ばないで下さい。じゃなくてですね。クランさん」

「どうかした?」

「私はクランさんになにか魔法をかけた覚えはありませんよ?」

「俺も魔法をかけられた覚えはないが」

「そうですよね。えっと、そこで一つだけ質問があるのですが……」

「なんだい? 何でも答えるよ?」

「じゃ、じゃあお言葉に甘えて。私はどうしてこんな状態になっているのでしょうか?」

「こんな状態?」

「抱え上げられた状態と言いますか……。下ろして貰えません? 重いですよ」

「えー」

 クランは楽しそうに笑っている。けれども一方のフィリアは慌てた。


「……えーって何ですか。私は自分で歩けますし、なんでクランさんに持ち上げられているのかもう、さっぱり分かりません」

 

 クランはしばらく考え込み、フィリアの方を見下ろすと一言、

「足、くじいてなかったっけ」

「……挫いてません」

 フィリアはきっぱりとそう答えた。


 クランはしばしの沈黙の末に、

「さっき振り返った時、痛そうな顔してなかった?」

「さっき、ですか……。それはクランさんがフィールドに入ってきた時ですか?」

「ああ」

「あの時は、ほら急にぐいっと勢いよく振り返ると首が痛いじゃないですか。多分、それでだと。クランさんまさか勘違いしてたんじゃ……」 


 そう言ってフィリアがクランへと視線を上げると、クランはどこかばつが悪そうな表情をして黙っていた。その様子に目を丸くしたフィリアは、控えめにくすくすと笑うのだった。

 そうしてフィリアはひとしきり笑うと、不意にクランへともう一度視線を上げた。


「クランさん。私は本当に足を挫いてるわけでもないですし、下ろして貰えますか? 下ろしてくれないというのなら、こちらにも考えがありますよ?」

「へぇ。どんな?」

 クランはさっきとは打って変わってにっこりと笑っている。フィリアにはその表情が黒い笑みにしか見えず、うっと尻込みしながらもこう言った。


「あ、暴れますよ。――っ!?」


 すると急にクランがふっと腕の力を抜いたのだった。

 そうすると必然的に落とされそうになるフィリア。

 フィリアは声にならない悲鳴をあげて、慌ててクランの肩に添えていた手に力を入れたのだった。

 これでは自分からしがみついているような状態になり、またそれでフィリアは一段と慌てる。


「暴れると落ちるけど?」

「っ……!」 

「さぁ、フィリア。もうすぐ目的地にも着く事だ。このまま運ばれるのも悪くないだろう?」

「……」

 フィリアは黙り込む。そして、

「お、お願いですから下ろしてください……!」

「あはは。そうきたか」

 クランは楽しそうに笑っていた。



***



「……ふぅ」


 フィリアから思わず小さく吐息が漏れる。

 やっと地面に足がつくことが出来たフィリアは、その吐息と共に肩の力を抜いたのだった。

 そしてゆっくりと辺りを見渡すと、今連れて来られた部屋は、勝負の前に通されたあの書類のタワーが出来ている部屋で。その部屋は一般的に書斎と呼ばれている部屋だった。

 フィリアは今からここで何があるのかと、机の引き出しを探っているクランを不思議そうに眺めている。


 するとクランは引き出しの中から何かを取り出すと、

「フィリア、おいで」

 そう言って手招きをしている。フィリアは呼ばれるままにクランの元へと向かった。


 すると「はい」と黒色のシンプルな長細い箱を渡されたのだった。それは全く自分には見覚えのない箱で。フィリアは首をかしげた。


「今朝届いてね。開けてみるといい」

「? 分かりました。開けますね」

 フィリアがそっと箱を開けるとそこには……。

「ネックレス、ですか……?」


 紅色のクッションに包まれた、人差し指一本分ぐらいの小さなプレートが入っていた。それにはすでにプレートと同じ白銀のチェーンが通してある。

 フィリアはそのネックレスをまるで繊細な硝子細工を扱うかのように、恐る恐る箱から出していった。

ゆっくりゆっくり、ネックレスは元あった箱から引き離されてゆく。

 さらさらとチェーンは音なく伸びてゆき、最後にはプレートがぷらんと宙吊りになっていった。


「それは、ウォルバード家専属魔法使いという証になるものだ。まぁ身分証明になるものだと思ってくれたらいいかな」

「身分証明、ですか……。あの。クランさん、これは何でしょうか?」


 フィリアはシンプルな白銀のプレートに描かれている唯一の絵を指さしていた。その絵はあくまでも小さく控えめに描かれているように見えたが、どっしりとした存在感がある。思わずそこに目が行ってしまうのも仕方のない事だと思えた。

 一匹のライオン。それがルア・サリュウと言う名前の横に刻まれていた絵の正体だった。立派なたてがみの一つ一つが細かく表現されており、それには何の着色もされていない。ライオンの顔がどんと刻まれているだけだったが、けして可愛いとは言い難い鋭い目つきに、立派なひげが本野的な怖さを引き出してくるのだった。

 ただ一つ。そのライオンの怖さを和らげるとすれば、顔の半分だけを覆ってしまう仮面だ。仮面は目の部分しか空いておらず、黒く着色されている。

 フィリアは何とも言えない気分だった。可愛いとは思えず自分から近寄ろうとは思わないが、けして怖くはない。むしろそこに何か不思議な力があるのかもしれないと、じっと見つめていた。


「それは、ウォルバード家の紋章を略したものでね。実際にはライオンの他にも色々ついてくるんだが、

そのプレートに刻むのは厳しいからね。省いたんだ。それに大体の人がそのライオンさえ見れば、ウォルバード家だと分かるはずだよ」

「紋章だったのですか……。不思議です。このライオンさんの表情が……」

「フィリア、ライオンには別に“さん”を付けなくてもいいんだよ?」

「あ、えっと。確かにそうですね。でも、なんとなく、なんとなくなのですが」

「ん?」

「これは生きているような、そんな感じがします。このライオンさんを見ていると。……こう。すみません。私にもはっきりと言えそうになくてですね……えっと」


 フィリアは言葉に詰まりながらも、何かをクランに伝えようと必死だった。それがうまく言葉に表現できずに、結局は黙り込んでしまう。

 そんなフィリアを見て、クランは楽しそうに笑っていた。フィリアの慌てふためく様子を見て、面白がってるようだ。


「ク、クランさん?」

「ははっ。フィリア。もう少し落ち着いて話すといい。そんなに焦る必要もないからね。で、フィリアはどう思ったんだ? 紋章を見て」

「……私の思ったままに、言ってしまいますよ?」

「ああ。どうぞ」

「今にもここから動き出してしまいそうです。このライオンさん。何か散々な目にあったような、呆れてるような疲れ切ってる気がします」

 

 その言葉を聞いてますますクランは笑いだした。フィリアはそんな様子のクランにあわあわと戸惑う。


「す、すみません。ここに来てまだ数時間の私がこんな事を言うのも失礼だとは分かってるつもりなのですが……」

「はははっ。いや、いいんだ。それはなんとも思ってないからね。しかし、動き出すか。そんな感想を聞いたのは初めてだよ」

「そうなんですか?」

「ああ。――ねぇ、フィリア。一つ聞きたい事があるんだけどいいかな?」

「はい。どうぞ」

 フィリアがそう答えると、今まで笑っていたクランの表情が、急に真面目な顔つきへと変化していったのだった。フィリアもクランのその様子に改まって背筋を伸ばす。

 そして一言、

「怖くないかい? そのライオンを見て」

「え? はい。特には怖くありません」

 フィリアは何の迷いもなく、きっぱりとそう答える。

「……そうか」

 クランは一人、誰に言う訳でもなくそう呟くのだった。


「あ、そうです。思い出しました。私もクランさんに聞きたい事があったのですが、魔法使いとしては今から何をすればいいでしょうか?」

「今日はもう遅いからね。明日から頼むとするよ。バローが部屋の外にいるだろうから、フィリアの部屋まで案内して貰うといい」

「分かりました」

「――あと。もう一つ」

「?」

 するとクランはひょいっとフィリアの手から、あのネックレスを取り上げてしまったのだった。

 フィリアは全く自体が飲み込めずに、いつの間にか目の前までやって来ていたクランへと視線を向ける。ただぼんやりとクランを見上げていた。


「……クランさん?」

「少しだけじっとしてて」

「え……?」

 少しづづネックレスを持ったクランの手が、フィリアの元へと伸びてくる。

 フィリアは言われるがままに、少し視線を下ろしながらぴくりとも動かずにじっとしていた。

 するとストンと上からネックレスが首にかけられたのだった。髪の毛をつたい、飾り気のない白銀のプレートがフィリアの胸の下あたりにおさまる。


「屋敷の中であってもなるべく、こうして持っていて欲しい。魔法の力をあの組織に悟らせないためにも、魔法の気配を押さえる効果があるようになっているはずだからね」

「……凄いです。そのような物が作れるなんて……。クランさん、これは一体どなたが作られたのでしょうか?」

 その質問にクランは少しだけ笑って、

「そのライオンだよ」

 フィリアは目を真ん丸にして驚いていた。



***



 フィリアが去った静かな書斎。そこに何冊かの本と見間違えるかと思うくらいの分厚い書類にひたすらサインをしているクランの姿があった。

 外はだんだんと薄暗くなってきている。クランがそろそろ灯りでも付けようかとランプに手を伸ばしたその瞬間。クランはその手を一瞬だけ止めた。


「……ロウオウ」


 そしてその一言で灯りを付けたクランの呼びかけに答えるようにして、その場の空気がのっそりと動く。あるはずのない空間から何かが、書斎へと入って来ていた。獣特有の呼吸音が部屋中に響きわたる。

 クランはそれが自分の隣に来るのを目で追い確認すると、もう一度書類と向き合った。サインをする手はそのままに、少しづつ姿を現すそれに話しかける。


「ロウオウ。君、疲れ切ってるんだって?」

 クランの隣に座っていたのは、いわゆる百獣の王とも呼ばれるライオンだった。

 その大きさは人間よりも遥かに大きく、立派なふさふさとしたたてがみに、凛々しい髭を持っていた。そしてすっと細められた目と手に収まっている爪は鋭い。

 そこまでは至って普通のライオンに過ぎないが、しかし。そのライオンは他と違った。

 黄金こがね色に鈍く光る瞳を抜けば、そのすべてが白いのだ。けして闇にまぎれるこは出来そうにない白。そのライオンは口数少なく、クランにこう答えた。

 

「我があるじ。それは、あの黒髪の受け売りか」

「あれ。聞いてたのか」

「全てを聞いていた訳ではないが、その辺りは聞こえてきたのだ」

「今にも動き出したく呆れてて、疲れ切っている。フィリアは君のことそう言っていたね。あと、怖くはないとも」

「……。主よ。あの娘の魔力は少しばかり隠しにくい」

 ライオンは眉間にしわを寄せている。するとクランはすっとライオンの方に向き、

「それを何とかするのが君の仕事だろう?」

 挑戦を挑んでいるかのような視線を送った。

 ライオンは今までむき出しになっていた鋭い牙をしまうと、苦虫を噛みつぶしたような表情をしていたのだった。


「……全く。我も主の選択を間違えたものだ。今度は楽に操つるつもりだったのだが」

「間違えたとは失礼だなぁ。ロウオウ。君ら神獣しんじゅうは退屈が敵なんだろう? 退屈はしていないはずだよ」

「…………我等は契約という縛られるものも嫌いだ」

「ははっ。もう少しだよ、ロウオウ。このウォルバード家の初代当主が君と交わした契約の期間はもうすぐで終わりなんだ。それまでこの家の守り神として、存分に働いてくれ」

「……仕方あるまい、承知した。我が主の命令には背く訳にはいかぬのだ」

「助かるよ」


 そうしてクランはさっきから一向に減っていない様子の書類ともう一度向き合った。

 部屋を去ろうする白いライオンの背中に向かって、

「ロウオウ、もう外は暗い。そろそろ君の白い毛並みも黒くなるんだね?」

「当たり前だ。今日も変わったことは特にないのだ。いつもの通り夜になれば我も黒く変化する」

「ロウオウ。フィリアにこの紋章の仮面の意味は何だと聞かれたら、なんて答えたらいいかな?」

「本来は自分で考えろと言いたいところだが、正直に「昼間は白く、夜間は黒くなる」その意味の仮面だと答えればいい。所詮、黒髪に我は見えまい。言っても意味のない事だ」

「そうか。お許しをもらえて良かったよ。もう下がってくれて構わない」

 

 黒く変化したライオンは頷くと、外の闇へと消えていったのだった。

 書斎には、書類の山としんとした空間だけが残っていた。



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