小さな魔法使い
「はい?」
フィリアはポカンとしている。するとラナはその様子を気にも止めないで、がしっとフィリアの腕を掴んだ。
そしてクランに眩しいほどの笑顔をむけると、
「当主~。ルアちゃんちょっと借りるよー? 良いでしょー?」
「ああ。少しだけならね」
「ちょ、ちょっと待って下さい! なんでクランさんが許可しているのですか。それ以前に勝負ってなんなのですか……!」
「ルアちゃん。気にしない、気にしない」
「き、気にしない……?」
フィリアはずるずると強制的にラナに連れられていく。
部屋に置き去りのままの、男二人はポツンと部屋に残った。
太陽は空高く上り、雪は完全に解けきっている。つららが解け、ポタポタと雫をたらしていた。
シンディは眉間にしわを寄せて、
「なぁ、クラン。あの魔法使いがカイルに勝てると思うか? あいつはまだ十二歳なのに学院で“天才”と呼ばれたんだぜ? 教師でさえも負けるやつが出てくるレベルに行っちまった」
「さぁ。勝負はやってみないと分からないものだ」
クランはすっと目を細めた。
「それによ。さっきラナがカイルに魔法使いが来たと報告した時、あいつ何て言ったと思う? ただ一言『会いたい』そう言ったんだぜ? いっつも何言っても黙ってるくせに」
「へぇ……。カイルがそう言ったんだね? 良いことじゃないか」
「それはそうだけどなぁ。クラン、本当のところあの魔法使いは何なんだ? 調べたが、何の変りもない普通の魔法使いだ。特別優秀でも何でもないぜ?」
「……シン。勝手に調べるなと言ったはずだが」
「……すまん。でも、気になって仕方がなかったんだよ! 一応、調べたからにはクランに報告しておくからな。今から話すことはオレのひとりごとだと思ってくれていい」
クランはただ黙って、近くの書類に手を伸ばした。それを見たシンディは小さくため息をつき、「じゃ、ちゃんと聞いとけよ」とポケットから一枚の紙を取り出したのだった。
「ルア・サリュウ。リアナティス学園卒業。成績は並。これと言った大会の記録もなければ、目立った形跡もなし。現在の家族構成は三人。両祖父母はすでに他界しており、母は専業主婦で父は街で商店を営んでいる。普通の一般家庭で親族の中に魔法使いは一人もいない。以上、簡単にまとめるとこうだな」
クランは万年筆でサインしていた手を止め一言、
「……。それは“ルア・サリュウ”の住民登録の情報だね?」
眉間にしわをよせて、静かにそう言い放った。
シンディは少しクランのその様子に不審に思ったが、特に気にせず「ああ」と返事をする。
するとその時。ドアが勢いよく開いたと思ったら、ラナがひょっこと顔を出した。明るい金髪の髪がぴょんぴょんと軽やかに跳ねている。走って来たのか背中に背負われている剣がカチャカチャと、音をたてていた。
「シーン! 当主ー? 何してんの。もうすぐ試合始まるよー? もたもたしてないで、早くっ早く!」
クランはゆったりとした黒の椅子から立ち上がった。
黙ったまま考え込んだ様子のシンディを見て、
「シン。どうしても、ルアが気に入らないようだね?」
「……。……魔法使いだぜ? 当たり前だ」
三人はフィリアが試合をする会場である、競技場へと歩みを進めた。
***
「はぁ。どうしてこんな事に……」
フィリアと言えば深く深くため息をついていた。この屋敷の敷地内に競技場があったのも驚いたが、観覧座席に結構な人が集まっていたのにも驚いていたのだった。
ここから見える位置で知り合いと言えばバローぐらいだか、どの角度からも人に見られているという時点で落ち着かない。それに場内はかなりざわついていた。笑い声、口笛の音、打楽器の音、かけ声……。
「……君が、ルア?」
不意に後ろから小さく声がかかる。するとしーんと一気に場内が静まり返った。フィリアはそのことにぎょっとし、慌てて振り返る。
「……?」
振り返ったその先にはまだ十一、二歳であろう少年がいた。けれどもその表情は全くの無表情で、フィリアはその少年から話しかけられたと理解するまで少しだけ時間を要した。
フィリアは少しずつこちらに近づいてくるその少年を、ただ黙って見つめている。
「……僕はカイル」
そう言ったきり、少年は無言で黙りこんだ。ぴくりとも動かないシルバーの瞳は、何の光も通さない。先程から変わらない無表情だった。
フィリアは怖がらせまいと出来るだけにこりと笑って、
「私はルア・サリュウです。よろしくお願いします」
「……勝負」
「え?」
「……僕に勝てる人、いないんだ」
「いない? えっと、カイル君それはどういうことですか?」
「……ルアなら僕に勝てる?」
「……?」
フィリアは首をかしげる。もう一度フィリアが話しかけようと口を開いたその時、試合の始まりの合図であるラッパの音色が会場を包んだ。
フィリアは思わずどこから聞こえてくるのか気になり、きょろきょろとあたりを見渡した。
「え?」
そしてフィリアが再び視線をカイルに戻すと、すでにカイルはその場から消えていた。もう一度きょろきょろと辺りを見渡すが、フィールド内には何も無い。人も居なければ、視界を遮るような障害物も無かった。フィリアは黙りこむと、静かに目を閉じた。
「カイル君、近くにいるのでしょう? さっきの言葉どういう意味です?」
本来騒がしいはずの競技場が静まり返る。観客の皆が、息をのんで見守っていた。その中でフィリアの問いかけだけが、むなしく響く。
「……どうして、目をつぶるの?」
どこからか返事が返ってきた。フィリアは嬉しそうににっこりと笑う。
「視界だけがすべてじゃない。カイル君、あなたもそれを知っている。違いますか?」
「……驚いた」
フィリアがパチンと指を鳴らすと、数歩前にいたカイルの姿が露わとなる。場内はざわざわとどよめいた。カイルは相変わらずの無表情でフィリアと対面していたのだった。
そしてカイルはぽつりと今にも消え入りそうな声で、
「ルアは、魔法好き?」
「……。嫌いではないと思ってます」
「…………そっか」
カイルの手には一冊の分厚い魔法書が握られていた。
***
「当主ー。カイルってあんなに話す子だっけー?」
ラナは珍しいものでも見たかのように、目を真ん丸にしている。今の三人は観覧席にはおらず、フィリア達が闘っているフィールドの入り口付近に来ていた。
ラナが「どうせなら上よりも近場でみないと意味ないでしょ!」と言ったからだ。
「オレもそれ思った。あいつ今日でここ一年分くらいの会話の量、話してんじゃねぇか?」
「いや。いつも結構話してくれると思うんだけどね」
「ま、そりゃクランはカイルを連れてきた本人だもんな」
するとラナが急に目をキラキラさせて、
「ねぇねぇ。見て見て! 二人とも! 冷気がここまで来るよ! 涼しい♪」
きゃっきゃっと騒いでいた。
「まさか、あの魔法使いカイルと互角かよ?」
シンディは慌ててフィリアの方に視線を向ける。
フィリアはパチンと指を鳴らしていた。フィリアの周りに風が巻き起こり、長い漆黒の髪が揺れる。
緑の瞳は真っ直ぐにカイルを見越し、特にためらいなどは感じられなかった。カイルは相変わらずの無表情。けれども少しだけ、額に汗が浮かんでいた。
「わっ! なになに。地震!?」
フィールドに足を踏み入れていたラナが、慌てて数歩下がる。小刻みに地面が揺れていた。
「これは……ルアの魔法だね」
クランは壁にもたれ、目を細めてそう言った。
すると急に静まり返った競技場に冷気が充満していった。それは涼しいなんてものじゃ無く、もはや寒い。そして頭が割れるかと思うくらい凄まじい音が響いて、カイルの真下の地面に大きな裂け目が広がった。
それは会場を包むほどの冷気の正体、氷柱が姿を現したのだった。地面から生える氷柱は思わず言葉を失ってしまうほどの威圧感である。
氷柱は地面を突き破り、天上へと真っ直ぐに伸びていた。純度が高く透きとおったその氷柱は、中にカイルがいることが目に見えて分かる。ひゅぅぅと場内が冷気が駆け抜けていった。
「お、おい。クラン。氷に閉じ込めたりしてカイル大丈夫なのかよ? あの魔法使いとんでもない事を……」
「んー。かと言って俺も手出しする気ないしなぁ。指揮官のラナ隊長。気分は?」
「シンディー。あたしも当主と一緒。止めないよー? だってこのままの方が面白いもん!」
「ったく。どいつもこいつも……」
シンディはもう一度、カイルへと視線を戻した。
ビキビキビキッと氷柱に大きな亀裂が入る。フィリアはそれを見ながらも、一歩一歩確実にカイルの元へと歩いて近づいていった。氷柱の中のカイルは相変わらずの無表情。
それでもカイルの右手だけはトンと氷柱に触れていた。そこからまた亀裂が広がる。
「カイル君。見破りましたね?」
フィリアはただ一言、遥か高い位置にいるカイルを見上げてそう言った。
「ルア。僕と同じなんだね」
「否定はしません」
バキッと最後の大きな亀裂が氷柱に広がった。少しずつ崩れ、大きな氷の塊が勢いよくフィリアにぶつかっていく。フィリアは、はっと目を見開いた。
フィリアの周りにはうっすらと霧が立ち込め温度が下がり、フィールド全体にも氷の塊が降り注いでいたのだ。
シンディはあんぐりと口を開け、
「な、なんだよ。この光景は」
フィールド全体を見上げていた。
その顔を爆笑しながら見ていた人が一人、そこにいるとも知らずに。
「シーン。そんなあほ面さらしてると、ますますバカ・あほに見えちゃうよー! まぁそれがシンディちゃんだから仕方ないっか」
「なんだと、ラナてめぇ!」
シンディは振り返り、ラナの胸倉をつかもうとしていたその時。
「シン。後ろ」
「クラン。今は口出してくんな!」
「へぇ。別にそれでもいいけどね、俺は」
クランはシンディの真後ろに迫ってきている氷の塊を眺めていた。それは刻一刻と迫っている。
「あっ!」
それに気づいたラナ。くすくすと笑いだした。
「シーンディー。後ろ向いて」
「おい、ラナも黙れ。殴らせろ!」
「あははっ! とりあえず今は後ろ向いた方がいいって。後ろ向いたら、殴りあいでもなんでも受けて立つよー?」
「んだよ。どいつもこいつも後ろ向けって――うわぁ!?」
「あははっ。どっかーん」
氷の塊がシンディに直撃した――かのように思われた。
「ど、どうなってんだ?」
シンディはきょろきょろと周りを見渡すが、氷がどこかに当たった形跡がない。勿論、シンディにも当たっていなかった。
「あれぇ? おっかしいなぁ。シンディに当たると思ったのに」
今も思わずとっさにしゃがみ込んだまま状態のシンディに、ラナが近づいてくる。クランは興味深そうにフィールドに降り注ぐ氷を見つめていた。
「そうか。幻覚……。思い出したよ。カイルは火でもなければ水でもない。得意な魔法は幻だった。この氷も魔法にかかった人にしか、当たらないんじゃないのか?」
「あ、そっかー! だからシンディちゃんには当たらなかったんだ。なーんだ、残念」
「おいちょっと待て、コラ。残念とはどういう意味だ? ラナ」
「あははっ。そのままの意味だよー」
「てめぇ……!」
シンディはふるふると怒りに震えている。勢いよく起き上がり、今度こそラナの胸倉を掴んだ。
「あっ。待ってシン! ほらほらカイルが!」
「は? カイルがどうしたって――!?」
いつの間にか場内の氷は止んでいた。通常通りに戻り、そのフィールドの中心でフィリアがポツンと立っている。フィリアの視線の先には同じく突っ立ているカイルがいた。
それを見ていたクランはフィールドに入り、真っ直ぐにそこへと向かっていった。
「あ、おい。クラン! 今行って――って人の話を聞きやしねぇ」
「まーまー。シンディさんや。あたしらは高みの見物といきましょうや」
ラナはしみじみした表情で、ぽんぽんとシンディの背中を叩く。
「お前誰だよ。何キャラだ」
「ラナ仙人、ここに現るっ」
「はいはい」
シンディはため息をつきながらも、フィールドに入った三人のことを見ていたのだった。
***
カイルは動けないでいた。足が言う事を聞いてくれない。カイルは少し目を見開いて自分の足をみつめて、黙っていた。まるでその足に起こった異変を受け入れられずにいるかのように。
「…………」
カイルの足の膝から下が凍っていたのだ。先程まで自分の魔法としていた氷が、カイルの身動きを封じていた。全く動くことが出来ない。一方のフィリアはいつも通りに歩みを進め、カイルに近づいていったのだった。
しーんと静まりかえった中、フィリアが動くたびにコツコツと足音が響く。その長い漆黒の髪はきちんと背中に付いてまわり、カイルのシルバーの瞳はその近づいてくるフィリアを映していた。
フィリアはじぃーっとカイルに見つめ、膝をついて目線を合わせると
「カイル君。……学校、行ってますか?」
真剣な目つきでカイルの両肩を軽く掴んだ。
「…………。学、校?」
数秒沈黙の後、カイルは首をかしげる。
フィリアはまじまじとうなずき、
「はい。魔法学校です。あれ、学院でしたっけ? すみません。結構その辺あやふやで」
「……行ってるよ」
「はぁー。やっぱり学校って凄いですね……。この年でここまでの魔法を使えるなんて。カイル君。私がカイル君の年齢の時は、その魔法は使えなくて苦労したのですよ。正直、驚きました……」
「……驚く?」
「はい。驚きました。凄く努力したのが分かります」
「……努力」
「それなりの努力しないとあの魔法、使えないでしょう? いくら“天才”だと言われても出来ない。魔法は“才能”だけでは成立しないものですから、ね?」
「……」
フィリアはにっこりとほほ笑んだ。その時にはもう、カイルの足を封じていた氷は跡形もなく消えていたのだった。
「ルア」
急にフィリアはぐいっと肩から後ろに引っ張られる。
おっと……と後ろに転んでしまいそうなのをなんとか耐え、振り向くと
「ク、クランさん!?」
ウォルバード家当主、クランがそこにいた。
「どうしてここに……?」
「ルア。君に渡したい物があったんだ。すっかり忘れてしまっててね。行こうか」
「ま、待って下さい。今度は一体何ですか……?」
フィリアは振り返りながらも、疑わしそうにクランを見上げる。クランに肩を掴まれた状態では首がそんなに回らずきつい。思わず顔をしかめた。
「カイル。部屋に頼んでた物が届いていたよ。取りに行ってみるといい」
「……うん」
「ルア」
「な、何ですか」
ようやく離されほっとしていたフィリアは、次は何が来るのかと恐る恐るクランを見上げた。クランはほんの一瞬フィリアをじっと眺めていたが、直ぐに視線をずらす。
そして。
「え、クランさん? 何を血迷ったのです!? お、下ろしてください!」
クランは屈んでフィリアの膝の後ろと背中に手を回し、そのままぐいっと持ち上げたのだった。ふわっと体が宙に浮くような感覚で、さあぁぁとフィリアの血の気が引いていく。
急にあお向けに持ち上げられたフィリアはというと、全くと言っていいほどその流れに付いていけていない。ただあわあわと落ちそうになるのをクランの肩を掴んでなんとか、しのいでいた。
上半身だけでみるとフィリアが抱きついているような体勢になっている。それがますますフィリアを混乱の渦へと巻き込むのだった。
そんなフィリアを知ってか知らずかクランはフィリアを連れ、特に何もする事無く競技場を後にする。フィリアにとってはその移動距離が短いようで長く感じた。
かなりの人に見られていることと、これ以上どうする事も出来ないこの体勢でフィリアはただ恥ずかしく、うつむくしか無いのだった。
『あれ、当主だったよな』
『いや、それよりもあの黒髪の子の勝ちじゃん』
『終わった……』
などとざわざわと全体的にざわめき始めた競技場でただひとり、
「……何だ? 今のは」
ポカンと突っ立ているシンディ・オールビーがいた。