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第一章 薬屋

 晴々とした気持ちの良い空が広がっている、とある早朝。その青空の下、「薬屋ウィン」と看板を出している店があった。

 その店の木製のドアに付けられたベルがカランと鳴り響く。それは癖のある赤茶の髪をもつ女性が店に入ったという合図だった。その女性はエプロンを着たままの姿である。


「ルアちゃん、いるかい?」


 女性にしては少し低めの声が、椅子に腰かけている少女を呼ぶ。そしてルア、と呼ばれた少女は今まで読んでいた本から顔をあげた。その表情は相変わらず布で隠されており、見えることはなかったが。


「お早うございます。ササラさん。今日はまたそんなに慌てて、どうしたのですか?」


 その店主の声で、しんと静まり返っていた店内がまるで花が咲いたかのように明るくなった。薄いレースから見てとれる口元は軟らかく微笑んでいた。


「今朝、良い薬草が手に入ってねー。ぜひルアちゃんに、と思ってさ」

「本当ですか。いつもありがとうございます」


 その言葉を聞いて思わず、ルアの顔もほころぶ。ササラと呼ばれたこの女性はこの街で八百屋を夫婦で経営しており、たまに薬草が入れば教えてくれる親切な奥さんだった。


「で! これなんだけどね。どうだい? 使えるかい?」


 ササラは籠の中にある紅色の薬草を薦める。その表情は実に嬉しそうだった。一方のルアは身をかがめ薬草をじっと見つめている。そしてゆっくりと視線をササラの方へと向け、微笑んだ。


「本当に、ササラさんに分けて貰えるものは良いものばかりです。このくらいでどうでしょう?」


 ルアは近くからペンと紙を取り出し、ささっと買い取り価格を書く。それを見ていたササラはゆっくりと首を横に振った。


「良いんだよ。この間はうちの坊を助けて貰ったんだ。今日は買って貰うつもりなんてないよ」

「でもそれとこれとは別の事で……」

「良いの。今日は取っといて欲しいんだよ」


 ササラはにっこりと優しく微笑む。その本当に何の偽りのないその笑みに、ルアはひどく安心していた。


「……いつもありがとうございます。ゼル君はもう大丈夫ですか?」

「ああ。もう大丈夫だよ。初めは驚いたけどねぇ。今はもうピンピンしてるさ! これもすべてあの時に、ルアちゃんが薬をくれたおかげだよ。ありがとう」


 ルアとササラが出会ったのは今から少し前のこと。ササラの息子、ゼルが高熱を出していると偶然にルアが通りかかった。すぐに処置をしないと危険な状況で、直ぐさまルアが薬を作りササラに渡したのが出会いだった。それからササラ一家と仲良く、ご近所付き合いが出来るようになったのだ。


「いえ。私は……。でも良くなっているのなら良かったです」

「あ、そうだ。ルアちゃんし――」


 するとその時。ドアのベルが一音もなる暇がないくらい勢いよくドアが開いた。バンッとドアが店内の壁にぶつかり跳ね返る。


「母ちゃん! なんだ。やっぱりここにいたのかー」

 それはササラの息子、ゼルの登場だった。ゼルは今年十になる元気のいい男の子だ。


「ゼル、あんたって子はそんな勢いよくドアを開けて! ドアが壊れたらどうするんだい! ちゃんと静かにドアの開け閉めをしなさい」

「はーい。……ゴホッ、ゴホッ」


 ルアはその光景を温かく見守っていた。ぼんやりと、男の子ってこんな感じなんだなぁと思いながら。元気一杯で少し羨ましかったりもする。


「ところで。ゼル君、まだ咳してますね?」


 ルアはそう言うと何かを思い出したかのように薬棚を探りだした。いくつも立ちはだかるびんを避けながら、その中からお目当ての一つの瓶を取り出すのだった。


「ササラさん。これをどうぞ。どうか気を使わずに受け取ってください。私からのほんの気持ちです。それに最後まで治してこそ、初めて“治った”事になりますから。ね?」

「……ありがとうね。ルアちゃん」

「いいえ」


 ルアは落とすことの無いようにしっかりと薬瓶を渡す。その中には白い錠剤のものがいくつか入っていた。


「それでゼル、どうしたんだい?そんなに慌てて」

「もうすぐ王様が来るって! 父ちゃんが言ってたんだ。早めに店を開けるから戻ってきてほしいって」

「ああ。もうそんな時間になっていたんだね。それじゃあゼル。戻ろうか」

「うん」

「ルアちゃん、今日も一日頑張ろうね」

「はい。そうですね」


 こうして親子は足早にお店を出て行った。急に静かになった店内を見直し、ルアは小さく意気込む。


「……よし」


 今日の日くらいはお客さんは来てほしい。いつもルアの薬屋は周りから怪しいと思われており、この街に来てから半年……。ぱったりとお客さんが来なくなった。たまに旅行者などの客は来ても、地元の人は全く来ないのだ。


 最早悲しいというよりも、どうやって食べて行こうかと思うばかりだ。けれど、そんな日常でも今日くらいは客が来るのではないかと、ルアも期待をせずにはいられなかった。


 なんたって、今日は我が国の王様がこの街に来るのだから。少しくらいの経済効果を期待してもいいかもしれない。それに何故、わざわざ王様がこの街を選んだかには訳がある。それは月日をさかのぼること一年前……。


 この国。アディル国の王は去年、めでたく結婚した。その妃の実家がこの近くにあるらしく、たまには妃も王も休息をと、この街に来ることになったのだ。この街は比較的治安も良く、ゆっくり休息を取るには最適の場所だろうとルアも思っている。


「さて、そろそろ私も店を開けないと」


 ルアは椅子から気合を入れるかのように勢いよく立ち上がり、ドアにかけてあるプレートをオープンに変えていたまさにその時。大きめの馬車がこちらへやって来て、店の前でぴったりと止まったのだ。


「……?」


 馬車が店の前を通り過ぎることはあっても、止まる事はない。何かあまり良くない予感が脳内を駆け巡った。ルアはじっと馬車に掘られている紋章に目を凝らす。


「まぁフィー? フィーねっ!? 久しぶりね!」


 それは赤を主としたデザインのデュルベール家の紋章だった。馬車から出てきた笑顔の貴婦人にルアはガシッと肩を掴まれ、ぶんぶんと前に後ろに揺らされる。そして最後にはぎゅっと抱き締められた。


「ね、姉さん。は、離して……。苦しいから」

「まぁ! あらあらごめんなさい。おはようフィリア。いきなり押しかけてなんだけど、お邪魔するわね?」

「……え?」


 ルアは自分の店にも拘わらず、さぁ早くと押し入られるようにして店に入った。デュルベール家の紋章が印されている馬車が止まったということは、ルアの姉、ルース・デュルベールが来たということだ。


 ルアは深いため息をつきながら、 

「姉さん。お願いだから人前でフィーと呼ばないで欲しい」

「あら、どうして?貴女はフィリア・オーデン以外の何物でもないのよ?」


 ルア、と言うのは偽名であり、本名はフィリア・オーデンという。別にフィリアは偽名を使いたくて使っているわけでもなく、周りの人に聞かれると非常にまずい。その事はルースも知っている。


「確かにそれはそうだけど。えっと、ほら私にも色々と事情があって……。だからこんな格好も」

「そうよね。フィー。貴女はそんな頭から布を被らなくてもいいのに」

「……姉さん。わざとでしょう? 姉さんは事情を知っているはず。この眼の変化を見られては、また私の居場所が見つかる事くらい」


 ルースはぷぅと頬を膨らませ「だって~。別にいいじゃない」と答えた。フィリアは呆れながらも、ルースに疑問を投げかける。


「……まぁいいです。それより今日はこんな所までどうしたの?」

「フィリア、貴女はもう十八になるのよ? そろそろ夜会にでも出て、お友達を作ってはどう? 勿論、デュルベール家から推薦するわ!」

「……」


 フィリアはしばらく黙り込んだ。そしてきっぱりとこう言い放った。


「要するに、姉さんは私の婿候補を見つけてきたと」


 フィリアは正直なところ、夜会にでて相手を探し、結婚するという考え方に納得できなかった。今は結婚する気もなく、自分自身、まだしなくてはならない事が山ほどある。それに婿候補だと姉の目にとまった人たちが可哀想にも思えた。こんな嫁では向こうから願い下げだろう。

 フィリアはずっと自分には生涯、結婚というものには無縁だろうと感じている。


「本当に。いつも鋭いわねぇ。そうよ。ここはあっさり認めましょう」

「丁重にお断りします」

「どうして?まだ顔も見ていないのに」

「姉さん、自分が結婚したからと言って私に結婚は勧めないでね。私には無理です。それに私は……」


 フィリアの姉、ルースは半年前に結婚したばかりで。それにお相手は沢山の所有地を持ち、古くからの歴史を持つデュルベール家。そんな格式高い家に嫁いだのは凄いと思うが、本人達は恋愛で結婚まで至ったという。フィリアにはどうして姉が自分にお見合いを勧めてくるのか、それが分からなかった。


「フィリア。貴女はもっと自分に自信を持ちなさい。貴女は凄く凄く、良い子で綺麗なのよ? 長年。ほんとーに辛く厳しい女の裏の世界を渡って来たわたくしが言うの。いい?」


 フィリアは返事するべくニッコリと微笑んだ。でもすぐにその瞳はルースに挑戦的な目を向けていた。


「ありがとう、姉さん。でもわざわざ姉さんが夜会の話を持ちかけて来たのには、もう一つ別の理由がある」

「えっ」

「この街に来る王様が夜会を開くの? そのために遠くからわざわざやって来たのでしょう」


 普段はこの街から遠く離れた場所に住んでいる姉がここまで来ている。それに妙に機嫌がいいのは、何か楽しみな事があるのだろう。フィリアはそう予測していた。


「フィリア……。わたくしは貴女を敵に回したくないと思うわ。正解よ」


 ルースがふぅと息を吐いた。それは何かを意気込んだかのようにも見える。そしてびしっと言い放った。


「フィリア、これは姉としての命令です。貴女も一緒に――」

「謹んで、お断りさせて頂きます」

「む。早いわフィリア」

「その日は予定があるの。ごめんなさい」


 フィリアは軽く頭を下げる。腰まである長い髪がさらさらとこぼれた。ルースに夜会に連れて行かれそうになる度に、フィリアは貴族でも資産家でもないものが夜会にでるなんておかしな話だと思っていた。

 姉はデュルベールの名があっても、私には何もない。そう思える。


「……いいのよ。分かったわ。また今度、一緒に行ってね?」

「気が向いたなら」

「つれないわぁ。ねぇフィリア。ここに来てる間くらい、会いに来てもいいかしら。いつも会いに来るなの一点張りじゃない」

「ごめんなさい、姉さん。最近忙しくて会えない。それに、あまり出かけては義兄にいさんが心配するわ」

「……そう、全く。仕方ないわね。だったらわたくしが会いたい時は会いに来てね?」

「努力します」

「よろしい」


 ルースは軟らかく微笑むと、フィリアの黒い布に手をかける。そしてそのまま薄い布が幾重にも重なっている布を、ふわりと取ってしまった。急な出来事に、フィリアは全くと言っていいほど対応できていない。目を見開いたルアの目の前には、優しく微笑む姉がいた。


「な、なにを……」

「久しぶりに見たわ。フィリアの顔」

「……」

「せっかくお母様そっくりの瞳をしているのに、隠しておくのね。綺麗な蒼色……」

「……これを見られたら、私はもうこの街にはいられない。また、周りを巻き込んでしまうもの」


 その言葉を聞いたルースは悲しそうに目を伏せる。

「考えすぎよ、フィリア。貴女が悪いのではないわ。どうか自分を責めないで、もっと自由に生きなさいな。それじゃあ、わたくしはもうそろそろ帰るわね? 何かあったら迷わずに姉を頼って。約束よ? あと、泥棒とか火の始末にも気をつけなさいね?」

「……ありがとう」


 カランとベルが鳴り響く。ルースは少し名残惜しそうにしながらも、フィリアの元を去っていった。フィリアは店のカウンターの奥にある椅子に腰かけると、読みかけの本を開く。そこはもう、時計の針の音が響くだけの静寂に包まれていた。


 それからはいつものように誰一人として、フィリアの店に来ることはなかったのだった。


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