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   お別れの街


「……う」


 フィリアはゆっくりと目を開け、ぼんやりと天井を眺める。

 そのままの体勢で小刻みにきょろきょろと、視線をさ迷わせた。そしてがばっと飛び起きる。


「あらあらルアさん、もうお目覚めなの?」


 寝ぼけた頭でふと声のする方へとフィリアが目を向けると、部屋のカーテンを開けている最中のローラと目が合った。

 カーテンの隙間からは気持ちの良い太陽の光が差し込んでおり、ローラはほんわかと笑みを浮かべている。


「ローラさん、どうして私はまたここに?」

「昨夜、大変だったのでしょう? 全部聞いたわぁ。ルアさんの熱が、ぶり返して倒れたのよ~」

「確かにそういえば、そんな気が……します」


 フィリアは昨夜の事を思い出す。あの時にまだ熱があったのだろうかと首をかしげた。


「何か温かいもの持ってきましょうね」

「……すみません。ありがとうございます」


 ローラはそう言うと部屋を出ていった。フィリアはまた視線をさ迷わせる。

 するとフィリアの目に写るものがあった。


「服……」


 昨日着ていた服が掛けてあったのだ。フィリアはそれを黙ってじぃーと見つめ、恐る恐る自分の服へと視線を下ろす。ネグリジェだった。真っ白なレースとシックな黒のリボンで仕上げてある。

 フィリアは、もそもそといつもの服に着替えた。このままの服では落ち着かないようだ。

 ベッドを綺麗に整え、白いドレスが皺にならないよう壁にかけておいた。

 そしてフィリアはドレッサーの前へと移動する。

 寝起きのままの乱れた長い髪を何とか手ぐしで整え、鏡に映った自分を見据えた。 

 

 「ふぅ」


 フィリアは少し肩を落としてリラックスし、ゆっくりと瞼を閉じていく。

 きっと誰の記憶にも残ってはいけない。もう、誰とも交わることのない運命なんだと言い聞かせる。今回もちゃんと、出来ますように……。

 フィリアが次に重たい瞼を開けた時には、漆黒の長い髪を持った人が、真っ直ぐに蒼い瞳を向けて微笑んでいた。

 ……せめて、残らない記憶の最後には笑顔で。


「ルア!」


 名前を呼ばれ、はっとする。

 ドアを開けて慌てたように入ってくるクランを、フィリアは立ったままの姿勢でその姿を捉えた。


「もう大丈夫かい?」

「はい。お陰様で」


 フィリアはにっこりと微笑む。前とは違って、その表情を黒い布が覆っている事は無かった。

 蒼の瞳がしっかりとクランをうつしている。もう話すのも最後だろう、そう思った。


 後ろで組んでいた手をほどき、フィリアはこっそりと背中の後ろで小さく指を鳴らした。……これでもう、ローラがフィリアに何か温かいものを持ってくる事はない。

 それらの事を一切表情に出さないようにフィリアが話の続きを待っていると、クランが覚悟を決めたかのようにこう言い放った。


「ルア。いや、フィリア」


 蒼色の瞳が見開く。まさかあれだけでここまで気づくなんて、と。


「フィリア・オーデン、最後の呪文。本当に、魔力の無い人が使える呪文なんてあるのかと考えていたんだよ。これは、君の名前だね?」

「……私の、YESかNOを聞きたいですか?」

「これは間違いなく、YESだ。賭けてもいい」

「賭けは貴方の得意分野でしょう? 私は初めから勝敗の分かる勝負はしませんから」


 そしてフィリアは少し視線をさ迷わせた。ぼんやりとクランの後ろにある、この部屋のドアを眺めていた。


「フィリア、君は……」

「……さようなら、クランさん。私は貴方に知られ過ぎました。もう逢うことはないでしょう」


 そして今度はしっかりとクランの紫の瞳をとらえ、微笑む。フィリアはすっと右手をクラン目の前まで持ってくると指を組んだ。


「フィリア、俺は必ず君に逢いに行くよ。その時は、専属になってくれるね?」


――パチン


 クランの言葉を最後に、静かな部屋で音は響いた。

 開きっぱなしのカーテンはそのままで、朝の気持ちの良い空を見せてくれる。

 けれども今のフィリアには、その空を気持ちよく見上げる事は出来なかった。どんなに澄み渡った青色だとしても、それはくすんで灰色だった。

 フィリアは屋敷で最後の魔法を使い、クランはぐったりとして床に眠っている。


「……」

 フィリアはそっと、クランに毛布をかけた。




***




「ルア、それで。ほんまにこの街出るんか?」


 フィリアは商店街の奥の店、いつも仕事先に来ていた。

 ブロンドの髪を後ろで少し束ねた男性が、ソファーにもたれかかってフィリアの話を聞いている。


「はい」

「……屋敷の人、全員の記憶も消したんか?」


 フィリアの事を知ってる人は屋敷の中にはいなくなった。それはぬかりなく次に行くためにの必要不可欠なこと。誰も巻き込みたくないから、フィリア・オーデンが居たという形跡を消す必要があった。


「はい」

「それで次に行く場所は?」


 エクスは腕を組み、さらにゆったりとソファーに体を預けた。フィリアも出された紅茶に口を付ける。


「それがまだで……。しばらく旅をして、それから良さそうな所に決めます」

「そうか、まぁ頑張りや」


 その素っ気なさがフィリアにとっては楽だった。

 エクスの記憶を消すことは、今のフィリアでは出来ない。あのロイド達の組織と敵対してるのがここで、そのトップに立つ人にフィリアが敵うとは到底思えなかった。

 それにこの人ならばらさないという絶対的確信がある。ここの事も話さない代わりに、フィリアの事も話さない契約があるからだ。

 契約とは絶対に破ることの出来ない誓い、絶対的存在になる。


「ありがとうございます」

「今までここの仕事お疲れさん。また何かあったらルアに頼むかも知れんなぁ。それでもええか?」

「はい。私が出来る範囲なら」

「よっしゃ。頼むで」


 フィリアはあっと思いだした。持ち上げていたティーカップをもう一度戻す。


「昨日はあの白い猫さんには助けられました。あの方にもありがとうございましたと、伝えて貰えますか?」


 フィリアがそう言うと、エクスは不思議そうな表情をしていた。それはなにか珍しいものを思い出したかのようで。


「あの姫が自分から行く言い出したからなー。本間珍しいこともあるもんや。分かった。伝えとく」

「エイスさん、ありがとうございました。さようなら」

「さいなら」


 エイスはあっさりと笑顔で送り出し、フィリアもそれに笑顔で答えた。そしてゆっくりと目を閉じていく。再び目を開けたその時には、もうそこは店の外。

 フィリアは迷うことなく、自分の店へと歩き出していた。




***




「……ふぅ」


 一人穏やかな午後。フィリアは荷物をまとめて、引っ越しの準備をしていた。

 なんとなくこの街にいたくなかったから、もう出ていくと決めている。

 自分に関する記憶だけをすべて消す、そんな事はフィリアもしたくは無かった。けれども名前まで知られるのは、さすがに知られすぎたと思う。


 そして全ての荷物が一日でまとまり家も全て片付き、いよいよ明日の早朝に出発しようと決めたその時だった。


「あ。……お礼」 


 フィリアはこの街を出ていく前にお礼を言いにいこうと思っていたのを、思い出したのだった。

 さっと頭からいつもの黒い布を被ると、目的の店へと歩みを進める。

 今日も賑わっている商店街の中にある、八百屋。そこで元気よく声かけをしている女性がササラその人だ。


「すみません」

「あら、ルアちゃん! どうしたんだい? わざわざ訪ねてくれるなんて」


 今の今まで野菜を売りさばいていたササラはフィリアの元へと駆け寄る。フィリアは簡単に事情を説明した。


「少し状況が変わりまして、引っ越す事になりました」

「まぁ! そうなのかい……。寂しくなるねぇ」

「今まで本当にありがとうございました。何度、助けて貰ったことか……」


 フィリアはふかぶかと頭を下げる。本当にササラには感謝してもしきれないくらいだった。

 それを見たササラはにっこりと微笑む。


「そんなの良いんだよ。みんなお互い様だからね? あ、そうだ」


 するとササラは急に思い立ったように真っ赤なリンゴを袋に山盛りに入れて、フィリアに渡した。フィリアは驚いて、売り物なのにと動揺している。


「持っていきな。って言っても大した物じゃないんだけどね?」

「……ありがとうございます! 嬉しいです」


 八百屋の奥のほうからひょこっと男の子が顔を出すのを見つけて、ササラは手招きをする。

 元気よくこちらに走ってくる男の子。フィリアはそれを懐かしそうに眺めていた。


「ほら、ゼル。ルアちゃん引っ越すんだって。あんたもしっかり挨拶しな」

「まぁ元気でね」


 ゼルはぶっきらぼうにそう言い放つ。フィリアは少し笑った。


「……ありがとう。それではササラさん、ゼル君。さようなら」

「ルアちゃん、またね」


 ゼルの言葉がフィリアの胸にぐっとくる。“またね”いつまでもその言葉が胸に響いた。心にまた一つ、鉛のようなものが重みを増して積もっていく。


「……うん。そうね、また」


 フィリアはこのまま家に帰ってしまおうとさえ思った。

 今度、もし会う時があったならその時に見て見ぬふりをすればいい。他人のふりをすればいい。……ふと、あの部屋にいたクランが頭の中をぎる。

 目の前に魔法使いがいるというのに、油断しきったその表情。

 最後の最後まで何か秘策があるんじゃないかと思わせるほどのその余裕。


 フィリアは唇を噛み締めて、もう遅い、それじゃあ駄目なんだと自分に言い聞かせる。


「……」


 フィリアは後ろを向き少し店から離れた後、指を組みパチンと鳴らした。

 ざわざわとした商店街はその音さえもかき消してゆき――。人々が立ち止まっているフィリアを不思議そうに見ては、通り過ぎていく。

 後ろから二人の声がかすかに聞こえてくる。フィリアは俯いていた顔をあげ、少しだけ耳を傾けた。


「母ちゃん、今誰と話してたんだっけ?」

「おかしな子だね。ナルのおばちゃんとだろう?」

「あれ、そうだっけ。……ま、いいや」

「ゼル、あんたは宿題を終わらせてきな」

「げ。はいはい」

「返事は一回だよ!」

「……はーい」


 ゼルは店の奥に入っていき、ササラは楽しそうに働いていた。

 そこはまるで、初めからその場にはフィリアがいなかったかのようだった。


「……本当にごめんなさい」


 フィリアは静かにそう、呟いた。


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