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   驚きと黒い布

 朝。フィリアはいつもの起きる時間を過ぎてもベッドにぐったりと横たわったままだった。もぞもぞと布団の中で何度も寝がえりをうっている。


「……はぁ」


 今朝はずっと朝から頭が痛く体がだるい、体調が最悪の日だった。フィリアがこんな状態では店も開けれず、今日は休業となっていた。

 夜には大事な仕事が入っている。何としてでも毒殺だけは止めないといけない。それまでに何とか体調が回復してくれればなぁと、漠然と考えているのだった。

 カラカラカラ……と馬車の行き交う音が聞こえ、時計の針のカチカチという音が聞こえている。静かな正午の訪れだった。

 フィリアがうっすらと夢と現実の間をさまよっていた時。


 馬車が店の前で止まった音がした。フィリアはこんな状態では出れないと、そのままベッドに深く潜り込む。それに今日は休業のはずだ。直ぐに他の薬屋に行くだろうと考えていた。フィリアはもう一度眠ろうと(まぶた)を閉じる。


 が。

――コンコン


 静かな部屋の中で響くその音がフィリアを店へと誘う。フィリアが眉をひそめ、無視をしてるとまたコンコンと音が聞こえてくるのだった。けれども完全に気付かないフリをし、今回ばかりは出る事が出来なかった。


「宅配です。お留守ですか?」


 すると今度は人の声が聞こえ、その声の主は宅配だとフィリアに知らせている。フィリアはずきずきと痛む頭で考えながら、やっぱり宅配なら出ないと駄目だという結論になった。

 フィリアの姉、ルースはたまに洋服やお菓子など箱いっぱいに詰めて送る。それをフィリアが受け取らないで放っておくと、ルースはとても怒るのだ。フィリアが受け取らない度に、ルースは店に押しかけてくる。フィリアはルースの行動力に驚きながらも、しぶしぶ受け取るようにしているのだった。


 それにこの時のフィリアはドアの向こうにいる人が配達の人だと信じきっていた。それは頭がぼんやりしていたからかも知れない。フィリアは大急ぎで着替え髪をとき、黒の布を頭からすっぽりと被った。


 そして落ち着いた声色で一言、

「すみません。気付いてなくて、今開けます」

 ガチャリとフィリアが鍵を開けた時、ドアがひとりでに開いた。


「え?」

「ルア、無用心だよ。宅配便だとは限らないからね?」

「ええ。本当にそうでした。私が馬鹿でした。何で開けたんだろう」


 フィリアの両肩はふるふると怒りに震えている。最悪だ、騙された。そのドアの向こうにいたのはクラン・ウォルバード、その人だった。

 怒りでひきつった顔をなおしながらも、フィリアは黒い布ごしからクランの全体の容姿が目に映る。不意に目の前の人が王の弟なんだということが脳裏をよぎった。しかし今のフィリアにはそんなことがどうでも良いと思えるくらい、頭がまわらなかった。


「クランさん。勝手に入って来ないで下さい」

「まぁまぁ。不審者じゃないんだし、大丈夫だよ」


 何が大丈夫なんですかと問いただそうとした、その時。言葉に詰まる。それと同時にフィリアの視界がクラリと揺れる。何とかカウンターにもたれて倒れるのは防いでも、それからは話すのがやっとで。単純な受け答えしか出来ていなかった。これは……。


「……クランさん。帰っ――」

「ルア?」


 フィリアにはクランが三人ほどに見えている。最悪だ……一人でも大変なのに三人に増えるなんて。

 それでもフィリアは平静を装って、

「すみません。何でもありません」

「ルア、店の奥に入ってもいいかな?」

「……何を言ってるんですか。お断りします」


 と、また店内の物が右に左に気持ち悪く歪んで見える。フィリアは思わずカウンターをぎゅっと掴んだ。

 次の瞬間クランは眉をひそめ、真剣に問うた。質問の内容はフィリアにはふざけて聞こえても、それはいつもの楽しげな声色では無かった。


「ルア。布取っていい?」

「取ったら即刻追い出します……」

「ルア!」


 その時、ふっとフィリアの全身の力が抜けていく。今までカウンターを掴んでいた右手さえも力が入らずにフィリアは成すすべもなく、床にどんどん近づいて行くのだった。何かを掴まないと……と気持ちは焦っても、体は言う事を聞いてくれない。

 頭のどこかは冷静で、少しくらい床に打ちつけたって大丈夫、そう思ってフィリアはゆっくりと目を閉じていた。


「……?」


 ところがフィリアが覚悟していた体を打ちつけられるような痛みは来なかった。それどころか、誰かにもたれているような感覚が残る。


「ルア。大丈夫かい?」

「……すみません。少し、ふらついただけです」


 フィリアはクランに支えられていたのだった。クランはフィリアの両肩を掴み、倒れるのをふさいでいる。フィリアが身を引こうと力を入れると、急に俵を担ぐみたいにフィリアを抱えた。


「な、何をするのですか……!?」

「ごめんルア。奥に入らせて貰うよ」

「………え? ま、待って下さい」


 フィリアがバシバシとクランの背中を叩く。フィリアの視界はクランの背中しか見えないのだった。

クランはそれを気にもとめず、さっさと奥の部屋に入る。そしてゆっくりとフィリアを部屋にあるベットに下ろした。

 フィリアは下ろされた事に対してほっとして、ふーと深呼吸をする。それを見ていたクランは真面目にこう告げるのだった。


「ルア、体調が悪かったんだね?」

「それは――」

「ごめん」

「どうして、謝る必要が……」


 フィリアは目を見開く。分からない。目の前にいるクランさんがそんな表情をする必要も、謝る必要も……全部分からない。

 フィリアは怒っていた事を忘れるくらい今度は動揺していた。クランはゆっくりと辺りを見回し、落ち着いた声色でフィリアに問う。


「ルア、薬ある?」

「ありますけど、今はいいです……」

「あ、これかな。とりあえず飲もう。この様子じゃ飲んでないね」


 クランが近くにあるテーブルから、薬を取り出してくる。見つけるのが早いとフィリアは、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。


「飲みますから、そこに置いておいて下さい」


 フィリアはそう言い放ち頭から布団を被る。お願いだから一人にして欲しかった。「クランさんがここにいる必要はないんです」と言ったきり、フィリアは固く口を閉ざしていた。


「な……!?」

 

 するとクランは薬を飲ませようとフィリアの顔の部分の布団を捲ったのだった。フィリアは驚きながらも大急ぎで、少しだけずれていた黒い布を直す。また、元の通りに布ごしにクランをぼんやりと眺めていた。


「ルア、もう一つ。これは怒ってくれていい」


 そうクランが言って布ごしからこちらに手が伸びてくるのが分かる。フィリアは言葉の意図がわからず、首をかしげた。しかしそれが出来るのもほんの一瞬のことだった。


「……返してください」


 視界に、鮮やかなはっきりとした色が戻る。それはいつも見る布ごしからの景色では無かった。フィリアのその瞳には、はっきりと目の前の薄茶色の髪を持った青年が映っているのだった。今の今までかぶっていた布はクランの手に移動しており、少女の容姿があらわとなる。


 どうして何事もなくその布にさわれるの、とフィリアは動揺していた。目を見開いて固まっている。

 その幾重にも重なった黒の布にはフィリアの魔法が施してあった。それはフィリア自身の魔力の気配を完全に消す役目と、黒の布には誰にも触れられ無いようになっていたのだ。

 ルース・デュルベールとは肉親であり、フィリアの魔法は効かない。でも今フィリアの目の前にいるクランは肉親じゃない。

 どうして……。フィリアはずきずきと痛む頭を押さえた。


「ごめん。ルア、でも君には熱がある。今冷やさないと酷くなる一方だ。元気になっていくらでも怒ってくれていい」

「それは……分かっていますから、もう帰って下さいませんか。一人にして下さい」


 冷たい声が部屋中に響いていた。フィリアは熱のせいで息が荒い。頭はずっとずきずきと痛み、さっきからまともに人と目が合っていなかった。クランは黙って、冷たく濡れたタオルをフィリアの額にのせた。


「お願いですから、帰って……」

 フィリアは額を手で押さえ俯き、顔を上げようとはしなかった。


「薬。ルア、薬飲もうか」

「もう放っておいて下さい」

「……困ったな」


 そしてフィリアはクランとは反対方向に寝返りをうつ。その視界は完全に壁一色になった。クランは苦笑いで、フィリアに呼びかける。


「ルア」


 フィリアはその呼びかけに、てこでも動かなかった。すると先ほどとは違い、ベッドに重みが増えた気がした。腰かけたことが分かったフィリアはびくっと固まる。


「ルア」

「クランさん、お願いします。……帰って下さい」

「ルア。あと、五秒以内に薬飲まないと口移しを強制的にさせるよ?」


 フィリアはその言葉を聞いて驚く暇も無くむくっと起き上がる。漆黒の髪がさらさらと動き、その蒼い眼でクランを軽く睨みつけこう言うのだった。


「薬、ください」

「お。残念」


 フィリアはキッとクランを睨んだ。それを見てクランは笑うのだった。そしてごくごくと薬を飲みほして、今度ははっきりとクランの目を見据える。


「薬を飲みましたから、もう大丈夫です。帰ってください……。絶対に……」


 そう言いながらもフィリアの意識がどんどん遠ざかっていく。この薬は回復が早い分、睡眠作用が強い薬。フィリアはそれを知っていたが、飲んだ。フィリアの眠りたくないその気持ちとは反して、薬は完全に深い眠りへと誘うのだった。



***




「……さて」


 クランはどうしようかと頭を抱えていた。いつものようにここに来ると、まさかフィリアが熱を出しているとは思いもしなかったのだ。しかもクランは布まで取った。目覚めた彼女が怒らないはずがないと感じていた。

 クランはふと前にフィリアが「火傷の跡があるから顔を見せれない」と言っていた事を思い出す。しかし見る限りこの少女にはそんな跡はないのだ。クランは一気に静寂に包まれるこの家を見ながら、この少女は一体どのくらいの偽りの顔があるのかと考えた。


「……ルア、君は怒るかな」


 クランの呼びかけにフィリアは何も答えない。今のクランの視界に映るものは、艶やかな漆黒の髪が緩やかにベッドに投げ出されているフィリアの姿だった。その表情は壁を向いており見えない。

 空と海とも違う独特な蒼色。色に深みが増したと思えば、浅くなる。それはその目に自分が映っているのが不思議だと思えるほどに個性的だった。


 その容姿はクランが思ってたよりも若く、鼻筋の取ったはっきりとした顔立ち。クランが思わず息を飲んだほどに存在感があり、そこだけ空気が違って見えた。

 クランは不思議に思うのだ。目の前の少女には布を被らなければならないような怪我なんてなかった。

なのに顔を隠す必要があるとは本当にただの薬屋なのか、と。


「……」


 クランは何か他に冷やせるものはないかと部屋を見渡した。シンプルなその部屋にはあまり物がない。あくまで全てのものが生活にいる必要最低限で。これと言ったフィリアらしいものは何一つ見つからなかった。

 いや、自分に「フィリアらしい」物が分かるのかと思うほどクランは目の前の少女について何も知らない事をつくづく思い知らされた。

 クランはまた悩む。「帰れ」と言われた所で帰る訳には行かない。そこだけはクランも意地でも譲るつもりは無かった。自分も相当な頑固かも知れない。

 するとその時。クランの中に名案と言えるくらいのアイデアが浮かんだのだった。


「……そうか」

 一度戻ろうルアを連れて。どちらにしても見たところ、看病出来る物の場所も分からない。クランはフィリアの膝の裏と背中に手を回すと、ゆっくりと持ち上げた。そしてぐったりと眠り込んでいるフィリアを抱え、店を出るのだった。

 店を出て、すぐ後ろで待機していた馬車に乗り込む。フィリアを座らせると、馬車の前に立っていた執事のバローが思わず覗きこんでしまうほど酷く驚いていた。その様子は慌てふためいているようにも見える。

 クランは一言、

「バロー、今から屋敷に戻れるか」

「はい、勿論でございますよ。しかしクラン様、そのお嬢様は一体……?」

「ルアだよ。まぁ驚くのも無理ないか。熱があってね」

「それはそれは! 早急に屋敷に戻りましょう!」

「ああ」


 フィリアを乗せた馬車はもう一度、王様の屋敷へと歩みを進めていく。次はいつ、主がこの薬屋に足を踏み入れることが出来るのだろうか。ぐっすりと眠りこんでいる今のフィリアには知る由もないことだった。


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