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   嵐の予兆

「え。えっと……。それは……」


 フィリアはしばらくうろたえていたが、深呼吸をして落ち着きを取り戻す。もしこの誘いが本当の“薬屋”に来ていたとしたら、フィリアは良い返事をしたかも知れない。

 けれどもフィリアは違った。“薬屋”だけの人生を歩む訳にはいけない事を自分自身が一番良く分かっていることだ。フィリアには魔法があり、それは変える事の出来ない事実なのだから。


「……ごめんなさい。お断りします」


 その結論は何の感情も感じさせないように、何も映し出さないように、静かに発せられた。それを聞いたクランの反応はフィリアの予想を遥かに超え、とても楽しそうに笑っていたのだった。


「ははっ。だろうね。君はそう簡単に一筋縄ではいかないと思ってた」


 するとクランは静かにフィリアの手を取り自分の方へと引き寄せた。フィリアは急に何が起きたのか、頭から被っている布のせいで分からず反応に遅れる。薄っすらと布ごしにクランの肩が見えた。


「!?」

「君ならきっとそう答えるだろうと。でも――」


 お互いの体がぶつかるかぶつからないかの瀬戸際で、クランは身を少しかがめてこう言った。


「まだ俺は諦めるつもりはないよ? 君の素顔が見れるまでね」


――カランカラン


 それじゃあまた、と言って去るクランをフィリアは何も言わずだたぼんやりと眺めていた。そしてバタンと店のドアが閉まった時、初めて声を出す。


「あ、嵐が去った……」


 そしてフィリアはよれよれとカウンターにある椅子に座るのだった。緊張の糸が切れ、ぐったりとカウンターに項垂れる。


 『君の素顔が見れるまでね』クランが最後に言った言葉の意味を何度も考える。それは単なる珍しいものを見つけてそれに対する興味なのか。何なのか。

 髪の毛をくしゃくしゃにしても結局答えが分からないまま、フィリアはいつもの時間通りに店を閉める。こうして、今日と言う日は終わっていくのだった。



***



「で、今日は何のご用ですか!?」


 フィリアはこの時生まれて初めて、店のドアが外から開かないようにぐっと引いていた。お客を追い返そうとする、そんな事をフィリアがすることになるなんて思いもよらない事態だった。


「あ、酷いなぁ。ルア、用事があるから来てるんだよ?」


 一方のクランはこうして言い合っている間も楽しそうだった。これはいつもの痴話喧嘩、とでも言いたげに。


「嘘でしょう? クランさんにここ一週間ずっと来られても困ります!」


 フィリアはさっきから必死にドアを引いて開かないようにしている。それはもう、ドアが壊れてしまいそうなほどの勢いで。


「あれ、そうだったかな。とにかく入れて貰いたいんだけどね」

「営業妨害です!」

「もしかして、ここの薬屋や客を追い返すのかな?」


 フィリアはそれを聞いてぐっと言葉に詰まる。一瞬、押し黙る。痛いところ突かれた。クランはその反応に、にやりと笑っていた。


「……そ、それはありませんが」

「へぇ? じゃあ入れて貰えるかな。客は追い返さないんだよね?」

「……う。……分かりました」


 フィリアは渋々、本当に渋々ドアから手を放した。一方のクランはこの上ないくらいの上機嫌で店に入る。そしてふと薬棚に目を向けたのだった。


「あれ。棚の模様替えでもした?」

「はい。ササラさんからアドバイスを貰ったので」

「ササラさん?」

「すぐそこの八百屋さんの奥さんです」


 フィリアはそう答えながらも、はぁとため息をつく。どうしてこんなにクランさんを店に入れているのかと。

 昨日、ササラが店に遊びに来た時のことだった。フィリアはササラから、薬の種類が分かりにくいんじゃないかとアドバイスを貰った。ササラは紛れもなく商売上手なので、その意見をすぐに取り入れて棚を整理してみたのだ。


 それにすぐさま気付くほど、クランはここ一週間ずっと入り浸っているのだった。特に何を頼むわけでもなくカウンターに座り、フィリアに話しかけ続ける。フィリアはずっと、クランにとって一体なにが楽しいのだろうと不思議に思って仕方がなかった。


「クランさんはいつ元の場所に帰られるのですか? 結構長い滞在期間ですよね」

「ルア、もう帰りの話? 帰りの話はもっと遠回しにしようよ」


 フィリアはそのクランのむすっとした表情に笑う。遠回しなら言ってもいいんだと思った。


「ここを出ていかれるのは、いつでも結構ですよ? それもありますけど、クランさんの仕事の話です」

「あ、やっと来てくれる気になった?」

「……はぁ」


 そして必ずといって良いほど専属になって欲しいと勧誘されるのだ。その度にフィリアは丁寧に断り続ける。もう面倒になってきたので、この件には無視を決め込むとが一番だと思った。


「ルア。専属になる事でそんなに気を背負うことないよ。それでも専属になってくれない?」

「……」


 フィリアは完全無視だ。そして遂にカウンターの奥にある椅子に腰かけて、本を出してくる。その本は分厚く、とても細かな字が並べられていた。眠る前にその本を読めばぐっすり眠る事が出来るだろう。


「おーい。ルア、無視は止めようかー。無視は」


 知りませんと、フィリアは本を読もうと栞が指し示しているページを開く。


「あ」


 するとクランにひょいと本を取り上げられた。フィリアは取り戻そうと手で本を追う。しかしそれも直ぐに押さえ込まれた。


「視力悪くならないの? それ被ってて」

「……慣れましたから、大丈夫です」


 これ以上無視してたらややこしくなっていきそうなので、フィリアは無視を諦める。


「ルア、君の質問に答えよう。仕事のことだったね?」

「クランさんが答えたくなかったら、言わなくていいですよ」


 フィリアがきっぱりとそう言ったので、クランは右手で(ひたい)を押さえた。そしてふっと顔を上げた。


「ルア、分かった。僕が話したいんだ。聞いてくれるね?」

「……はい」


 フィリアは温かい紅茶をクランの前にすっと差し出し、クランはありがたく受け取った。ふわっと辺りには紅茶の良い香りと湯気が広がる。


「ルアはこの街で夜会が開かれるのを知っているかい?」

「夜会ですか……。ああ。はい、聞いたことがあります」


 つい先日、フィリアの姉ルースに誘われたばかりだったことを思い出す。夜会の話を持ち出してくるという事は、クランも夜会を知ってるのだろうかと気になった。


「でも実際に夜会って何をする場所なんですか?」

「夜会は、貴族や主催者に(ゆかり)のある者が呼ばれる一種の社交場のことだよ。あと付け加えるとすれば、ただの面倒な集まりかな」

「面倒な集まりって……」

「残念なことにこれが事実なんだよ。ルア、仕方がないんだ」


 クラスは大袈裟に残念がるふりをする。フィリアはそれを見てくすくすと笑うのだった。


「ごめんなさい。それで話を戻しますね。夜会が何かあるのですか?」

「今回はその夜会がこの街の王の屋敷で行われる事になってね。始めはもっと早い予定だったんだけど、ルアも見たよね? 肝心な主催者が病に伏せてしまった」

「それで開く日程が遅れたのですか……」


 確か姉の手紙にも似たようなことが書いてあった気がする。ここに少し長く滞在することになったと。


「本当は夜会に出席つもりはなかったが、王からのお呼びだしだ。さすがに無視はきつくてね」

「それでクランさんは夜会に出なきゃ行けなくなって、ここにいつもより長く滞在してるのですね?」

「そうなんだ。でもここにこれて良かったよ。君に逢えたしね?」

「何を言っているのです」

「いやぁ、良い人に会えて良かったなぁって」

「良い人……私がですか?」

「ああ! ごめんごめん。良い人という枠ではいけないね。僕としたことが君とはもっと親密な――」


 わざとらしい。口調が物凄くわざとらしい。フィリアは信用ならないと、胡散臭そうにクランを見るのだった。


「クランさん。紅茶が冷めてしまいますよ?」


 クランが「話をそらしたね」とでも言いたげな目をしていた事をフィリアは知ってか知らずか、言葉をさえぎって笑顔で紅茶を勧めるのだった。


「お。この紅茶おいしいね」

「良かったです。クランさんのお口に合うかどうか分からなかったもので」

「初めて飲んだ気がするよ。面白くて、美味しい」

「……」


 「面白い」に不穏な響きを感じた気がした。でも実のところフィリアは本当に口に合うかが不安であり、美味しいと言われたことは嬉しかった。「おいしい」と言われた後はほっと息をつく瞬間でもある。



――にゃあおん


「?」


 突然、猫の鳴き声が聞こえた。クランもフィリアも一度話すのを止め、声のする窓の方を見た。

 少し開いた窓の向こうには真っ白で上品な猫が窓の外でちょこんと座っている。にゃあおんと鳴く度に首元の赤いリボンが揺れた。

 フィリアはその猫には見覚えがあり、そっと窓を開ける。


「おや、猫のお客さんのようだね。はぁ、残念な事に今日は少し他に用があってね。そろそろ帰らせてもらおうかな」

「あ、はい。どうぞ」

「ルア~。……もっと引き留めようよ」

「クランさんもお仕事に励んで下さいね」


 フィリアはどうせ布で分からないだろうけどと思いながらも、にっこりと微笑む。それを見たクランは数秒固まり、ぎこちなく店を出て行くのだった。


 静かな店内でフィリアと白猫だけになる。するとじいとフィリアを見ていた白猫はすっと水色のカードを差し出した。白猫はそのカードをフィリアが手に取ったのを見届けると、後ろを向き戻ろうとしている。


「ま、待って」


 フィリアは勢いに任せて白猫を引き留めた。


「いつもカードを届けてくれてる猫さんよね?」

「にゃあおん」


 猫が鳴く。それはまるでフィリアの問いに答えているかのようだった。


「焼きたてのパンがあるの。ちょっとだけでも食べていかない?」


 白猫はそんなフィリアの誘いに、後ろを振り返って行こうとしている。フィリアは慌てて追加条件を出してみた。


「ミルクティー付きで」


 すると白猫はそれを聞いて足をピタリと止める。フィリアはもしかしたらこの白猫はミルクティーが好きなのかもしれないと感じた。


 フィリアはお皿にパンを載せ、ティーカップに暖かいミルクティーを注ぐ。それを窓際に置いた。白猫はそれを少しずつ食べていく。その姿がなんとも可愛かった。

 そして一鳴き「にゃあおん」と鳴いて白猫は直ぐ様、去っていったのだった。フィリアは今度は黙ってその後ろ姿を見終えると、残ったカードに目を通した。


『ルア大至急! この前のバイトの続きや』


 大至急、その言葉にフィリアは急いで店を閉め、ランシュリ街の奥の店へと向かった。



***



「エクスさん、大至急ってどうかしたんですか?」

「それがやな、今回は時間がない。今日のうちから準備しとかんと間に合わん」

「だから、何がです?」

「王様の前に一週間以内に頼む言うとったやつや。遅くなってしもたけどな。ああ、そう言えばルア。病気治したんやってな?」

「あ、はい。あの田舎特有の……」

「おかしい思たやろ?」


 エクスは随分と焦っていた。その焦りを感じて早く話を進めるべく、フィリアはただ聞かれたことに答えるよう専念していた。


「はい。深くは突っ込んでませんけど」

「ある王関係者から依頼が入った。病気の件もそうやった。けど病気の件はルアとは違う人送ろう思ってたけど、あの弟なかなかに鋭いな。ルアの店に来たんやって?」


 フィリアは「え?」とエクスの言葉に耳を疑う。


「えっと、弟とは一体……?」

「ルア、もしかして知らんかったんか!?」

「は、はい。全く……」

「クラン・ウォルバード。名字は違えどバル・エルヴィン王の実の弟。つまり、この国の第二王子や」

「えええぇ! ま、待ってください。弟ですか!? 第二王子……」


 弟、おとうと、オトウト。フィリアの頭の中でその単語がぐるぐると回っていた。


「こっちは、それを知らんかった言うルアに驚きや……」


 エクスは額に手をあて、呆れていた。一方にフィリアは空いた口が塞がらない。そんなフィリアを放っておいてエクスは先へ先へと話を進めるのだった。


「まぁ、知らんかったもんはしゃあない。次行くで」

「は、はい」

「今回、ルアにはある男を止めて欲しいんや。場合によっては、牢屋にぶちこんでくれてええから」

「どんな人ですか?」

「性別は男。こっちが掴んどる相手の目的はおそらく、アリシア様の毒殺」

「お妃様ですか」

「ああ。屋敷図は頭に入っとるな?」

「はい」

「ルア、いいか。これはもうタイミングの勝負や。もうここまで来たらアリシア様に危害を加える寸前で止める。その方が証拠が掴みやすいしな。この仕事はAランクも良いとこやけど、やるか? 勿論。報酬は期待してええよ」

「やります」

 フィリアの返事は即答だった。


「よっしゃ。分かった。それとターゲットの性別は分かるが女に変装しとんか、男のままなんかそこはさっぱり分からん」

「その人は魔法使いですね?」

「そうや。でもこれではらちがあかんので、こっちが情報を元に勝手にターゲットを予想してみた」


 エクスは一枚の写真を取り出した。そこには若い男性が写っていた。


「まぁ。魔法使いに顔なんて当てにならんけどな、一応。でもこいつには、一つだけ魔法でもどうにもならん特徴がある」

「何かのマークとかですか?」

「ご名答。肩に葉を三枚重ねたようなマークが付いとる。どんなに変装したところで、それは消えへんらしい」

「それで確かめられる訳ですね」

「そうや。最後にこのバイトは明日の夜、決行する。心配せんでもターゲットも今夜は絶対に動かれへん。ルア、今回のバイトは難しいで。屋敷の使用人は多いし、おまけにあの弟まで来とる。なんにせよ人数は少ない方がええのにな」

「それでも私の仕事ですから、やるだけの事はします」

「ルアの応援、行けたらええのになぁ。残念ながら明日は予定入ってしもて」

「絶対に、来ないで下さいね」


 フィリアは思っていた。エクスさんなら本当に見てフレーフレーとか応援だけして帰るのがオチだと。……前にされた事があるからよけいに。


「まぁせめてもの気持ちや。これ持って行き」


 ポイッと乱暴に何か渡される。フィリアはあわあわとしながらも受け取り、手の平の中にあるものを思わす凝視してしまった。


「バッチ……」


 それはまた『あの押せ!』と書かかれたバッチだったのだ。


「エクスさん、また音楽鳴るんでしょう!?」

「ないない。大丈夫やて。この前のはちょっとしたジョークやん。ルア、絶対それ体のどっかに付けて行きや。絶対に」

「分かりましたよ……」

「ほな、明日の夜」

「はい。また」


 すうっと周りの部屋の空間が壊れていく。フィリアは気が付くと、ランシュリ街の一番の奥の店の前で立っていた。


「さむ……」


 急に寒気を感じた。冷たい風が吹き付けているからだろうか……。フィリアは気を取り直して自分の家へと急ぎ足で帰るのだった。



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