存在(ト・エオンτὸ ἐόν)について(又は、ピュシスについてΠερὶ Φύσεως)
〝あらぬ〟は意識には在り得ない。
想うべきにない全くの未遂不收。 瞬今のこの現實も亦た然り。存在も同様。存在には到達できない。
存在は無空ですらない絶空。存在の絶対性・不動性・傍若無人な唐突性、すなわち非情性、無慈悲、その現実性の無味乾燥こそが触れ得ない眞の空であること。静寂の炸裂。狂裂なる眞の空性についての叙述。
シリーズ#1。 肇輯。
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存在といふは只管存在なる哉。實直觀せば不可得。爾して一切非、且つ、非〝一切非〟哉。非知焉。路傍之石、道端の道祖神石像、石庭、いずれも素の儘にて、ただ、空莫。真空のごとく、生存を絶し尽くすまでの純粋。
存在只是存在 它無味又乾澀 甚至不是不存在 無止盡的過度自由 路旁被風雪損壞的古老石像(存在はただ存在。無味乾燥。非存在ですらない。無際限なまでに過剰な自由。路傍で風雪に壊たれた古い石像)
無言、無表情。存在は〝あらぬ(τὸ μὴ ὂν)〟ですらない。其の甚深。神聖ですらある。
Mute. No expression. Existence is not even "Absence., non-presence (τὸ μὴ ὂν)". It is profound. It is even sacred.
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第二輯では、存在の空性について、理不尽を超えて説明不能の、體験でしか觀ぜられぬ、石庭のような藝術性を、狂気のパフォーマンスで遂げた彝之イタルへ。