第九話 その想いは、まだ言葉にできない
翌朝、神殿の朝靄は、いつもより肌寒く感じた。けれど、それは気温のせいではなかった。
リアナが、いつもより少し早く食堂に現れた。表情はいつもと同じ微笑み。でも、アリシアもセレナも──どこかで“違和感”を感じていた。
(……彼女、変わった)
(……何かが、あった)
二人は顔を見合わせない。けれどその無言の空気の中で、同じものを感じ取っていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「ユウト、昨日はどこに?」
アリシアが、ふと問う。軽く、何気ないふりをして。けれどその声にはかすかに棘があった。
「……リアナさんと、少し話をしてた」
嘘は言っていない。けれど、全部は言っていない。
リアナはスプーンの手を止め、そっと俯いた。
アリシアも、それ以上は何も言わなかった。ただ、その沈黙がすべてを物語っていた。
(……抱きしめた? 触れた?)(それとも──キス、した?)
言葉にはならない。誰も訊けない。でも、知りたくて、怖くて、胸がざわついて──
“癒やされる”だけでは、もう満足できないと気づいてしまった。
◇ ◇ ◇ ◇
その夜、ユウトはセレナのもとを訪れた。
「……相談があって」
「ふふ。どんなお悩み? “誰かを選ぶかどうか”ってやつ?」
ユウトは言葉を飲み込んだ。けれどセレナは、すでにすべて見透かしていた。
「誰か一人を抱きしめれば、他の子が壊れるかもしれない。でも、抱きしめずにいたら……その子が壊れてしまう」
「……そう、なんだ」
「ねえ、ユウトくん。それって優しさ? それとも──ただの、保身?」
鋭く、でも優しく問いかける声。
ユウトは俯き、静かに答えた。
「……全部、癒やしてあげたい。でも……全部、抱きしめられない」
そのとき、セレナは珍しく真顔になった。
「じゃあ、誰かに奪われるわよ?」
「……え?」
「誰か一人が、“あなたを独り占めしたい”って、もう決めてたら──?」
「…………」
セレナは、そっとカップに口をつけた。湯気の向こうにある彼女の瞳は、いつになく真剣だった。
「甘い顔をしていたら、ね。あっという間に“誰かのもの”になっちゃうわよ」
◇ ◇ ◇ ◇
その頃。アリシアは、夜の訓練場で剣を振っていた。
普段より、明らかに重く、鋭い斬撃。
(……リアナに先を越された?)
いや、そんな言葉では表せない。問題はそこじゃない。
(“彼が誰かを選び始めている”──それが、怖い)
今までの心地よい曖昧さが、もう戻らない気がした。その恐怖に、剣を振るしかできなかった。
アリシアは知らなかった──その手の中に、自分の感情という“刃”を握りしめていたことを。




