第一話 君の手が、あたたかいなんて思わなかった
召喚されたのは、突然のことだった。
目を開けた時には、俺はもう、別の世界にいた。
だだっ広い大理石の間。金と紺で彩られた巨大な玉座の間で、俺は“勇者候補”として呼び出された。
だが──その期待は、一瞬で失望に変わった。
「……こいつには、特別なスキルはないな」
「鑑定終了。下級の《治癒》持ち。しかも等級は……最低レベルの“C”か」
王や神官、魔術師たちの視線が冷たく突き刺さる。
俺はただ、黙って立っているしかなかった。
「使いものにならんな。下がらせろ」
俺は、捨てるように言われた。
次の瞬間、衛兵に肩を掴まれ、城の裏口から放り出された。
泥の中に倒れ込む。周囲に人気はなく、ただ雨がしとしとと降っていた。
静かで、冷たくて、ああ──俺はまた、いらない存在なんだと実感するには十分だった。
──誰にも、必要とされたことがない。
生まれてからずっと。
家でも、学校でも、社会でも。
ただ静かに、誰にも迷惑をかけずに生きてきただけなのに。
それなのに、“何も持っていない”という理由だけで、俺はまた弾かれた。
「……はは、これが、異世界かよ……」
ふと、森の奥から、低いうめき声が聞こえた。
「……っ……く……」
俺は顔を上げ、反射的にそちらへ足を向けた。
身体が勝手に動いていた。誰かが苦しんでいる声。それだけで、動かずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
木々の陰。雨に濡れた地面に、誰かが倒れている。
鎧をまとった女性だった。
銀髪のポニーテールが泥に汚れ、鋭く整った顔立ちは痛みに歪んでいる。
鋼のような体躯と、威厳を感じさせるその姿。彼女がただの兵士ではないことはすぐにわかった。
──けど、今はそんなことどうでもよかった。
「大丈夫ですか……?」
返事はない。
その身体は震えていた。太腿には斬撃の傷、肩には血が滲んだ裂傷。
俺は躊躇いながらも、そっと彼女に手を伸ばした。
触れてはいけない気がした。それでも──。
……触れた瞬間、世界が、少し変わった。
俺の手のひらが、彼女の頬に触れる。
柔らかい。冷たいはずの肌が、じんわりとあたたかさを帯びる。
「……っ、あ……?」
彼女の眉がかすかに震えた。
目を細めていた彼女が、ゆっくりと瞳を開いた。
「な……に……この、ぬくもり……」
雨の音の中に、ぽたり、と水音が混じる。
──彼女の目から、一筋の涙がこぼれた。
「こんな……あたたかいなんて……思わなかった……」
声が震えていた。呼吸が乱れていた。
彼女は、自分の頬に触れている俺の手を、そっと両手で包んだ。
「あなた……いま、何を……したの?」
「……何って、俺は……ただ、触れただけ……」
彼女の震えが止まる。傷口からの出血も、いつの間にか止まっていた。
「……痛みが、消えた……心の中の、冷たさも……」
彼女は、まるで子供のような表情で、俺を見つめた。
「……お願い、もう少しだけ……触れていて……」
俺は戸惑った。わけが分からなかった。
だけど、手を離すことはできなかった。
彼女がその手を離させてくれなかった。
「名前は……?」
「ユウト……です」
「私は、アリシア・ヴァレンティナ。王国騎士団の副団長……だけど今は、ただの女よ」
彼女の唇が微かに歪む。哀しみとも、安堵ともつかない笑みだった。
「……もう一度、触れてくれたら……私はきっと、壊れちゃうわ」
その声が、なぜか、ひどく甘く感じられた。
冷たい雨の中で、俺の手の中にある温もりだけが──やけに、あたたかかった。




