後できちんと謝ったわ
――一体、何が起きたんだ?
理解が追い付かない。崚太の頭の中は今、不可解で埋め尽くされている。分からない、理解できない、判然としない。そんな言葉が頭の中で反復横跳びしているような感覚だ。
――何だったんだ? 今の。
崚太は未だ回ってくれない頭で思考する。
――分からない分からない分からない。……ああ、駄目だ。しっかりしろ俺。今何故か、教師に「テストの解答欄は全部埋めろ」って言われて解答欄全部「うんこ」で埋めた同級生居たことを思い出したぜ。あれにはびびったぜ。なんたってその話、クラスメイトでもましてやそいつと友達でもない俺のところにまで回ってきたんだからな。何だったんだろうかあれは。
崚太は思考し、考え、思索する。チラッと雑念が入ったような気もするが、それでも崚太は頭の中で段々と思考がまとまってきている感覚があった。パズルのピースが勝手に揃っていくような、何とも不思議な感覚だ。
――ああ、そうか。確か俺、藤城にボールを当てられたんだ。顔面に。
先んじて言っておくが、ボールを当てることは今この場においては悪ではない。だって崚太たちが今行っているのはドッチボールだから。例え顔面に当てられたとしても、当てた者が責められるいわれはないのだ。
今崚太の視界には、体育館の天井がいっぱいに広がっている。何故なら崚太の今の体勢は綺麗なまでの仰向けだから。美羽にボールを当てられ、倒れた時の体勢のままだ。
朦朧としていた意識がはっきりとしてきた崚太は上体だけを起き上がらせ、きょろきょろと周りに視線を巡らせる。すると「やっちまった」という顔をしている美羽と目が合った。因みに美羽はボールを投げた姿勢のままだ。
崚太と美羽が目を合わせた時、ここに居る誰もが時が止まったような感覚に陥った。
「……」
少しの間訪れる沈黙。今の状況を言葉で表すのなら、完全な静寂だ。一人たりとも眉一つも動かさない。
やがて空気を読んでか、はたまたこの雰囲気を打ち破るためか、つぐみが率先して口を開いた。
「えっとぉ」
つぐみは喋りながら、自身の足元に転がっていたボールを拾う。その所作は鮮麗されていて、ただボールを拾っているだけだというのにとても美しい。
「どうしてぇ、避けなかったんですかぁ?」
崚太さん、と続けるつぐみ。
この崚太を責めているように聞こえる物言いにはきちんとわけがある。実は、つぐみにとって不思議でならなかったのだ。崚太がボールを避けなかったことが。避けられなかったことが。例え美羽の球が剛速球だったとしても崚太なら避けられたはずだという信頼からくる発言だった。
崚太はそれに対し物申す。
「いやいや、くしゃみした瞬間、目の前にボールが来たんだぜ!? どうやって避けろと!?」
そう。勘違いしている人もいるかもしれないが、実は崚太は顔面キャッチしようとしたのではない。偶々、そう偶々美羽がボールを投げた瞬間にくしゃみをしてしまっただけなのだ。美羽も偶々そのタイミングで崚太に対し剛速球を投げてしまっただけ。崚太は断じて自ら当たりに向かったわけではないのだ。
崚太の物申しに対し、即座に碧依が反応する。
「首を……」
無機質な声で短くそう言った碧依。避け方に案があるようだ。崚太はその続きが気になり、問い返した。
「首を?」
崚太の頭の中は今、疑問でいっぱいだ。碧依は一体首をどうしろと言うのだろうか。
碧依はこのタイミングだとばかりに緋音にアイコンタクトした。この続きは緋音が言えと、そういうことらしい。緋音はそれを潔く了承し、こう続けた。
「引っ込めるとか」
成程。碧依と緋音の二人は崚太に「首を引っ込めれば良かったのに」と言いたいらしい。「それくらいできるでしょ?」と。西宮姉弟は崚太のことを何だと思っているのだろうか。
「亀かなにかかな!?」
崚太のツッコミが体育館に響き渡った。
「美羽」
いつの間にか崚太の隣に来ていた景が、美羽を呼ぶ。崚太は思った。「親友よ。お前いつの間に隣に来てたんだ?」と。音もさせず、いつの間にか隣へ来ていた親友に驚きを隠せない。
ちょいちょい。そう美羽に対し手招きをする景。こっちへおいで、と。
美羽はよく分からないまま、景に招かれる。トテトテと景の元へ小走りで行く美羽。頭の中は疑問で埋め尽くされていた。「なにかしら?」と。因みに美羽はもう敵陣地に思いっきり入っちゃっているのだが、何ら問題は無い。何故ならゲームは今、絶賛中断されているからだ。崚太が倒れたその時からゲームは中断されていた。
トテトテと小走りで向かっていた美羽は、やっとの思いで景のところまで辿り着く。そして凛とした顔で景に対しこう言った。
「なにかしら?」
実のところ美羽は呼ばれた理由が分かっていないわけではない。ただちょっと恥ずかしいから分からないふりをしているだけなのだ。
そんな様子の美羽に対し、景はニコッと笑顔を向ける。
「崚太に言うべきことがあるんじゃないのかい?」
景はこう言いたいのだ。「崚太に謝った方がいいんじゃないのかい?」と。仮にも顔面に当ててしまったのだから。美羽もそれは分かっている。分かっているのだ。
「そ、そうね」
美羽は崚太に向き直る。その時崚太は心の中で、こんなことを思っていた。
――藤城……。どうか謝らないでくれ。避けられなかった俺がわりぃんだから。あのタイミングでくしゃみした俺がわりぃんだから。これはドッチボールなんだから藤城が謝る必要は無いんだぜ。
そしてこうも思っていた。「そんでなにより謝られたりしたら気まずくなるじゃねーか!」と。だから謝る必要は無いんだぜ、と。変なところで気を遣う崚太である。
やがて崚太のそんな気持ちを裏切るように美羽は口を開いた。
「崚太」
ああ、やっぱり謝られるのかな。優しいな、藤城は。そんなことを思う崚太。なので崚太は心の中で自分を納得させる。
――まあいいか。謝られて悪い気はしねぇからな。
そう。謝られて悪い気がする人間はいないのだ。
「なんだ?」
崚太は何故か「さあ、謝罪の言葉を聞かせておくれ」と言っているような上から目線の顔をする。何故そこまで清々しい顔ができるのか、謎である。そんな崚太に対し、美羽はこう告げたのだった。
「顔がアンパ○マンみたいになってるわ」
――うんうん、やっぱり悪い気はしねぇよな。こういうのは……ん?
「いや謝罪じゃねーのかよ!」
またしても崚太のツッコミが体育館に響き渡ったのだった。
次回投稿予定は明日の同時刻です。