第三挿話 亡国の小公女 9話 カンデン
今日もお読みいただきありがとうございます。
挿話は明日までで一旦中断、明後日から本編に戻ります。
どれも中途切り替えになり申し訳ありませんが
よろしくお願いいたします。
久し振りに降る霧のように細かな雨が大気にしっとりと潤いを与えても、乾ききった地道や事物の熱を冷ますにはもう少し降り続かなくてはならないようだ。
ジャンガの馬車に乗って既に2時間を越えた。
宿を取っている銀鉱の街からアムメッテ男爵領まであともう1時間程だろうか。
馬車の中ではパラメニィがジャンガに声を掛けたところだ。
「アムメッテ男爵の事はどの程度知っているの?」
「悪いが大したことは知らんな。寄り親がメトランツ伯爵で、亡くなった夫人は同門のケトリンク子爵の姉だった。夫人との間には子供が出来なかったが側室を迎えることは夫人が頑として聞き入れなかったらしい。そこで実家の若い女中の1人を妾として子爵家の中に囲うことになった。妻の里帰りに同行する際だけ妾との交渉を許されるってのが男爵にとっては悲しい笑い話だな。それでやっと出来た子供は乳離れで夫人の養子。男女1人ずつ生んだ妾はご用済みで手切れ金を貰って故郷に戻ったそうだ」
「へぇ、夫人には頭が上がらなかったのね」
「元々が男爵家とは名ばかりで荒れ地の中の狭い農場だけが頼りの貧乏貴族だったのを、嫁の実家からの援助で荒れ地を放牧場に設えて牛を飼い始めたところから運が向いてきたらしい。これまた援助で加工を始めた乳製品が当ってからは破竹の勢いって奴で、支援の見返りはとうに支払い済みだが女房には最後まで頭を押さえられたままだったんだろうな」
「それでやっと重しが無くなったから、新しい妾が欲しくなったって事ね」
「そうだ。来月で喪が明けるらしくてな。只まぁ話を聞くと単に女が欲しいだけじゃないみたいだ」
「そうでしょうね。景気が良いなら金で済ませる相手の方が気楽だし、取っかえ引っかえ出来て男は楽しいでしょ」
「まぁ、それは人によるだろうが。どうやら子爵家で妾に産ませた息子の魔法がからっきしらしい。まぁ男爵程度なら魔法よりは武技の方がずっと役立つだろうが、それでも魔法は貴族の証だからな。出来ることなら家格以上の魔力を持つ跡取りが欲しい。それは遊びじゃあ無理な話だからな」
「へぇ、結構切実な話なのね。確かに貴族社会は魔力本位だからその子が跡を継ぐと苦労するのは目に見えてるもの。まずマトモな嫁の話が来ないのじゃないかしら。少なくとも同格以上の相手はまず無理」
「そんな訳で子供を産んでくれる相手が要る。なんでも格下の相手との子でも魔力が高い方の親と同レベルの子供が出来るそうだな」
「そう、それはもう確率の問題らしいわ。同格の相手なら殆ど全員が大丈夫だけど、相手の力が落ちる程確率が悪くなる。だから子供の数が増えてもいいならいつかは家格並みの魔力の子が出来るでしょうね」
「ただ自分の歳を考えるとそんなに長くは待てない。だから準騎士爵程度の魔力を最低条件と考えてるらしい。お前さん、それぐらいは大丈夫だろ?」
「さぁ、どうでしょ。何で試されるかにもよるんじゃない?」
「最低でもその位の魔力がなきゃその顔立ちにはならないからな。その辺りは【人買い】で経験豊富なんで外さねぇ自信があるんだ。高貴な方々との付き合いは無いからそれ以上の事は全然だがな」
「まぁ確かにウチは貧乏貴族の流れだったから私もその位の魔力はあるけど」
「そうだろう。俺の目に狂いはねぇ。アムメッテって男爵と会うのは初めてだが、絶対お前さんを気に入ると思うんだ」
「どっちにしても会ってみないとね」
*
男爵領の近辺はそれなりの雨量だったようで地道は少しぬかるんでいたが、もうすっかり雨は上がって真昼の陽射しがいくつもの小さな水溜りを照らす。
すでに領内に入って馬車は起伏に富んだ牧草地の中を進んでいる。
「上手く自然を活かしたキレイな牧場ね」
「耕作地にするのが難しい地形だったのを逆手にとって牧場にしたようね。男爵領にしてはすいぶん広いけど、ほとんどが畑に出来ない荒れ地だったからでしょう。これだけ広ければ自然放牧でもかなりの頭数を飼えそうだわ」
広大な牧場の開放感かエナレィシェ達の声も明るい。
牧草地に連なる小さな起伏の間を抜ける地道はやがて瀟洒な館の前へと行き着いた。
少し手前で通り過ぎた厩舎の方が余程大きくて貴族の屋敷としては物足りなさも感じるが、すっきりと垢抜けて上品な佇まいの建屋に悪い印象は感じない。
馬車が玄関に近付くと厩舎の方から牧童らしい若者が駆けて来て館の裏へと消えた。
もしかすると来客を告げに入ったのだろうか。
馬車が停まり御者が扉を開けるのに前後して玄関の扉が開いた。
長身の男性が先程駆け込んだ牧童を従えて玄関先に姿を現す。
そのまま作業着にも使えそうな簡素ですっきりした着衣が違和感なくさまになっている。
玄関から歩を進めながら、馬車を先に降りたジャンガへ明るい表情で声を掛けた。
「やぁ、いらっしゃい。ランスール・アムメッテだ。君がジャンガさんかな?」
「はい。はじめまして、アムメッテ男爵様。本日は貴重なお時間をいただき誠にありがとうございます」
「ははっ。そんなに畏まらなくても大丈夫だよ。元はと言えば近隣の農場主達からも馬鹿にされていた貧乏男爵家だ。今も率先して働かないと立ち行かぬ貧乏暇なしだが、客に会うのも大事な貴族の務めだからね」
先程聞いた経緯からして30代後半だろうが、顔付きも肉体も引き締まりいたって若く見える。
仕事の立ち上げに追われる日々も過ぎ去り、今は充実した日々を送っているのだろう。
確かに色呆けの中年寡でないのは明らかで、目下の悩みの種は順調な領地の後継問題だけではないだろうか。
「それでは遠慮なく仕事に取り掛かりたいのですが。本日お引き合わせする女性をこの場でご紹介してもよろしいでしょうか」
「おぉそうだね。玄関先で何だが、雨も上がった事だし。この場でお茶でもしながらと言うのはどうだろう」
「えぇ、それは誠に結構な趣向ですな」
話を聞いていた牧童が男爵の指示を待たずに屋敷に走る。
玄関先の芝生にテーブルが置かれているのがこの為なのかは分からないが、中年の女中と牧童が間を措かずに運んできた喫茶セットのトレーはおそらく事前に準備を済ませていた筈だ。
茶菓子の量が半端でないのは、昼餉時近い事への配慮と女性を歓待する心配りの表れなのだろう。
ジャンガが牧童に耳打ちすると、女中が準備をしている間にもう一度邸内に戻った牧童が茶器を1セット追加した。
「それではご紹介いたします。本日このジャンガがお引き合わせするパラム様とご友人のエノル嬢の登場でございます」
大仰なジャンガの語りに臆することなく、馬車を降りるパラメニィとそれに続くエナレィシェ。
2人の姿を目にした瞬間、ジャンガはアムメッテ男爵の中で時の歯車が止まる音が鳴った気がした。
椅子を勧めようと手を掛けた姿勢のまま固まった男爵はまるで電創系魔法に感電したかのように、テーブルの傍まで来たパラメニィの会釈に鈍く顎をひくだけで彼女の顔から目が離せない。
「どうされました、男爵様」
「…………。あ、あぁぁ、いゃ。失礼した」
「それでは改めまして、本日ご紹介いたしますパラム様。そしてこちらが若いご友人のエノル様でございます」
「うむ、何と言うべきか。まさかジャンガさんがこれ程の方を連れて来られるとは思っていなくてね。心底驚いてしまった。申し訳ないが仕切り直しと言う事で。はじめまして、ランスール・アムメッテです」
「はい、パラムと申します。よろしくお願いいたします」
「エノルです。はじめまして」
「ジャンガさん、疑う訳では無いが。君がこの方達を私に引き合わせた経緯が全く想像できないんだ。君は市井の斡旋業者だよね」
「ランスール様。それについては私からお話ししますわ」
パラメニィが上品かつ清楚な表情に絶妙な嫣然の香りを漂わせて男爵に語り掛けた。
今まで垣間見た事さえ無いパラメニィのたたずまいに『こんな引き出しをどこに隠してたのかしら、これは是非にも見習わなくちゃ』と意を強くしながらも、エナレィシェは何事もない風に軽い笑みを浮かべて2人を見詰めている。
明日もお待ちしております。




