第三挿話 亡国の小公女 3話 足手纏い
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昨夜ギルマルト達3人が前線の陣を離れた頃、ナヅレィア侯爵家飛び地の山荘では慌ただしく使用人達が動き回っていた。
彼等はセムリからエネレィシェに同行した者達だ。
前から山荘に居た近辺で雇われた使用人はセムリの公女が来ると聞いて全員暇乞いをしたらしい。
パラメニィの他に5人だけでは館の大きさにすれば全く手が足りないのだが、舞踏会や晩餐会を催す事もなく、館の保全以外はエナレィシェの世話をするだけならば何とか遣り繰りできていたのだ。
そして今まさにその終いの時が訪れて【夜逃げ】の準備に追われている。
カンジュの者達なら給金を弾んで暇を出せば済むのだが、セムリの者はそうはいかない。
ただ、エネレィシェとパラメニィ以外はセムリ軍に出会えれば保護してもらえるので、それまでの算段だけを考えればいいのは2人にとって少し気楽だ。
どちらにしても持って行けるものは限られるので、大事な物を取捨選択するだけの話。
エネレィシェにとっては予想範囲内の事態なので持ち出し品はとうに整理できている。
「そろそろ仕事を終えた人達が夕餉の酒で勢いをつけている頃合いね。しばらくすれば三々五々の集まりが流れになって押し寄せてくるわ。そうなる前に逃げ出さないとね」
陣頭指揮を取っているパラメニィが皆にはっぱをかける。
幸い麓の街からの道は何ヶ所かを2階のバルコニーから見通せるので、今一番暇なエネレィシェが見張り番をしている。
王族級の魔力を持つ彼女は飛ぶ事も跳ぶ事もできるので、合図を出した後で皆に追いつくのはそう難しくないのだ。
結局、住民達が押し寄せる前に準備は完了した。
街道から伸びた幹線道には追手や見張りの恐れがあるので、こちらに来て調べておいた林道から山越えの間道へと向かう。
間道の途中でエネレィシェとパラメニィはナクラ公国へと向い、他の5人はセムリ陣での保護を求めて前線方面を目指して別の道を歩むことになるだろう。
*
「困りましたね。山狩りまでしてくるとは思いませんでした」
「えぇ。あんなに沢山ライトの魔法が灯って、これでは皆が前線方面へ山を下りることができないわ」
前線の戦況は圧倒的なカンジュ不利と聞いていたが、恐らくカムテモア伯爵領の人々の耳にもそれは届いていて【セムリの魔女】憎しの思いは弥が上にも高まるばかりなのだろう。
恐らくほとんどの青年男子を駆り出しての山狩りは非常に広範囲に渡っており、本来遠回りのUターンを目指したい使用人達の行く手すら隙無く阻まれている。
軍による捜索ではないのでエナレィシェの魔法があれば包囲を破るのは容易いのだが、追跡の手掛かりを残したくないのと一般人を傷つけたくないのもあって、どうしても踏み切れない。
そうなると、当分全員揃ってナクラ公国方面に向かうしか選択肢は残っていない。
生活魔法しか使えない使用人達にとっては王族級の公女や子爵級超えの乳母との同道は心強いのだろうが、正直2人にとって先々足手纏いになるのは目に見えているのだ。
「皆一緒に行きましょう。あなた達を放り出してはいけないもの」
結局のところ貴種であるエナレィシェの言葉が結論となる。
パラメニィにも異論はあるが、幼い主人の性格を熟知しているので無理な反対はしない。
元々が自分優先で周囲を気にしない性格であれば、精々侯爵級を越える程度の伯父を圧倒してビアストールあたりを摂政に据える事も難しくなかったのだ。
そうすればこんな所で苦労する破目には落ちなかった。
あの時は確かに父親を亡くした哀しみに暮れていたところにつけ込まれたのだが、公女の性格ならそうでなくても同じ結果だったろうとパラメニィは思っているし、乳母としては公女がそのように育ってくれている事は嫌ではないのだ。
『まぁね。これまでも似たような苦労ばかりだったから慣れてしまったのかしら』なぞと諦め気分ではあるものの、頭が痛いのは間違いない。
公女の乳母に選ばれるにはそれなり以上の素養が必要で、パラメニィは子爵級を超える魔力を持ち、仕官並みの武技を習得している。
最も重要視されたのが貴族子弟の教育を担えるほどの教養だった。
どんな立場の子供であれ普通は乳母としてそこまでの人材を求めることは無いのだが、エナレィシェの場合は養育の中心になるべき母親の産後の肥立ちが非常に悪く回復の目途が立たなかったので、父親のセムリ公が無理を押して探させた経緯もある。
『それにしても物心ついてすぐに母親を亡くし子供のうちに父親まで失うなんてね。絵に描いたようなって言葉は月並みだけど、一国の嫡出子としては誰も描かないくらいの不幸なんじゃないかしら』などと先代公アドノールがいよいよという時には考えてしまった。
何はともあれ、そうした人並外れた器量を持つパラメニィと王族級のエナレィシェの2人ならば何とでもなることが、凡庸な連れの存在で極端に制限されてしまう。
先ずたちまちの問題は今後の走破性を含む行程の進捗、要は人が通れるところを歩く速さでしか進めないと言うところだろう。
*
「公女様。もう歩けません。置いて行ってください」
「こんな所に放り出すくらいならカンジュの山狩りで捕まる方が余程マシだったでしょう。もう少し頑張りなさい」
誤算だったのはナクラ公国がカンジュ国境線の山岳地帯に防衛騎士団を配備して既に警戒態勢を敷いていた事だ。
エナレィシェだけでなく使用人にしてもナクラにとっては領域侵犯を試みる不逞の輩でしかない。
エナレィシェとパラメニィがナクラ公国を目指したのはその先のアルテ王国へ抜けて亡命を試みるためで、ナクラで拘束などされれば元も子もないのだ。
一気に防衛線を擦り抜けてしまいたいのだが、使用人達の足ではそれも覚束ない。
警戒の緩いところを探して移動を続けた末に使用人達の足に限界が訪れた。
「エナレィシェ様。ここは一旦下がって休みましょう。その者は私が連れて参ります」
「そう、限界なのね。それで、どの辺りまで下がるの?」
「国境警備の目が届かないとなれば、あちらの森の中でしょうか」
「分かったわ。少し遠いから歩けなくなった人は言ってね。手を貸しますから」
昨夜は少しの休憩と仮眠だけで歩き続けたので疲労の蓄積も半端ではない。
森の中に分け入って生い茂った大きな広葉樹の下で休む事になり、使用人達は腰を下ろした途端に船をこぎ始めた。
パラメニィが『公女様も』と休息を取るよう促してくる。
こんな時に『貴女から』と言っても頑として聞き入れないのは分かっているので、素直に背嚢から布地を出し包まって横になった。
*
「申し訳ありません。囲まれるまで気付きませんでした」
眠り込んだ肩を揺り動かされ耳元でパラメニィが囁く。
既に日が暮れたらしく、鬱蒼と薄暗かった森の中はもう真っ暗闇だが状況は察しが付く。
念の為に使用人達の様子を伺うとまだ完全に寝入ったままで騒ぎ立てる事はなさそうだ。
ここに来るまでに見つかった様子はなかったし、森に入る際には痕跡を残さない様に充分注意もしたので、運悪く偵察巡邏の網に引っ掛かったとしか思えない。
まぁこの際原因などどうでもよくて、どうすれば切り抜けられるかを考えないと駄目だ。
包囲と言ってもまだ遠巻きで人数も10人足らずのように思える。
その程度の人数がバラバラになっているなら2人で倒すのは難しくないのだが。
「全員倒して逃げるにしても、皆の足では逃げきれないでしょうね」
「そうね。この地区の部隊を全滅させて、馬車でも奪わないとどうにもならないわ」
「そんな大事にすると、捕まった時皆にまで重罪が科せられてしまいます」
「はぁあぁ。争わずに捕まるのがまだマシなのかしら」
「そうですね。この身形ならすぐに正体はバレないでしょうから、一般人の振りで降参しましょうか」
「それしかなさそうね」
明日もお待ちしております。




