第三挿話 亡国の小公女 2話 夜にかける
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ギルマルトは焦っている。
ビアストール侯爵家の嗣子として侵攻軍に参加するのは当然の事だが、こうしてカンジュの前線に来たのには別の思惑があった。
一軍の将として毅然とした態度を心掛けてはいるが『なんとかしてエナレィシェ様をお助けしなければ』と強い思いが脳裏を駆け巡り、居ても立ってもおられない気持ちが今にも溢れ出しそうだ。
一時公女の婚約者候補として名が上がった頃は幼いエナレィシェに恋情を抱く事はなかったが、その純粋で真摯な眼差しが印象的な可憐な表情に『公女様を守れるなら婚約者も悪くないな』と心底思っていたのは間違いない。
それに彼女の父である先代セムリ公アドノールは彼が子供の頃に落雷で絶命の淵へ墜ちた際にセムリで唯一の王族級生創系魔法を施し蘇生してくれた文字通りの『命の恩人』なので、彼女は大恩人の遺児という立場でもある。
そのエナレィシェ公女が絶体絶命の危機にある。
カンジュ大公国の中で孤立無援の彼女はセムリ公国の救済も期待できない立場だ。
現セムリ公は先代アドノールの急逝が無ければ後を継げない非嫡出子だったため、己が足場固めに躍起だった。
その現セムリ公が真っ先に取り組んだのがエナレィシェ公女の国外縁組だった。
元から犬猿の仲のカンジュとの縁組を強引に進めたのもどうかと思ったが、今から思えば既にアシュバからカンジュ侵攻の誘いがあった上で嫡流抹殺の計画を目論んだのではないかとギルマルトは一抹の疑念すら覚えている。
臣下の身ゆえに今さら公国の混乱を招くような動議を起こす気もないが、この状況下でエナレィシェ公女を見捨てる選択なぞ取る気は更々無いのだ。
とは言え前線での戦闘は熾烈を極め、一旦戦場が落ち着きを取り戻した頃に事無きを得たカンジュの者は誰一人おらず、公女の手掛かりを得ることすら困難だった。
ようやく見つけた【事情通】に問い質すと『あの【悪魔の手先】ならナヅレィア侯爵の山荘に逃げたぞ』と吐き捨てるような言葉が返った。
調べるとナヅレイアの山荘は本来の領地ではなく山岳麓の飛び地に在るらしい。
『侯爵領は目の前』と公女救出に希望を持ったギルマルトだったが、飛び地は遠い上に狙いすましたように現セムリ公子飼いの伯爵が軍を展開している。
これも公女についての情報を得た上での戦力配置なのかも知れない。
それを考えるとセムリ軍が山荘を接収するまでに是が非でも公女に接触する必要があるのだ。
必要なのだが、何しろ遠い!
部隊を率いていては明朝の出撃までに戻る事は不可能だろう。
腹心の部下だけを連れて夜駆けで間に合うかどうかなのだが、とにかく躊躇している間が惜しい。
「うちの若様は結ばれなんだ想い人を追っかけて遥々こんな所を夜に駆けるたぁなぁ。血が滾るのは悪かぁないが、奥様に訊かれたら俺達なんて答えりゃいいんだぁ?」
「そんなもん、決まってらぁな。『我等は何も存じませぬゆえ、若様に直接お尋ねください』って、そう言っときゃ間違いないってもんよ」
「さすが若様や俺より半年も早く生まれただけの事はあるぜ。でもよぉ、それでお許しが出るなんてちょっと考えが甘いと思うがよ」
「いやぁ、奥様だって若様の胸のうちは重々承知してらしゃるからよ。見て見ぬ振りが貴族の心得とばかりに睨み1つで許してくださろうってもんだ」
「へぇ、そんなもんかねぇ。俺の見知った女なら悋気が止まずにいつまでもネチネチウダウダと牽きずり回すに違いないがな」
ギルマルトの騎馬の後ろに並んで馬を駆けさせる2人はわざとらしくぞんざいな口を利いているが歴とした貴族だ。
2人ともそれぞれギルマルトの家を寄り親に持つ子爵家の三男坊で、幼い頃から彼の付き人として一緒に育って爵位を得ている。
テンラァト・エピウズとマシュニット・グラァエンは男爵家を興したばかりで、血気盛んで見目涼やかな恰好の嫁ぎ先として下級貴族の令嬢達から垂涎の眼差しが殺到しているのだが、本人達はいっかな気にも留めず、ギルマルトの腹心としてその一挙手一投足に集中する事だけを目下の信条としているらしい。
侯爵嗣子の付き人に選ばれるだけあって子供の頃から伯爵級の魔力を持つ逸材で、ギルマルトとは阿吽の仲、彼が侯爵家を継げば子爵も充分視野に入る。
わざわざ子供の頃のお忍びで覚えた下町言葉で掛け合っているのは、焦る主人の気を少しでも紛らわせたいからに違いない。
戦場では乗り換える馬も調達できず馬を潰す訳にはいかない。
到底、襲歩で走り続けることなど出来ず、駈足さえ常時維持は出来ないので速足をかなり合間に挟む必要がある。
それはギルマルト本人が一番良く分かっていて焦る気持ちを抑え込んでいるのだが、感情を理性で御し続けるのは無理なストレスを呼び込む事に他ならない。
少しでもギルマルトがリラックスできればと、2人は彼にも届く大声で戯言の掛け合いを続けているのだ。
*
瞬時言葉なく見上げたギルマルトが猛然と駆け出す。
坂の下から見えた紅い光は館を包む業火を映した煤煙の色だった。
曇り空の深夜、赤く照らされた地道を駆け上がり間近に見る山荘はまさに火焔の渦に巻き込まれた最中だ。
万一の事を考えて公女捜索に飛び込もうとしたギルマルトもさすがに炎に焼かれる直前で足を止めた。
もう燃え尽きるまで誰も立ち入ることはできない。
「山荘の者達は逃げ延びた後だったようです。伯爵領の住民が公女様を吊るし上げようと迫った時にはもぬけの殻で、腹いせに誰かが火を放ったらしいですね」
テンラァトが近づいて耳打ちする。
如才無くナヅレィア家の者にでも扮して話を聞き出したのだろう。
この飛び地はナヅレィア家がカムテモア伯爵家から譲り受けたもので、周囲は全て伯爵領だからエナレィシェ公女に味方する者は山荘の中にしか居なかったに違いない。
『少なくとも火事に巻き込まれた心配は無くなったな』と胸を撫で下ろすが、これで大きく目算が外れてしまった。
炎を見た当初は驚きで呆然としてしまったが、屋敷全体に脂や火薬を撒かれたならともかく、多少の失火や放火なら公女の魔力で簡単に鎮火できる筈なので、全焼になったのは公女不在の証だ。
そんな事より問題は公女と再会出来なかったことで、不在に気付いた住民が火をつけ燃え広がるまでの時間を逃げ延びた彼等をこれから捜索する時間がないのだ。
明日、いやもう今日か。
未明には前線の陣に戻って指揮を執らねばならない。
「マシュニット! 悪いが公女一行の足取りを当ってくれ。只、昼には部隊に戻ってもらわねばならん。頼めるか?」
「もちろんです。時間が無い上に暗いのでどこまで出来るかは判りませんが、全力を尽くします」
「よし、頼んだぞ! 我々は戦闘を始めているだろうがどこからでも参陣して構わん」
「はっ! それでは後ほど!」
馬を牽いて木立の中に消える彼を見送る。
公女一行が街道を歩いて逃げたとは考えられないので、林道や山道もしくは獣道を調べる必要があるだろう。
闘いに際してギルマルト本人の不在が許されないのは当然だが、テンラァトとマシュニットもそれぞれ彼の指揮下で重要な役割を担っており、1人だけでも支障なく陣を空けられるのは半日が精一杯なのだ。
「よし。我々も行こう。戦闘開始に間に合わなければ前線全体に影響が及ぶぞ」
「はい!」
*
「なんとか間に合いましたね」
「あぁ。すぐに戦闘開始で、息つく間もないがな」
陣に戻ったのは夜明け直前だった。
戦闘用の武具を身に付け馬を換えると空が白み始めた。
それから半日熾烈な戦闘を繰り返しているところへマシュニットが戻った。
『どうやらナクラ公国方面に進まれたようです』
『ご苦労だった。良く突き止めたな』と戦闘の合間に簡単なやりとりで報告がなされた。
ナクラ公国はカンジュの隣国だが、前線からは山荘を挟んだずいぶん向こう側で到底半日で往復など出来ない。
『何か、前線を抜け出す手立てが必要だな!』
明日もよろしくお願いします。




