第三挿話 亡国の小公女 1話 わたしは最強?
本日から10日程、挿話が続く予定です。
これまでの挿話とはまた違う時点のお話になりますが、
よろしくお願いします。
窓から望む山間の深い緑と谷の清流は美しく居あわす者を和ませるが、街中の公爵館で育った年端もいかぬエナレィシェの目にはどうしても侘しさが先に立ってしまう。
彼女がここにやって来たのは父であるセムリ公アドノールの喪が明けて直ぐの事だった。
セムリ公国の盟主アドノールは若くして国を継いだが、彼には腹違いの兄が居た。
アドノールの父が母と婚姻する前に庶民の娘との間に生まれた兄は非嫡出として本来相続権がなかったのだが、アドノールが遺したのが娘であるエナレィシェ唯一人だった為にセムリ公となった。
その現セムリ公がアドノールの死後すぐにエナレィシェの縁談を進め、カンジュ大公国のナヅレィア侯爵家の次男エミラムの許嫁として早々に送り出したのは、誰が見てもセムリ公国から嫡流を消し去るために他ならなかった。
あれから2年、エナレィシェはもうすぐ10歳になる。
許嫁のエミラムは彼女の4つ上で、四五年もすれば正式に婚儀の運びとなるだろう。
カンジュ大公国とセムリ公国は国の立地や産業構造が非常に似通っているため互いを相手に数十年来競争を繰り返しており規模の小さいセムリが無理をする場面も多く、カンジュではセムリは無作法な国として嫌われている。
長い間碌な国交が無かったのにカンジュがエナレィシェを受け入れたのには、ずいぶん格下の次男坊との縁組であった事だけでなく、現セムリ公が多くの商圏でカンジュに譲歩を申し入れたとの話もあるのだ。
甘やかされて育ったらしいエミラムの優しさに包容力は伴わず、エナレィシェをセムリそのものの様に見立ててあからさまに毛嫌いする輩が枚挙に絶えない事がまだ子供に過ぎない彼女の心をいたく傷つけた。
生来の明るい気性がどんどん陰りを見せて塞ぎ込む様になったエナレィシェを静養の名目でナヅレィア侯爵の山荘に転居させたのは、彼女への気遣いか侯爵家の体面の為かは分からないが、田舎暮らしにエナレィシェの気分転換の効果があるかはどうやら疑わしいようだ。
「公女様! タイヘンでございます!!」
山荘にあてがわれた自室で独り、魔法の鍛錬をしていたところへパラメニィが駆け込んで来た。
セムリから付いて来た乳母で、日頃礼儀に煩い彼女にすれば珍しい騒ぎようだ。
「どうしたの?」
「戦争でございます」
「本当? まさかセムリが」
「そのまさかなのですわ。セムリがアシュバ大公国の手先になって攻め込んで来たと、町は大変な騒ぎになっているそうです」
「セムリがアシュバの手先だなんて! いつの間にそんな事になっていたのかしら」
「さぁあ。お父上と違って今の御方はご自分を正当化する事だけに躍起になっておられましたから。これもその一環なのではございませんか」
「伯父様のなさる事は良く分からないけれど。カンジュに攻め込んだセムリの者がここに居てもいいのかしら」
「公女様は何も悪い事はしておられないのですけれど、この国の者にとっては許し難い極悪人と思えるかも知れませんね。もう一度下働きの者に様子を確認させますので、しばらくお待ちください」
肉置きのいい胸や腰を揺らし気味に足早に去るパラメニィの後姿を不安気な目で追いながら、エナレィシェは椅子に座ったまま両腕を抱え込む様にしてフルルフルルとした震えを止められない。
2年前実際に争いごとなど無い時にセムリから来ただけの彼女をあれだけ悪しざまに罵った人々にとって、さっきの話が本当ならばエナレィシェは悪魔の手先以外の何者でもないだろう。
戦争と言う特殊な状況下ではそのような感情はたがを外した樽のように常識の枠から溢れ出て、日頃律して出る事の無い行動へと容易く人を導く。
『悪魔の手先を殺れ』と誰かが一言漏らせば、それは怒涛の流れとなってエナレィシェを押し流そうとするだろう。
エナレィシェにとって救われないのは、アシュバ・セムリ軍がカンジュ軍を圧倒して早期に勝利を掴んだとしても、それが自分の身の保証に繋がらないのを彼女自身がよく知っている事だ。
現セムリ公にとって唯一の正嫡である彼女は最も忌むべき存在に他ならず、戦闘の混乱に乗じて抹殺の指令が暗に全軍に出されていても可怪しくない。
彼女の事を知らないセムリ公国民はほとんど居ないだろうが、知ってなおかつ『抵抗の挙句に殺さざるを得なかった』などと言う者は一定の割合で存在するに違いない。
『無条件に信じられるのはギルマルトさんとジュリアムさんくらいね』と思いを巡らす彼女の瞳が懐かしさの暖色を灯した。
それぞれビアストール侯爵家とヴァインストック伯爵家の嫡男である2人は彼女より10近く年上だが、どちらも成人前には彼女の婿候補として取沙汰されていた。
当時は成人前の少年と幼気な少女としての邂逅ではあったが、打算や忖度抜きの素直な相性の良さで直ぐに打ち解けることができた。
彼女にとって彼等と出会ってからの数年は未だ短い人生の中で最高の日々だったと断言できる。
その後アドノール・セムリ公の身に異変が起きセムリ公国は公女の婚姻どころの状況ではなくなるのだが、2人の少年との絆はその後成人した彼等が妻帯して以降も変っていないと思いたい。
部屋に籠っていてもしようがないと、自室を出て居間へ向かう。
「公女様、公女様! やはり情勢はとても悪うございます。セムリ国境付近ではカンジュ軍の敗北が相継いで戦線が崩壊、アシュバ軍とセムリ軍が雪崩を打って進攻しているそうです。あぁ、ナヅレィアの皆様はご無事でしょうか? エミラム様も輜重守護隊で出陣されたとの事ですわ。今この場で頼れるのはナヅレィア家の皆様だけですもの。なんとかご無事にいていただかないと……」
戻るなり捲し立てるパラメニィの言葉尻が報告というより希う様な形にならざるを得ないのが、今この時の状況をよく映している。
暫し無言の時が流れる中、開け放たれた扉から姿を現した侍女がツカツカとパラメニィに近づき声を掛けた。
「パラメニィ様」
「どうしました?」
「はい。館周辺に人々が集まり始めています」
「そうですか。公女様、恐れていた事態が迫っているようでございます」
「そのようね。もう逃げ出すしかないのかしら」
「はい。公女様が【魔女】になられる気がおありなら別ですけれど」
「嫌よ。人殺しになるくらいなら、殺される方がまだマシだわ」
「そう仰ると思いました。それではとっと逃げ出す算段を始めませんと」
この魔法世界でその者の身分は魔力で決まると言っても過言ではない。
大まかに分けて王族級、公爵級、侯爵級、伯爵級、子爵級と貴族の爵位に例えられるのはそのような魔力を持つ血筋の者がその地位につく事が多いからで、公国の嫡流である彼女は公爵級の魔力を持つのが普通だ。
だが血筋の中でも力の上下は存在し、彼女自身とその父は王族級に等しい魔力を持つと言われた。
この地方にある5つの国が王国でなく2つの大公国と3つの公国なのは、同時期に国を立ち上げた開祖たちが王族級に届かない魔力の持ち主だったからだ。
そのうち3人は公爵級にほぼ等しく公国に、2人が王族級と公爵級の間だったため大公国となったのだが、それもその折の個人的な力の発露のバラツキの結果が含まれていた。
特にセムリではその後王族級前後の者を輩出する事があり、それが似た国勢のカンジュに対する侮りを生む背景ともなっている。
彼女はその王族級を持つ1人なのだ。
1つの王国を治めるのに値する魔力があるからと言ってそれが万能でないのは考えるまでもない事で、特に群衆を相手取る場合には極大魔法で多くを殲滅する覚悟が必要だ。
人の精神への干渉に関する魔法がない以上、リーダー不在の多勢の意を砕くには実力を見せつけ恐怖を植え付ける以外に確実有効な手段はない。
自分独りでなく身の回りの者まで守ろうとすれば尚更のことだ。
これこそ『私は最強!』とばかりに人々の憎しみを【畏怖】に変える覚悟がなければ逃げ出すしかない。
「準備が出来たら言ってね、私は上で様子を見ているわ」
明日もお待ちしております。




