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第三章 海路の探究少女  22話 フタリノ島

お読みいただきありがとうございます。

「ナツナツナツ▢▢ッナァッツ、アイアイアイアイアイ▽ンド……」

「なぁに? それってドコの歌? なんか呪文みたいで不思議なフレーズだね」

「あっ、聞こえてた? えぇっと、確か孤児院時代に聞いたんだけど、誰からかは忘れちゃった。そうなの、何か呪文っぽくて耳に残ってるのよね」


 寄港地の地名を言われた時は結び付かなかったけど、フタリノ島って【ふたりのあいらんど】になるって後から気付いて以来、この歌のサビが頭ん中を占領してる。

フルコーラスだって歌えるど、ここにはハモってくれる相手も居ないしねぇ。

張り替えの予定があるのか、中央甲板に置かれた予備帆布キャンバスの上に寝っ転がって昼下がりの陽光を浴びていると、余りの心地良さについ誰も知らないサビを口遊くちずさんでしまった。


「気っ持ちいいねぇ!」

「うん! 最高にね」


 隣に寝そべるマチアは歌の事なんか気にもせずに、グンっと伸びをした姿勢から両手で太陽を掴むみたいに日にかざした掌を透ける、ほの赤い光を見詰めている。

強烈な陽光がお肌や目に百害あって一利なしなのは重々承知してるけど、若い身体の欲求に立ちはだかって阻止できるほどあたしの理性は堅固じゃないのだ。

完全に熱帯域を抜けて亜熱帯に入った船を取り囲む環境は抜群にすごし易く、あたし達の行楽気分を否が応にも盛り立ててくれる。

海や空の色まで爽やかに輝いてこれまでと違う様に思えるのはあたしの思い込みで、きっとこれまでこんな気分で見たことが無いだけなんだろう。

亜熱帯に入ってからここまで雨の日は無くて、午後の一時いっときに通り雨が勢い良く降る事が多い。

お湿りと言うにはちょっと激しいんだけど、程よい暑さの気候にその雨は気分転換のきっかけぐらいの感じで不快感はまるで無い。

実際甲板で作業する乗務員達も空が暗くないのだけを確かめれば作業の手を休めない。

清浄クリナの魔法で体を清潔に保ち入浴やシャワーの習慣が無いこの世界の人達にとってびしょ濡れは非日常感覚の最たるものだけど、船乗りに限って言えば単なる業務の一環だし慣れてしまえば日に焼けた体への清涼剤みたいなものなんだよね。


 クラーケン騒動から一週間むいか、船を運ぶ風は徐々に力を増して時に東や西に振れながらもおおむね北へ向かって吹き続けて、大型貨客船は航程の遅れを少しずつ取り戻しているらしい。

『あの【巣】さえ無ければこの航路も使えるんですがねぇ。もっとも赤道域を東に進むのは無理だから、凪地帯で東向きの海流に到達するまでは似たようなもんですけどね』なんて船長が言ったのはさっきの食堂、あたし達のテーブルの横に突っ立ったまま。

あれ以来何かにつけ親し気に口を利く船長が料理のトレーを持ったまま話を始めた。

こっちは別に相席でも構わないのに、その辺りは本人なりのケジメなんでしょうけど、どう見ても通る人の邪魔だからトレーはせめて自分の席に置いてくるべきだと思うのよね。

航路で出くわしたあの嵐について訊いてみると『あの手の嵐は熱帯と亜熱帯の境目で発生するんですが、大概の場合はあそこまで大きくならずに徐々に北へ進んで嵐から普通の風雨に変わって行くのです。只、ごくたまに境目辺りに居座ってどんどん勢力を増すのが出来るんですよ。そいつは気分次第って言うのも変ですが、猛烈な勢力に育った後は東西南北どこへ向かうか予想がつかない。あの時は南下して益々大きくなったのでしょうが、その後の様子はフタリノででも訊かないと分かりませんな』と言う。

やっぱり【台風】と似て異なる気象現象で、今回はこの船の当たりが悪かったって事ね。

としたら、これからもし嵐に遭うことがあるとしてもあんな酷いのはもう来ない。

この船なら無理なく航路を維持できるに違いないね。


 行楽気分で気が緩んでいたって【探究者】が仕事を疎かにする事はない。

チャンクとティリオは毎日きっちりとフィリアスに鍛錬をつけているし、あたしとマチアも出来るだけ付き合って魔法に関してはちゃんとアドバイスをしてる。

もっともそれはほとんどマチアの役目で実のところあたしは鍛錬の合間の休憩に溜め込んだ演習問題をフィリアスに渡して前回分の回答を受け取るだけ。


「えへへっ、これこれ! エノラ先生のこれが楽しみで鍛錬してるようなもんだからね」

「どうでも良いけど他の3人が師匠なのになんであたしだけ先生なのかな」

「そぅだね。実際に一番強いのは先生だって分かってるけどさ、僕に教えてくれるのは学問だろ。だから先生さ!」

「あたしの教えてんのは学問なんかじゃなくて実務だよ」

「それはどうでも良いよ。それより今回のは何点だった?」

「えっとね。ちょっと待ってね。ああぁ、これじゃまだ60点だわ」

「あれぇ! そんな筈ないよ。全部計算は合わせたし、条件を整えるための係数もちゃんと勘案した。それにここが引っ掛けなんだろうけど、原価表Aの計算式が前々年度設定のままだ。3年前と前々年と前年を比較すると補正値が変化してるから今回使う原価表を補正値を変化させて再計算したんだよ」

「あぁ。たいぶ出来る様になったから60点なのよ。確かに材料単位・工程単位・経費ごとの細目小計は合ってるし総算も合わせてあるけど、係数を作る元データのコンマ以下の桁数と切りの上げ下げを間違えてる。それと引っ掛けって言ってる原価表の補正値は昨年分が過去2年間の気象不良のため修正が入ってるって原価計算表の備考に書いてあるから、4年前の補正値に戻っていてそれで正解。本当の引っ掛けは他の原価表だからもう一度探してみて。それともう一つ見落としがある。まったく気付いていないみたいだからヒントをあげる。人件費の項目同士の相関性を確認してみる事。これはどんな科目でもある事で表内の各項目の相関性を理解して見れば誤ったデータを抽出できるからね」

「うわぁ、そうなのかぁ! 前回70点だったから80点以上のつもりだったのになぁ」


 なんだか遊んでるみたいだけど2人共に大真面目なのよね。

フィリアスはまだ12歳になったばかりなのに凄く理解が早くて教えるのが楽しい。

まぁもうすぐ11歳のあたしが言うのも何か変なんだけど。


「まぁ、マチア。お前あの2人の話、1ミリでも分かるか?」

「話はわからないけど、1ミリじゃないからね。ところどころが分かんなくてそれが大事なトコなのは解ってるから。チャンク、絶対アンタと一緒にはしないでね」

「悪いが、多分俺もそのレベルだな。で、あの何枚もの資料ってエノラが作ってるんだよな」

「ティリオはあたしと同じでも良いよ。そうだよ、それも何の迷いもなく一気に。あの何枚もの数字の入った表さぁ、どうやって書いてると思う?」

「全然分かんねぇ」

「アンタに聞いてなぁい」

「いや、俺も分からん」

「『そんなの全部覚えてるの?』って訊いたら、『そんな訳ないよ、全部計算してるんだよ』って。あの何も書かずに頭の中だけで一瞬に計算するのよ。私、深層で黄金虫を倒すエノラより、あの表を書いてるあのの方がよっぽど恐ろしいわ」

『『……ゴクッ』』


 ティリオ達2人が生唾を呑み込む音までスキルに響く。

まぁ、この世界には算盤が無いから、その手のスキルを持った人でないと桁数の多い暗算なんて誰も出来ない。

びっくりするのも分からなくはないけど『恐ろしい』とそれを聞いて言葉を失うのは勘弁して欲しい。

確かに【解析系】のスキルも無いのにほいほい暗算を--それもスキルより早く--するあたしを見てお嬢メルノア様が眉を顰めた事があったわね。

それ以来本店では見せなくしたんだけど、何も言われなかったから問題にはならないと思う。


 フィリアスに教えてるのはこの手の帳票の扱いだけでなくて、天地流以外であたしが教えれる事を色々。

『そうだ! 算盤は無理だけど、インド式計算の初歩位なら残りの航程で教えれるかも』


 うん、フタリノ島まであと何日もないから、それに手を付けるのはフタリノを出てからにしよう。

明日もよろしくお願いします。

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