第三章 海路の探究少女 20話 にじいろ
本日もよろしくお願いします。
洋上を吹く風は相変わらず穏やかで全ての帆を開いてもそれ程の速度は出せない。
クラーケンの巣から逃げ切るには最低でも数キロは離れる必要があるだろうから、多分1時間近くはその攻撃から船を守らないと駄目なんだろう。
冥界移動の魔具は深層魔石を装着して予備の魔石と一緒にチャンク達2人に預けた。
2人はまた上甲板に陣取り、襲って来たクラーケンに照準を定めて魔具を起動する役目、あたしとマチアは遊撃隊でクラーケンの攻撃から船と人員を守る役目だ。
船員は帆を上げて風を受ける調整をしたらすぐに船内に入る。
風を孕んだ帆に推されて船が動きだし、クラーケンが襲い掛かるのはその後になる見込みで、再び甲板作業が必要になるまではあたし達は船体を毀されない様にクラーケンを牽制しないといけない。
実際のところ、クラーケンがどれ程の強さなのかは闘ってみないと分からないので『作戦は臨機応変しかないね』ってマチアと2人中央甲板で作戦開始を待っている。
そろそろ帆を上げる準備が整ったみたい。
甲板の乗務員達は真剣なまなざしで操舵室の方へ視線を送り合図を待っている。
操舵室前には台が置かれ、社旗の旗竿を持つ航海士が身構えている。
誰も口を開かない微かな潮騒だけの静寂が数十秒続き、次の瞬間操舵室に船長の号令が満ちた。
航海士が弾かれた様に竿を振り上げ回すと、各帆柱に取り付いた船員たちが作業を始めた。
3本のマストに幾枚もの帆がぐんぐんと上がり、柔らかな風を受けて巨船がゆっくりと動き始めた。
帆を上げ終えた者から次々と乗員が船内に駆け込んでいく。
さあ、いよいよクラーケンとの対決が始まるのよ!
まだ船速は数ノットだろう。
あたしとマチアは視野を確保するためにメインマストの一番上の横棒へ飛び上がる。
「来るぞ!」
ティリオの叫びが耳に届いたその直後、右舷の海面が大きく盛り上がって大瀑布のように海水が流れ海面を叩いた。
大量の海水が流れ落ちた後に姿を現したのは30メートル以上はあるだろう暗紫の肉壁。
右舷側の横棒に立っていたあたしからはほんの二三十メートルで鼻の先のように思える。
微妙な濃淡で黒っぽい紫の斑模様が広がるその表面は人からすれば大きな凸凹が全面に刻まれヌメリとした液に覆われているよう。
少し太めのラグビーボール――これもこの世界には無いんだけど--が海面から7割ほど突き出た形で、一番太い辺りに1メートル半ほどの切れ込みがあり中に蒼銀色の球面が覗いているのは【眼】かも知れない。
良く見るとその【眼】から90度回り込んだ所にも切れ込みがある。
一つ目ではなさそうだけど『両目で立体視するには位置が悪いんじゃないの』と思っていたら、全体が少し回ってその真反対側にも切れ込みが見えた。
ひょとすると90度ごとにある4つの【眼】で死角を無くしてるのかな。
そんな風に見ていると巨大な【頭】が突き出ている周りの海面がゾァゾァと沸き立つ様に波立って、首をもたげる蛇の様に4本の長大な触手じみた肉塊が【頭】の周りで立ち蠢き出した。
「凄い迫力だねぇ」
「大っきい分、確かにね」
いつの間にかこっちの横棒に移ってきたマチアが後ろから、微塵も恐怖を感じさせないのんびりとした声をかけて来る。
この大きさは魔窟でもお目に掛かれない。
って言うか、洞窟型が多い魔窟ではこの巨体が入り切る箇所が限られるし、入ったとしても身動きが取れないよね。
「吸盤は無いわね。あの眼からして、タコやイカの仲間じゃないのは確定? 攻撃してくんのは手か足か分かんない、あのニョロニョロよね」
「最初はそうだと思うけど、体当たりが一番質が悪そうじゃない? マストが3本にこのおっきな船全体って守備範囲が広すぎて2人じゃ手が回らないわ」
「どうする?」
「うん、今ならできる」
「???」
「チャンク! 今よぉぉ!」
目の前に聳え立っていた肉壁が急にシュボァっと周りに溶け込むみたいに消えてしまった。
自分で合図したんだから分かってるはずなのに、あの巨塊が本当に消え失せたのにはちょっとビックリしちゃった。
「あぁ、そうね。海に突っ立ったあの状態ならチャンクでも当てられるわ」
「バカは言い過ぎよ、マチア。これで終わって欲しかったんだけど。やっぱりそんなに甘くないね」
見事命中させたのに『馬鹿』呼ばわりされたのも知らず、チャンクは上甲板で魔具を突きあげて雄叫びを上げている。
その横でティリオが目を伏せてスキルに集中しているのを見てあたしも【天鳴の聴く】を海中に拡げた。
1頭目のクラーケンが消えて程無く、2頭目が海底の【巣】近辺から浮上して来る音がスキルに響いたのよ。
『次のがもう来るよ』とマチアに耳打ちして上甲板を見ると、突っ立てるティリオの横でチャンクがベタッと甲板にへたり込んだ。
多分、1頭で終わるなんて思っていた訳じゃない『ひょっとしたらヒーロー?』なんて頭を過ぎったのかも知んないね。
どうやら次は左舷方向。
出現の様子は変らないけど前のよりもっと船に近くて、チャンクが立ち上がって照準を合わす前に船縁近くまで寄ってきた。
ここまで来られると帆とかが遮蔽物になって今のチャンクの位置からは照準が合わせ難い筈。
あんなにオーバーにヘタリさえしてなければ出終わった瞬間に冥界移動を当てられた筈なんだけど、元からあんな性格なんだからしようがないわ。
ここはあたしとマチアの出番!
「行くわよ!」
「はいな!」
マチアは光刃を最大限伸ばして飛翔で飛び立つと、船に迫るクラーケンの触腕の周りをひらひらと舞飛びながら、その先をスパリと斬り落とす。
どうやらクラーケンには痛覚があるようで、先を切られた触腕は熱い物に触れたみたいにビグッと引っ込んだ。
あたしはその様子を見ながら体にまとった空震甲冑を空震水流の形へ変化させていく。
マチアみたいにヒュンヒュンヒラリとは飛べないので触腕が届かない隙間を最短距離で海面へ向かった。
空震水流が突入の抵抗を最小に抑えて、飛び込みの上位ランカーみたいに飛沫を上げずにジュパッと波間に潜り込む。
最大速度で海中を旋回して船の下側からクラーケンの触腕付け根辺りへ身体ごとぶつかりに行った。
ドァムとこっちへも衝撃が伝わる。
質量差は比較するのが馬鹿らしいけど、震動空間をまとったおかげで激突の衝撃は弾丸のようにクラーケンの皮肉を苛む。
何度か突撃を繰り返すと触腕の付け根はどれも腫れあがってその先を満足に動かせなくなり出した。
実のところ、空中で飛翔の最大速で同じ事をすれば簡単に皮を断ってしまえるんだけど、身体ごとクラーケンの体内に潜り込むのはあたしだってぞっとしない。
空間内に取り込んだ空気の酸素が足りなくなる前にイルカのジャンプよろしく、空中に出て空気を入れ替えた。
うん、空震鯱闘とでも呼ぼうかな。
がっくりと動きが鈍った触腕では満足な攻撃は出来ないのは明らかで、クラーケンは仕切り直しのように後退する。
触腕以外の5本の足は健在だから、距離をあけて体当たりでもする積りなのかも。
船の大きさで慎重になったりした事を考えるとある程度の知性は持っているみたいね。
クラーケンが後退したのでチャンクが狙える筈と空中に飛び上がって様子を見ると、近くに居たクラーケンを狙撃しようと船縁に移動していたみたいで射角が変ってる!
なんと構えた真正面に飛び出したあたしに驚いたチャンクが慌てて魔具を作動させてしまった。
冥界移動をまともに浴びたあたしは酷い違和感を覚えながら虹色の光の中へ押し込まれた。
今週もありがとうございました。
明日からもお待ちしております。




