第三章 海路の探究少女 7話 イルカに乗った少年
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赤道域の多湿猛暑を抜け出て一週間が過ぎた。
同時に吹き止まない偏東風とも別れて、緩やかな風と潮の流れの穏やかな海域は先を急ぎたい船乗りや乗客にとっては厄介至極の難物で、船足は極端に遅くなった。
まぁどこかで潮と風の按排が良くなれば帳尻が合うだろうって、まだ皆焦らずに落ち着いてるけど。
とにかく取り立てて急くような事情もないあたし達は快適な船旅を満喫中。
今は後部甲板に敷かれた馬場で馬に乗っている。
本来の目的は馬に運動をさせるためだけど、あたし達も楽しめるので雨が降ったり波が高くならなければ午前中の日課みたいに皆が集まる。
フィリアスにはシルファを貸してるけれど、まだまだおっかなびっくりで愉しむまではいかないみたい。
天地流の鍛錬は基礎鍛錬だけで馬術を含めた色んな形と所作が出来る体を作る仕組みになってるんだけど、彼が習ってるのは多くの探究者が習う長剣術を基本にしたもので、鍛錬をしても馬に乗る筋肉がつく訳じゃない。
馬に慣れないのもあるだろうけど、筋肉痛が抜けないからぎこちないのかも知れないね。
シルファも慣れない人を乗せて勝手が違うだろうから、馬小屋に戻る前にたっぷり毛並みを整えるようにブラッシングしてあげてる。
そんな乗馬の最中に【天鳴】に耳慣れない声が響いた。
『おおぉぉい! おぉぉい!』とただ呼び掛けるだけで何を言ってるでもないんだけど、声の調子は切羽詰まった感じに聞こえるわ。
方角は左舷方向。
後部甲板は操舵室の後ろだから進行方向は全く見えないけど、左右と後ろ側の視界を遮る物は後方の小さな馬小屋だけだ。
遥か彼方は大袈裟だけど、かなり遠くの波間に……、あれって手を振る人の姿に見えるんだけど、何であんなトコに人がいるんだろ。
「ねぇ、マチア。あれ、人に見えない?」
「えっ、どれ? わぁ遠いねぇ。そう見えない事もないけど」
「何だぁ。どうした」
「うん、何だか人があんなトコで手を振ってるように見えて……」
「俺には見えん。ティリオ、俺の【感知】には遠すぎるんだが【探査】はどうだ?」
「あぁ、確かに人だな。何か言ってるがまだそこまでは分からん」
へぇ、やっぱり2人共探知系のスキルを持ってるんだ。
「あれっ? 人だけじゃないぞ。 何か動物が一緒に居るな」
「もしかしたらそれに乗ってるんじゃない? なんだか泳いでる風じゃないのに近付いて来てるよね」
「あぁ。【感知】に引っかかった。へぇぇ。若い男に、一緒のは多分……イルカだな」
うわぁぁあ、なんてベタなのぉ。
『だれもしらなぁいぃ、みなみのうみぃからぁ』と『ごぅっごぅ、トリッ▷ォン』とが頭ん中でゴチャってるじゃない、まさか金色とか真っ白なイルカじゃないわよねぇ。
「あぁ? かなりデカいが色は普通だぞ」
あらぁ、最後の方が口に出ちゃったのね……気を付けないと駄目だわぁ。
けど、それはひとまず措いておくとして。
「【調教】系のスキルかしら」
「だろうな。イルカだけなのか、他にも使えるかは知らんがね」
「船足は遅いから、イルカなら待つ必要は無いな」
「逆に近づかれちゃ駄目とかは、大丈夫なの?」
「スキルは特殊だが、危険は感じないぞ。少なくとも深層の魔石持ってるお前等が怖がるような相手じゃない」
「あれっ? 気付いてた?」
「悪いな。【感知】は【鑑定】ほど詳しい事は分からんけど、ザックリだったらずっと簡単に知る事ができるんだ。ティリオの【探査】は探れる内容は限られるが、かなり遠距離まで有効だ」
「へぇぇ、教えてくれるんだ」
「この前、エノラのスキルを見ちまったからな」
「じゃあ私のメインスキルも名前だけ言っとくね。【幻想】だよ」
「へっ? 対人スキルなのに深層魔獣倒すのか?!」
「ちょっと反則気味の武具持ってるし、エノラと一緒だからね」
「ふぅぅん、まぁいい。それより今はあいつだよ、どうする?」
「近づけば話もできるし、溺れる心配もなさそうだから、事情を聞いてから決めるしか無いんじゃないの?」
「私もそう思う」
「そうだな。それほど時間は掛からなさそうだ」
「おい、フィリアス! 念のために船室に戻っとけ」
「ええぇ、僕もイルカが見たいんだけど」
「駄目だ! 何かあったら親父さんに申し訳がたたない」
「あたし達も馬を小屋に戻しておきましょ」
不満たらたらのフィリアスが船内に戻って、あたし達は馬小屋に馬達を返した。
左舷に戻ると【イルカに乗った少年】は随分近づいている。
「おおぉぉい! 聞こえるかぁ? 聞こえたらぁ、そこで止まれ!」
チャンクが大声で怒鳴ると、何をしたかは分からなかったけど少年の進む勢いが急激に弱まって程なく完全に停まった。
海面の下に薄っすらと透けていた大きなイルカの影が浮き上がって、少年の足を載せた背中が姿を見せた。
「なあぁ! ずいぶん変わった趣向の登場だが、一体何がしたいんだい? 厄介な話でなきゃあ、聞いてもいいがね」
「…………」
厄介事は嫌だと言われて鼻白むんだから、面倒な話で確定よね。
「ねぇ、黙ってても埒が明かないわ。聞くだけは聞いてあげるから、話してみたら?」
話し易いように言ったつもりなんだけど、あたしの事は見ずにチャンクとティリオを見詰めて懇願の表情を浮べてる。
『はぁぁ、そうよね。こんな頼んなさそうな子供が何言っても耳に入んないよねぇ』と少し落ち込んでチャンクに向かって顎をしゃくってみせると、チャンクがドキッとした風に身を竦めた。
『あたしが言っても駄目だからチャンクが言えば……ってだけなのに何してるんだろ?』と首をかしげると、マチアが吹き出しそうな顔で『顔が怖いよ、エノラ』と耳うちする。
それで掌を顔に当てて確かめようとして、あら吃驚!
なんと震動空間が右手に起動しかけてる!
そりゃ【感知】したチャンクも驚くよね。
スキルをキレイに消して『ごめんね』とペコリ頭を下げるとチャンクも落ち着いたみたいで『ふぅぅぅ』と一息ついて海上の少年に向き直った。
「えぇ、あぁ、うむ。さっき彼女が言ったように、話さなけりゃ何も分からない。取り敢えず話してみろ。とにかく何もかも全部それからだ」
突き放した言い方だけど口調は優しい。
そうだよ、最初からそうすりゃいいのに、変に斜に構えるんだから。
誰でもって訳じゃないけど、この辺が男の面倒なトコなのよね。
「助けてください!」
「ん? 助けなきゃなんない程困ってるようには見えないがな」
余計な事考えてる間にイルカの少年が言った。
相変わらずチャンクはちょっと意地が悪い。
「ウチの島の皆を助けて欲しいんです!」
「お前の住んでる島で何かあったのかい?」
「海賊が島に攻め込んで来て、何とか皆で応戦してるんだけど籠って身を守るのが精一杯で……」
「そりゃあ可哀想な話だが、何でここをこの船が通るのを知ってたんだ?」
「凄く大きな船が東の海上をゆっくり進んでるって海賊同士が話してるのが聞こえたから」
「ふぅぅん、海賊がねぇ」
「本当なんです。それで皆で話して、イルカに乗れる俺が助けを求めに行く事になったんです」
「まぁ、筋は通ってはいるが。可哀想だがなぁ。助けを求めても、わざわざ海賊と関わり合いになるような外洋船の船長はいないぞ。それどころか逃げる算段をするのが普通だ。それが奴等の職務だからな。だから、この船は駄目だ」
「はぁあぁ、やっぱりそうですよね。貨客船だから駄目だと思ったんだ。こんな海域を警邏船や巡視船が通る訳ない。ふわぁぁ、もう駄目だ」
「それで、どうすんだ?」
「戻って皆と戦います。俺だけ逃げるなんて出来ない。それしかないじゃないですか!」
「そうだな。だが待て、助かる目が無い訳じゃない」
「へっ?」
「普通なら助ける奴なんていないんだが、この船にゃあ『普通じゃない奴』がたまたま乗ってんだよ」
今週もよろしくお願いします。




