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第三章 海路の探究少女  1話  バンリノ河

ここから第三章、本編再開です。


 燦燦と降り注ぐ陽光に渓谷のみどりを映した河面が煌めいて目を愉しませてくれる。

川下から吹き寄せる暖かい風は年中ほとんど止むことが無いらしい。

商都ナムパヤの東方に数え切れない程の小川が集まって大きな流れを生んだ。

初めてその河の名を聞いた時、あたしは思わず『とうぉくとぉうぉく、どぉこまでもとうぉくぅ、なぁがぁれるくぁうぁにぃ~』と歌い出しそうになった。

高く抜ける少女の声に似合わない曲調で我に返らなければ、似てもいない鼻にかけた声でAメロくらいは歌い切ったかも知れない。


 通称で清龍川と呼ばれ事の方が多いけど、このバンリノはイクァドラット唯一の大河で百数十キロをかけて3000メートルを下る。

あたし達が居るのは川上のみなとでナムパヤより標高が300メートル以上低い。

朝から馬で移動して夕方前に渓谷の上に辿り着き、そこから九十九折の道を下る本当に丸一日がかりの移動で、徒歩の旅人が2日で着くには余程の健脚が要ると思う。

イクァドラットにバンリノ以外の大河が無いのは何故かと言うと、中央に霊山がある中イクァタだけでなく、西イクァタもこの広大な台地の周辺部に向けてゆるやかな下りが続く地形で、ほとんどの小川が合流しないまま断崖の滝に成るから。

もちろん境界の山地もあるけど、低くてなだらかだから大勢に影響は無いんだって。

降水量が西に行くほど少ないのも理由の1つかな。

商都がある東イクァタだけが凄く緩やかな擂鉢状の地形になってて、その中心に小川が集結してバンリノの水源になっている。

それだけの事なら大きな湖が出来たんだろうけど、元々そこから真東に向けて大きな亀裂があったらしい。

その亀裂を伝って海に流れ込む河が長い年月を掛けて今のバンリノになったんだ。

川湊の付近はよくある深めの渓谷の風景だけど、河口付近は10キロを遥かに超える幅で3000メートル近い深さの谷がずっと続く、世界で唯一無二の壮観なんだそうよ。


 河下から吹きむ事のない風は河を遡航する船の大事な動力源で、それが無ければ百数十キロも大河を遡る事なんて出来ない。

ただ、この風は船の運行以上にイクァドラットにとって大事なものなのよね。

この大きな島は赤道直下に在るから周辺の海上は常に高温多湿なんだけど、その大気は3000メートルの断崖にぶつかって湿度と温度がほとんど削ぎ落されてしまう。

だから、そのままだとイクァドラットはもっと寒くて乾燥した土地になってた筈。

ところが、この星の地軸の傾きが少ない影響かも知れないけど、この辺りの赤道域は東寄りの強い風--偏東風--が止む事無く吹き続けているの。

だから東向きに大きく口を開けたバンリノの谷を高温多湿の風が常に吹き上がっていく。

この海からの温風と湿気がイクァドラット特有の気候を作り上げているのよ。

吹き上げる風は当然エネルギーを減らしていくけれど、その分谷の幅も狭くなって行くから川湊までは遡航に必要な風が維持されるし。

本当ほんとに良く出来た仕組みで、誰かが意図的に作り上げたんじゃないかと疑いたくなるわ。


     *


「おぃおぃ。ガキンチョが2人、荷物用の馬まで連れて御大層な旅支度だなぁ。まさかイクァドラットを出るのか? 河船はいいけどよぉ、外洋はまるっきりの無法地帯でな、身ぐるみ剥がれて海に放り出されても誰も助けちゃくんねぇ。乗るなとは言わねぇが、悪いたぁ言わねえからタジフで引っ返しな!」


 まだ若い船員が船に乗り込むあたし達に声を掛けてきた。

口は悪いけど、どうやらあたし達を心配してるみたいなのでニッコリ笑ってライセンス証を鼻先に突き付けるだけにしてあげた。


「ありゃぁ、こんなにっこいのに2人共ライセンス持ちかぁ。いやぁ、お見逸れしました。どうぞどうぞ、ずいっと奥まで。馬と一緒なら後ろの甲板になりますんで」


 川湊がある辺りは少し川幅が広がって流れもゆるやかだ。

河船は全てイクァドラットが運行していて、どの船もだいたい似たようなものらしい。

長さは50メートル程で幅も10メートルを越える立派な船だけど、川底を擦らないように喫水は浅く造られてる。

こんな船が何隻も川湊とタジフの間を片道1日かけて行き来してるのよ。


 タジフはイクァドラットの行政機関がある町で総統府と呼ばれている。

と言っても、中東西のイクァタがそれぞれ自治権を確立しているのでタジフには憲法改正と対外政策に関する拒否権だけしかなくて、当然その総統は対外的な代表であるけど国家元首じゃない。

イクァドラットはアクァステラと呼ばれるこの世界で唯一国家元首が居ない国なのよ。

タジフから海にかけては川幅も深さもぐんと増えるので、タジフまでは外洋船がそのままのぼって来る。

タジフのみなとが実質海外への門戸だから世間の意識では総統府じゃなくて港湾都市のイメージが定着してるんじゃないかな。

河口に港町を作らなかったのはなぜか?

それは蒸し暑くてずっと暮らすのにとても耐えられないから。

アクァステラには何故か熱帯地方に適応進化した人種が居ないのよね。


     *


「君等が噂の仮ライセンスのお嬢ちゃん達かい?」


 下りは河の流れに乗るだけなので帆はしまわれていて後方甲板からでも見晴らしは良いんだけど、海からの風を切って進むからずっと前を向いていると目が痛くなる。

生まれて初めての風景だから見逃さない様に目の前に小さな障壁シールドを展開して景色を堪能していると横から声が掛かった。

目を向けると二十歳前くらいに見える男性が2人、あたし達と同じように馬連れで立っている。

後方甲板の中央に積まれた荷物の向こうに居たのを移動して来たみたい。


「どんな噂かは知らないけど、仮ライセンスは間違ってないわ。……で、何か用なの?」


 ちょっとぶっきらぼうにマチアが答える。

見た感じ探究者みたいに見えるけど、何だかイクァドラットの雰囲気はない。

正体が分からないし探究者なら簡単にあしらえない強さかも知れないから、身構えるのも当たり前だ。


「あぁぁ。用心するのももっともだ。俺はチャンクで、こいつはティリオ。アテメア大陸セムリの探究者で、交易船の一商団の護衛で二月ふたつき前にやって来たんだ。ところがその商団の団長が体を悪くしてな、商都で長期療養になるんで往復の護衛料を貰ってお役御免になっちまった。2ヶ月魔窟で稼いだし護衛料もあるんで懐は暖かいんだが、船に乗って戻るだけじゃどうにも手持ち無沙汰だ。何かするにもここには伝手も何も無いし、探究者らしいのは君等しか居そうにないんで取り敢えず声を掛けてみたんだよ」


 彼等が差し出すライセンス証を見てマチアの眉間の皺は消えたけれど、だからと言ってどうすれば良いのか、あたしも首を傾げる。


「事情は分からないでもないけど、ご覧の通り探究者って言ってもまだ子供だからね。コネや伝手なんてどこにも無いわ。そんなの商都に居る間になんとかしとかなきゃ駄目よ。タジフの港湾施設はライセンス証で預託金が使えるけど、ギルドは無いから相談も何も出来ないもの」

「やっぱりなぁ。ほら、焦って商都を出たのが失敗だったんだぞ、ティリオ」

「じゃあ。もう、いいかな?」

「あぁ、ところで君等は護衛は要らないかい?」

「それ、探究者に訊く? 馬鹿にしてんのかしらねぇ」

「あわぁぁ。悪いそんなつもりじゃないんだが、見た目がそれでついつい」

「まぁ分からないでもないから、それは良いけどぉ。ねぇ、私達が仮ライセンスって有名なの?」

「いぃやぁ。たまたま霊山魔窟で知り合った探究者が先に仮ライセンスを取ったの審査をしたそうで、飯の時に話を聞いたんだ」

「ねぇ、それって男? それとも女?」

「すっげえ色っぽいお姉さんだった」


 思わず口を挟んだあたしに、これも初めて口を開いたティリオが遠い目で答えた。


「こいつさぁ、口説いて速攻で振られたんだ。それでイクァドラットを出るって言いだしてさ。馬鹿みたいだろ」

「こら! そんな事言うなよ」

「でさぁ、彼女より貴方達の方が強かったの?」

「いぃや。俺等が2人で精一杯の中層を1人で進んでたから、あっちの方が強いだろ」

「ふぅぅん、そうなんだ」


 それなら万一襲われても大丈夫だわ。

お読みいただきありがとうございました。

明日もよろしくお願いします。

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