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第ニ挿話 その1  守ってあげたい

今日から5日ほど挿話が続きますので

よろしくお願いいたします。

「それにしても暑いわね」


 板橋本町駅を出て空を見上げた季恵きえが手団扇で独り呟く。

夏本番を前にして陽射しは日々強さを増して、全国的な大雪の冬から寒春を経てまだ暑さに馴染まない体に否応なく照りつける。

天気予報では例年よりは涼しいと言っていたが、体感的には変わらないように思う。

『でも楽になったわ』と思うのは自分の身体の事。

月のものの障りとか、血の道など女性特有の悩みを余り感じない季恵だったが、それでもこの十年程は汗を多くかいたり火照りやのぼせを感じることが多かった。

部下の江西えにし中馬なかまはまさにその真っ最中でかなり辛そうだが、もうすぐ54になる彼女は症状も軽かったし一足早く抜け出す事ができたようだ。

彼女のマンションは都営地下鉄三田線の板橋本町駅から西へゆっくり歩いて5分足らずで、当時6号線と呼ばれた地下鉄開業後5年余りの頃『地下鉄が出来て随分便利になったのね』と購入を決めて防音施工を済ませ、その翌年に入居した。


 今日は土曜日だが休業日なので映画を観に行った。

松▽電器が大手で初めて完全週休二日制を導入してからもう15年が過ぎたけれど、季恵の会社はまだ隔週二日。

それでも導入が決まった時には皆大喜びしたし、世間では日曜にしか休めないところが沢山在るので不満を聞くことは無い。

重役達の間では『休みが増えても接待ゴルフで潰れるだけだからなぁ』などと言いながら、予定表を嬉し気に眺める者が増殖している。

季恵も役員になった頃に誘われて練習に通い何度かコースにも出た。

しかし自前の足が無いので送り迎えの部課長が運転する煙草臭い営業車に乗るのも辟易したし、何より帰りに明らかに自分より酔っている者の運転に身を任せる不安感に耐えられず、固辞を続けて今に至っている。


 今日観たのはスパイ映画の007シリーズでそれなりに楽しんだようだが『やっぱりショー▷・▢ネリーの方が良かったわねぇ』と思ったようだ。

本当は眉村◇原作の学園SFものを観に行くつもりだったのだけど、同時上映の男性アイドル映画が詰まらなさそうでやめたらしい。

観なかった代わりにでもないけれど、帰りがけに主題歌のユーミ▷のレコードを買った。

宣伝でも流れているこの曲が気に入って映画を観ようと思ったので、レコードは外せなかったようだ。

『ユドン、ハヴトゥ、ウォリウォリ……』

小声だが鼻唄と言うにはやけにきっちりと音が取れていて、声だけ聴けばどんな可憐な少女かと思うかも知れない。

声質は違うが無意識にユーミ▷特有のチリメンビブラートまできっちり再現しているのを聴く人がいれば少し鬱陶しく思われてしまうかも知れない。

歩きながら歌い切るのかと思えばあっさりと途中で途切れてしまったのは、宣伝で聴いたところが終わったのだろうか。

続きを早く聞きたいのか少し歩みが速まったようだ。


     *


 トレーニングキットのTK-80でコンピュータの基礎を色々と試しながら雑誌や専門書を読みふけっている間に、本当に個人が買えるコンピュータが売り出された。

▢立からベーシックマスターが発売されてどうしようかと思っているとシャー▽からMZ-80の発表そして発売があった。

TK-80の流れからこれで決まりだと思っていると、今度はN▢CがPC-8001を発表した。

オフィスコンピュータで最初に本格漢字対応をした東▢や早々に追随した富△通や沖▢気の参入はまだ無かったが、三社とも立派なオフコンメーカーでもあり、どれを買おうか悩んだ末に後発で完成度が高そうなPC-8001の発売を待つ事になった。

『マイコン』は通じても『パソコン』はまだまだ『??』の頃で、業務用コンピュータの検討材料としてどれが優れているのか等まったく分からなかっただろうが、彼女の中で業務端末としてそのまま使えそうなデザインのPC-8001に軍配が上がったのは自然な流れかも知れない。

季恵は自身の誕生日に近い発売日に発注したのだが、どうやら発表時の展示会等で既に凄まじい予約が入っていたようで『自分への誕生日プレゼントのつもりがクリスマスプレゼントになってしまったわ』と自嘲気味に笑うしかなかった。

何とか3ヶ月後の年末には待ちに待った【ご褒美】が届き、あれやこれやとパソコン漬けの日々がやって来た。


 ベーシック言語が目新しくて、春過ぎまで経理や総務関連業務の雛型が個別に作動する所まで色々と組み上げていた。

それなりに満足出来るものになったと思うものの、言語の自由度が低すぎて仕事で使うには制約が多すぎる。

記憶装置がカセットテープしかない時点で業務使用が無理なのは当たり前だが、それとソフトの完成度とは全く次元が違う話だろう。

『そもそもベーシックなんて業務ソフトに使わないわよね』と思うけれど他のプログラム言語が入っている訳でもない。

TK-80時代に齧ったマシン語しかないねと【MONコマンド】でモニターモードに入り、 8080のコード表を引っ張り出して来て試行錯誤を始めたのが1年と少し前だが、ちょうどその頃タネマス製油がオフコンを導入する事になった。

社外取締役として導入されるN▢CのN▢ACシステム100Ⅱを確認する機会を強引に作って実際に操作してみた。

実感は以前に検討したシステムからは飛躍的に進歩しているものの、各業務間のデータ共有機能やワープロでは可能に成っている日本語の文節変換機能が季恵の思うレベルに達していなかった。

モニターモードに入って直接プログラムを見てやろうとしてN▢Cのエンジニアに阻止されたのはとても残念だった。

エンジニアのパスでシステムが開いている時が唯一のチャンスだったのだが。


 入出力フォーマットや動作状態を見てN▢ACシステムの設計思想は大まかにつかめたので、それ以降はそれに準じたモジュールやアーキテクチャのシミュレーションから自社の業務とシステムそれぞれの妥協点を探る方向で検討を続けている。

タネマス製油のシステムが更新される際には必ず同席しタネマスの管理者以上に質問を浴びせる【おばさん】に、『誰だこいつは?』的な白い目を向けていたエンジニア達も『大株主の社外取締役』と聞いて仕方なくそれなりの対応してくれるようになった。

どんな企業でもそれぞれの企業文化がありコンピュータシステムの基本設計にそぐわない業務は必ずあって、今もまだシステムの対応力が低いのでシステムメーカー側としては出来るだけ仕事の方をシステムに合わさせようと【指導】する事が多い。

タネマス製油の業務にもN▢ACシステムに合わないところは多々あるのだが、季恵が見てシステムでの対応が可能な部分まで【流れ】で業務を変えさせようとする傾向がある。

試しに『ここはシステムのこことここをこう変更したら業務は今のままで対応出来るわよね』と指摘すると、エンジニアは嫌な物を見る眼で『いや、それには時間が……』等と逃げを打つ。

『一見修正箇所が多く見えるけれど、この部分をモジュール化していないなんて有り得ないわよね。こっちの方はモジュール化出来ていないとしても修正部分のアルゴリズムは共通だから、結局どちらも修正内容はそれぞれ1つだけ。あとは修正データを貼り付ける手間だけじゃないの? どう考えてもウチの業務を変える方が無理無駄が多いと思うんだけど』と言うと【嫌な物を見る眼】が【危険な野獣に怯える眼】に変わる。

1つ1つ問題点を突き詰め、こちらが引くべきところは引いて話を進めてどうやら【危険な野獣】から【大人しい猛獣】程度には昇格して話を終える事が出来た様だ。


 それ以降の対応に問題は無くなったので季恵はどうやらその時点で自社へのN▢ACシステムの導入を決意したのだろう。

ただし実際の導入は、日本語の文節変換機能の充実と初めての本格的なデータベース機能を搭載した次期モデルの発売を3年程待つ事になった。

お読みいただきありがとうございました♪

以前も書きました通り、

挿話の舞台は現代日本とそっくりですが架空の世界のお話です。

史実や科学的根拠と異なる部分は物語上の設定と言うことで

ご理解の程よろしくお願いいたします。

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