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第一挿話 その8 悲しくてやりきれない

お読みいただきありがとうございます。

実在の企業らしき会社名と業界事情が出てまいりますが、すべて完全な虚構でございます。

こんな事実は全く存在しませんので、そのつもりでお読みくださいませ。

 テレビの中でザ・フォークク△セダーズが【悲しくてやりきれない】を歌っている。

余りにあからさまな表現でリリース当初はそれほど好きでもなかった季恵だが、今は素直に耳に入る。

祖母のアサが亡くなってもう二月ふたつき余りが過ぎた。

90歳を迎えた昨年、暮れ辺りから体調を崩して寝込むことが多くなって、季恵も休みの日はほとんど毎週前夜から泊まり掛けで様子を見に来るようにしていた。

しとしとと梅雨入りの雨が降る日曜日、少しだけ食べた朝ご飯の後意識を無くしてそのまま昼前に呼吸が止まった。

掛かりつけの医者せんせいの見立ては老衰で、確かにこの半年発熱等で寝込む事は多かったが特に苦しんでいる姿は見ていなかった。

半年掛けて気持ちの整理は付いているので悲嘆に暮れたりはしないけれど、唯一の身内と思っていたアサの死はそれなりに重い喪失感とじんわりとした悲しみをもたらした。

タネマスの経営者だった伯父は2年前に胃癌で逝っており、叔母も数年前に亡くなっている。

神戸の実家も一人娘だったタネの両親は戦後10年足らずで相継いで身罷ったので直系の親族は孫が数人と曾孫達だ。


 次男の戦死で増岡の家を出た嫁の毬絵まりえと孫の季恵のことを何故か気に入っていたアサは、毬絵をあからさまに毛嫌いしていた長男や娘たちと距離を置く老後を送るようになっていたので、季恵以外の孫は顔を知っている程度の付き合いしかなかった筈だ。

寝込むことが多くなったこの半年、季恵から連絡を入れてはいたがそのかん見舞いに訪れたのは伯父の息子が一度だけだった。

亡くなる朝にも医者を呼んだあとすぐに孫全員に電話を入れたけれど、通夜の準備が済む迄誰も顔を見せなかった。

後々聞いたところでは、アサが個人的に依頼していた弁護士事務所に遺言書があるのか問い合わせが頻りに入っていたそうだ。

葬儀を済ませるまでそんな事は考えもしなかった季恵だが、実際に正式な遺言書が残されていた。


 葬儀から2ヶ月が過ぎてようやく相続も全て片が付いた。

遺言書の要旨は遺留分以外の全てを季恵に相続させるという内容だった。

実際に配偶者と子全てが亡くなっているので4人の子供の子1人ずつが代襲相続人だ。

季恵は一人っ子だが長男と姉妹の子はそれぞれ複数なので、代襲相続人となり争議の場への登場までにそれぞれの兄弟内に確執も有ったらしい。

その上で孫のうち4人に均等に相続権があるのだが、遺言の内容が優先されるので季恵の取り分が二分の一、他の3人は六分の一になる。

これには長男の息子が烈火の如き勢いで反発したが、季恵は相手にしなかった。

実子の伯父が生きていればともかく、寄り付きもしなかった孫なぞ忖度の余地も無い。

アサの遺産は実質、小田原の資産で立ち上げた別会社の株式100%と残余の預金そして杉並の家だ。

遺言の指定で株式は全て相続に供され相続税に充当する売却は許されないので、不動産と金銭を望む者にはそちらが優先される。

姉妹の子2人が不動産と預金に手を上げる。

彼等は【タネマス】の経営に興味がないので当然だろう。

新会社は製油業として着実に成果を上げてはいるがいまだ零細企業群が残した負債の弁済が終了していないため株式の評価額は高くない。

不動産と残余金だけで遺産の三分の一を越えるので、そちらに手を上げた2人の希望は叶う。

残るのは彼等の相続分を差し引いた現金と株式だ。

季恵と伯父の息子で株式だけを分ければ75%対25%となるが、現金もある。

伯父の息子が出来るだけ多くの株式を望んだので現金は季恵が取ることになり、株式の比率は季恵66%であちらが34%となった。


 アサの遺志なので過半数を大きく超える株式を引き継いだが、現金も懐に入って季恵は正直ほっとした。

代襲相続なので控除等の恩恵が薄く、勤め人の彼女には相続税の負担が重い。

日頃会社の業務で付き合いのある銀行は大株主となった彼女に喜んで融資してくれるに違いないが、好景気なだけに金利も高くて株式だけの相続だと金利負担で給料が飛んで行きそうに思えたのだ。


「お嬢様! このままではタネマス製油が潰れてしまいます!!」


 最終的に小遣いの範囲の金利で済むことになり、ほっと息を継いだ彼女を新会社の経営陣が訪ねて来た。

彼等は新会社に吸収された零細企業の子弟等でアサが1人ずつ面接し採用した者達だ。

季恵とも顔見知りの彼等はいくら止めるように言っても彼女を『お嬢様』と呼ぶ。


「どうしたの? まぁ少し落ちついて下さいな」

「実はタネマスから購入価格改定の通告がございまして……」


 話を聴くとタネマスから一方的に購入価格4割減の通告があったそうだ。

季恵が大株主になったタネマス製油の販売先は99%がタネマスなので、このままでは赤字どころか忽ち経営が成り立たなくなる。

『はぁぁ、彼の仕業かぁ。無い知恵を絞って考えたんでしょうけど、まさか全面戦争に持ち込む積りなのかしら』と季恵は頭を抱えた。

毬絵と季恵親子には徹底して冷徹だった祖父と伯父にアサほどの才覚を感じたことはないが、少なくともタネマスの経営に全てを賭ける気概だけは評価していた。

しかし相続の争議で話した従兄いとこは祖父と父親の経営者としての資質を全く引き継いでいないとしか思えなかった。

元々タネマスが存在感を発揮していたのは零細生産企業の食用油を一手に流通させていたからで、そうでなければとっくに豊△や日▢などの大手に吸収されていた筈だ。

その零細企業の大半を纏め上げたのがタネマス製油で、タネマスが販売する製品の優に7割を超える供給を行っている。

もしタネマス製油が価格改定に応じず出荷を停止した場合、こちら側には食用油の在庫が資産として残るが、純粋な商社のタネマスは赤字が累積するばかりで何一つ残らない。

一見運転資金の我慢比べのように思えても、実情は全く別物なのだ。

ただ、ここで浅墓な体力比べに応じたところで両社共、どこにも益が無いのは明らかだ。


「成程、解りました。私の方で対策を考えますので、価格改定には応じず出荷を停止する旨回答して下さい」

「承知いたしました。よろしくお願いいたします」


 勤務先の応接室から彼等が去った後、部下や周りの部署から『何事か』と注目が集まる。

紙業界と全くの畑違いで尚且つそれなりに知られた会社の訪問は確かに好奇の目を呼ぶに値する。

どうしたものかと応接室を出ぬまま考えていると『やあ! 彼等はもう帰ったのかな』と大きな声で、階段から4階へと社長が扇子を仰ぎながら現れた。

総務部辺りに子飼いのスパイがいるらしく、日頃居ない4Fの様子も社長はよく把握している。

どうやらそこからの連絡で季恵にそういった訪問客がいることを知らされて、助け船を出してくれるらしい。

鷹揚な仕草で応接室に入ってくる社長は他の社員を背にして、大きな目を開き季恵ににっこりと微笑んだ。

これで、社長の異業種交流のピンチヒッターだったと充分に言い訳が立つ。


「事情を聴かせてくれるかな?」


 興味津々な社長に包み隠さず事情を話した。


「それはそれはぁ。その社長君はともかく、従業員の皆が心配だねえ」

「はい。身内とは言え全く交流が無いので、彼の事は食べていけさえすればどうでも良いんですけれど。従業員を路頭に迷わす訳にはいきません」

「それで、彼が他の供給ルート、例えば輸入とかを確保している可能性は無いのかな?」

「それはこれから調べます。もしそれが彼の自前の考えでその才覚があったのなら、悩む必要も無いのですけどね」

「じゃあ、とにかく調査待ちだね。もう聞いてしまったから調査結果がどうであれ、内緒は厳禁だよ。いいね」

「はい。承知しました」


 ほんと二枚目の昼行燈ひるあんどんにしか見えない癖になんて鋭いんでしょうね。

明日もまたよろしくお願いいたします。

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