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第一挿話 その1-2 影を慕いて

今日もよろしくお願いします。

 【離れ】では祖母のアサが待ちかまえていて、早速お昼を一緒に食べる。

元東京市と言ってもこの辺りは農村地帯で、戦時下の厳しい食事情の中でも食べる物には事欠かない。

もちろん贅沢は無理なのだが季恵は久しぶりに満腹を味わうことができて、それだけで充分にご馳走だ。

午後はずっとアサの相手で、季恵と毬絵の近況を話し続けた。

若い相手との会話に飢えていたアサは取り立てて面白くもない季恵の話をにこにこと相槌を打ちながら聞き入ってくれる。

夕食には何とすき焼きが出た。

関西人のアサが牛肉が好きなのは知っていても、肉と砂糖をどうやって手に入れたんだろうと不思議だったが折角の御馳走なので『美味しい!』と笑顔でいただくことにする。


 その夜もいつものように早い時間に床に就いた。

枕が変わると寝れないようなか細い神経はしていないし、よく歩いた疲れもあって直ぐに寝付く。

どれくらい時が経ったかは知らないが何やら騒がしくて目が覚めた。

目を開けると赤っぽい光が窓から差し込んでいる。

何が起きているのか見当も付かず窓辺に向かうと、東向きの二階の窓から赤く揺れる情景が目に飛び込んで来た。

『??? まさかあの一面全てが炎なの?』

近隣に2階建ての建物は数える程で、都区部の中心部よりかなり高台にあるここからは中心部の高い建物が遠目に望める。

その辺り全域が炎に包まれているように見えるのだ。

確かめようと外開きのガラス窓を開くと3月の冷気と一緒に雑多な音が流れ込んで来た。

高射砲の炸裂音、爆撃機や戦闘機の発動音、爆弾の破裂音などが入り混じって遠くに聞こえる。

『遠いわね』

凄まじい規模の爆撃のようだが、どうやら爆撃自体はここと反対の都区部の東側で行われているらしい。

『それにしては炎を近く感じる。何故? 私の勘違いならいいんだけど』

季恵の心配は母の無事、赤坂外れに在る我が家の辺りの安全だ。

今直ぐにでも確かめに行きたいけれどこの時間に走っている列車など無いし、【離れ】に自家用車などある訳も無い。

祖母おばあちゃんのとこに何か連絡はきてないかしら』と部屋を出て階段を降りる。


「おや、やはり起きてしもたか」

「アサばあちゃん。空襲よね」

「そうやな。店に電話したら無事やった。あの辺から神宮までは大丈夫やけど、その他は夜が明けんと何も分からんみたいや」


 アサは既に起きていた。

居間のテーブルの向いに腰かけた季恵にそう言ったのは、恐らく赤坂の様子を訊いたものの何も分からなかったのだろう。

もちろん電話したのは隣に座っている女中のイトに違いない。

巻き上がる煙まで真っ赤に染める程の一面の大火だ。

鎮火するか夜が明けるまで何も分からないのは仕方ない。

夜明けを待って店の者を赤坂の様子を確認に走らせてくれるそうだ。

それ以上分かる事は何もないので互いに寝間へ戻る事にしたが、眠れるはずがない。

まんじりともしないまま夜明けを迎えた。


 朝一に出掛ける積りで寝間を出たが、アサが断固として許さない。

『お前の事や、何があっても赤坂まで行く気やろうが、未だ何も分からん。万一お前に何かあったら毬絵さんに申し訳が立たんからここに居り!』と下男のカンジとイトの3人で立ち塞がれてはどうしようもない。

【タネマス】からの電話を待つことにした。

昼に掛かった電話ではまだ何も分からないままだった。

ラジオでも各区の具体的な被害状況については何も話されていないのだから、当たり前と言えばその通りだ。

夕方近く、ラジオで信じられないような被害の様子が少しずつ伝えられ出した頃、電話が鳴った。

イトが受けた電話にアサが代わり、話す内にアサの顔色が変る様を見て季恵は1つの事実を察した。


 訃報を受けたが詳細は聞かなかった。

全ては我が目で見るまで何も信じない。

翌日列車はまだ混乱しているので、店から迎えの車が来て季恵だけでなくアサとイトが乗り込んだ。

車といっても乗用車はとうに供出されて商品輸送用のトラックが1台あるだけで、運転手以外に乗れるのは1人。

季恵とイトは毛布を被って荷台で身を寄せた。

信濃町を過ぎた辺りから焼け跡が目立つ様に為り御用地を越えると焼け跡だらけの有り様だが、その先はもっと酷かった。

溜池の向こうは焼け残っているところが少ないくらいで母親は生前の姿で無いものと覚悟したが、彼女が案内されたのはいつもの避難訓練先の防空壕で、何とその場に遺体がびっしりと並べられていた。

そこから出しても安置する場所がないのだ。

聞けば、訓練通り防空壕に避難したのだが余りの業火で換気口全てが一気に炎と煙に塞がれて酸欠の窒息死で全員が亡くなったそうだ。

まだ30代半ば、驚く程整った顔立ちは藤次が出征してから一気に若返って季恵よりも余程男の目を惹いたものだ。

商売道具の三味線を抱えた姿のまま亡くなった毬絵は血の気こそ感じられないものの、気高い程の美しさを感じさせた。

手を合わせることも忘れてじっとその顔を見詰める季恵の横で、アサが一心に名号みょうごうを唱えている。


 東京全体でどれ程の人が亡くなったかも分からないが、少なくともご近所の人達は全員防空壕の中で最後を迎えた。

母を此処に居させても弔いもできないのは分かる。

アサの申し出で、母を引き取り杉並の【離れ】まで連れて行くことにした。

おそらくおたなの辺りでもどこの住職も檀家以外のお通夜や葬儀どころではないだろうから。

運転手の小父さんと2人で母を荷台に乗せ、トラックは杉並へと向かう。


 防空壕で余りに多くの見知った顔が遺体として並んでいるのを見て気持ちが冷え固まってしまったのかも知れない。

母が死んだ事が分かっても涙は出なかった。

【離れ】近くの役場へ寄って状況を説明し、母の死を届け出た。

皆を送り届けて直ぐにトラックはおたなへ戻って行った。

仏間に布団を敷いてイトと一緒に母を死に装束へ着替えさせる。

その間にカンジが檀那寺に走ってお通夜と葬儀の話を付けた。

埋葬までお寺で面倒見てくれると云う事で全て任せることにする。

赤坂外れの家と一緒に何もかも焼けてしまって、母の三味線しか残っていないから、お布施その他の費用はアサに甘えるしかない。

それだけでなく当面の暮らしもここに住まわせてもらうしかないのだ。

『仕事探さないと』頭の隅に浮かんだが【タネマス】では働きたくない。

都区部の中心部は混乱が収まるまで求職どころではない筈でしばらくはご近所の手伝いでもして過ごすしかないのだろう。


 タネマスも都心の大混乱に巻き込まれて家を出た嫁の葬式に構っている暇は無い。

いつまでも待っていられないのでお通夜も葬儀も【離れ】だけで済ませることにする。

葬儀には檀那寺の檀家でご近所の人達が集まってくれた。

アサとの十年足らずの付き合いだけなのに有難かったが、季恵は始めての人達ばかりなので只々頭を下げる事しか出来なかった。


 葬儀が終わって数日、まだ春前でご近所の農作業も手伝えることは少ないが、葬儀に出てくれた家を回って少しずつ手伝いを始めた。

天気の良い日に外で体を動かすのが若い身体に心地良い。

何よりここでは働いた分食事にありつけるのも嬉しい。

自家製の味噌や漬物に雑穀ご飯の御握りなどだが、それが美味しくて夢中で頬張る。

青空を見上げながらふと思う。

『そう言えばここに来る時、あの歌を口ずさんでたっけ』

歌の意味とは違うけど、これからは毬絵の面影を抱いて生きていくことになるんだろう。

『あっ、そうだ』

これからは母の旧姓を使って生きていこう。

戸籍とかはアサがいる間はさわらない方がいいだろうが、職を探す時はもう孤宮季恵こみやきえの名にしよう。

そう考えると早春の陽射しがまた少しだけ爽やかに温かく感じられた。

明日もお付き合いいただければ幸いです!

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