第一挿話 その1-1 影を慕いて
第一章の商都編が完結しまして
今日からしばらく挿話が続きますので
よろしくお願いいたします。
「ねぇ季恵。浅見さんちのお孫さんはいくつだっけ」
「確か今年学校に上がるんじゃなかったかねぇ。急にどうしたの、母さん」
「あの人が逝ってから浅見さんには随分お世話になったからね。お孫さんが入学ならお祝いしたいんだけど。このご時世だから碌な事もできそうにないからさ。四月まで一月切ったし何か出来ることがあるか考えなきゃってさ」
「そうねぇ。尋常小学校も国民学校に変って勤労奉仕ばっかりになっちゃったけど、入学に変わりはないからね。でもさ、この辺りの子等はみんな疎開で居なくなったんじゃなかったっけ」
「あらぁ、そうだったよ。本人も居ないのにお祝いもないかねぇ。それにしても娘さんは嫁に出て、息子さんは出征しちまった。その上孫まで疎開だとご夫婦とお嫁さんだけかい、りっぱなお家も却って寂しいんじゃないかね」
「今はどこも同じじゃない。まぁ、うちなんか女2人が気になんない広さで良かったわ」
「ほんとそうね「あはははは」」
何が可笑しいのか、顔を見合わして笑う母娘2人。
昭和20年も3月に入り戦局は悪化の一途を辿って暮らし向きは誰も彼も楽ではないが、2人にとって今の状況はそう悪いものではないらしい。
17歳の季恵の母、孤宮毬絵は赤坂溜池町の芸者の娘だった。
幼い頃から容色に優れ春本の萬龍の再来になると言われたが、花街の水が肌に合わず三味線小唄の師匠になるつもりだった矢先に流行り病で母を亡くす。
一方季恵の父、増岡藤次は大震災後に東京進出した油問屋【タネマス】の次男だ。
容貌と体格に優れた藤次だが、それ以外には何の取り柄も無いと親族から疎まれ飲む打つ買うに溺れた放蕩息子で、父親から勘当を言い渡されるところを周囲の取り成しもあって結婚して落ちつく事を条件に何とか免れたらしい。
ところが家格が合う家々には藤次の放蕩が知れ渡っており纏まる縁談なぞ在りはしない。
しかも当の藤次が相手の見た目に酷く拘るものだから尚更で、勘当を取り成した者達も困り果ててしまった。
結局、勘当はしないものの【タネマス】の経営には生涯関わらないと言う条件で、結婚相手の家格は問わない事となった。
東京の色街を渡り歩いた藤次が赤坂で偶然見かけた毬絵を見染めたのは大正も末の頃。
結婚などまだ考えもしなかった毬絵は当然縁談を断わったが、隆盛の【タネマス】から赤坂界隈への根回しは徹底しており、周囲からの強い説得に若い毬絵は折れざるを得なくなった。
界隈の女将達にとって亡くなった母親への義理はあっても看板芸者になる積りもない毬絵は所詮赤の他人で、お得意からの頼みを優先するのは当たり前だ。
実は藤次の酒癖の悪さは有名で、酔うと目下の者に当たり散して親族からの軽視侮蔑の憂さを晴らす陸でなしだったが、毬絵の周りにはそれを教えてくれる者は居らず、若いおぼこ娘にそれを気付けと言うのも無理な話だった。
大正15年正月に式を挙げ、翌昭和2年夏には季恵が誕生する。
若い毬絵の体に溺れ結婚当初は大人しくしていた藤次だが彼女の妊娠をきっかけに酒をあおり始め、季恵が物心付く前にはその本性を現し始めていた。
見た目涼しく大人し気な彼が夜酒を飲むと豹変する。
育ちの良さから毬絵や季恵が大怪我をする様な暴力こそ振るわなかったものの、抓ったり締め上げたりなどの陰湿な虐待や家財の破壊などの狼藉は日常茶飯事になり、身寄りのない毬絵は頼る先も無く母娘はただそれに耐える他なかった。
昭和12年7月大東亜戦争が始まり、その二月後季恵は10歳になった。
日本軍は破竹の勝利を重ね昭和16年12月真珠湾攻撃をもって第二次世界大戦へと雪崩れ込んだ。
この年に制定された国民学校令の前の制度で、季恵は尋常小学校を卒業し高等女学校に進学している。
さて、徴兵制度で国民皆兵が建前の日本だが当然の如く裏に抜け道はある。
【タネマス】は官憲が気遣う程の豪商ではなかったが、方々への鼻薬で跡取りや商才に長けた身内への招集を避ける手立てを模索したが、どうしても一家を代表して出征する者が居ない事には世間の風当りを避けられない。
増岡家にとって石潰しでしかない藤次にそのお鉢が回るのは当然の事で、身体堅固で甲種合格の彼は似通った境遇の者達に先んじて出征する事となった。
後年で言う処の藤次のDVとモラハラにひたすら耐えるしかなかった毬絵と季恵にとって彼の出征はまさに福音以外の何物でも無かったのだ。
喜んでいい事では無いが、毬絵にとっては藤次の戦死も幸いだった。
彼の戦死恩給で生まれて初めて一定の収入を得た彼女はようやく増岡家からの経済的独立を手に入れ、生まれ育った赤坂の外れに居を移した。
その折親身に世話を焼いてくれたのが亡き母の贔屓筋だった浅見老人だった。
父親のDVとモラハラで極度の男性不信に陥った季恵だったが、完全に枯れ果てた様子の浅見老には唯一気を許す事ができた。
藤次の暴力や精神的虐待から解放され、肩身の狭い増岡家を出られた事で心機一転新たな生活を始めて2年足らず、2人の笑みは心の内をごく正直に表しているに違いない。
小さな借家で三味や小唄の手解きでは戦時下で習いに来る者も居ない様に思えたが、殺伐とした日常を忘れようとしてか通う者が絶える事はなかった。
もちろん雀の涙ほどの月謝は暮らしの足しになる訳も無いが、元より戦時下で贅沢が出来る訳でもなし、充実した日々を送る毬絵だった。
高等女学校を出た季恵は毬絵ほどでは無いが受け継いだ整った容姿に、持ち込まれる縁談もあるのだが父が原因の男性不信もあって到底結婚なぞ考えられず、勤労奉仕と防空訓練に勤しむ日々だ。
父に似ずすこぶる真面目だった季恵は学生生徒の勤労奉仕が本格化する前にしっかりと教育を受けることができて良かったと思っている。
今後結婚せずに生きるのに多少なりとも役立ってくれる事を願っているようだ。
「そう言えばお義母さまがお前の顔が見たいって矢の催促だったねぇ」
「そうなの。離れに泊まりに来いってね。あたしもお祖母ちゃんの顔を見たいから行ってもいいかな?」
「あの家で唯一の味方だったから無下には出来ないし、あんたにとってはたった1人の身内みたいなもんだからね。勤労奉仕とかの都合が付いたら行ってあげなさい」
「それじゃそうする」
離れと言うのは本宅の中の別棟ではなく、祖母のアサが隠居所として杉並に建てた瀟洒な洋館の事だ。
祖母と言ってもまだ70前の矍鑠とした老婦人である。
アサは元々神戸の山手の出で、タネマスの先代が修業時代を過ごした大阪の油問屋の親戚筋に当たる。
小田原では有数の油問屋だったタネマスから修行に入り、たまたま遊びに来ていたアサを見染めて修行先に頼み込んで嫁に貰った。
小田原にアサを連れて戻って式を挙げたのは関東大震災の10年前。
関東大震災後に先代が一念発起して東京進出し関西の取引ルートを使って成功したのだが、その先代も10年近く前に亡くなりそれを気にアサも隠居する事にしたのだ。
「じゃあ行くね」
「あいよ。気を付けて行くんだよ」
「はぁい、行ってきます」
3月10日朝、季恵はアサの隠居所へ向かった。
東京駅まで歩いて鉄道に乗り阿佐ヶ谷まで、そこからも歩きで【離れ】に着くのは昼近くになる。
10年余り前に東京市に編入されたと言ってもやっぱり遠いのは否めない。
ちなみに東京市も一昨年に【東京府】と一緒になって【東京都】が出来た。
東京駅までの道すがら電気店の店頭でラジオから歌が流れていた。
電気店は神田や上野界隈に多くこの辺りでは珍しくて足を止めたが、流れているのはやはり近頃の国威発揚の曲だ。
作曲家の矜持から繊細で抒情的な曲もあるのだが如何せん詞の内容が愛国一辺倒で季恵は聴く気になれない。
子供の頃聴いた【影を慕いて】のような曲が好きなのだけどあの手の歌が掛かることはまずない。
さっさと電気店を離れて小さな声で『まぁぼろぉしの……』と口ずさみながら歩き続けた。
お読みいただきありがとうございました。
明日もお付き合いいただければ幸いです♪




