第四挿話 亡国の小公女 9話 チョウジン
本日もよろしくお願いします♪
エナレィシェは愉しんでいる。
公都に着いて3日目、メトランツ伯爵家の公都邸での生活も少し落ち着き今日は初めての外出。
伯爵令嬢のメリェイナと2人だが、もちろん傍にそれぞれの小間使いがいるし、少し離れて私服の衛士が護衛についている。
公都の風情や賑いは西の国境を異文化のラハール連邦と接するカンジュ大公国とは全く異なり、どちらかと言えばセムリ公国に似てはいるが、セムリで生まれ育ったエナレィシェにすればやはり違うところの方が目立つ。
3公国2大公国のうちカンジュ大公国を除く4国が東のアルテ王国と接しているが、アシュバ大公国は北端の峻険な山岳地のみ、セムリ公国もその南に伸びた山脈を国境としているため、往き来に不自由が無いのはナクラ公国とツフガ公国の2国だけだ。
ツフガは海に面して海運が盛んでアルテとも港町を通じての交易がほとんどなので、陸路での行き来はナクラがもっとも盛んだ。
店屋で扱っている物もアルテ経由の王国製品が多くてパノンやマジャンの物品も並び目を楽しませてくれる。
貴族の公都邸は公宮近くの官庁街と一般市民の屋敷街の間に多いが、メトランツ伯爵邸もその例に漏れず公宮寄りのかなり広い敷地に建っている。
当然下町の繁華街に向かう大通りからは距離があり、2人は繁華街の外れまで2頭立ての箱馬車に揺られて来た。
「ねぇ見て、エノル! あのガラス細工はとっても綺麗に出来ているわね。あちらの店と全然違うと思わない?」
「はい、メリナ様。まるで本物の動物を小さくしたみたいな装飾ですね。あの鳥や猫が特に見事ですわ」
「そうね、私はあの大きな鰭の魚が素晴らしいと思うわ。空気の中を泳いでいる様に見えるもの」
「まぁ本当ですね。もっと近くに参りましょう。あの猫の取っ手のグラスを傍で見たいです」
「あら、ブローチや髪留めとかも有るのね。うん、貴女達も小物を選びなさい」
「私も小物にしますわ。あぁ、シャルテのお土産も選ばなきゃ」
メリェイナが声を掛けたのは小間使い達で、貴族女性がお供を連れて外出する際は小物や雑貨、菓子類などをお供に買い与えるのが慣習になっている。
但しそれが公都の様な大きな町に限った事なのは少し考えれば分かる。
常設の露店市場などは主だった町にしか無く、ほとんどの貴族領では領民が営む数少ない店屋と、交易商や領外の農民が開く臨時の出店でしか買物は出来ない。
もちろん領主令嬢が直接買物をする様な店がある筈もないので、メリェイナも公都に来た時にしかこうした買物の経験は無いのだ。
公女だったエナレィシェは別の意味で私的な買い物の経験が無いのだが、余り珍しがると出自を疑われてしまうかも知れない。
幸いナクラに来て銀鉱の街や男爵領の出店でパラメニィと一緒に買い物をしていたので、尻尾を出す心配は無いけれど、実のところ小売りの相場までは知らないのだ。
まぁ買物をすると言っても支払いや荷物持ちは小間使いの仕事だからまごつかなくて済むし、女中頭のシャルテがアムメッテ男爵から預かった金を小間使いに渡してあるから支払いに困る事もない。
但し男爵家から同行したのはシャルテだけなので、小間使いも護衛の衛士も伯爵家からの借り物だ。
もっともアムメッテ家の正式な家臣は執事見習のマルードと庭師のオルドムそしてシャルテの3人だけで来て欲しくても他に誰も来れないのは、公都伯爵邸の方々には内緒なのだ。
今、ナクラは戦時下だ。
戦争を仕掛けられて、その最中だけれど『そんな時に街に繰り出して買物なんて不謹慎な』なんて2人はまるで思っていないし、誰もそんな事は考えもしない。
戦争だからと言って今はまだ公都の人々の生活に変化は無い。
アシュバ大公国とセムリ公国の連合軍団がカンジュ大公国へ侵攻し公都寸前まで攻め込んで包囲を固めた後に踵を返し目標をこのナクラ公国へ切り替えた事は、既に万人の知るところとなっている。
しかし国境線を越えられたとは言え、敵はまだ全て奥深い山岳地帯の中で公都の人々に脅威を覚えさせるには遠過ぎる存在だ。
偶に眉を顰めて心配そうに口にはしても、所詮対岸の火事ほども見えない事柄で『不安』や『心配』が『深刻』や『切実』に居場所を譲る事なぞない。
貴族にすれば『隣の火事に騒がぬ者なし』どころか『足元に火が付いた』者、つまり家族が出陣している者も少なくないが、貴族は基本的に【職業軍人】なので話が異なるし、民衆の不安を煽らないことも仕事のうちなので、経済や世情が逼迫しない限り一般人に『自粛』や『避難』を求める事は無く、ましてや『戦闘』を強制する事なぞ有り得ない。
この世界--少なくともアテメア--では戦争は貴族の仕事であり責務と決まっていて、一般人が闘いに参加する事は無い。
まぁ、傭兵や探究者を生業とする者は別だが、元より彼等は一般人の枠をはみ出した存在だ。
この先アシュバがもしこの地域を統一すれば、帝国と称して更に他国を侵略しようとするかも知れない。
その際王族が存在する国との戦力差に絶望すれば、その決まり事を破って一般人を戦場に引きずり出す事になるかも知れない。
そんな机上の空論を積み重ねてみても、それが起こり得るのはまだまだずっと先の話で、今は誰もそんな事を夢想だにしないのだ。
つまり一般市民にとっては貴族が何か特別な要請でも持ち出さない限り、戦争は全て貴族の世界で完結する物だ。
なので『戦況がどう』とか『戦線の位置は』などと考える者は極々一部で、ほとんどの者達は【貴族の顔色】だけに注目していると言っていい。
戦争が起きているからこそ貴族の御令嬢が市井で買物を愉しみむ姿を見せる意味がある。
小間使いを連れたメリェイナとエナレィシェが楽し気に露天市場で掘り出し物を探す事が、大衆に『まだまだ大丈夫』を知らせる広告塔にもなるのだから。
*
ナクラ国境山岳地帯、第一防衛ライン中央の麓に張られた天幕の中、2人の男が対峙したまま沈黙が続いている。
チリチリした渇きを感じるのは、唯待つことに焦れた心がそれを乾燥と表現しただけだ。
実際、それほど時間が過ぎた訳でもない。
目の前の男が己が拳を見詰めて黙り込んだのはまだ数分前の事だ。
自分より少し背が高く、年は十ほど若い。
貴公子然とした風貌から、この男の本質を見て取れる者は居るのだろうか。
王族が居ないこの地域の国家を納めるのは大公もしくは公爵だが、侯爵と言うのはそれに次ぐ爵位で、実質国家で二番目もしくは三番目の権力を持つと言ってもいい。
実際、セムリ公国の侯爵家でビアストール家が武闘派のトップ、シャフィメン侯爵家が官僚貴族のトップなのは誰もが知るところだ。
そして父親の死でそのビアストール家の爵位を襲ったのが彼で、一時は正嫡公女の婿候補と言われていたが今はシャフィメン家の長女を娶っている。
しかも当人は【朱の三連星】と言う、セムリ最強--いゃこの地域全体最強で間違いない--戦闘ユニットのリーダーなのだ。
国家の象徴としての国主の存在意義以外の全ての要素と実力を兼ね備えた、まさにセムリ公宮内の超人。
こんなのが正嫡である姪の婿候補に居たら、その姪をとっとと嫁に出してしまいたい気持ちも分かるし、正嫡が生きている限り担ぎ上げられればお手上げで手詰まりになる前に何としても排除したい思いも理解出来る。
好悪の念さえさて措けば、現セムリ公に同情を禁じ得ないメトランツだ。
そんな超人が考え込んだまま動きを止めて数分、じっと待つしかないメトランツ伯の目にようやく相手の動きが映る。
じっと見詰めていた握り拳を開いて何度かワシワシと指を開閉しながら頷き、目線を上げた。
その視線に簡素な問い掛けを返す。
「如何ですかな?」
「うむ。貴国の申し出、有難く受けさせていただきましょう」
明日もお待ちしております!




