8.現場再検証~書斎~(その2)【間取り図あり】
何でも、少し前からこのお屋敷に出入りするようになった黒猫、そいつの姿が見えねぇんだそうだ。奥様が可愛がっていなすったとかで、随分と気に病んでるって話だ。……そりゃ、旦那に続いて猫までいなくなったっていうんなら、気を落とすのも無理はねぇか。
「……で、その猫が?」
「はい。この部屋から走り出て行ったものですから」
「「――は?」」
執事さんの話はてんで要領を得なかったんだが、どうにかそいつを繋ぎ合わせてみると、
「あの時……あのご遺体が旦那様だとは思えなかったものでございますから、旦那様をお捜しして、屋敷中を検めたわけでございます。その時、書斎の扉も開けて――鍵が支ってございました――出たのでございますが、その時に……」
「猫も一緒に飛び出た――と?」
「はい。それはもう機敏な動きで……」
機敏? ……ちょっと待てよ?
「ヨロヨロと老い耄れた感じじゃなかったって事ですかぃ?」
俺の質問の意味が解ったんだろう。メスキットのやつぁ驚いたように顔を向けたが、
「いえ、そのような感じでは。もぅ、黒い矢の如しでございました」
――執事さんの答ははっきりとしたもんだった。
猫の動きがそうだったってんなら、その猫は老化してなかったって事になる。て事ぁ、老化の魔術は部屋全体を狙ってかけられたもんじゃなくて、ホトケさんに狙いを定めて仕掛けられたって事になる。抗魔術結界に護られた部屋の外から、ホトケさん一人に狙いを付けて魔法を放つってなぁ難しいだろうから……つまり……魔術師が現場にいた事にならねぇか?
(……こうなると、俺のダンジョン説も怪しくなってきやがったな。いきなりの変事に驚ぇた魔術師が、咄嗟にかけるにしちゃおかしな術だ。……いや……咄嗟の事で狼狽えちまったからこそ、おかしな術をかけちまったのか?)
俺が悩んでる間も、執事さんの説明は続いていた。
「……あの猫は能くこの部屋に潜り込んでは、その都度旦那様に摘み出されていました。夜に火を落とすと部屋が冷え込みますし、この部屋の種火が恋しかったのでございましょうな」
……猫がこの部屋にいた理由は判ったが、それ以外の事ぁ皆目……いや?
(……神像が燃えたなぁ、うっかり猫が落っことしたせい……って事ぁ考えられねぇか?)
改めて暖炉の周りを見回したが……大事な上に燃えやすい木像を、選りに選ってマントルピースの上に置くとも思えねぇ。そうすると……置いてあったとすりゃテーブルの上か? ちっとばかし距離がありそうだが……いや?
「ちょいとお訊ねしやすけどね、ご当主を捜してお屋敷中を駆け回った時、暖炉の周りにも手を加えなすったんで?」
「……いえ。暖炉には手どころか目もくれませんでしたな」
「てぇと……暖炉の周りは、ご当主があんな事になった時のまんまって事で?」
「はぁ。領兵や修道会の方々が、どうにかされていなければ」
メスキットの方に目を遣ってみると、黙って首を横に振っていた。動かしてねぇって事なんだろう。て事ぁ……
「火の粉除けの衝立ですがね、脇に退けられてるようでござんすが?」
「……言われてみればそのとおりですな。いつもは暖炉の前に置いてあるのですが」
「薪ラックがテーブルの下に置いてあるのも――ですかぃ?」
「……メイドたちにきつく言っておきませんと……」
……だとすると……あり得ねぇ事じゃねぇな。
猫がテーブルから落とした神像が薪ラックに当たって跳ね返って、衝立が無ぇもんでそのまま暖炉に飛び込んで……偶々そこにあった種火から神像に火が燃え移る……
普通の種火ならそんな簡単に火が点きゃしねぇんだが……ここで使ってる練炭は、その辺りが特別誂えって話だからなぁ……
どうにか説明が付きそうな気がしてきたんで、執事さんにゃ礼を言って引き取ってもらった。後始末や何やかで忙しそうだったからな。
で、俺たちの方はと言うと……神像が燃えた件はどうにか収まりが着きそうな気配だが、他の件についちゃ相変わらず五里霧中だ。大体、この事件にゃおかしな事が多過ぎらぁ。密室を筆頭に、万事が交喙の嘴みてぇに食い違ってやがる。
……畜生め。
「そもそもの話、犯人がこの現場を密室に仕立てた理由が解らん。鍵を開けておけば、ここまで不可解な状況にはならなかった筈だ」
「五十歩百歩って気はしますがね……。ま、大体のところは同意できますな」
「侵入した者がいなかった事にしたかったのなら、どうしてあんな殺し方をしたのか?」
状況は犯人が現場にいた事を示してるんだから、これじゃ密室にした意味がまるで無ぇ。
ヘル博士なら頭から湯気を立てて〝怪しからん!〟とか喚きそうだよな。……いや……ありゃあ結構卿だったっけか?
「同居人が手を下したと思わせないためか? 仮にそうだとしても、ここまで不自然な状況にする必要があったのか? 徒に世間の耳目を集めるだけではないか」
凶行の後に何者かが出入りして密室に仕立てたって考えても、状況の不自然さはそのまま残るわけだ。
大方領兵本部の方じゃ、〝死因が判らなくては、捜査方針の立てようが無い〟――とか言って、修道会に責任をおっ被せようとしてるんだろうし……メスキットのやつがお冠なのも無理ねぇよなぁ……
「致命傷二つと老化。別個の襲撃が重なったというのは無理がある。過剰なまでの攻撃の理由は何なのか? 被害者にはそこまで多くの敵がいたのか?」
メスキットのやつぁ宙を睨んでブツブツと呟いてる――おっかねぇな――が、あの部屋の用心っぷりを見るとなぁ……敵の一人や二人、いてもおかしくはねぇって気になるんだが……待てよ? そうすると……部屋に鍵を掛ける、つまり部屋を密室化する動機があるのは……被害者の方か?
考えれば考えるほど、この一件は他殺じゃねぇんじゃねぇかって気がしてくる。
けど、他殺じゃねぇとしたら説明が付かねぇ――って気も同じくれぇするんだよなぁ……
悪意が介在して、なおかつ他殺じゃねぇとすると……何かの呪いか祟り……うん?
……何か今、頭に引っかかったような気がしたんだが……呪い? 木像? 老化……?
ヘンリー・メリヴェール卿。カーター・ディクスン(J.D.カーの別ペンネーム)の小説に登場する肥大漢の老探偵。通称H.M.
フェル博士。J.D.カーの小説に登場する巨漢の老探偵。
データは出揃いました。次回が解決編になります。