2.不可解な屍体
「故人……いや、被害者は枯木のように老いさらばえた老人で、家人たちは口を揃えて見憶えが無いと証言した。なのに着用しているものは――それこそ化粧着から下着に至るまで――ご当主のものだった」
「下着の銘柄まで判るもんなんですかぃ?」
「我々と違って、そこいらの店から出来合いの品を買って来るわけじゃないのさ。素材にまで拘った特注品だそうだ。……続けるぞ? 被害者は血溜まりの中に倒れていたにも拘わらず、一見すると傷が無いように見えた。――が、服を脱がせてみると深い傷が二つあって、これが致命傷と判明した。……なのに、服には損傷の跡が無い」
「……へ?」
ちょっと待て……って言いたくなったね俺ぁ。
メスキットのやつが言ったとおりホトケさんは、一見しただけで致命傷と判る深傷を二つも負っている。それも、細身の剣で急所を貫いた――なんてお上品なもんじゃねぇ。
一つは肩口から脇腹へ抜ける金創――刃物傷で、でけぇ大剣かハルバードみてぇな得物で叩っ斬られたようだった。身体が半分がとこ千切れてたからな。もう一つは土手っ腹のほとんど全部を抉る傷跡で、こっちは魔物か何かの爪でやられたもんだろうな。
そんだけの深傷を負わされてんだ。服だってボロボロのズタズタになってなきゃおかしい。……なのに……ある筈の破れ目が無ぇ?
単純に考えりゃ着せ替えたんだろうが、そんな面倒な手間をかける必要がどこにある?
「残念ながら、凶行後に着せ替えたという可能性は低いと見られている。衣服に残る血痕の位置などからね」
……だったら、殺した後で服の破れ目を繕ったってのか? んな魔法とか、あったっけか? ……じゃなくて……何でそんな真似をしなくちゃならねぇんだ? いけねぇ、混乱してきちまった。
ちょっと待ってくれと言いかけた俺を、メスキットのやつぁ手を振って押し止めた。そして……
「おかしいのはそれだけじゃない」
「……まだ何かあるんですかぃ?」
「まだまだ、これはほんの序の口だ。……被害者が倒れていたのは洗面台の前。顔に石鹸の滓がこびり付いていたから、洗顔かひげ剃りの時に襲われたと考えるのが妥当だ。ちなみに、故人は規則正しい生活を送っていたそうだから、これで襲撃の時間がある程度絞り込めたのは幸運だった」
「然様で……」
死んでいたなぁどこの馬の骨とも知れねぇ爺さまだろうが――って突っ込みは止めといた。メスキットのやつぁ、死んだのがご当主だって確信してるみてぇだったからな。その辺りは後で説明があるんだろうと弁えて、俺ぁ温和しく話の続きを待つ事にした。
「話を戻すが……被害者が倒れていたのは洗面台の前。つまり、壁との距離はほとんど無い」
……この辺りでひしひしと嫌な予感がしてきたね、俺ぁ。
「被害者の傷はどちらも身体の前面にある。つまり襲撃は前から為された。なのに、襲撃時の被害者の前方には、加害者が割り込めるようなスペースは無い」
「……危険を感じて振り向きざまに、殺られたんじゃねぇんですかぃ?」
「屍体の位置と傷の具合から判断して、その可能性は小さいと考えられる」
……まぁ、仮にそうだったとしても、今度は下手人と魔物が気付かれもせずに寝室へ侵入したって事になるわけだな。おかしな点じゃこっちもどっこいだ。
「状況的には、まるで加害者が鏡の中から斬り付けたようにも見えるが……仮にそうだとしても、鏡の枠内から剣を振り切るのは、両者の位置的に難しかった筈だ。鏡に映っていなかった筈の腹部が、魔物の爪に抉られているのは言わずもがな」
「……鏡からおん出て襲いかかったてんならできただろうが、それだとホトケさんの位置が鏡に近過ぎる、下手人が割り込める隙が無ぇ……ってわけですね?」
「そういう事だ。更に――」
おぃおぃ……まだあんのかよ……
「生活反応の様子を見る限りでは、受傷したのはほぼ同時であったと考えられる。二つの傷はどちらも命取りになった筈で、もしも大きな時間差があったのなら、遅れての攻撃には生活反応が見られない筈だからな。今回はどちらの傷にも生活反応が確認できた」
「然様で……」
ただでさえ狭っ苦しい隙間から、段平提げた下手人と魔物が、示し合わせて襲いかかったって事になる。おかしさに磨きがかかってらぁな。
衣服を着せ替えた事も含めて、下手人が何かの小細工――例えば屍体を動かすとか――をしたってんなら説明は付けられるが……今度はそんな小細工をした理由が判らねぇ。不可解性を強調しようとでもしたってのか?
首を捻っていたところに、メスキットのやつが委細構わず追加のネタをぶっ込んでくれた。……こちとらはもぅ腹一杯だってのによ。
「室内には加害者も凶器も残されていなかった。寝室の扉に確りと鍵が支ってあったのはさっきも言ったが、寝室と続き間になっている書斎の方も、扉には確りと鍵が掛かっていた。見てのとおり、この部屋にも書斎の方にも窓は無い。寝室に続くサンルームはあるが、そちらの窓も鍵が掛かっていた。……君の言葉を借りて言うなら、『鍵の掛かった部屋』という事になる」
……何てこったぃ……留めは「密室殺人事件」かよ……賢者のヤツが喜びそうな話だぜ……
「ついでに言っておくと、寝室内で争うような気配も無かったし、加害者たる凶器持ちと魔獣が家の中に入って来た気配もしなかった……というのは家人が揃って証言している。あぁ、建物の外にも不審な者は見かけなかったと、これは夜廻りの者が証言している」
寝室と建物、二重の密室ってわけかよ……
「まぁそういった次第で、遠路遙々エルメント君のご出馬を願ったわけだ。この手の事件はお手のものの筈だったろう?」