32 美少女と野獣
メルハウザー辺境伯領から、卵を持って僕のところに急行してきたであろう首長竜に、そう言えば果物ひとつ出していなかったことに、僕は気が付いた。
幸いにも、火竜騎獣軍の専属竜係であるナノジェムさんが、気を利かせて用意をしてくれていたので、僕は慌ててそれを首長竜の方へと差し出した。
「あいたたたっ」
首長竜が果物を食べ始めたそこに、自分にも寄越せと言わんばかりに白竜が僕の服の襟を咥えて引っ張った。
「待って、待って! 首長竜の方が頑張って飛んで来てくれたんだから、待ってってば!」
叔父さんが一番である白竜にとっては、僕はいいとこ下僕だろう。
竜にとっては力が主を定める判断基準だと習ったし、実際白竜は叔父さんにだけ従っているといっても過言じゃない。
僕は冒険者を目指しているわけじゃないから、自分だけの竜が必要というわけではないけれど、叔父さんと白竜との関係に、憧れがないといえばウソになる。
自分が食べていた果物入りのカゴを、そっと白竜の方へと押し出した首長竜は、人間並みに空気を読んでいる気がした。
「キミはまだ、卵と牧場に帰る『任務』があるんだから、もうちょっと食べたってバチは当たらないよ」
なので僕はそう言って、籠の中からリンゴを何個か取り出して、首長竜の前に置いてやった。
白竜の方が、ぐるるとちょっと不満気に唸っていたけど、そこは無視一択。
「あ、卵はね、火竜の繁殖場で一時預かりになってるから大丈夫。帰る時にちゃんと出して貰うから」
火竜騎獣軍には、身籠った竜を休ませたり、生まれたての竜の卵を隔離して保管しておいたりする専用の部屋があるからと、運び込まれた卵はその部屋に一時預けられている。
魔道具でいい感じに部屋も暖められているというから驚きだ。
さすが竜と共に歩む騎獣軍といったところだろうか。
「「!」」
その時、白竜と首長竜、二頭の竜が何かに呼ばれたかのように、同時にその長い首を空へと向けた。
「ああ……その反応だと、多分火竜たちが近くまで戻って来てるんだろう」
ベテランお世話係のナノジェムさんが、そんなことを言いながら竜舎のある建物からゆっくりと出てくる。
「あ、えっと……リュート叔父さんとか、エイベルさまに知らせに行った方がいいですか?」
かつて討伐で大ケガを負って、騎獣軍の軍人から竜のお世話係になったというなら、全力疾走というのは難しいはずだ。
そんな僕の視線に気が付いたのか、ナノジェムさんは微笑って片手を振った。
「普段なら騎獣軍の誰かが残っているから頼めるし、今なら……英雄殿が、もう気が付いているはずだよ」
「え、叔父さんが?」
「白竜を従えているS級冒険者だぞ? 白竜が反応したなら、その主だって反応する」
叔父さんは今は冒険者を休んでいるけれど、白竜が叔父さんの傍を離れない以上、それは限りなく現役と同じだと、ナノジェムさんは言う。
叔父さんが持つ能力はどこまで凄いのか――。
絶句する僕を安心させるように「だから大丈夫だ」と、ナノジェムさんは笑った。
「俺を気遣ってくれたんだろう? ありがとな」
「い、いえ、僕は……」
何と言っていいのか、分からなくなってしまった僕の不毛な会話を遮るかのように、強烈な風が地平の果てから吹き付けてきた。
「あ……」
思わず振り返った僕の目に、赤竜の集団が飛び込んでくる。
「――よし、皆、味方だな」
片手を目の辺りにかざして、遠くを見る仕草をしながらナノジェムさんが言う。
「分かるんですか?」
「竜の飛行の仕方にも個体差があるからな。自分が認めた人間以外が背にいれば、わざと振り落とそうと蛇行したりもするし、何らかの事情があって主が乗れなかった場合には、先頭に立って主の不在を示す。長いこと見ていれば、特徴だって掴めるもんさ」
特に辺境伯家の竜や王家の竜は、自分が認めた人間以外を拒否する傾向が顕著らしい。
「裏切り者とか罪人とかがいれば、そもそもまたがって飛べないってコトなんですね?」
「主が一緒なら、人を運ぶくらいはもちろんするさ。だが『何で』と聞かれると誰も答えられないだろうな。ま、少なくともそれが火竜騎獣軍の竜だと皆が認識している」
そして、なぜわざわざナノジェムさんがそんな言い方をしたかというと、だ。
軍団長さんが二人乗りをしていて……その右手が、ぐったりとなった少女の腰に当てられているのが見えたからだ。
「はははっ、美女といえる年齢でもないが、野獣と言っていい軍団長とはこのうえなく絵面が悪い……!」
「…………」
穏やかな竜のお世話係さんだと思っていたけれど、やはり元軍人ということか。
ギルさんに似た口の悪さがチラと滲み出ていた。
僕は聞かなかったことにして、ナノジェムさんから目を逸らした。
美少女と野獣。
同じようなことを思っただなんて……言えるはずもなかった。
早くリュート叔父さんが来ないかなと、内心で冷や汗をかいていたのだ。
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「ハルト!」
空に火竜の荘厳な行列が展開され、僕でも騎乗者の顔が分かるようになってきた頃。
ザイフリート辺境伯家の領主屋敷の中からリュート叔父さんが飛び出してきた。
「大丈夫か? 火竜らが飛ぶ風圧に巻き込まれたりしてないか?」
「う、うん、大丈夫。白竜も首長竜も大人しいし」
ポンポンと僕の身体のあちらこちらを触るリュート叔父さんに、思わず苦笑いだ。
「叔父さんこそ、エイベルさま置いてきてるよね⁉ 大丈夫⁉」
「ああ、問題児だった連中は、皆とっ捕まえた。なら、新人何人か残したところで問題ない。あの人、武力はからっきしだが妙な迫力があるからな。仮に不穏な動きがあっても、大抵の人間は、二言三言話せば退く」
「………」
武力だけが戦いではないと、エイベルさんを見ていると僕もそれを思い知らされる。
それはもちろん、武力で真剣にぶつかればリュート叔父さんが圧勝するだろうけど、毎回毎回血みどろの決闘騒動が巻き起こるわけじゃない。
叔父さんには叔父さんの、エイベルさまにはエイベルさまの強さがある。
(僕は僕の強さを手に入れなくちゃいけない)
――探偵事務所の助手への道のりは、長い。
「出迎えご苦労!」
火竜たちが一斉に地上へと降り立つ姿は圧巻だ。
仮に周囲に無法者たちがいたとしても、この光景を見れば回れ右をして逃げ帰るコト必須だ。
そうして先頭の火竜から、声を張り上げて降り立ったのが、アンヘル・ザイフリート火竜騎獣軍軍団長だった。
軍所属のナノジェムさんは、胸に片手の拳をあてて一礼しているが、そうじゃない叔父さんは、片手を上げてそれに応えているだけだ。
地位のある者に、むやみに阿らないのが冒険者。
それは〝竜を堕とす者〟とまで呼ばれる叔父さんだからこそ、許されている振舞いだった。
軍団長さんもその態度に怒ることはないし、多分建物の中に入った後も、エイベル様から叱られたりもしないんだろう。
だからと言って、僕まで同じように振舞っていいわけじゃない。僕は、あくまで叔父さんに保護されている未成年だというだけだ。
考えた末に――僕は目と上半身を使って、90度とまではいかないものの、深めの一礼を披露した。
僕も軍の人間じゃないわけだから、このくらいが未成年にとっての礼儀じゃないかと思ったのだ。
「――うむ!」
そして軍団長さんは三者三様の礼をその一言で受け止めたのだから、それは間違っていないということだ。
下げた僕の頭に叔父さんの手が乗って、くしゃりと髪をかき混ぜているところから言っても、僕はこの礼であっていたということだ。
叔父さんの手が離れたタイミングで、僕も頭を上げる。
「……っ」
そこで初めて、僕は噂の公爵令嬢の顔を見ることになったのだ。
…………気絶していたけど。