19 強面当主と軍団長
僕はそれまで、生まれ育った村と副都の商業ギルドや今の住居くらいしか、知っている建物の基準がなかった。
貴族の住む館がどういう場所なのか、よく分かっていなかったのだ。
口が開いているとギルさんに笑われながら長い廊下を歩いて、奥へと進んだ。
壁に絵が飾ってあったり、廊下には等間隔に高価な壺のような花瓶のような物が置かれていたり、天井までの高さは叔父さんの身長の何倍もあったりと、僕にとってはとにかく規格外の建物に足を踏み入れていたと言って良かった。
そして、奥のひときわ大きな扉をギルさんがノックして、僕と叔父さんもその後に続いて中に入って――アンヘル軍団長さんの、豪快な挨拶を受けた。
「おお、久しいなハルト! なんでも単騎で牧場からここまで飛んできたらしいじゃないか! ケガはないか⁉」
「はい、大丈夫です! あっ、えっと、軍団長さん、ご無沙汰しています!」
条件反射的に「大丈夫」と答えてしまい、慌てて「ご無沙汰しています」と、通常の挨拶に切り替える。
「ああ、そんなかしこまらなくでもいいぞ! なんなら騎獣軍の連中の方が、まともな挨拶なんぞ、せんヤツが多いからな!」
部屋の中の応接用ソファに腰を下ろしていたのは、二人。
左側のソファに腰かけていた、一人は僕も顔見知りの、アンヘル・ザイフリート火竜騎獣軍軍団長。
相変わらず、ギルさんや叔父さんを軽く凌駕する、鍛えられた体格の持ち主だ。
そしてソファの中央、最も上座に座しながら、こちらをじっと見ている男性がいる。
こちらは、アンヘル軍団長さんのような、恵まれた体格を持っているワケではない。
背は高いと思う。だけどどちらかと言えば、官僚と言われても納得しそうな、智謀が前に出た容貌だと言えた。
(まあ……顔はよく似ているかも)
アンヘル軍団長さんが、あと二十年くらい年をとったら――そんな、容貌。
「ふむ……其方が英雄の養い子か」
アンヘル軍団長さんとは、また違う迫力の持ち主だった。
「エイベル殿……俺は英雄と呼ばれるような人間では……」
気のせいか叔父さんも、商業ギルドにいる時よりも畏まった感がある。
「度の過ぎた謙遜は、貴族社会では嫌味と取られる。其方の場合、王都や王宮に顔を出せる身であるのだから、そのあたりは普段から意識をしておくべきだな」
「しかし……」
「其方の来たい、来たくないという感情は、王都の連中はいちいち忖度せんからな。毛嫌いするよりも手玉にとる練習でもしておけ。……ああ、すまない。自己紹介がまだだったな。私はエイベル・ザイフリート。ザイフリート辺境伯家の現当主であり、そこのアンヘルは私の三番目の息子だ」
向けられた視線に、僕は慌てて「初めまして、ハルトヴィンです」と、頭を下げた。
ハルトは愛称だし、この場ではハルトヴィン、とちゃんと名乗るべきと思ったのだ。
「うむ。アンヘルも言っておったかもしれんが、ここはザイフリート辺境伯家。家名で呼ばれると何人も振り返る人間が出てくるからな。私のこともエイベルで構わん」
「……えっと、僕、軍団長さんとしかお呼びしたことがないので……」
かと言って呼び捨てとか、軍団長さんよりエライのに「エイベルさん」もおかしい。
うーん……と悩んで、結局無難なところで「エイベルさま」と呼ばせてもらうことにした。
「そうか。まあ、それが其方が呼びやすいと言うのであれば、構わんよ。しかしアンヘルではないが、騎獣軍の連中よりは余程礼儀正しかろうな」
そう言って、エイベルさまは「ははっ」と、余裕のあるオトナの笑みを浮かべて見せた。
「ではハルトヴィン君」
「あ、えっと、ハルトで良いです。リュート叔父さんも、騎獣軍の皆さんも、皆そう呼ぶので」
「うむ、ではハルト。こちらに座ってくれ。今、飲み物も出させる」
エイベルさまの、テーブルを挟んだ向かい側のソファは空席だった。
僕と、隣に叔父さんがそこに腰を下ろして、ギルさんはアンヘル軍団長さんの後ろに控える形で、座らずに立つ方を選んだみたいだった。
「さて、それではあまり時間の余裕もなさそうだ。早速、どうしてここへ来ることになったのか、事情を聞かせてくれるか」
本来の作法から言えば、お茶が来るのを待って、それに口をつけて、お茶を褒めて……と諸々あるらしいけど、今は非常時。
それはここにいる誰もが分かっていたことで、僕がお茶を待たずに口を開いても、誰も咎めだてをしなかった。
それが作法から外れていると僕が知ったのは、全てが片付いて、家に戻ってから、叔父さんが教えてくれたからだ。
この時は、とにかく早く火竜でダドリーさんを追いかけてもらわなくちゃ!と、僕は訓練先の通称「竜の牧場」に、ギルド発着の幌馬車で一緒に行った少年二人が、騎獣の訓練に来たと嘘をついて、首長竜の卵を奪って、首長竜に乗って逃亡をしたとかいつまんで説明した。
な……と声をあげたのはアンヘル軍団長さんで、エイベルさまは無言のまま片眉だけを器用に動かしていた。
「あのっ、いきなり竜が飛んだせいで、テッドさんって言うB級冒険者の指導員さんがケガをして、幌馬車も壊れていて、御者さんもケガをしたみたいで、二人は竜の牧場から動けないんです。それでダドリーさん……もう一人の指導員さんが、自分が二人を追いかけるから、僕に、牧場から一番近いこの辺境伯領に飛んで、応援を頼んで欲しいと。それで――」
「そうか……訓練に来た素人と言っても、ハルトに託すしかなかったワケだな」
口もとに手をあてて、アンヘル軍団長さんがちょっと考える仕種を見せている。
リュート叔父さんは「頑張ったな」と、僕の頭の上にポンと手を置いて、撫でてくれた。
「――軍団長」
ギルさんは、どうしますか?といった態で軍団長さんの方へと屈みこんで、指示を求めていた。
「うむ。いくらB級冒険者と言えど、ケガをしているとあっては一晩その場で待機させるのもマズかろう。ましてもう一人御者もいるのだろう? 二人組を追って出た、その冒険者を追いかける手勢と、牧場で動けずにいる二人を手当する手勢、ここに残る手勢とに分ける必要はあるだろうな……」
そう呟いた軍団長さんは、それで良いか? と言った表情をエイベルさまの方へと向けていた。
そうか、軍団長さんは騎獣軍で一番エライ人だけれど、火竜騎獣軍はあくまでザイフリート辺境伯家の監督下にある。
エイベルさまの意向を無視して進めるワケにはいかないんだ。
僕は――ううん、多分ここにいる誰もが大小の緊張感を持ちながら、エイベルさまの発言を待った。