10 飛んで火にいる夏の虫?
食堂の入口が、妙に騒がしい。
何だろう、と僕とニールスが顔を上げると、ニールスよりは少し上、といった感じの少年が、入口のところで何か声高に叫んでいた。
「……んだよ! ここにロック鳥の卵が入って来たって聞いたんだよ! いいから調理して出せよ! 金なら出してやるって言ってんだろう⁉」
うわぁ、典型的な貴族のお坊ちゃん口調。
嫌な感じ満載だ。
僕だけでなくニールスも、眉間に皺が寄っていたと思う。
「何が『昼間は定食だけ』だよ、料理人の分際で! おまえらみたいなヤツらは、言われたモノだけ調理して出せば良いんだよ!」
食堂内の空気が、音を立てて冷えていっている事に、あのお坊ちゃんは気が付いていない。
料理人を馬鹿にしているようで、その実、今のセリフは貴族以外の職業全てを下に見ていると広言したも同然だからだ。
あれ以上暴言を吐けば、冒険者たちだって敵に回すだろうにと思いながら、僕はあえて入口からは目を逸らして、ニールスの方へと顔を寄せた。
「最近、ロック鳥って持ち込まれたりなんかしたんだ?」
一般に流通する肉類としては、猪、豚、鶏なんかが主流だ。
上位種でもない限り、決して高く売れる魔物ではないにせよ、C級以下の冒険者たちにとっては重要な生活の糧になる。
当然持ち込まれる割合としても、それらはかなりの部分を占めている。
そしてロック鳥は、それらとは一線を画している。
竜ほどの強さは持たないにしても、飛行する魔物の中では、上から数えた方が早いほどのランク付けだ。
どちらかと言えば、死体が薬や装飾品にされがちな竜種とは違い、ロック鳥は高級肉に位置づけをされている、食用種であり、持ち込んでくるのも、B級A級冒険者。つまりはそれだけ、見る機会が少ない魔物であるはずなのだ。
持ち込まれれば噂の一つも出るだろうに、僕にはその記憶がない。
あまり大きな声を出して、余計な注目を集めるつもりはないので、僕は声を落としてニールスに問いかけた。
そんな魔物が持ち込まれていたなら、解体部門で研修中のニールスが知らない筈がない。
「…………いや」
そのニールスは、ただお坊ちゃんの態度が不快で眉を顰めていた僕とは違って、驚くほど険しい顔つきで、入口へと視線を向けていた。
「アイツ……どこの家門の子だ?」
「ニールス?」
「関連素材は全て『王宮預かり』案件になっている。ロック鳥の卵も、その一つだ」
分かるだろう?と囁き返されて、僕もハッと目を見開いた。
王宮預かり案件とは、持ち込まれた素材が、他国や自国の貴族・王族絡みの品物だったり、出所不明、持ち込み者の素性が不明な、上位の魔物素材だった場合に、解体も販売も全てにおいてストップがかかる素材を指して言う。
つまりは、確かにこのギルドの奥で保管されているとは言え、王宮からの指示があるまで、手を付けてはいけない素材と言う事になるのだ。
「と言う事は……例の、宝石竜の卵の行方不明に絡んで発見された品物ってコトか……」
僕の呟きに、ニールスも「ああ」と短い肯定を返す。
「だから、情報も制限されている筈なんだけどな……」
「ギルド長か副ギルド長呼んで来た方がよくないか?」
「いや、それならもう厨房の裏から誰か走って出たよ」
当然厨房でも「ロック鳥の卵を使った料理を出せ」と言うのが、王宮に弓引く案件である事は把握をしているんだろう。
入口で怒鳴る少年と護衛の注意をロブさんに引き付けておいて、一人ギルド長室に走らせているのなら、その時点で騒動の半分は収まったと言っても良い筈だ。
それにロブさんも、食堂の料理人とは言っても、C級冒険者の資格は持っている。
食堂で起きるトラブル対処も兼ねて、普段から相当に鍛えている人だ。
休みの日なんかは、かなりの確率で自分で素材を採りに行ったりしている。
パッと見、あの貴族のお坊ちゃんではまったく太刀打ち出来そうにない。
護衛にしても、お金で雇われた冒険者崩れくらいにしか見えないからだ。
「どこの誰かは知らんが、ここでは貴族の権威は通じない――だと⁉ 偉そうにっ! 僕の父親はルブレヒト侯爵だ! こんなところ、あっと言う間に全員の首を挿げ替えてやれるさ!」
「――――」
その瞬間、食堂にいる大半の人間の表情に「コイツ、バカだ」との呆れが浮かんだ。
多分、浮かばなかったのは冒険者ギルドでの講習を受けた事がない下働きの従業員や、駆け出しの冒険者、普段からあまり深く物事を考えない脳筋人種たちくらいだろう。
「あら。そんな風に言うからには、君自身には冒険者ギルドへの登録はないってコトで良いわね?さしずめ後ろの護衛が持つカードをひけらかして、入って来たってところかしら」
食堂が静かになっていた、その隙間を縫う形で、朗々とした女性の声がそこに響き渡った。
そして「コイツ、バカだ」と表情に書いていた全員に「アイツ、終わったな」と、次に嘲笑が取って代わっていた。
そう、嘲笑だ。
ご愁傷様、と言い換えても良いのかもしれない。
「なっ、なんだお前! 聞いていなかったのか、僕の父親はルブレヒト侯爵だと言っただろう⁉」
きっと、今までに行った事のあるレストランや仕立て屋、あちらこちらでは、全てがそれで通じていたんだろう。
何ならその瞬間、もみ手で媚を売ってくる様な店だってあったかもしれない。
「あらそう……こういうの、なんて言ったかしら。以前にリュートが、自分の住んでいた国の言い回しだって、討伐クエストを一緒にこなしていた途中で聞いたコトがあったのよね」
突然、叔父さんの名前を耳にした僕も、思わず逸らしていた視線を入口に戻してしまった。
「ああ、そうそう。思い出したわ」
入口には、パンッと両手を勢いよく合わせたギルド長が、にこやかにそこに佇んでいた。
「飛んで火に入る夏の虫――自ら進んで災いの中に飛び込んでくる、おバカさん。ようこそ、冒険者ギルド本部へ。たーっぷり、躾してあげてよ?」
その言葉と笑顔に、食堂の中にいた男性冒険者の多くが、顔色を変えて身体を震わせていたのは、気のせいじゃないだろう。
僕だって、背筋が寒くなったくらいだったんだから。