悪魔は恋を知らない ~『転生したら悪魔憑き悪役令嬢だった』幕が下がったあとの話
隣国の侯爵として現れたボヌムスムは、人間としてその地位を手に入れたそうだ。悪魔の力を使えば一瞬で公爵にも王にもなれるというのに、マルムエルのようなボロが出たら私が困ると考えたらしい。
両親もすっかり彼を気に入り、良縁だと喜んでいる。ボヌムスムは人を甘言で堕落させる悪魔だからなのか、口が上手いのだ。
ちなみに彼は、アルフォンス・シュペルヴィエルという名を名乗っている。
ボヌムスムはしばらくうちに滞在して私の親戚と顔合わせをして、それが済んだら私と両親と共に彼の領地に戻り、挙式を上げる予定だ。
再会の日は喜びのうちにあっという間に過ぎて、私と彼は明日ふたりでやりたいことを沢山約束をして、それぞれの部屋に引き上げたのだった。
寝仕度も済みメイドが部屋を下がる。
ベッドの中で目を閉じて今日の幸せを反芻していると、するりと頬を撫でる感触。
驚き目を開けると、ベッドに腰掛けたボヌムスムが笑顔で私の顔を覗きこんでいた。
「……どうしたの?」
「デボラが足りない」とボヌムスム。
半身を起こすとボヌムスムは私の手をとって、チュッチュとキスをした。
「紳士的な行いではないわ。夜中に婚約者の部屋に忍び込むなんて」
「怒っているのか?」驚いたように目を見張る悪魔。
「私に合わせて人間のふりをするなら、不適切な行いよ、と言っているだけ。会いに来てくれて嬉しいわ」
「そうだろうとも。この私が訪れてやったのだ」
ボヌムスムは空いた手で私の頬を撫でた。
「不思議なのだ。お前に触れていたくて仕方ない」
「……そう……」
甘い雰囲気に胸がドキドキする。一年前ボヌムスムがこの部屋で療養していたときもやけに私に触れていたけれど、何かそれらしき言葉を言われたことはなかった。
「人間を堕落させるために誘惑するのは得意なのだがな。それとは違う。私自身が触れたくて我慢できん。こんなことは初めてだ」
そう言って彼はまた私の手にキスをする。
「……今のお話、前半部分は引っ掛かるけれど、とりあえず流すわ」
すごく腹立たしいけれどね。仕方ない。彼は悪魔なのだ。
「後半部分の答えは簡単なのに、ボヌムスムは言葉にしてくれないの?それとも本当に分かっていないの?」
「お前は分かるのか。何故こんなにお前に触れたいか」
どうやら悪魔は本気で分かっていないらしい。
「それはあなたが私を好きだからよ」
「え。まさか」悪魔は目を見張る。「この私が人間のような愚かな感情に振り回されるはずがないではないか」
「……本当?」
「当然」ボヌムスムは胸を張った。「悪魔には恋だとか愛だとか、そんな下等な感情はない。我らは我らの存在意義のために存在するのだからな」
「……そう」
ボヌムスムに握られっぱなしの手を引っ込めて、私の頬に触れている彼の手もそっと払った。
「では私に触れないで。私はあなたを好きだし、あなたが私を好きなのだと思ったから触れさせてあげたの。違うのならダメよ」
驚愕の表情をした悪魔はワナワナと震えている。相変わらず仕草が大仰だ。
「……いや、だが。……触れたい」
「ダメ」
「どうして!」
「好きでもない人に触れるのは誠意がないわ」
ボヌムスムは手を宙にさまよわせながら、情けない顔をしている。
「どうして人間として暮らすのは良くて、人間の恋愛感情が嫌なの?」
「暮らすのは私の意志。感情はそうじゃない。レベルを人間に落とすことになる。この悪魔侯爵のボヌムスム様が。仲間にも嘲笑われる」
「差が分からないわ。人間のふりをして暮らすのは、笑われないの?」
「うむ。人間を堕落させたり契約したりする上で、よくあることだ」
ボヌムスムは大きなため息をつき肩を落とした。
ちょっと意地悪が過ぎただろうか。私はこの悪魔が好きだ。昼間、一緒にいたいと言われたときに自覚した。私も一緒にいたい。触れられると嬉しい。
「ボヌムスム」
呼びかけるのと、彼が顔を上げるのは同時だった。その目は力強かった。
「笑われても構わん。誇りもいらぬ。私はデボラと一緒にいたいし看病されたいし、触れたい。これが好きということなら、私はお前が好きだ」
──こんな熱烈な告白があるだろうか?
この人が悪魔だろうがなんだろが、そんなことはどうでもいい。
「ありがとう。私も好きよ」
ボヌムスムが顔いっぱいで喜びを表してくれる。
人間よりもよっぽど感情に素直だと思うけど、分かっていないのだろうか。可愛い悪魔だ。
「触ってもいいか?」とボヌムスム。
「どうぞ」
と答えると彼はまた私の手を取って、軽いキスを何度も繰り返す。
「……そろそろ手がふやけそうよ」
「そうか?」と悪魔。「全然デボラが足りない。満たされない」
悪魔は私をまじまじ見つめ、手を伸ばすと今度は唇に触れた。
「……実はこちらに口づけしたいのだ」
「……しないの?」
「不思議なのだが胸が苦しいし、このボヌムスムともあろう私にためらいがあるのだ」
「緊張しているのよ、きっと。私もだもの」
「緊張とはなんだ。いや、何でも構わん。しても良いか?」
「庭で話したときから、ずっと待っているけれど?」
「そうか、それは気づかなかった」
悪魔は再び嬉しそうに笑うと、ゆっくりと顔を寄せてきた。