-ジェネラリスタ研究録「異世界での言語について」-(中編)
宿屋への道すがら、みーすけが訊いてきた。
「ね、かーくんはあの女の人になんて聞いたの?」
「……嘘だろ? 中学生レベルの英語だぞ?」
「ぼくが英語苦手なの、かーくんも知ってるでしょ」
膨れっ面でみーすけが言う。英語のテストで赤点を二年連続取り続け、補習のたびに英語の先生から「君は生粋の日本人だな」とバカにされていたらしい。最初は誉め言葉だと喜んでいたが、俺がそのことを指摘するや否や、職員室までカチ込みに行っていたことがあった。
「『貴方はとても美しい。結婚してください』って言った」
「ななななんですと!? かーくんってば、初見の女の人に求婚しちゃう人!?」
「嘘だぞ」
「嘘なの!?」
こんなのにも騙されるほどに英語力が無いのである。この様子じゃ、大学受験にもさぞ苦労しそうだ。
「『すいません、宿はどこですか?』って訊いたんだよ」
「今度は本当?」
「本当だぞ」
「なるほどー」
うんうん頷いていた。たぶん、もう一回くらい嘘をついてもバレなさそうだった。
「なんで英語で聞いたの?」
「なんでだと思う?」
みーすけの疑問に対し、俺は逆に問いかけた。
「うーん……」
みーすけは顎に手を当て、思わせぶりに考え込んでから、
「英語でも通じると思ったから?」
「正解。勘が良いじゃん」
「へへ、褒められた」
ん、と頭を突き出してきた。みーすけがこうする時は褒めてくれ、撫でろというサインだ。俺はしぶしぶ頭を撫でながら、すれ違う自転車二台を目で追った。俺たちの世界のものとあまり変わらない形だった。自転車に乗った子供たちが、「今日は何して遊ぶ?」「公園行きたい」「えー僕ん家で遊ばない?」などと他愛ない話をしていた。
ひとしきり撫でられて満足したらしいみーすけが、胸のペンダントをいじりながら訊いた。
「じゃあ、なんでかーくんは、英語でも通じると思ったの?」
「それなんだがな」
俺は一度大げさにもったいぶってから、
「この異世界の人たちは、そもそも日本語を喋っていないかもしれない」
「え、ええー!?」
みーすけが大層驚いていた。
「で、でも、ぼくが分かるくらいには日本語ペラペラだったよ!?」
「たぶん、英語もペラペラのはずだ」
俺は言いながら、左右を見渡す。なるほど周囲の家屋はレンガ造りが多く、ヨーロッパをイメージさせるようだ。温暖差が激しい地方なのだろう。それだけメモに書き殴ってからみーすけに向き直る。
「俺は広場で会った初対面の女の人に、英語で話しかけた。普通、英語で話しかけられたら日本人だとは思わないよな?」
「うん。アメリカかイギリスのひとかな? って思う」
「だろ? でもあの女の人は俺の問いかけに日本語で返した。言葉が分からないなら訊き返すだろうし、英語ができるんなら英語で返すだろ。なんで俺の英語に日本語で返したのか気になったんだ」
みーすけが混乱している様子が見て取れた。目が見開き口があんぐりと開いている。頭に?マークがいっぱい浮いているのだろう。
「つまり、この世界の人が喋ってる言葉は日本語でもなんでもなくて、俺たちには全部日本語に聞こえるってだけなんじゃないか、ってな」
「え? え? どういうこと?」
「簡単に言えば、この世界の人たちの口と耳に翻訳機をくっつけてるようなもんだと思ってくれればいい。日本でも芸能人がCMやってただろ。自動で言葉を翻訳してくれるやつ」
「あー、あれね。ぼくも英語の授業で使いたい」
「絶対怒られると思うぞ」
カンニングと同じだ。
「じゃあじゃあ、この世界の人たちは、どんな言葉を聞いても意味が分かるし、どんな言葉で喋っても意味が伝わるってこと?」
「そうなるな」
「ほんとかなあ?」
珍しく疑りぶってから、
「さっきの人が、たまたま日本語と英語に強かっただけなんじゃないの?」
「……む」
みーすけにしては、ずいぶん的を射た発言だった。
「じゃあ、試してみるか?」
「へ? 何を?」
「どんな言葉でも通じるってこと」
俺は適当に周辺を探すと、昼間から飲んだくれたおっさんがいた。スーツをだらしなく着崩した――俺たちと同じ年の取り方であれば四十代くらいの――男が、どこぞの家の壁に寄りかかり、ゲロゲロ吐いているところだった。学歴や教養などという言葉は実に縁遠そうである。無論、初対面だ。というか、あんなのと知り合いになりたくない……。
「みーすけ」
「なーに?」
「何か好きな言葉を作ってくれ」
「なんでもいいの?」
「いいぞ」
みーすけは、そうだなー、と考えてから、
「カークンラブラブウッフーン」
「死語ばっかりだしなんで俺の名前なんだ」
「かーくんと幸せな余生を暮らしたいですって意味」
「重いわ!」
「カークン・ムラムラ・ムッツリスケベーン」
「誰がムッツリスケベだ」
「ワサービ・カオニヌルノ・ヤメテクダサーイ」
「根に持ってたんかい!」
多分こいつ俺で遊んでるな? と気づいたのは、八個目の単語「カークン・キョニュウ・ダイスキデース」を拒否した時だった。幼なじみは人の性癖まで完璧に把握してやがるから困る。
「他なんかないのか……俺もう疲れてきたんだが……」
「ギュドドンムッシャー」
「……意味は?」
「牛丼食べたい」
「お前、さっきサンド食ったばっかだろ……もうそれでいいや」
俺ははあ、とため息をついてから、先ほどゲロっていたおっさんの方を見た。おっさんはようやく胃の中の物を出し終えてすっきりしたのか、天を仰ぐように顔を上げて座っていた。
「あのおっさんに、そのギュドドンムッシャーって話しかけてみろ」
「えー、ぼくがー?」
「俺の助手だろ」
「こういう時だけ助手扱いするのは卑怯だと思うんだよなー。へいへい、わかりましたー」
みーすけはぶすくれた顔でのしのしとおっさんの方へ歩いていく。おっさんもみーすけの存在に気づいたようだ。
みーすけはおっさんを見下ろしながら、言い放った。
「ギュドドンムッシャー!」
遠くから聞いていても意味のわかんねー単語だと思った。
そんなみーすけの意味不明な言葉を聞いたおっさんは、
「牛丼が食いたいんだったら牛丼屋に行けよ。オレは今吐いてすっきりしたばっかりだってのに……うぇっぷ」
おっさんはそう言って、また壁に手をついてゲロゲロ吐き始めた。みーすけが逃げるように戻ってくる。青々しい梅の実を丸ごとかじったような、すごく渋い顔だった。
「うぇー、なんであんな酔っぱらいのところにぼくを押し付けたのー」
「通じただろ?」
「通じたって何が……あ」
どうやら、みーすけも気づいたようだった。
みーすけの考案した「ギュドドンムッシャー」という造語は、この世界で……いや、すべての異世界中を見渡しても俺とみーすけしか知らない単語であるはずなのだ。本来なら絶対に通じるはずがないのだが、通じるはずのない言葉が通じた。俺は確信を持った。
つまり、こういうことだ。
伝えようとする言葉に意思さえあれば、この世界の人には必ず正しい意味で伝わる。
その言葉に法則は関係ない。口から出た言葉に「こういう意味がある」という語り手の感情を汲み取って理解するだけの力が、彼ら異世界人には当たり前のように備わっているのだ。極端に言えば、「カレー」と発言したとしても、「ラーメン」という意味で言ったつもりであれば、相手には必ず「ラーメン」と伝わる、ということだ。
ついでに言えば、俺の英語をみーすけが聴き取れなかったり、みーすけの造語の意味が俺に分からなかったりしたことを鑑みるに……俺たちにはそういう能力は備わっていないようだ。
「これは楽しくなってきたぞ」
俺はニヤリとほくそ笑む。
異世界人に日本語が伝わる仕組みは理解した。
ならば研究家として、次に気になるのはただの一点しかない。
何故、彼らにそんな能力が身に付いているのか?
俺は理由が知りたい。異世界人が、このようにすべての言葉を正しく理解できてしまう理由を。
「宿に荷物を降ろして、図書館に向かうぞ」
「ええー!? ぼくちょっと休憩――」
「晩飯、たっぷり奢ってやるから」
「ひゃっほー!」
晩飯というワードを聞くや否や、ニンジンを目の前にしたウサギのように元気よくステップを始めるみーすけだった。