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第1曲:道ひとすじ

 旋盤でヤッたというその古希の右手には、親指と人差し指がない。中指と薬指で挟んだタバコを吸い、天井に向けて吐き出した。ため息。

 Winstonキャビン赤5mg。

 タバコにはめてある"それ"が離煙パイプなら、本人は如何やら禁煙を視野に入れている様だ。中毒ならば本人の力では止められないが、その吸う頻度からは何時でも止められそうである。

 年金を貰ってるからだ。その年金の使い道として持て余しているに違いない。少なくともプールしている分があり、その金銭的余裕がタバコから離れられない理由でもある。パチンコからも離れられない。

 彼の名をやましろけんざぶろうという。ヤマケンやらサブローのあだ名で怖れられた元ヤクザもんである。


 ゲーセンとカラオケを兼ねる流行らない店、ハイパーヒーロー。

 その4号室で、まつゆきあきらはカラオケ教室に参加していた。好きかと訊かれれば、嫌いだと彼は答えるのだろう。嫌々かと思いきや実はそうではないが、目的があった。


「師匠、誇れる男に僕はなります!」

「誇れる男じゃなくて、お前は埃だらけの男じゃい!」


 健三郎の冗談に、反対側に座っているざかすすむが笑った。くっきり二重に吊り眉毛、色白な肌、アッシュなヘアカラー。やんちゃ坊主という風体に、チンピラだと言われても特段に文句の付けようはない。

 真顔は怖い。笑えば抜群なその愛嬌に、心を許してしまう人が多い。

 それ故に怖い。人はそれをカリスマ性と呼ぶ。信の様に断言する事も一つの要素だが、信の場合はそれが上手く馴染んでいない残念な例である。


「払ってあげましょうか?」

「丞くん1,500円だ」

「バカタレッ! 何が1,500円だ、年上が年下に奢らせるもんじゃない! 綺麗な金の使い方をしなさい。信、お前が丞に奢る位の気概をみせてみろ!」


 健三郎が信に怒鳴った。


「師匠、失礼しました」

 反省の色を見せる信に、健三郎は追って言うことはなかった。


「だったら今度あそこに飲みに行きましょう、信さんの奢りで」

「僕は飲まないし、吸わないよ」


 漂っている副流煙を鼻元で軽く散らす。健三郎の視線を掻い潜る様に。この副流煙は曲者でちょっとあしらえば隅に追いやれる訳ではない。既に副流煙に包まれていることに、愚かにも信は全く気が付いていないのだ。


「吸わないけど、俺は飲むね」


 対照的に丞は副流煙を気にする素振りを全く見せない。こういう場ではすべきでないことが分かっているのだ。副流煙は有毒、それは承知している。健三郎から出たモノは健三郎同然である。健三郎が吐いた副流煙を払うという行為は健三郎の頬を叩くのも同然なのだ。曲がりなりにも弟子だ。信よりも早く弟子になったことだけはある。

 

 ダムチャンネルのシーエムが響く。気が散る程にい。


「メメちゃんは元気かえ?」

 健三郎は猫撫で声で言った。


「元気ですよってか今日、来ます」

 信がスマートフォンで確認すると、

「うん来ますね来ます。そんでここ終わったら……えっ、マジか。店に連れて行かれるみたいです。金無いのに無理な話ですわ」

 信は嘆いた。金に執着しているのだ。


「お前らは出さんでええ」

「マジっすか!? ありがとうございます!」


 信と丞は嬉々として頭を下げた。

 健三郎が慣れた手付きでリモコンのパネルをタッチし始める。右手の人差し指が無いので中指で。


「師匠、どれですか僕が入れましょうか?」

 信が腰を上げてそのパネルを覗き込む。


「ええけ、信は座っとれ」


 健三郎の右手が信の肩を押さえ付けた。

 彼の右手が動く先を信は無言でまじまじと見ていた。


「み」――

「ち」――

 ――「ひ」

「と」


 嗚呼、福田こうへいの『道ひとすじ』だと、信は思う。良い曲だとも思った。


 だだだだだぁ~ん、たららららぁ~んてててれれれれぇん♪

 たららららぁ~ん、てててんてれれれぇん♪

 てゅるるるぅ~てゅ~るるてゅてゅ、てゅるるるぅ~♪


 健三郎は笑顔で歌う。口角を上げている。苦労の歌でさえも笑って歌うのだ。

 健三郎の言葉には重みがある。それ故に心にじんと来る。

 そして歌っている。どの様にしてか、歩く様にして!


 歌い終えた健三郎がお辞儀をした。

 拍手喝采。信と丞は健三郎を賛美した。


「ええか、ええ声ってのは褒め言葉じゃないんよ。味が無いとダメ」

 健三郎は渋い顔で頭を振った。


「味ってのは感情よ。俺の声は汚い。だけど言葉が違うだら? 子音が入っとる。子音は英語の発音。吹き替えのセリフを喋る声優や漫才師、アナウンサーがそれに秀でとる。外国人が日本のウタ歌ったらごっつええぞい」


 丞がしみじみと頷いた。


「丞、お前はええ声を持っとるわ」

 丞の顔は一瞬で強張った。その意味がよく分かるからだ。


「信はまあ……経験が歌のコトバに出て来る。全てはお前ら経験不足なの! 分かったか! 歌は性格が変わらんと直らんし、心を磨かんと上手にもならん。心が変わらんと歌は変わらんの。ここは道場なんだけ、失敗したらええ。失敗してもええんだけ。失敗の無い成長は無い。失敗せんと成長でけへん。全てが授業料だけん、ええな?」


 丞と信は口を固く閉じて頷くばかりだった。

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