II 5月(1)
田中正彦は1号館の学食にいた。
例によって広瀬も土井も一緒だった。
けれど、加藤ことヒデカズや、恵子がお昼をどうしているのか、田中は知らずにいた。
知らないままの方がよさそうだと思ったからだった。
*
5月になっていた。
ふと気がついたら、桜をきちんと見ることもないまま4月は過ぎてしまった。
今年の桜は3月の終わりから咲いていた気がするが、田中にはもはや過去のことなのでどうでもよかった。
田中は桜にはたいして興味がなかった。
花見の席でアルコールが飲めるかもしれないということには関心があった。
最近は口にしてないが、夜中の部室でビールを飲んだのはなかなか楽しい記憶だった。
今年は手遅れだったので、その辺は来年に回しておこうと田中は決めた。
*
入学からひと月が経ち、田中はずいぶん学校に慣れた。
ゴールデン・ウイークで4月の終わりにやや休息が取れたこともあって、コンディションは良好だ。
唯一の心残りは、4月中にアルバイトを決められなかったことだったが、学校に慣れるのを優先したから仕方がない。
田中はこの理由で手を打つことにした。
「必修はともかくとして、一般教養はほとんどかぶんなかったな」
田中はA定食を食べながら言った。
「わざわざ揃えることはないしね。各自、興味がある講義を取れたら、それでよかったんじゃない」
広瀬が応えた。
すると土井が続いた。
「さすが広瀬、冷静な意見だ。けど、ボクはいちばん取りたかった科目が必修とバッティングして取れなかったんだ」
「そいつは残念だったな」
田中は土井に言った。
「田中はパンキョーの科目があまり一緒にならなかったことを気にしてんのか? そんなに広瀬やボクと一緒にいたかったとは」
「バカを言うな、土井」
「違うのか。田中は見かけによらずさびしがり屋なのかと思ったよ」
突っ込んでは来たが、土井はまだ元気になっていない。
田中はそう感じた。
(それにしても、照れ屋とか、さびしがり屋とか、オレのイメージはガタガタになっちまいそうだな)
田中はしょんぼりしながら定食を食べ終えようとしていた。
土井はB定食を食べていた。
広瀬はたぬきうどんに生卵を入れて食べていた。
田中より先に食べ終わった広瀬は、食器を片付けがてらサーヴァー・マシンからお茶を三人分ついで戻ってきた。
「お、気が効くな、広瀬。サンクス」
田中はすぐにお茶を飲み始めた。
広瀬が食器を片付けに行った頃、田中は定食を食べ終えていた。
「田中は偉そうにしてんなあ」
土井は食べ終えると言った。
すぐに広瀬が応えた。
「それが田中だよ、土井」
「なるほど。お茶ありがと、広瀬」
「これくらいいいよ」
広瀬は土井に返した。
今はこのタッグ・チームと戦わない方がいいだろう。
田中は冷静に判断した。
(大事な決戦ほどあとに残しておくものだからな)
田中の頭には年末の一大イヴェントである全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」のことがあった。
昨年度のスタン・ハンセンとテリー・ゴディ組のようにそのうち圧倒してやるから覚悟しとけよ。
田中はひとりであるくせにタッグ・マッチのような気分でいた。
田中はプロレス好きでもあった。
* * *
今の田中は見ず知らずの同僚ばかりいる「現代文学史」の教室にいた。
言わばシングル・マッチである。
午前のふたコマ目、田中が選んだパンキョー科目のひとつであった。
(ここではおとなしくしてればいいさ)
田中はそう考えていた。
教室に入ると、田中は向かって右から2列目、うしろから三つめの席に落ち着いた。
うしろの方に陣取ることは、今のところ問題なくできていた。
既に2回講義を受けている。
勝手はだいたい分かってきた。
田中はこの講義を面白く聞くことができた。
だからおとなしく聞いていようと思えたのだった。
* * *
どうして田中はこの講義を取るまでに至ったのか。
理由はシンプルだった。
土井と広瀬から「モノミユサン」、いや、国語力について突っ込まれたからだった。
パンキョーで国語に関係しているのであろうと田中に思われた科目はいろいろあった。
手始めに文法、音声学。
これらが自分に不向きであるなんて田中は思わなかった。
日本語なのだから分からんはずがない。
そう思っていた田中はこのふたつの講義の1回目を覗いてみた。
いつかは通らなくてはいけない道でもあった。
田中は軽い準備運動のようなノリでそれらの講義に臨んだ。
さっぱり分からなかった。
田中は素早く気を取り直した。
国語関係とは言っても、古典絡みでは意味がない。
現代文についてのものでないと。
そう考えてさらに調べを進めると、今年の時間割で田中が履修可能な現代文にまつわる科目は「現代文学史」だけしかないと分かった。
これを履修したところで「モノミユサン」は無関係と言ってよかったが、とにもかくにも現代文系の科目ではある。
田中はそれで充分ということにした。
* * *
現代文学史。
その対象範囲は昭和以降の日本のものだった。
初回の講義は手始めに、導入として昭和に至るまでの文学史の流れをかいつまんで進んだ。
講師の先生はマイクを使っているので話がよく聞こえた。
*
明治期に二葉亭四迷の『浮雲』に代表される言文一致体がそれまでの文語体に取って代わり、やがては森鴎外ほか夏目漱石も含む多数の作家が、普通に言文一致で文章を書くようになった。
志賀直哉は白樺派を代表する作家で、若い日には武者小路実篤共々漱石に心酔していた。
志賀の『城の崎にて』は大正期に書かれた。
そんな話が次々と聞こえた。
田中にしても、たぶんそうしたことは中学、高校の授業で聞いたに違いない。
出てきた作家や作品名はなんとなく耳なじみだった。
そこまでだった。
田中にはそれ以上の知識は身についていなかった。
当時の田中は文学史に興味がなかったのだ。
そのためか、この日は先生の話がとても新鮮に聞こえた。
片岡義男の『湾岸道路』のことを思い出すくらいには頭が回っていたのかもしれない。
(『城の崎にて』の文庫は妹にあげたんだっけな……)
そんなことまでが田中の脳裏に浮上してきた。
心の森の奥の湖にいる魚は気まぐれだった。
* * *
田中は中学生の頃、国語の教科書に載っていた志賀直哉の短編『城の崎にて』をどういうわけか気に入った。
のちにそれが収録された文庫本を自宅の近所の小さな書店でわざわざ買ったくらいであった。
これが田中の文庫本デヴューだった。
田中にとって『城の崎にて』は特別な思い入れがある短編小説になっていた。
蜂や鼠、そしてイモリ。
死に様と生き様。
当時の田中にとって、作品に込められた深い意味が分かっていたとは言い難かったが、志賀の文章は自分に寄り添ってくれていると感じられた。
文庫本の解説から「白樺派」を知り、武者小路実篤という名前も知ることになった。
かといって、そこから踏み込んで文学にいそしむほどにはならなかった。
知ることと読むことは田中にとって関連がなかったのだ。
* * *
高校3年のとき、田中はなんとはなしに思い出して、部屋の本棚に埋もれていた志賀直哉の文庫本を、買ったばかりの青いバッグに忍ばせたことがあった。
バッグには他に筆記用具と弁当ぐらいしか入ってなかった。
教科書やノートは当然のように机やロッカーに置き去りにしていた。
物理の時間に教科書の陰で志賀直哉を読んでいた田中は、斜めうしろの席にいた悪友の杉山から、休み時間に話しかけられた。
── 熱心に何を読んでたのさ?
田中は自宅の近所にある小さな書店のカヴァーをかけた文庫本を黙って渡した。
杉山は表情を変えずに書店のカヴァーをめくり文庫本体の扉だけちらっと見ると、田中にそれを返した。
── 田中はバイクが好きなんだよな?
当時の田中は兄に譲ってもらったスクーターにこっそり乗っていたが、杉山は1年のときから三年間クラスメイトであり、ほとんどのことはお互いによく話して知っていた。
高校時代の田中はオートバイについて壮大な計画があった。
いずれはバイトでもしてまずは中型免許を取得し、250ccを手始めにだんだん大きなヤツに乗ってやろうと企んでいた。
田中は杉山にそのことも普通に話してあった。
杉山に「125は省略か」と訊かれたとき、田中は「無論な」と答えたことを記憶していた。
そしてもうひとこと言ったのだ。
「オレの目標はナナハンだからな」、と。
── 明日バイクが出てくる小説を一冊持ってきてやるから、読んでみろよ。
そう言った杉山が翌日持ってきたのは、志賀直哉の短編集の倍以上の厚さがある文庫本だった。
赤い背表紙に白い文字で『湾岸道路』とあった。
帯がついており、そこには「映画化!」という大きめの文字が見えた。
── 厚いからってびびることないぞ。片岡義男は読みやすいんだ。
田中はこのとき片岡義男という作家を知った。
杉山に借りた厚い文庫本を、田中は帰宅後すぐに読み始めた。
特に読書好きというわけではない田中でもすらすら読むことができた。
杉山に借りたその日のうちにあっさり読み終えてしまった。
杉山が言ったとおり、確かにバイクが出てくる内容だった。
だが、ストーリーはうまく理解できなかったし、出てきたのはハーレーダビッドソンで、当時の田中にとっては夢のまた夢でしかないバイクだった。
登場人物のようにハーレーにまたがって旅に出るなんて、田中はうまく想像できなかった。
── どうだった?
翌日、杉山に『湾岸道路』を返すと、当然の質問が田中に向けられた。
そのときどう答えたのか、田中は覚えていなかった。
何かうやむやなことを言った気がする。
すらすら読んではみたが、それ以上でも以下でもない。
作中の男女の関係が理解できなかったのも大きな理由だった。
そんな自分をどう言ったらいいのか、当時の田中は分からなかった。
── 田中にはまだ早かったんかな。
杉山にそう言われたことは覚えていた。
まだ早いというのはどういう意味だろうと疑問に思ったことを思い出した。
(読書らしい読書をすることはほとんどないままだったからな)
田中は志賀直哉からつい連想してしまい、心の森の奥の湖で魚たちが活躍することになった。
にしても、どうしてそんなことを思い出したのだろう?
田中は答えを想像してみた。
(おそらく自分の中に文学系の記憶はこの程度しかねえってことだな)
杉山とは馬鹿話ばかりしていた。
飽きることなく続いたものだが、話題のほとんどは他愛もなく忘却の彼方だった。
小説について話したのはこの一度きりだったから印象が強かったのだろう。
田中は結論づけることにした。
(文学どころか、サッカー部やバイクに関する記憶ばっかりだ、まったく)
田中正彦はより一層この大学に合格できた幸運に感慨を抱くのであった。




