III 6月(3)-11
やや間を空けて佐野の言葉が続いていた。
「周りにいた子や友だちにはね、そういうイヴェントを楽しんだり、男の子とつきあってる子だっていたのよ。そうした子たちから話を聞いて相談に乗ってくれないかって頼まれたことはあるの」
「はあ」
田中は今回も間の抜けた相槌をしていた。
「でも、自分に経験がないのに、相談されても答えられないと思わない?」
「そんなもんかね」
「経験があればね、自分の場合はこうだったからって言い方で話ができるけど、なんにもないとただの無責任な想像にしかならないでしょう?」
「相談なんてされた覚えがねえからよく分からんのだが、なんでもかんでも経験がある人間なんていねえだろうよ」
「あ、さすが経験者、いいこと言うわね」
「はあ? オレは普通に考えて当たり前だと思ったことを言っただけなのだが」
「そこなのよ、肝心なのは」
「はあ」
「同じ言葉を言ったとしてもね、経験のある人とない人だと、重みが違うの」
「オレにはよく分からんのだが」
「ちょっと注意してみれば分かるよ。本当に違うんだもん、印象から何から」
佐野は言葉を止めなかった。
「これってね、演劇にも言えることだからすごくよく分かってるつもりなんだけど、言葉が生きてるの。力がちゃんとあるのよ、有名な役者さんの舞台を見たりすると一発よ」
「そりゃあなあ、オレは演劇のことは知らんが、プロって呼ばれるようなヤツならそれで食ってるんだし、そうじゃねえとマジいんじゃねえのか?」
「まあ、それはそうよね」
「それとだな、その役者がだ、歳をとってたりすればその分だけ人生経験があるわけだろうが」
「うん」
「そうした経験が増えてくればだな、言うことに説得力ってものがついてくるんじゃねえか?」
田中は自分から思いがけず出てきた言葉にちょっと驚いたが、話を止めなかった。
「うちの死んだ爺さん婆さんだって、それなりのことを言えたんじゃねえかと、今は思うんだが」
佐野は田中の言葉に感心しているようだった。
「うん、そうだよね。経験を積むっていうのは大事なことだと私も思ってる。私にものすごく足りないのはね、もう絶対にその経験なのよ」
佐野の言葉に力が込もった。
「だからね、経験のある人の話が聞きたいわけ。なるべく身近な人で、男の子の、って考えたら、田中くんしかいないのよ、今の私には」
変な方向から話が田中に戻ってきた。
次第に下りの最寄り駅らしき建物が見えてきた。
佐野の視線は再び田中に向けられていた。
「本当は、田中くん、よく一緒にいる子とつきあっているんじゃないの?」
「は?」
「ポニー・テールの子だよ。私、何回か田中くんと一緒にいるの見かけてるし」
田中は恵子のことだと分かったが、そんなに一緒にいたような気がしない。
「田中くんとその子のふたりきりのときだけじゃないけど」
「それなら見間違いじゃねえのか」
田中は話を逸らしてみようと思った。
「でもその子は田中くんと話してるとき、なんて言うか……本当に嬉しそうに見えたけどな」
田中は返答に困ってきた。
「佐野が誰のことを言ってるのか想像はつくが、その女、じゃなくて、その人とはだな」
田中はここで言葉を区切っていた。
「オレは友だちなだけで、つきあってるとかはねえよ」
「じゃあ、本命はおねえさんの方なの?」
「はあ? なんの話だ?」
「すごく美人で幼なじみでもあるおねえさんと仲よくしていて、うらやましいくらいなんだって、聞いたから」
「なんだって」
「広瀬くんがそう言うくらいだから、すごくいい関係なんだよね」
「広瀬から聞いたのか」
「ちょうどタイミングよく行き会って、中庭を抜けながら聞いたんだけどね」
佐野は明るい表情で言った。
田中は例によって顔をしかめていた。
「そのときに広瀬くんは、そういう話なら田中がうってつけだと思うとも言ってくれて。やっぱりそうだよね、と私も思ってたし」
(広瀬、そこはオレじゃなくて土井じゃねえのか?)
広瀬に心の中で突っ込みながら田中は佐野に言った。
「あのなあ、誤解が混じってるようだからはっきり言っとくが、そのおねえさんといってる女……じゃねえや、人はだな」
「なんかまずいこと訊いちゃってる?、私」
「イヤ、それはない。つまりその人は、三つ歳上の従姉なんだよ」
「従姉にとても素敵な人がいるんだ、田中くん」
佐野は瞳をキラキラとさせたように田中には見えた。
田中は異議を唱えたいような気分になった。
「素敵、なんかねえ……」
「うちの学校の4年生なんでしょう、田中くんを『マアくん』て呼べちゃうくらいの」
(広瀬、どこまで佐野に話したんだ?)
「生まれたときからそばにいてくれて、自分をずっと分かっていてくれる人だったら、その上とても素敵な人だったら、惚れるのは当然か」
「おい、ちょっと待て、そんなことは誰も言っとらんぞ」
「それにイトコなら、結婚できるもんね、問題なく」
「そりゃそうだろうが、そうではなくてだな」
「そうじゃないなら、片想い?」
「はあ?」
「田中くんの」
「なんじゃそりゃ」
「違うの?」
佐野は意外そうな表情をしていた。
「年上のおねえさんに初恋とか、けっこうありそうなお話だよね」
「初恋だと?」
田中は内心で焦っていた。
考えたことはなかったが、陽美を女性代表のように見ていることがあったかもしれない。
そんな心当たりがあるような気になってきた。
「いいなあ、私、そういう話が微塵もないから、本当に分からないのよ」
(誤解だけは勘弁してくれよ)
田中は話題を陽美から少しでも遠ざけたくなっていた。
「私ね、小説でも、マンガでも、ドラマでも、うまく入れないって言うのかな? 客観的になりすぎちゃうのか、そんな感じで。だって、私のことじゃないから」
(演劇をしてるヤツがそんなことでいいのか?)
田中は佐野に突っ込みを入れてみた。
「佐野だって誰かに告白されたことくらいあるんじゃねえのかよ」
「まあ、それは、あるけど」
「ほう。そんじゃあ、好きなタイプじゃなかったから振ったのか?」
「好きとか嫌いとかの前に、興味がなかったのよね」
「は?」
「それどころじゃないから、ほっといてください、って感じでお断りした」
「意味が分からんのだが」
「私、今でもそうだけど、演劇第一の人だから、他のことに時間を使いたくなかったのよね」
「ヘンなヤツだな、佐野は」
「やっぱり? 私が変なの? おかしいのかな?」
「熱中できることがあるのはいいと思うがな」
田中が佐野と話をしながら歩いているうちに、下りの最寄り駅はずいぶん遠くなっていた。
ひとつ隣の駅がだいぶ近くに見えてきた。




