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Desafinado(調子はずれ)  作者: カワヤマソラヒト
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III 6月(3)-3


      *


 控室からフロアに戻ると、コーヒーのおかわりの呼び出しがあった。

 ちょうどいいところにいた田中は自分が対応することにした。

 サーヴァーを持ってその席に行ってみると、恵子と誰かが向かい合って座っていた。

 陽美によると恵子の部屋はここから徒歩で10分程度なので、いつか来ることがあるかもしれない。

 そう考えていた田中だったが、実際に出くわすことになると一瞬だけ呆然としてしまった。

 それでもすぐに仕事だと割り切って「失礼します」と言うと、田中はふたりそれぞれのカップにコーヒーを注いだ。


「田中くんが来てくれてよかった」


 恵子が嬉しそうに田中に向かって微笑んだ。

 田中はそれで気分がすうっと楽になっていくのが分かった。

 ここしばらく恵子の笑顔を見ていなかったことに、田中は気がついた。


「マアくんらしき姿は店に入ったときから見えてたけど、なかなかこっちの方には来ないし、休憩に入っちゃったみたいだったしねえ」


 そう言った誰かが誰なのか、田中には分からなかった。

 恵子と来ているのだから恵子の友人だろうとは思ったのだが。


(おまえは誰だ? なんて訊けねえからな)


 座っているからはっきりしないが、おそらく恵子より背が高く痩せ型だろう。

 細面の上に眼鏡の黒縁までだいぶ細い。

 髪は肩までないくらいでパーマをかけているらしい。

 天然ではないと、天パの田中には見分けがついた。


「もしかしてマアくん、あたしが誰なのか分かってないな?」


 図星なのだがここで簡単に認めるわけにはいかない。

 ただ、そう言われたということは恵子を含む六人のうちの誰かだ。

 佐藤と島田はどちらも該当しない。

 田中はそう理解した。


「あたし、今朝まで髪は背中くらいまであったし、学校じゃいっつも結んでたし、眼鏡だってかけてなかったからなあ」

「思い切ってイメチェンしたよね、キリちゃん。私、びっくりしたもん」


 恵子が合いの手を入れた。


「思い切りがいいのはあたしの売りのひとつだよ」


 キリちゃんと恵子に呼ばれた女はにこりとして見せた。


「マアくんに気づいてもらえなくても仕方ないわなあ、そんなにしゃべったこともなかったし」


 まったくそのとおりだ、と田中は危うく言いそうになった。


「陽美先輩から聞いていたけど、本当に田中くんがこのお店で働いているのを見られて、なんか新鮮な気分」


 恵子がまた嬉しそうに言った。

 ふたりは既にオーダーしたパフェをほぼ食べ終えていた。


「キリちゃん、アルバイト探していて、私がこのお店で田中くんが働いているって話したら」

「それはぜひ見学に行きたいと思ってね、早速来てみたのよ。あたしたち、お互いここから近所だし、直接ここで待ち合わせて」


 恵子だけじゃなく、ふたりともこの近所に住んでんのか。

 田中は思った。


「こうして面と向かってマアくんに会えたのは、ラッキーだよ」

「お仕事の邪魔になりたくないから、田中くんに注いでもらった一杯を飲んだらすぐ出ていくね」


 恵子はそう遠慮がちに言った。

 どうぞごゆっくり、と言うのが本来のお約束なのに、田中はホッとしてしまい言い忘れてしまった。


「明日はちゃんと出席してよ、連続4回欠席は呼び出しらしいし」


 キリちゃんと呼ばれた女は田中に釘を刺すように言った。

 呼び出しだなんて知らねえぞ、と田中は焦った。


「話の続きもあるからね、頼むよマアくん」


 いい加減にその呼び方はよせ、と田中は言いたいところだったが、別の客からお呼びがかかった。


「すまんな」


 田中はそれだけ言うと恵子たちのテーブルを離れた。


「また明日」


 恵子の声が田中の背中越しに聞こえた。


      *      *      *


 翌日、週明けの月曜日、天気は「薄曇り、ときどき晴れ」とラジオから聞こえていたような気がする。

 田中は久しぶりに必修科目に出席するべく、1限開始30分前に講義のある大教室に来た。

 気まずさがややあるので、いちばんのりを狙ってのことだった。

 釘を刺されたからというのも理由のひとつになっていた。

 誰もいない教室は席が選び放題だが、田中はどこが最も目立たないだろうかと考えてみた。

 全科必修とはいえ大教室は満員にはならないが、人数は少なくない。

 窓際の前方は恵子たちが普段陣どるので、そこから対角線上となる通路よりの列、右端の列になるが、いちばんうしろだとむしろ目立つので、うしろから三つ目の机の席に座った。

 この列は土井が来たなら先頭に座るはずだから、というのもごく小さな理由になった。


(しょうがねえからな)


 講義後は恵子に挨拶くらいはしないとマジい、と思う田中であった。

 席に座って深呼吸してみると、教室内の空気は幾分埃っぽい感じだった。

 机にいつもの青いバッグを載せたままその上で腕を組み、そこに頭を乗っけると、田中はしばらく目を閉じることにした。

 30分経って講義開始時刻になったところで、大概先生は10分以上遅くやってくるから、まずまずの休憩時間になるだろうという読みであった。

 昨日のバイトで恵子とキリちゃんという女に抜き打ちで会ったのも、あるいは少しでも休みたい気持ちの理由になっていたかもしれない。

 やがて、左肩を軽く揺すられた田中はハッと顔を上げた。

 いつしか教室には同僚たちが大勢いてざわついていた。

 顔を真っ直ぐ上げると、昨日バイト先へ恵子と来ていた「キリちゃん」という女と目が合った。


「お、マアくん起きた」

「なんだって」


 うろたえる田中の左側から「くくく」とこらえているような笑い声が聞こえてきた。


「広瀬、笑いたきゃ遠慮なく笑ってくれてかまわんのだが」


 田中の肩を揺らしたのは広瀬だった。

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