III 6月(2)-18
「私、LP買ったらすぐ田中3兄弟妹に見せに行ったのに」
ここぞとばかりに陽美の解説が続いた。
「90分テープに録音して、余ってる部分には『春咲小紅』のシングル盤のA面もB面も入れたのに」
「お、それってあれか、聡美が好きな歌だったか?」
田中はここでハルサキなんちゃらという曲名について聞き覚えがあると気がついた。
「そうよ。矢野顕子師匠が『ザ・ベストテン』に出たときみんなで見たじゃない」
「ん? なんとなく覚えてるような気もしなくはない、が」
「タカくんが『YMOが出てくるとは思わなかった』って喜んでて」
「それは覚えてないのだが」
「サトミンは一緒に歌っちゃって」
「それは覚えてるぞ」
聡美がテレビを見ながら歌っているのを見たのはそれが最初だったはずだ。
「確か神戸に何か見に行く歌だったよな?」
「マアくん」
「なんだよ」
「それって、誤解だって分かってないでしょう?」
「は?」
「春先に神戸に見に来てね、って歌じゃないのよ、もうっ」
「なんだって」
「ほら、やっぱり」
田中には陽美の機嫌が一段階悪くなったように思えた。
「神戸でやったポートピアの歌は、ゴダイゴの曲でタイトルはズバリ『ポートピア』なのだよ」
(全然知らねえのだが)
陽美は矢野顕子師匠の話に戻った。
「『また会おね』と『ごきげんわにさん』という超名作も入ってるのに」
田中はもはやなんにも言えなかった。
「これも宿題!」
「宿題? 何がだ?」
「マアくん、テープを失くしたわけじゃないよね?」
「お、おお。ハルちゃんにもらったのなら今オレの部屋にあるはずだ」
「よろしい。では帰ったらきちんと確認して、聴いてくれなきゃダメだぞ」
田中は気乗りしないので返事を渋った。
「言っとくけど、ユーミンじゃないからね」
「そりゃあ分かってる、そこは大丈夫だ」
「ホントかなあ」
陽美は首を傾げて田中を見つめた。
田中はいくら自分でも矢野顕子師匠とユーミンのアーティスト名を間違うことはなかろうと思った。
「ユーミンだって、私が頑張ってお金を貯めて買ったLPをテープに録音したのに」
「ありがたいことだ」
「インデックス・カード、一生懸命書いたのに」
「そ、そうか。今更だが、サンキューな」
「『週刊FM』のお気に入りのやつ、使ったのに」
「それって、あの雑誌にくっついてたヤツか?」
その当時、兄や陽美がときどきFM雑誌を買って何かしらの番組を録音していたのは田中でも覚えていた。
陽美はそうして録音したものをときどき田中や聡美に「オススメ」として貸してくれるのだったが、田中は借りてみたもののほとんど聴くことなく返却するのが常だった。
また、陽美にとって特別なお気に入りは、それを録音したカセットをプレゼントしてくれた。
大事なものを捨てたり失くしたりはしてないはずなので、田中は自室にあると思ったのであった。
(が、この件については念のため口に出さんようにせねばなるまい)
「タカくんが『FMステーション』買ってたから私は『週刊FM』を買ってたのに」
「そう言えば兄貴とハルちゃん、なんか交換して読んでたっけな」
「サトミンも『見せて』って言ってくるようになったのに」
そうだった。
漠然とした記憶が田中の心の森の奥にある湖から、魚たちのおかげでどうにか浮上してきた。
「でもさ、マアくんだけは無関心で」
「イヤ、それはそうだったが、ここで責められてもだな」
田中はこの話題のままではマズイと思った。
イチかバチか、田中は言ってみた。
「それにしてもだな、どこでこのV3のキー・ホルダーを」
「ふっふっふ……」
陽美の様子が誇らしげなものに変わった。
「おねえさんはこのためにあちこち回ってようやく手に入れたのです」
(賭けは成功か)
「なかなか珍しい逸品なのだぞ」
田中はこの話題を掘り下げた。
「なんか値段が釣り上がっていきそうな雰囲気がするな」
「大切にしてね、マアくん」
「もちろんそうするが」
「アオレンジャーも、ジョーカーも、ズバットもいいけど、宮内洋さんはV3がいちばんカッコいいよね」
「ああ、ハルちゃんはそうだったっけなあ」
そうした特撮系の番組の記憶は、湖の魚たちのおかげで次々と浮かんできた。
「どこかに入れっぱなしにして、しまい忘れちゃダメだぞ」
「ハイ」
「それに、V3は色が剥がれちゃうと悲しいから、気をつけてね」
「せいぜい気をつけます」
「鍵は昨日作ってきたばかり。ちゃんと開け閉めできるのは確認ずみだから」
「ハイ」
「よろしい」
陽美は両腕を組んで2回ほどうなずいた。
「で、今度会うときには、マアくんも合鍵を私にちょうだいね」
「えっ?」
「何かのときにお互い行き来ができなかったらダメでしょう。これは一族の掟なのだ」
「掟なのかよ」
陽美は掟について深入りしなかった。
「その様子だと、マアくんは部屋の合鍵、まだ作ってないな?」
「正にそのとおりだ」
田中は素直に認めた。
「ではこれも宿題です」
「はあ」
「忘れちゃダメだぞ。これで宿題は三つあるんだからね」
(三つもあったか?)
田中は自分の記憶力に自信がなくなってきた。
「マアくんが体調崩してたってこと、恵子ちゃんや広瀬くんに聞くまで知らなかったから、看病に行けなくてごめんね」
「たいしたことはなかったんだから気にせんでほしいのだが」
「せっかく助け合いのチャンスだったのに」
「チャンスと言われてもだな」
「マアくんの部屋の合鍵を受け取った暁には、何かあったらすぐに駆けつけるから、安心して頼ってね」
(それはどうなんだかな)
「なんにもなくっても駆けつけるかもしれないけど、その場合もよろしくね」
「は?」
田中は抜き打ちで登場するかもしれない陽美に恐れをなした。
「と言っても、おねえさんは卒業しちゃうんだよねえ……きっと、あっという間に」
「まだ6月だぞ。あっという間にってほどすぐじゃなかろうが」
田中は何故か反論していた。
「今後はまた就活で留守にしたりするし」
「はあ?」
田中は驚いた。
「ハルちゃん、もういくつか内定もらってるって……」
「もらっていてもね、そこに入るかどうかはまた別の話なのだよ」
田中の気持ちはなんとなくざわついていた。
「それに、いつまでもこの部屋で暮らせるわけでもないし」
場所によっては就職先に通いやすい部屋へ転居するのは当たり前のことだ。
その点は田中にも理解できた。
「引っ越すときには手伝ってもらおうかなあ、マアくんにも」
「そいつはかまわんのだが」
あまりそんな状況を考えたくないと田中は感じていた。




