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Desafinado(調子はずれ)  作者: カワヤマソラヒト
30/61

III 6月(2)-7

      *      *      *


 今でこそヴィデオ・テープをスロー再生するかのように思い返せる田中だったが、敵にスライディング・タックルでボールを奪われてからゴールを決められるまでの時間は、現実には10秒そこそこくらいだった。


「ループ・シュート」

「え?」


 田中の呟きに恵子はしっかり反応した。

 田中は「負け」の理由が分かった気がした。


(恵子はオレの動きを逃すまいと目いっぱい、かどうかは分からんが、とにかく集中してるってこったな)


 田中は恵子の様子をあまり気にしていなかった。

 全力で集中していてもかわされてしまうことがあるのだから、気にしていなければ話にならない。


(恵子はそれだけ真剣なのだ)


 田中は思わぬ方向からこの考えに行き着いた。

 まさか、なんてことないはずの日常に、サッカーの、それも緊迫した場面のことがつながってくるとは……。

 自分にはかつてないことが、恵子といると起きてしまう。


(変幻自在の攻撃をオレは受けてんのか?)


 田中は無意識に顔をしかめた。


(……イヤ、恵子は敵じゃねえぞ)


 田中は恵子が自分の「友だち」であることにホッとした。

 もしも敵に回られていたら勝てるはずがない。

 自分とは格が違う能力を恵子は持っている。

 ゴールを守りたくても守りきる自信がない。


(かなうわけねえよな、オレがこんなんじゃ)


 田中はまだ恵子のあとに続いて歩いていた。

 噴水が見えてきた。


(けっこうでっけえな)


 田中は思わず噴水を見つめた。

 水が中央から高く、勢いよく吹きあがると、徐々に勢いを弱めていく。

 入れ替わるように周囲からの弱い噴き上げが始まり、よく見ると同心円状に並んでいるらしい。

 やがて弱かった噴き上げは少しずつ強くなり倍ぐらいの高さになった。

 しかし、それはよく見ると小さい噴水口ひとつおきで、半分は水が止まったようだ。

 中央から再び水が威勢よく出てくるが、水量は少ないのか、あまり噴き上がらない。

 その分の水が循環しているのか、中央にほど近い場所にふたつある中型の噴水口が回転しながら細く噴き上がり、水は螺旋状に見えてくる。

 そうこうするうちに中央の大きな噴水が勢いを増しだして、また高く、勢いよく噴き上がっていく。


(変幻自在は噴水の方か)


 田中は「いくつパターンがあるんだろう」と思った。

 一式見ないうちは予想がつかず変幻自在のような気がする。

 だがすべて見てしまえば、一定のパターンを繰り返していると分かってくる。

 田中には水の音だけでなく恵子の声も聞こえているものの、視線は噴水から離せなかった。


(パターンと言えば、サッカーだって変わらん)


 ディフェンスもオフェンスも基本となるフォーメーションがいくつもある。

 まずそれを覚えなくてはならない。

 もちろん、試合は生きものみたいに刻刻と動いていく。

 パターンがあるとはいえ、そのヴァリエーションは無数に派生する。

 ただし、基本のフォーメーションができていれば、ヴァリエーションがいくら発生しようがそうしたものは基礎の積み重ねとその応用だと理解できる。

 パス回しにしても同じことだ。

 フォーメーションに基づいた動きを理解していれば、パスを受けやすい位置へとなるべく丁寧に出すことができる。


(もしかしてオレは……)


 田中はふと閃いたが、恵子の呼びかけに我へと返った。


「田中くん、もしかして気を遣ってくれてるのかな?」

「は?」

「さっきからずっと私ばかりしゃべりっぱなしで」

(イヤ、全部聞き流してた……なんて言えっこねえよな)


 田中は反省するしかなかった。

 自然と田中の足は噴水から遠ざかった。

 思いがけず恵子の先を田中が歩いていた。

 恵子の声が田中の背後から聞こえた。


「私ばっかりしゃべっちゃって、ごめんね」


 田中は我に返って足を止めると、恵子へ振り向いた。


「そんなことは気にすんな。逆にオレがろくにしゃべれなくてスマン。会話になっとらんかった」

「そんな、それこそ気にしなくていいのに」


 恵子は強く否定した。

 自分の右隣へ恵子が来るのを確かめると、田中は再び歩きだした。

 恵子が田中のペースに合わせる形になった。

 田中はさらに反省のネタを増やしてしまった。


「私がはしゃいじゃってるのもあるけど、実はね」


 恥ずかしそうに、恵子は言った。


「沈黙しちゃうのが嫌だったの」

「ん?」


 田中は足を止めた。

 恵子のそのひとことの意味が分からなかった。

 田中の右側にいた恵子も足を止め、体ごと田中に向けてから言った。

 田中は恵子と向き合っていた。


「せっかく田中くんといるのに、おしゃべりできないのはもったいない気がして」


 田中はますます分からなくなった。


「うるさかった、かな?」


 恵子は多少もじもじしているようだった。

 田中にはそう見えた。


「それはない」


 田中はきっぱりと言った。


(恵子の声がうるさいとしたらだな)


 田中は思った。


(この世は騒音だらけってこった)

「よかった、ほっとした」


 そう言うと恵子はゆっくり歩きだした。

 田中は恵子に続いた。

 その程度しかできることがなかった。

 再び恵子の嬉しそうな声が聞こえてきた。

 田中はしっかりと恵子の話を聞いた。


(恵子がこんなにしゃべるヤツだとは……)


 恵子が話していることはたわいもない世間話だと田中は思った。

 だから気楽に聞いていられた。

 難しいことも深刻なこともない。

 天気のこと、季節のこと、今こうして歩いている公園のこと、学校での日常、仲間たちや講義の内容のこと……どの話題も田中が返答可能なものだった。

 恵子は引き続き田中が感心するほどたくさんの言葉を話し、田中へにこにこと笑顔を向けた。

 田中はひとつ気がついた。


(気を利かせたパスを出してくれているのか、恵子は?)


 恵子は一方的にしゃべっているのではない。

 田中がろくにしゃべらないからかもしれないが、恵子は自然なタイミングで田中の発言を促すのだった。

 決して強要しているのではない。

 田中はそう感じていた。

 例えば「田中くんはどう思う?」と尋ねたり、「前に広瀬くんや土井くんとお話していたことでね」などと、田中が入りやすいように言葉をつないでくれている。

 ところが、そう気がついても、田中が恵子に返せる言葉はほんのわずかだった。

 どうにか「ああ」とか「おお」とか「そうだな」などと言ってはみた。


(だがこれじゃ会話になっとらんぞ)


 田中は自分が恵子に対して失礼なのではないかと思い始めた。

 自分としてはしゃべるのが苦手なわけではないし、無口でもないはずなのに、気の利いた返事もできなければ、うまく相槌を挟むこともできない。


(つまりだ、こりゃあボールに足がなじんでねえのとおんなじこった)


 パスをうまく受け取れないし、返せない。

 それでも恵子はさり気なく受けやすいパスを田中へ返す。


(なんてヘタクソだ、このオレは)


 まるで初めてボールを蹴ってみたような、ぎこちなさいっぱいの言葉遣いしかできない。

 動きがおっかなびっくりでつまずいたりつんのめったりしているようだ。


(オレと比べたら、恵子は……)


 滑らかに、流れるように恵子の声は田中に届いた。

 しかもいつもより耳に心地よい気がする。

 どうしてなのだろうと田中は恵子の声を聞きながら考えた。


(この感じを、オレは知っている)


 田中は思った。

 そう頻繁に感じるものではないが、明らかに何度となく感じたことがある。

 やがて田中は気がついた。


(歌、だな)


 ラジオから流れてくる音楽を、曲名やアーティスト名が分からなくても、なんとなく耳にしているとき。

 楽器だけの音楽ではなく、ヴォーカルが、誰かの声が歌っている。

 田中は日本語の曲であろうとそうではなかろうと、歌詩の意味を追うことはなくただそのまま音を聴いていた。

 どうしてそんな聴き方をするようになったのかは分からない。

 歌詞がよく聞こえない曲が増えたからかもしれない。


(第一、日本語じゃねえとなんと歌ってるのか分からん。おまけに日本語でも何を言っとるのか分からんヤツも多い)


 それでも、よくあるわけではないが、聴いていて心地よい曲が流れていることがある。

 そのときの感覚と似ている気がする。

 恵子は歌っているのではない。

 しかし、恵子の声がなんと言っているのかはしっかり伝わってくる。


(だから、なのか?)


 田中はようやく自分から口を開いた。


「恵子は音楽が好きか?」


 田中の質問に、恵子は明るさを増したかのように微笑みながら答えた。


「うん、大好きだよ」

「やはりな」


 田中は納得した。

 説得力がある恵子の返事だと思った。


「田中くんは?」

「ん? オレはだな、実は音楽についてはよく分からんのだ」


 恵子は足を止めると、「そうだっけ?」と言った。

 そのひとことは田中には意外なものだった。

 いったい恵子はどんな印象を田中と音楽について持っているのだろうか?

 かつて考えたこともない疑問が田中の頭に浮かんだ。

 田中は恵子に追いつくと足を止めた。

 恵子は体ごと田中へと向いていた。


「田中くんは音楽をあまり聴かないってことかな?」


 田中は顔だけを恵子に向けて答えた。


「そのとおりだ」


 答えたあとで「これじゃ恵子に失礼じゃねえか」と自分に突っ込むことになった。

 恵子はきちんと田中の方へと体ごと向けてくれている。

 田中でもさすがに気がついたのだった。


(オレは何をやってんだか)

「興味がない?」


 田中の反省を止めるかのように恵子が言った。


「イヤ、ないことはないのだが、ピンと来たことがなくてだな」

「じゃあ、気に入った曲が見つからない?」

「そうだな、嫌いだと思う曲も見つからんのだが」


 田中はわざわざ音楽について好きとか嫌いとか考えたことがないのだった。


「日本のアーティストの曲?」


 恵子にそう訊かれて田中は焦った。

 日本語以外の曲がこの世にあるということは分かっていても、英語なのかそれ以外の外国語なのかは答えることができない。

 歌っているのが日本人なのかそうでないのかよりも、日本語かどうかの方が田中には重要だった。

 田中はなんの偽りもなく答えた。


「オレは日本語の歌しか分からんのだ」


 さらに声にはせずこう思っていた。


(それも怪しいもんだがな)

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