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Desafinado(調子はずれ)  作者: カワヤマソラヒト
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III 6月(1)-3


      *


 田中はいつになくA定食ではなく普通のカレーライスをオーダーしていた。

 テーブルで田中の正面にいるのは土井だった。

 今日の昼食の席に広瀬はいない。

 ぱっと見回したところでは恵子たちのグループもいない。

 ヒデカズはもとよりこの学食にやっては来ない。

 そう確認すると、田中は幾分ホッとできた。

 念のためにもう一度ゆっくり学食中を見回してから、田中はため息をついた。

 見落としはコリゴリだと感じていたからだった。


(土井とは他の連中ほど顔を合わせることはねえから、相席でもよかろう)


 自覚はないが、田中は土井をちっとも警戒してなかった。


(無事にこの席にいられんのは、土井のおかげだしな)


 土井は田中が学食に来たとき既にひとりでテーブルを確保していた。

 田中は当然のように土井の目の前の席に陣取った。

 そのときの土井は何も言わず田中をちらっと見ただけだったが、田中がカレーライスを載せたトレイを手に戻ってくると箸を休めた。


「ミスターAともあろう田中がカレーとは、どうかしたのかよ」


 土井が言った。

 田中に「ミスターB」と呼ばれる土井は例によってB定食を食べていた。


「それはだな、カレーであればいくら調子が悪かろうが食えると思ったからだ」


 田中は答えた。


「なるほど」


 学食の奥の方から響きが悪く跳ねるような金属音が聞こえた。

 誰かがフォークだかスプーンだかを落としたようだな、と田中は思った。


「カレーならボクが元気じゃないときでも食べられるから、それは納得だ」


 土井の声が聞こえた。


「でも、田中がカツもなければサイドメニューもつけないというのは不穏だな」

「……今日のところは否定しないでおいてやる」


 田中は力なく言った。

 スプーンの動きまでキレがなかった。


「その様子だと、田中は差し詰め風邪でもひいたってところだろ」

「まあ、どうやらそのとおりだ」


 田中はスプーンを止めて言った。


「今日はどうにか来てみたが、明日はオレとしても休んじまいそうな感じだ」

「ならよかったな、田中」

「はあ? 不調のオレの何がいいって言うんだ?」

「田中も知ってるとおり、偉大なる先人のお言葉があるだろ?」

「なんじゃそりゃ」

「それをボクに言わせんのか?」

「オレは今、頭がぼんやりしているんでな。脳みそに血が足りんような気もすんのだ」

「仕方ないな」


 土井は苦笑いしながら「バカは風邪をひかない」と言うと、席を立った。

 サーヴァー・マシンからお茶を2杯いれて戻ってくると、そのひとつを田中の前に置いた。


「土井のクセに気が利くな」


 ひとこと返すだけで、田中は反論しなかった。

 大事を取ったつもりだったのである。

 土井はB定食を平らげていた。

 田中もカレーライスを食べ終えていたが、比較的のんびり食事をする土井とタイミングはほぼ一緒だった。


「早食い大王の田中がボクに合わせてくれたみたいにのんびり食べていたから、お茶ぐらいはサーヴィスするよ」

「スマン。サンキューな」

「田中が素直に礼を言うとは、調子はずいぶん悪いようだな」

「相変わらず遠慮がねえな」


 田中はお茶を飲んだ。

 なんとなくしみじみとする味わいだった。

 土井もお茶を飲んだが、味についてはコメントがなかった。


「そうだ、田中は広瀬を見なかったか?」

「ん?」

「その様子だと知らないみたいだな」

「オレはさっき来たばかりだしな」

「あれ? そうなのか」


 土井は意外そうな顔をしていた。


「ボクがいる教室最前列右隅の席からだとよく分からないし、気にしていなかったけど、広瀬も田中も出ているだろうとボクは思ってたぞ」

「するってえと、さっきの講義は広瀬もいなかったってことだな」

「どおりで加藤くんや小野さんがボクに声をかけてくれるわけだ」

「なんだって」


 田中は無意識に顔をしかめていた。

 土井は言い訳をするかのように話しだした。


「うとうとしちゃってさ……講義が退屈だからじゃないぞ」

(ほう)

「講義が終わったらすぐに教室を出る方針のボクなのに、寝てたもんだからしくじった。で、加藤くんに捕まった」

(ほう、ほう)

「加藤くんに同行するかのように小野さんもこっちに来た。ふたりの目的は同じだった」


 ここで田中は少しだけ気になった。


(果たして、サトウやシマダやら、恵子の仲間たちはどうしていたやら、だ)


 田中は想像した。


(恵子を待っていたのか、別行動になったのか)


 気にはなったが、土井に訊くつもりにはならなかった。


「田中、この間の必修にも出なかったんだってな」


 土井の口調が変わった。


「ふたりから聞いた。ボクも出てなかったから知らなかったけど」

「そんならそうなるだろうな」

「田中がらしくないことするからふたりに心配かけちゃうんだぞ、ボクのとこに来ちゃうくらい」

(心配してもらえるのはありがたいことだ)


 田中は思った。


「土井には言われたくないもんだがな」

「確かに」


 土井は苦笑いをしていた。

 田中は思わず土井に訊いた。


「ところでだな、カトウって、誰だ?」

「おいおいそれはないだろ、田中。加藤くんは田中と仲よしじゃないか」


 田中は土井の言葉から恵子に言われたことを思い出した。

 心の森の奥にある湖の魚は、湖の主である田中よりもずっと好調らしかった。


── 近頃、加藤くんと仲よくしてるよね。


 恵子に誘われて学校帰りに公園に行ったときのことだった。


「ヒデカズの苗字が加藤、だったな」

「そうか、田中は加藤くんを苗字ではなく名前で呼んでんのか」


 土井の言葉を聞き流しながら、田中は恵子に言われたことををもうひとつ思い出した。

 魚の好調さがうかがえた。


── 田中くんは、やっぱりどこかはずれているよね。


 田中の回想はあのときの公園へと自然につながった。


── 普通に「ずれて」いるのとは違う気がするの。


      *      *      *


 田中は恵子に従い、黄色いガードパイプの間を擦り抜けた。

 案外広い公園だと田中は思った。

 周りが住宅地なのにこうした場所があることに驚くと共に、田中は感心した。

 田中が恵子のあとから入っていった場所は、滑り台やブランコ、シーソーにジャングルジムといった懐かしい遊具がたくさんある一隅だった。

 小学校低学年くらいまでの子どもたちが楽しそうに遊んでいた。

 こうした場面を目にすることはかなりしばらくぶりだった。

 かつての自分がその辺にいても違和感がない。

 そんなふうに田中は思った。


「家の近所にはこうした遊び場がないといけないもんな」


 田中は無意識にそう言うと、自分がこの公園に好感を持ったのだと分かった。


「みんな楽しそう。こういう雰囲気って、いいよね」


 恵子は田中へ振り向くとそう言った。

 田中の目には、とても優しい微笑みをした恵子の顔が映っていた。

 恵子は保母さんに向いているみたいだと田中は思った。

 田中は恵子が小さな子どもたちに囲まれている場面を想像してみた。


(絶対面倒見がよくて、子どもたちに大人気だな)


 何の疑問もなく、田中はそう思っていた。


「田中くん、なんだか嬉しそう」

「ん?」

「にこにこしてるもん」

「なんだって」


 恵子と小さな子どもたちを想像してにこりとしている自分がいることに、田中は驚くことになった。


(にこにこしてる? オレが?)


 笑顔になろうとして修行中の自分が、無意識のうちにとはいえ、「にこにこ」しているとは。

 しかも、恵子に笑顔を指摘されたのは、この短時間のうちに2回目だった。


(よく分からんヤツだ)


 田中は他人事のようにそう思った。


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