III 6月(1)-2
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田中は相手チームに威圧感を与えているというのがチームメイトにも顧問の先生にも共通した意見であった。
高校のときは副部長の高城にとても感心されたものだった。
── どんなときでも平然としているのは頼もしくっていいぞ。迫力がある。
掛けたヤマが的中し横っ飛びでペナルティー・キックをクリアしたとき、高城は田中に駆け寄ってそう言うと、田中の肩を叩いてポジションへ戻った。
間もなく、試合終了のホイッスルが聞こえた。
田中が1点のリードを死守して試合を決めたのだ。
かつてフォワードでシュートを打っていたことが役に立った。
田中はそう感じていた。
大きなピンチを凌ぎ最小得点差を守り抜いたのは、田中にとって自信となる印象深い試合だった。
高城のポジションはディフェンダーでほぼセンター・バックに入っていた。
そのためゴール・キーパーの田中とは近い位置にいることがチーム内の誰よりも多かった。
だからなのか、高城はちょっとしたことから田中の様子をよく理解していたようだった。
── 今日もいつもの調子で頼むな。
試合の度に、高城からはこんな調子で何かと声をかけられた。
キーパーでありキャプテンでもあった田中は試合中に大声でチームに指示を出したり激励していたが、その逆はポジション的になかなかないことだった。
高城はそのことを知ってか知らずか田中によく声をかけてくれたので、田中としても心強く感じていた。
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部活を引退してからも、高城は隣のクラスだったにも関わらず何かと田中に声をかけてきた。
廊下などで行き会うたびに田中が気にするようなことをさらっと言うのだった。
忘れモノでもしたのか、朝っぱらからハラが減ってんのか、また物理で眠ってたのか、大きいのを我慢してるのか、などなど。
田中の返答は決まっていた。
── 高城、うるさい。
豪華な刺繍が裏地にある長い学ランを着ていた田中に向かって、最初に「タルんだな」と言ったのは高城だった。
別の日、いつものような表情のつもりでいた田中に「今日は早退してもよさそうだぞ」と言ったのも部活仲間では高城だけだった。
早退せずに頑張った田中は翌日からころっと寝込むことになった。
他に田中が寝込みそうな予兆を見抜いていたのは、クラスが三年間一緒の杉山だけだった。
杉山には高城以上にだいぶいろいろと見抜かれていたのであった。
* * *
(オレもあいつらには負けじとよく突っ込んでみたもんだが、トータル的にはオレの負けだったかもしれんな)
田中は思い切ってベッドから抜け出した。
ろくに眠れないまま外が明るくなってきた。
(広瀬や土井に言われてるが、オレのそばに平気でいた連中からすれば、オレは分かりやすくて単純なヤツだってことか)
わざわざ考えたことはなかったが、田中はおかしなタイミングでこの結論にたどり着いた。
(これはこれでヨシ、とするがな)
田中は水道からコップに水を注ぎ、それを一気に飲んだ。
いつになく水がまずいような気がした。
ベッドに戻ると、田中は横にはならずあぐらをかいて座った。
最悪の場合に備え、現状を頭の中で整理しようと思ったのである。
田中の頭にまず浮かんできたのは広瀬の顔だった。
あろうことか、大学図書館の第1学習室で広瀬に失態を見せてしまった。
(あれはイカン、あれは)
広瀬だったからまだよかったが、こうしたことを繰り返すわけにはいかない。
自分のイメージに合わないと田中は思った。
(このところただでさえオレのイメージはガタガタになっちまってるんだぞ)
これ以上のガタガタは避けねばならない。
(あと、問題はハルちゃんか……)
陽美からはどことなく説教めいた感じの長い留守電が入っていた。
言いたいことがたくさんあるのは理解できたが、それをひとつずつさばくのは無理だと田中は判断した。
(早いとこ会って直接謝っておくべきだろうが、しかし、迂闊に出るとやられる気がする)
すぐにでも手を打ちたいが、この状況で陽美に会うのは危険だ。
墓穴を掘ってしまう気がする。
(看病するからおとなしく寝てろ、なんて言われかねんからな……それは避けねばならん)
面倒を見てくれるのは非常にありがたい。
だが、気持ちだけで充分だ。
これ以上陽美に甘えてはいけない。
陽美には陽美の予定があるし、卒業後の進路のこともある。
今はかなり大切な時期ではなかろうか。
田中はそう考えた。
(なのに、あの留守電だ。なんの話か分からんだけに怖くてかなわん)
田中は波乱含みの予感が拭えそうになかった。
(ここは大事をとって慎重になるしかなかろう)
田中はざっくりと、シンプルに考えることにした。
(バイトが気になるが、頼りにならん新入り連中もある程度動けるようにはなってきたし、ここは正直に店長と話して、緩めのシフトにしてもらうのが上出来というもんだろう)
店長も今ならOKしてくれる。
田中はそう思った。
(オレに限ったことではないが)
田中は想像してみた。
(風邪っぴきの野郎が客の前でウイルスをばらまくのはナンセンスというもんだ)
田中は真っ当な意見を持っていた。
(マスクをしてフロアに出るのはありえん。これはオレだけの問題じゃねえぞ。店の問題になっちまうからな)
学校での態度が不真面目だとは思っていないが、田中自身、バイトでの態度は学校よりもはるかにまともなつもりでいた。
部活にしろバイトにしろ、ひとえに高校時代に積んできた経験が活きているからだった。
慌てずに対応する術が田中の身についていた。
(今のオレにはこれ以上の名案は浮かばんな)
早く休めばそれだけ回復が早い。
いちいち言うまでもなく明らかなことだ。
(今日はまだ動けそうだが、明日はどうなるか分からんもんだ)
田中は自分の希望を今日必ず店長に伝えようと心に誓った。




