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Desafinado(調子はずれ)  作者: カワヤマソラヒト
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I 4月(1)


 田中正彦まさひこは指定された211教室にたどり着き、ざっと中を見渡すと、こう思った。


(広さと作りがそっくりだ。高校の視聴覚室に似ている。でもそのことが分かるヤツはいないはずだ。確かここに来る同窓生は誰もいなかった……)


 合格の報告のため最後に高校に行ったとき、受験対策室に貼られていた結果表にこの学校の合格者は誰もいなかった。

 自分の名前がようやくひとり目として出されることになったのだから。


(十人くらい受験したヤツらがいたと思ってたがな)


 教室の入口で、田中は視聴覚室から受験対策室まで回想した。

 ともあれ、迷わずここまで来ることができてよかった。

 田中がそう感じたのもつかの間、次の課題はすぐそこにあった。

 黒板に書かれた指示、「学籍番号順に着席すること(学籍番号は席にカードがあるので要確認)」に従って自分の座るべき席を探すため、ひと息つけるのはまた遠くなってしまった。

 教室の机は三人がけで、中央の席を空けて、右と左の席の片隅に学籍番号の下3桁を示すカードがあった。


「学籍番号は入学年度と学科が上の5桁で分かるようになってるんだってさ」


 ざわついている雰囲気の中から、そう言った誰かの声が田中の耳に入ってきた。


(しかし、なんだな、落ち着かんもんだな、初めて入る部屋ってのは)


 ここにいる何人かと、遅かれ早かれ友だちになれるだろう。

 当然初対面のヤツばかりだから、心機一転して、これからの自分は失礼のないようにふるまいたい。

 田中は決意したつもりだった。

 しかし、自分が今この場所にいることについて、まだ充分に納得できてはいなかった。


    *      *      *


 入試の際に、初めてこの学校に来た。

 オープン・キャンパスのときに覗きに来ようと思っていたのに、それがいつだか忘れてしまい、門をくぐるのは入試まで延期されたのであった。

 ところが、試験終了後の帰途で、田中は早くもこう思っていた。


(もう二度と来ることはあるまい)


 試験のデキは自己採点をするまでもなく最低だと感じられた。

 マークシート式だったから、すべての問題のどこかしらをちびた鉛筆で塗りつぶしはしたのだが、問題の内容と選択肢の関連は、田中の目にはほぼチンプンカンプンだった。

 そもそもこの学校に入れるなんて、田中は思っていなかった。

 第一志望として模擬試験を何度も受けていたが、判定はたった一度「C」を偶然に見かけた他は、お決まりの「D」が溜まっていくばかりだった。


(オレはくじ運が悪いしな)


 合格の望みはたいへんに薄い。

 田中はしみじみと思った。

 マークシートだからといって、適当に塗った選択肢がうまく当たるのはくじとしか思えない。

 学力を試されているというよりも運を試されているに違いない。

 自分の勘で選んだ選択肢に賭ける。

 これをギャンブルと呼ばずになんとすればいいのだ。


── 無謀だから志望を変えたらどうだ。


 なんて、担任教師に言われたものだった。

 生きていれば、誰しも数回は信じられない幸運にめぐり会えるかもしれない。

 そんな言葉を、何かの本だったか映画の字幕だったか、田中は読んだ覚えがあった。

 印象深かったので記憶に残ったのだ。

 合格発表をいちおう見に来たのは、ずいぶん寒い日だった。

 使い捨てカイロを懐手にしながら、「もう二度と来ることはあるまい」と思ったことを気にもせず、田中はあの言葉を思い出すことになった。

 数回めぐり会えるかもしれない幸運、そのひとつは絶対に自分の受験番号をこの日に見つけられたことだ。

 田中はなんの疑問もなく、そう信じていた。


    *      *      *


 ひと月くらい前のことを漠然と思い出しながら、ざわざわうるさい同僚たちにかまわずうしろから三つ目の席に腰かけていると、13時55分頃、前方のドアから四人が教室に入ってきた。

 三人が前、ひとりがうしろに回った。

 うしろに回った男は40代半ばくらいかと田中は思った。


「ではみなさん席についてくださーい」


 教卓の方から声がした。

 ずいぶん若そうなその男はさらに「プリントを一部ずつ取って、あとの人に回してください」と言った。

 向かって左から若い女が、右からは別の男がプリントを先頭の者に渡していく。

 前の三人は教員とは思えない。


(もしや、先輩だな)


 田中が無言のままの102番の女からプリントを受け取ったとき、教卓の方から再び声がした。


「プリントがない人は手を挙げてください。いませんか? 大丈夫ですか?」


 田中は半分振り向いて、104番に「はいよ」と言いつつプリントを渡した。

 104番は105番にプリントを渡した。

 挙手する者はいなかった。

 プリントは過不足なくきちんと配られていた。


「僕たちはみなさんと同じ学科の3年です」


 田中は「やはり」と思いながらニヤリとした。

 丁寧な先輩たちなんだな、と感心していた。


「僕はおおといいます。よろしくお願いします」


 O先輩は軽く頭を下げたあと、他のふたりを簡単に紹介した。

 女の人はM先輩、男の人はS先輩だと分かった。

 ふたりも軽く頭を下げた。


「では早速ですが、配布したプリントを見てください。これからの予定が書かれていますので、説明します」


 田中がうしろをちらっと見てみると、40代半ばくらいの男は満足そうに微笑んでいた。

 ヤツは教員なんだろうと田中は思った。

 プリントによると、明日から一泊二日で大学の合宿所に行くことになっていた。

 親睦を深めること、学科のカリキュラムがどんなものか理解すること、そのふたつが大きな目的だった。

 その説明はM先輩がしてくれた。

 ハスキー気味の声なのに色気がないと田中は思った。

 明日から教員たちが合流し、学科をふたつに分けてクラスごとにプログラムをこなしてゆくということだった。


「三人一組で相部屋となります」


 机は一列当たり九つ並んでいたから、うしろから三番目で103番の田中はさっきの104番、次の105番と相部屋になると分かった。


「準備が必要となりますから、本日はこれで終わりになります。明日は通常の時間より早いですが、7時半に集合してください」


 O先輩がそう言うと、解散になった。

 青いバッグにプリントをしまおうとしていた田中は、背中をとんとんと叩かれた。

 手のひらではなく、指3本、おそらく人差し指、中指、薬指だと感じた。


「ちょっと、すみません」


 軽快な声が聞こえたのでその方向を向くと、どことなく暗そうな表情をした男が右手を少し挙げたまま田中を見ていた。

 さっきプリントを渡したときには気がつかなかったが、表情と声のギャップに田中は軽く驚くことになった。


「ボクは104番のといいます。えーっと、あなたは103番の」

「おお、オレは田中です。よろしく」


 といつものようにつっけんどんに言ってしまってから、田中はすぐに「やっちまったあ」と思っていた。

「失礼のないように」と決意したのに、初対面の相手にこんな対応はまずい。

 いくら自分でもそのくらい分かっているはずなのに。

 気をつけようと注意していたくせに。

 けれども、声に出してしまった言葉は永遠に戻ってはこない。

 おまけに、振り向いたにしてもさっきと同じ半分だけ、身体は横向きのまま顔だけが声の主の方を向いていた。

 声の主……土井クンは不愉快に感じているかもしれない。

 田中は殊勝に反省した。


「それから」


 土井がそう言って振り向くと、105番の男が立ち上がって田中に近づいてきた。

 大柄で、眼鏡をかけ、髪は丁寧に七三に分けている。

 もじゃっとした天然パーマの自分とはまるで正反対だと田中は思った。


「広瀬です。よろしく」


 丈夫そうながっちりした体格に似合った低い声が聞こえた。

 田中正彦はこうして土井と広瀬、まずふたりの顔と苗字を覚えた。


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