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黒ウサギ  作者: 田中利佳
6/18

第六章 LEON(上)

 6月に入った。

 神戸はすでに蝉が鳴き始め、夏まっしぐらの様相を呈している。




 モレロ・パシフィック社社長、そして男色であることが最近判明したマーク・ポスナーの恋人、アルフォンス・ラバーバラの調査に入って一カ月。

 調べは早速、壁にぶち当たった。

 彼、アルフォンス・ラバーバラに関する文書、データが全く見つからないのである。

 仮にも株式会社の社長である。普通であれば会社録や企業名鑑などに名前と、経歴の一つや二つは載っていそうなものだが、それが全くない。モレロ・パシフィックの代表者はあくまでマーク・ポズナーで、どうもアルフォンスは形骸化した社長らしかった…結局分かったのは、彼がマークと同じフランス国籍であるということだけだった。

 畑野はやむを得ず拠点を東京に移し、雪乃を有楽町にあるモレロ・パシフィック本社に清掃員として潜入させることを決めた。


 こうして二人はここでようやく、アルフォンス・ラバーバラの顔写真を入手することに成功したのである。




 ではここで本社4階の女子トイレの会話をひろってみることにしよう。

 - お疲れ様。あとでね。

 - おつかれさまですぅ。

(ここで先に一人が洗面台から離れて出て行き、別の女性がトイレから出てくる)

 - ナニ、あの女。ブスなクセして…

 - おつかれさま、どしたの?

 - なんでも。ね、ていうか聞いて?!今日社長にあいさつされちゃった♪

 - おぉ、やったじゃん(と、精一杯のフォローをした風な声)

 - でしょ?でしょ???それでね???今日ランチをご一緒することになったのー!!!

 - えぇ?!それは凄いじゃん。

 - でしょでしょ?!!でもあのブス秘書が一緒だけど…。

 - あぁ、五十嵐さん?あんた、ほんと毛嫌いしてるのね(失笑)

 - イガラシ?誰ソレ、櫻井って女よ。むかつくわほんとあの女。私のラバ様に金魚のフンみたいに…

 - あら、知らないの?櫻井は旧姓。先週入籍して五十嵐になったのよ。

 - …えっ?!

 - 披露宴は再来週。え、貴方連絡行ってないの?

 - う、うん…。だって私、昨日まで副社長に付いて出張だったんだもん…。

 - (ため息)じゃあ多分、今日のランチはその招待状を渡すのが目的じゃないかな。嫌われてるの、多分向こうも知ってるだろうし、でもだからって呼ばないわけにもいかないでしょ?うちの部署の人間は全員呼んでるんだから…。

 - …(無言)




(以下は、これも雪乃が仕込んだ社長室の盗聴器がひろってきた会話である)

 - je suis desole, president. 今日はそろそろ…。

 - Ah ユカリ。そうネ、時間大丈夫ですカ?10分過ぎちゃってまス。式の打ち合わせでしょ?早く行きなさイ。

 - 大丈夫です。先方も20分遅れると連絡があったので…。

 - それはchanceね!(※運が良かった、という意味だったらしい)

 - はい(笑)

 - もう再来週ですカ…。

 - えぇ。

 - みんなと一緒に僕も、実はcadeau用意してる。ネ。

 - えっ?!そうなんですか?!あの、余興の時間ですか?

 - そう、ソウ。キッとビクリするね!楽しみにしテ下さイ。ほら、早く行かないと。

 - あっ、では失礼します。Merci beaucoup!ありがとうございます!

(ヒールの足早に遠ざかる音)




「うん、間違いない。パーティーの席でアルフォンス・ラバーバラって紹介されてた男はこいつや。」

 雪乃の撮ってきた写真に上層部、佐藤弘毅は断言した。

「…思ってたより若いんですね」

 かたわらで班長の伊藤貴志も、同じ写真を覗き込んでいる。

「何で二人がこんな所におるん」

 向かいで雪乃は憮然ぶぜんとした表情だ。雪乃は佐藤を文字通り、"毛虫のように"毛嫌いしている。

「ヒマやから。」

 佐藤はどや顔でこう切り返した。

「こっちの調べ、ひと段落ついてもてなあ。」

 伊藤は言った。

「えっ。そうなん?」

 で、そうやった?と雪乃は身を乗り出した。

「明後日、フランスまで行ってくる。」

 伊藤の一言に、雪乃はあぜんとした顔になった。

「へ?!」

「こっち、言うんは日本での調査や。あとは向こう(フランス)で調べんとどうにもならんくてな」

「そうなんや。」

 雪乃は話を聞きたそうにしていたが、

「ま、こっちの話はラバーバラさんの調べに片がついてからにしたげるよ。こっちもまだキリがええ状況やないし。そっちより進捗は悪いくらいやもん。」

 という伊藤に、雪乃は再び憮然とした顔になった。

「メグはどないした」

 窓際に立って、壊れたブラインドから外を見ていた畑野が口を開いてこっちを見た。

「成田で、ここまでの報告書を書いてもらってます。今頃はパソコン相手にホテルに缶詰めじゃないかな」

「なるほど…。」

 畑野は窓際を離れ、雪乃の座るソファの傍らに腰を下ろした。おんぼろの黒いソファが悲鳴を上げる。

「しかし…よくこんな所見つけたな」

 佐藤は周りを見渡した。

 四人のいるそこは、練馬のとあるおんぼろアパートの一室だった。以前は事務所として使われていたらしく、それらしい事務机が置きっぱなしでホコリをかぶってしまっている。四人が座るソファも応接用に以前は使われていたのだろう。

「ええでしょ? ボロいけど日当たりは悪ないし。」

 畑野はゆったりと足を組んでふんぞり返った。156cmの体格でそんなことをされると、まるでトヨ●の一代目子供店長だ。

 雪乃はあきれ顔になった。

「よう似合てるよ。」

 佐藤は言って、「で、他は何か分かったか?」

 と、渡されたアルフォンス・ラバーバラの写真を畑野に返した。

「まずここまで分かったんは、こんな感じです。」

 雪乃が口を開いた。

「アルフォンスは毎日、恵比寿にある自宅から有楽町にあるモレロ本社まで、車で通勤してます。運転手は付けてません。出社はきっかり11時。そこからメールのチェックをしたり、会議に出たりしてます。

 日本語はペラペラです。秘書はフランス語と英語が話せるようですが、会話は日本語とフランス語がちゃんぽん状態です。社内会議も日本語で問題ないです」

「ふうん…」

「写真の通り、ハリウッドばりの彫りの深い顔と180cmの高身長もあって、女性社員の憧れの的にされてます」

「まぁ…そうやろなぁ」

 佐藤はあのパーティーのアルフォンスの立ち振る舞いを思い出していた。広い肩幅にすらっと伸びた長い脚。ふちのあるかないかの薄い眼鏡の下には憂いをふくんだようなハンサムな顔に灰色の瞳。髪の色も少しグレーがかった金髪。容姿は申し分なかった。

「畑野。お前もう要らんやん。全部雪乃がやってくれよる」

 佐藤は笑った。

「ホンマですよ。俺もう神戸帰ろかな」

 とまんざらでもなく言いだす畑野に、雪乃が思わず畑野のひざに手を置いて、「それはやめてカズさん。東京に一人はムリ。」

「冗談やて。でもそのくらいようやっとるわ」

 と言いながら、畑野はしれっと雪乃の手をそっとどかして雪乃自身のひざにそれを戻した。

「ほ…心臓に悪いわ」

「それより、ホラ。まだあるやろ?」

 畑野は先を促した。

「…って、ここからはカズさんのやつやん。」

 と雪乃は言ったが、「えぇよ、とりあえず。」と言われたので、雪乃は続きを話し始めた。

「…で、アルフォンスは大体17時くらい、遅くても18時には仕事を切り上げます。その後はまっすぐ帰宅するか、取引先?の方と少し飲んだりしていたんですが、昨日ちょっと動きがありまして…」

「ほう。」

「…これは昨日の晩のことやったんですが」

 ここからは畑野の管轄らしい。

「いつものようにあの人のベンツ、車で尾行してたら突然方向を変えまして…。行ってびっくりですよ。そこ、代々木の音楽スタジオやったんです」

「ほ…?」

 意外な展開に佐藤は首をかしげた。

「一応スタジオの人間に話を聞いたんですが、そのスタジオはアルフォンス本人の予約で、人数は6人。ヴァイオリンが2人とビオラが2人、チェロが1人と、で本人ですよ。監視カメラの映像が丁度映ってたんでちらっと見たら、どうも歌っているようでした。マイクもなしで」

「…???」

 佐藤は思わず伊藤と顔を見合わせた。

「…で、今思ったんですけど」

 雪乃は自信なさげに口を開いた。

「何や。言うてみ」

 佐藤はふちの薄い眼鏡の奥から優しく言った。

「確かアルフォンスの秘書、最近結婚したっぽいんですよ。で、同じ階のみんなを披露宴に呼んでるみたいで、で、何か、今月で辞める言うてはりました。で、アルフォンスさんが何か、かどー?用意してるって」

「カドー?」

 畑野は首をかしげたが、佐藤はぽんと手を打って、「あー!!なるほど。大体読めた!」

 と言いだした。

「カドー、cadeauな。フランス語でプレゼント、て意味や。多分やけど、披露宴で歌を披露する気なんや」

 確かに、披露宴の余興で歌を披露、というのはよくある話だ。

「あー!なるほど」

「ひょっとしたらアルフォンスっちゅう男は昔、歌でもやってたんかもな。でないと弦楽器6人も呼んでスタジオに入るとか、考えもつかんやろ。」

 佐藤の頭は急にフル回転していた。今の言い方も、畑野たちに向かって言っていない。独り言のように言っている。そして、「カズ。ちょっと今の写真、借りてええか。俺、クラッシックの分野はあまり詳しない。三班班長の得意やからこの写真見せてすぐ聞いたろ。」

 と勢いよく畑野に手を出した。

 びっくりした畑野は、雪乃の撮った写真をその手に置いてしまった。




 しかし、この実行犯第三班班長の返事は二週間ほどもかかってしまった。

 折悪く第三班班長、高橋省吾は国外へ逃亡(という名の長旅行)に出ており、日本に居なかったのである。

 その間にも雪乃と畑野は二人で手分けしてアルフォンスの周辺を見張り、調べていた。


 そして日は過ぎ、とうとう、例のラバーバラの秘書、五十嵐由香里の挙式、披露宴の当日を迎えていたのである。




 会場は横浜、みなとみらいだった。

 来賓数は合わせて300は超えていたろうか。

 正直この数だと潜り込みは余裕だった。

 午前7時。

 雪乃は人出が不足しててんてこまいになっている会場の社員専用口から堂々と侵入した。

 雪乃は何事もなかったかのように、前を歩く本物のスタッフについて行く。

 と、そこへそのスタッフは急にその狭い通路を右へ折れた。

 しかし。



 ?!



 いない。雪乃の姿はまるで透明人間になったかのように、その場から姿を消していた。



 その20分後。

 スタッフの制服に身を包んでいる雪乃の姿を、五十嵐・櫻井両家の披露宴会場に見ることができる。

 雪乃はまるで本物のスタッフのように白い手袋をはめ、ナイフやフォーク、それを置くためのナイフレストをテキパキと置いている。

(こういう所でバイトしといて良かったわ…)

 昔、雪乃は新神戸にあるとあるホテルでバイトをしていたことがあった。畑野に言われてやっていたのだが、まぁ厳しい現場で、雪乃は半年で根をあげたものである。しかし、その時に学んだ内容が今、まさに活きていた。

(…と。あったあった)

 新婦席の一列目に、そのテーブルはあった。

 雪乃は迷わず、少しその椅子をずらすと食器が載ったトレーを置き、靴の紐を直すふりをして…二個目の盗聴器をテーブルの裏に取り付けた。

 一個目はすでに会場の一番後ろ、新郎新婦が登場する扉の傍らにある分厚いカーテンに取り付けてある。そこは小型カメラも一緒だ。

 と、そこへ胸元にしのばせていた携帯がマナーモードで鳴った。

 雪乃は小走りになって裏手のバックヤードに入ると、トレーをその辺りに置いて、監視カメラを避けるように食洗機の裏へと駆け込むと電話を取った。

"おつかれ"

 畑野の声だ。

「終わったで。はぁー…疲れたわ」

 雪乃はネクタイを緩めた。まるで男の仕草だ。

"うん、カメラからそれが見えたから電話した。もう撤退してええぞ。"

「カメラのテストはええん?」

"うん、大丈夫や。今、スタッフが6人食器並べてるんが見えるから…()うてるやろ?"

「うん、多分…」

 雪乃はそこまで言うと電話をポケットに入れて、食洗機から抜け出すと、一瞬会場を覗き込んだ。

 確かに6人居る。と。

「あれ?ここのテーブル、もう食器が置かれてるぞ?!」

 スタッフの一人が声を上げた。

 残る5人が一斉にそのスタッフを見た。そしてその中の一人が「あ、ひょっとしたら俺、間違えてやったかも…」

「ふうん、了解」

 雪乃はすごすごと食洗機の裏に戻った。

"音声も問題ないな。もう大丈夫やぞ、ユキ"

「回収はええん?」

"俺がやっといたげるよ。疲れたやろ"

「うん、助かるわ」

 事実、雪乃は結構ピリピリに集中していた。そしてその眼は、食洗機の裏側、人一人がようやっと通れそうな目の前の小さな窓を捉えている。

"すぐ出れそうか?"

「うん」

"じゃ、出ておいで。例の所で待っとる。気ぃつけて"

「了解」

 雪乃は素早く電話を切ると窓を開け、首をひょいと出して外を見た。

 海風が吹き込んでくる。高さは…地上3階というところだろうか。下は…どうも裏庭のようだ…まだ午前7時すぎということもあって、人の姿は見えない。そして建物側を見ると、おあつらえむき…とまでは行かないが、2mほど離れたところに雨どいがあった。

 と、次の瞬間。

 雪乃の身体は、その窓から外にふわりと飛び出していた。

 下で人が見ていたら目を覆っていたに違いない。

 しかし、彼女の身体は地上にたたきつけられることはなかった。

 何と雪乃は落下しながらも建物の壁を蹴って、ギリギリの所で雨どいに手をかけていたのである。

 雪乃の身体はぐるんっと雨どいの向こうに振り子のように振られバランスを崩したが、すぐに体勢を立て直し、あとはするすると雨どいをつたって下へと降りて行った。




 式はつつがなく進行していた。

 花嫁の五十嵐由香里が登場した時の会社関係者のどよめきは、雪乃の顔を何故かドヤ顔にさせた。

「この人なぁ…オシャレに全っ然興味無い人でなぁ。いつもグレーのスーツに長いまっすぐな髪をぞんざいに束ねただけで…他はもっとあでやかぁな中でやな。秘書課の中でもちょっと浮いててん」

「ほう。」

「社長のラバーバラさんに付くってなった時の周りのやっかみも相当やったらしくてな。一時はいじめっぽい雰囲気にもなってな。一人大学の先輩がおって、何かとかばっとったから何とかアレやったみたいやけど…この5年は大変やったと思うわ…」

「お前、詳しいな。」

 畑野は助手席でパンをほおばる雪乃に目をやった。

 ここは車の中らしい。二人の目の前にはカーナビの画面があって、そこには例の披露宴の様子がばっちり映し出されていた。

「あそこの女子トイレの会話を一週間でも聞いとったらイヤでも分かる」

 パンをペットボトルのお茶で流し込み、雪乃は言った。「下品この上ないでホンマ…」

「…。」

 カーテンに仕込んだ超小型カメラからでも、花嫁の五十嵐由香里の美しさ、そして一部の来賓のどよめきは充分伝わってくる。…と、入場した新郎新婦がキャンドルを持って、雪乃の仕込んだ2個目の盗聴器のあるテーブルへとやってきた。

 畑野が手元のリモコンを操作した。映像がズームアップされる。

 そこはやはり、アルフォンス・ラバーバラがいるテーブルだった。

"Ah,ユカリ…"

 アルフォンスは感激のあまり絶句しているようだ…と思ったら、みるみるうちに目に涙をため、泣き出してしまった。

「早っ」

 雪乃もこれには驚いた。

「入場からコレは凄いな」

 畑野は少し、アルフォンスに好感を持ったようだった。




それではここで、ご来場いただきましたお客様の中からお二人に特別に、プレゼントがお有りとのことで…」

 仮眠から眼が覚めると、丁度余興が始まる所だった。

 かたわらでは畑野がうつらうつらしている。式が始まってすでに3時間、流石にだるかったらしい。

「カズさん、そろそろやで」

 雪乃はワキを突っついた。

「ん…のわぁ~~~~~~」

 畑野は盛大に伸びをした。

「大丈夫なん?そんな寝とって」

「大丈夫やぁ~…だってこれ、ビデオに撮ったあるもん」

 畑野は大欠伸おおあくびをしながら言った。

「へ?そうなん?やったらわざわざここに待機せんでも良かったやん!」

 ちなみにここは結婚式会場からほど近い、山下埠頭(ふ頭)の一角である。時間帯もあり、車や人の通りは皆無だった。

「まぁなー。」

 畑野は言って、「一応、リアルタイムでも見ときたかってんもん。」

 だからって…寝とったら意味ないやん。と雪乃の顔が言っている。

「ありがとな。あやうく寝過ごすとこやったわ」

 畑野はぐびっと缶コーヒーを飲みほした。

 目の前ではとりどりの出し物が繰り広げられている。中には手作りのプレゼントや、涙を誘うスピーチがあったりして、場内はなかなか良い雰囲気だ。

 そして、あっという間に余興の時間は終わり、マイクが新郎の友人代表からブライダルの担当者に戻ってしまった。

「あれ…?」

 アルフォンスは歌ったりしていない。今度こそ佐藤のアテが外れたか…?

「いや、よう見てみ」

 畑野がまたカメラをズームアップさせた。例のテーブルだ。

 いない。

 アルフォンスが居なくなっている。

 畑野はカメラを操作した。

 元の新郎新婦の席へとフォーカスが戻る…と。

「…あ」

 新郎新婦の席と壁の間のスペースに、アルフォンスは居た。良く見ると後ろでヴァイオリンらしき数人も映っている。

 佐藤の予想は今度こそ的中した。

"それでは最後に新婦、由香里さんが勤務されております株式会社、モレロパシフィック社社長でいらっしゃいます、アルフォンス・ラバーバラ様より、お話がお有りとのことで、マイクをお渡ししたいと思います"

 場内が一気に暗くなり、スポットがアルフォンスら7人に当てられた。場内が一気に静まった。

"ユカリさん、ツヨシさん…ご結婚、おめでとうございまス。こんなにキレイになるとは…僕は思ってまシタが"

 茶目っ気たっぷりに言って、場内は笑いに包まれた。

"それでもココまでとは思わなかったネ。お二人が入ってきたときのあのどよめキ、ね。僕は何故か誇らしくなりましタ…。僕の下で秘書として務めてもらって5年…貴方が一番長いパートナーでしタ。勿論、仕事上ダケよ?!"

 あわてて付け加え、また場内が笑いに包まれた。しかし見事な日本語だ。

"無駄な口を叩かなイ、ずっと影ね、支えてくれていたその姿、僕も、とても勉強になりましタ。でもネ…頑張りすぎるところネ。君、僕に黙って休日出勤シテタでしょ。Non, Non.お休み、シッカリ休むネ。僕のお目め、節穴ジャナイよ?!"

 大げさなリアクションでフランス人らしからぬ言動にまたも場内は笑いに包まれた。けれども少し、先ほどとは違う色合いを帯びている。

"Cadaux, プレゼントね。最初はウチ(モレログラス製、という意味だったらしい)のペアのネックレス、と思ってマシた。けれど、ユカリはクラッシックが好きと聞いたノで、僕の昔のキネズカね!贈りたいと思いマス…"

 ここまで言うと、アルフォンスは持っていたマイクをスタンドに立て、2mほどもマイクから遠ざかると、すっ、と後ろのヴァイオリンを見た。

 一番真ん中に居たヴァイオリンが構えると、残り6人が構え、少しチューニングをすると、息を合わせ…曲が始まった。

 雪乃の全身に鳥肌が立った。

(この人ら、プロや…!)

 畑野は何も言わず、画面と音声を注視している。

 と、前奏が止んだ。そして、アルフォンスの口が開き…出てきた歌声。



 …!!!




 畑野もこれには絶句した。いや、きっと場内に居た全員がそうだったに違いない。

 なんとその声はまるで、女性の声と聞き違う(まがう)ような、見事なソプラノだったのである。




 翌日。

 盗聴器とカメラの回収を無事終え一息ついていた畑野と雪乃の元に、意外な来客があった。

「おぉー!!!これはこれは…!!」

 畑野は佐藤の時とは打って変わって、上へも下へも置かぬようなもてなしだ。

「いやいや、連絡もせず急に伺ってしまって…。」

 男は一張羅のスーツにノーネクタイといういでたちで、かぶっていた帽子を外し会釈した。全体にセピア色に身を包んで、まるでイギリスかドイツかの古い絵画から出てきたようだ。

(今回はやたらスーツ姿がキマってるじいさんに会うわ…)

 雪乃は心の中でつぶやいた。と。

「雪乃。紹介するわ」

 畑野は上機嫌に、奥に居た雪乃に声をかけた。「この人が実行犯第三班班長、高橋省吾さんや」

「…!」

 この人が…!

 雪乃は驚きを隠さないまま、「森、雪乃です。」と頭を下げた。

「タカハシです」

 がっしりした手だった。「…いい眼をしてる。」

「…!!」

 雪乃は照れ臭くなり、目をそらしてしまった。

「ユキ、気をつけるんやで。この人、こう見えて無類の女好きや」

「はぁ?!」

「それは心外だなカズ。向こうが勝手にやってくるだけだよ」

 高橋はしれっと言った。

 今の態度で、雪乃はさっきの畑野の一言が冗談ではなかったことを悟った。

「それで…、今日はどうされました?」

 畑野は高橋にソファをすすめた。

「佐藤君からこの写真と一緒に連絡をもらってね…パリからすっ飛んできたんだよ」

 雪乃のブルーマウンテンを煎れる手が一瞬、止まった。

「…。」

 畑野の表情は変わらない。がどことなく、(来たか…)という顔をしている。

「この写真、どこで入手した」

 高橋は例の写真を返しながら、じっ、と畑野を見た。

「…この方をご存知で?」

 畑野はそれを受け取った。

「…。」

 高橋は言葉を選んでいたようだったが、「…直接、会った事はない。テレビでは見た事があるがね。あと、私は彼のレコードなら持っている」

「…。」

 やはり。彼は昔歌手だったのか。

「これがCDだ…その写真で顔認証と、声紋認証をかけてみるといいだろう、直人君に頼んで…。おそらく、99%同一人物と出るだろうよ」

 高橋は言って、一枚のCDをトランクから取り出し、畑野に渡した。

 CDの封は切られていない。どうも渋谷のHMVで買ってきたものらしい。

 が。

 畑野はぐうの音も出なかった。

 CDのジャケットに印刷されている顔と雪乃の盗撮したアルフォンスの写真の顔は、どこからどう見ても同一人物のそれ、だったのである。





 2日後。

 調査班から例の顔認証、声紋認証の結果が出た。

 その内容は高橋省吾の予想通り…"99.997%同一人物である"というものだった。

 とはいえ畑野は当初、この結果に懐疑的だった。顔は整形でどうにでもなるやろし、声紋は正直、指紋に比べたらはるかに信頼性が低い物だ…と、畑野は考えていた。

 しかし調査班主任、田中直人は反論した。

「確かに声紋は仰る(おっしゃる)通りです、精度は低い。通常、他の認証と組み合わせて使われます…が、顔はそうはいきません。現代いまの美容整形手術をもってしても、99.9%を突破するというのは不可能です」

 直人の声は矢継ぎやつぎばやだった。

「うーん…」

"あ、ちなみに双子も駄目ですよ。前やってみたんですが、このシステムは見破ってましたから"

「大した自信やなぁ」

 畑野は少し圧倒されていた。直人は普段、こんなにしゃべることがないのである。

"この製品を作ったN社の受け売りをそのまま言っただけです"

 …やはり大手精密機器メーカーから盗んできたものだったか。畑野は思ったが口には出さなかった。

"まぁどうしても、と仰るなら、指紋か静脈、あとDNAですよね"

「…それは、どれも厳しいわ」

"ですよね。"

 直人の声は失笑した。

「…うん、わかったわ。とりあえず、とっかかりはコレしかないし、一旦このデータ信用して行ってみるわ」

"それがいいと思います"

「じゃ。ありがとな」

 畑野が電話を切ろうとすると、

"あっ、ちょ、ちょっと!"

「ん?」

"すみません忘れてました。あと一点だけ"

 直人はあわてたように言って、"こっちでも気になって調べてみました。"

「お、まじかサンキュ!」

"ヒマだったもんで。でですね。そのアルフォンスさん、車を運転されてるって仰ってたじゃないですか"

「おう。毎日通勤しよるで」

"ですよね。で、日本こっちでフランス人が車を運転するって、実は結構めんどくさいんですよ。フランスの作る外国人免許は日本では有効じゃないんです…全部説明するとめんどくさいんで省きますけど、もう一個書類がないといけない"

「…それで?」

"それで、都内で、現時点で日本で有効な外国人運転免許証とその書類を持ってる外国人全員を対象に某データベースから検索してサクッと盗ってきまして。案外いないもんですね。20数人しかいませんでしたよ…要りますよね?"

「うーわマジか。お前やっぱ凄いんやな。欲しい。ありがとな、ホンマ助かるわ」

 これで下手をすると本名が分かるかもしれない。

 畑野はようやく、歯車が動き出すのを感じた。




 正直、ここまで来ればもうちょろいもんだった。

 昔、このCDの歌手は日本でも絶大な人気で、N●Kでも特集を組まれたことがあった…という高橋の一言を信用して番組表を調べたところ、確かにその歌手は平成元年、1990年6月にドキュメンタリー番組で特集を組まれ、放送されていた。

 4日後。

 畑野は雪乃とともに、原宿にあるN●K本社に潜入した。目的は勿論、そのドキュメンタリー番組のマスターテープを盗み出すためである。

 かなり難しいものだったもののこの"盗り"が成功したことは言うを待たない。

 そしてその後二人は、このテープの中身の確認と並行して、直人が送ってくれた例のリストの確認も行った。

 直人は気をまわして、その外国人運転免許証に載っている顔写真で認証もしてくれていたらしく、本人と思われるデータに丸をつけてくれていた。

 その人間の住所は恵比寿。アルフォンス・ラバーバラの居住地と同じであることが確認された。

 これにより、「アルフォンス・ラバーバラ」という名前は偽名で本名は別にあること、さらに父親は経済界でのっぴきならない人物であることが判明した。

 以上の調べにより浮かび上がってきた真実。

 それは、畑野と雪乃の顔を重苦しいものにさせるに充分なものだった。




 …こうなることは分かっててん。

 雪乃は後に、私にぽつりと、こう漏らした。そして。

 …哀しすぎて、涙も出んわ。




 あの言葉は十数年経った今も、私の心に刺さっている。


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