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黒ウサギ  作者: 田中利佳
3/18

第三章 Morello Pacific

 話は変わるが、伊藤 貴志はB型である。

 興味のある事には完璧はクオリティをもってとことん行動するのだが、それ以外となるととんと何もやらない。

 幸い怪盗業に関しては師匠からの徹底的なしごき・・・というか矯正を受けたためこの性質はほとんど出てこないのだが、その前の下調べ(それも盗む物があるかどうかも分からないレベルでの調査)となると話は変わってくる。

 今回の場合もその性格は如実に現れた。

 片手間でいい、と佐藤に言われたのに本格的に調査を始めたのである。


 まず、彼が取った行動はこうだった。

 東京都内にマンションを借りた。

 次に、有楽町のとある雑居ビル屋上から、向かいにあるそれはきらびやかなビルを監視し始めた。そのビルとはMorello Pacific Japanの直営店兼本社である。


(・・・一ヶ月もすれば叩かんでも勝手にホコリが舞い上がるわ。)

 これが、一日ビルを見続けて伊藤が感じた第一印象である。

 社内は結構ぎすぎすしているようだった。今日午前中だけで部下に説教ないし怒鳴り散らす上役の姿を7回も目撃した。盗聴器を仕掛けていないのでどういうやり取りをしているのか定かではないが、どれも上役が一方的に叱り飛ばしているように見える。

 その上役は帰りが早い。遅くとも19時にはうきうきした顔でビルから出てくる。一方怒られている部下や平社員の帰りは遅い。早くても22時は超えて、疲れ果てた顔でビルから出てくる。

(・・・さて、どれにしよかな・・・)

 実のところ、伊藤は今回の調べの入手先について大体のアタリをつけていた。

 その入手先とは、当初は意気揚々と入社したものの、上司からの度重なるわがままに振り回され目の光を失っている人物。帰りにJRのガード下か地下の飲み屋街あたりで一杯やるのが唯一の娯楽で、住まいはワンルームのアパートに一人暮らし。

 ざっと見繕っても、22時過ぎに出てきた社員はほぼ全員が該当しそうな条件である。


 伊藤はこの後数日間、監視を続けた。

 そして、次の行動に移ったのである。


 その男の名は、森山信義もりやま のぶよしと言った。

 歳は42。Morello Pacific Japanに入社して丁度10年になる。元はとある美術館で学芸員をしていたのだが、そこで企画した一ヶ月限定の展覧会が予想外に反響を呼び、しまいにはたまたまその展覧会を見に来ていたMorello社の人間から「うちに来ないか」と誘われた・・・いわゆるヘッドハンティングによる中途入社である。

 給料は確かに上がったが、そう良いことばかりでもなかった。いざ入社してみると、そこは派閥争いの真っ只中で創設時Morello社が提唱していたはずの『世界にモレログラスという芸術を提供する』という考え方そのものが希薄だったのである。

 彼は当時の上司と仲間、数人とともに戦った。

 しかし組織と言う怪物の前に人数人の力はあまりに無力なものだった・・・仲間がいつの間にか一人、また一人といなくなっていく様はまるで真綿で首を締められていくようだった。

 入社から4年が経ったある朝、彼は取締役に肩を叩かれ、異動か退職かどちらか選べと告げられた。

 上司はすでに海外に飛ばされ、みぐるみ剥がされたも同然だった。彼は戦いに敗れたのである。


 あれから早6年・・・。

 何度君津と有楽町をこの車で往復しただろうか。

 森山は缶コーヒーを手に一息ついた。

 目の前には真っ黒な海。そして向こうには新日鉄君津工場がナトリウムイエローの光を灯し、煙をもくもくと吐いてうなり声を上げている。

 君津の6年の歳月は森山をものの見事に無口な男に変えていた。

 あの4年の戦いは、彼の心身を想像以上に疲弊させていたのかもしれない。

 共に戦ったかつての仲間や上司も、すでにこの組織を去っていた・・・彼は口を閉ざし、この君津でクリスタルガラスと向き合う道を選んだのである。

 そこに甲高い電子音がして、森山は缶コーヒーをボンネットの上に置いて上着のポケットを探った。

 10年ぶりの大学の同窓会の知らせだった。

 携帯の光とその知らせが、工場の光そっくりな色をして森山の顔を照らしている。

 ややあって、森山は参加の旨で返信をした。




「もりや・・・ま?!」「えっ・・・?!」「うそぉーーーーーーーーーっ!!」

 新橋の居酒屋に到着すると出迎えたのは、かつての同輩達の驚いた顔だった。

 森山はどう返したらよいか分からず、ただはにかんだように笑っていた。

「久しぶりだなぁおい!元気だったか?」

「変わったねー!前会った時は目が吊り上ってたもん、ちょっと怖くって・・・。」

「本来のお前に戻った、って感じだよ。ある意味、大学時代からは変わっていないかもな。いいよ!いい感じだ」

「まあ立ち話もなんだし、みんないい加減座ったら?」

 失笑とともに誰かの声が言ったのをしおに、10人強いた40代の男女ははたと顔を見合わせ、それもそうだと笑いあって席についた。森山もざっと見渡して、奥の席が空いていたのを見つけ、そこに通してもらった。


「・・・ちょっと聞いていいか?」

 早々にビールが注がれ、乾杯の挨拶が済んだところで隣に座っていたそれは精悍な男が声をかけてきた。

 彼の名前は中村雄一。大学時代はよくこいつとつるんで高田馬場のショットバーをはしごしたものだ。

「お前、ここ10年の間に何があった?転職した、てのは知ってたけど、全然電話はつながらなくなるし・・・みんな心配してたぞ?」

 気がつくと、その場にいたほぼ全員がそのやり取りに耳を傾けていた。中には本当に心配そうに森山を見る顔もあった。

 森山は何だか申し訳なくなって、ここ10年の顛末をかいつまんで話した。

「えぇ?!森山君が会社に入って派閥争い?!」「それはキツそうだなぁ・・・。」「そりゃ連絡取れなくもなるわ・・・」

「よく戦おうと思ったな。大学時代から想像もつかねぇよ」

 言われて、確かに・・・と森山は思った。大学時代の自分といえば、飲んだくれているかデッサンしてるかバイトをしてるかで全うに大学に行った事がない状態だったのである。変わったのは、美術館の学芸員になって企画をするようになってからではないだろうか。

 そんな事を話すと、中村が口を開いた。

「確かに、お前アイデアが奇抜なところがあるからな。」

「そうそう。確か2年の学祭の展示も森山君のアイデアじゃなかったっけ。学長から特別賞取ったやつ。」

 中村の隣にいた女性が口を開いた。彼女は片山まゆみ。森山と同い年で、今は人形やぬいぐるみの製作をやっていると中村から聞いている。確かに10年で老けはしたが、かわいらしい雰囲気と笑った時のえくぼは大学の頃のそのままだ。

「・・・あ。そういえば。おめでとう」

 森山は二人に頭を少し下げた。

「あ?ああ。そういや一昨年の式、出れなかったんだよな。ありがと。」

 中村は笑って言った。

「そりゃ君津への引越しやら何やらで忙しかった時期だもんね。無理もないわよ、気にしないで。」

 まゆみも言ってくれて、森山は一安堵した。

「今度、自由が丘に店を出すことにしたんだ。」

 中村は言った。「まゆのぬいぐるみとアクセサリー、それと俺の作品をはがきにしたりして出すんだ。まぁ、雑貨屋だよ。」

 中村は絵が専門だ。

「広くはないんだけどね。」

 まゆみは言った。

「・・・広くはないほうがいいだろうね・・・。」

 森山は二人の作品を思い出しながらゆっくりと言った。「二人とも広い空間はちょっと・・・。むしろ狭いくらいが丁度いいんじゃないかな。あとアンティークを置くと、いいかも・・・。ちゃぶ台とか、壊れた家具の古いやつとかを陳列用に使うんだ・・・。二人とも、不思議なくらいに古い物との相性がいいからね。」

 森山の言葉にまゆみと中村は思わず顔を見合わせた。そしてあわてて、

「ちょっと雄ちゃん!メモ、メモ!」「どわっ、ちょ、ちょい待ち!森山、今の、もいっぺん。」

「本当、森山君はそういうところ変わってないなぁ。」

 誰かの笑った声がした。

「でも、こういうところに俺は10年も振り回された・・・とも言うよね。」

 森山は言った。その目はとても遠く、暗かった。その眼差しに、その場にいた皆の息が一瞬、止まったようだった。

「雄ちゃん、店オープンする時決まったら教えてよ。行くからさ」

 森山は努めて明るく言った。




 それは飲み始めて40分ほど経った、メインの鍋料理に火が点いたあたりだった。

「Y社の記事は興味深く読ませていただきました・・・」「どうも。・・・」

 どこからか途切れ途切れにやり取りが聞こえ、森山はあたりを見回した。

 Y社。Y社集団食中毒事件のことだろうか。

 あれは自分も興味があった。おごり高い会社風土が食品工場のマニュアル不徹底を招き、挙句数百万規模の食中毒を起こした事件である。伝統のある腐敗した組織形態は今のMorello社そっくりだったのだ。

 灯台下暗しだった。その声は森山の座っている席の左隣、つまりすだれの向こうで繰り広げられていたのである。顔はよく見えないが、どうやら男二人のようだ。

 目の前では中村達が、今度は大学時代の思い出話に花を咲かせている。森山はそちらの話を聴くふりをして、すだれの向こうに耳を集中した。




「Y社の記事は興味深く読ませていただきました。驚きました、日付を見たら○月×日になってる。まだ食中毒のしの字も出ていなかった頃ですよ」

-どうも・・・たまたまです。ただ、誰よりも早くすっぱ抜いてやろうとは思ってたけど(笑い声)

「例の工場長の所にも誰よりも早く取材に行かれてますね。僕らがあの工場に行った時、すでに貴方は執筆に入っていた・・・インタビュー中に本社から電話がかかってきましてね。寄稿があった、君達は裏づけだけしてもらえればそれでいい、ってこうですよ。うちの若いモンがじだんだ踏んでましたよ、"またシダーにやられた"ってね」

-アッハハハ・・・そうですか。そりゃそうですよ、こっちはあの事件の一年前からあそこの会社をかぎまわってたんだから。ここで起きるとすれば出もとの工場はここか、ここ。って言う風に大体分かってましたから。

「そうですか、一年前から・・・。それでですね、あの・・・大変失礼ですが、お名刺など頂戴しても宜しいでしょうか。お名前とお電話番号は存じ上げてるんですが、住所が・・・」

-あぁ!そうですかそれは大変失礼いたしました。それでは改めまして・・・私、シダーコーポレーションのフタミと申します。(と男の影が立ち上がり名刺を渡した)

「N経新聞社会課のハセガワと申します。ほう、事務所は日暮里ですか」

-ええ。最寄りは西日暮里になります。ぼろい個人事務所ですが・・・お近くの際は立ち寄りください。うち、コーヒーだけは美味いんです(笑い声)

「そうですか・・・いえ、こちらこそ是非伺わせてください。」




 その後数十分のやり取りの後、二人の影は立ち上がり、いなくなった。

 ふと足元を見ると、小さな紙片が一枚落ちていた。

 どうもすだれの向こうの男が落として行ったらしい。

 森山はそれを拾い上げた。


" 東京都荒川区西日暮里○丁目▽-×

 シダーコーポレーション(株)

代表 二見 剛気 Futami Gouki"


 森山はそれをこっそりとポケットの中へとしまった。


 そしてその数日後。

 森山は西日暮里の駅からほど近い、とあるこじんまりとした雑居ビルの一室の前に立っていた。



 この森山との出会いから数年後に伊藤は、私にこう語っている。

 彼の内部告発がなかったら、今回の怪盗劇は成し得なかっただろう、と。

 それほどまでに彼からもたらされた情報は要所を突いており、的確な物だったのである。


 あのイングリッシュパブでのやり取りから一ヵ月後。伊藤は黒ウサギ上層部、佐藤弘毅から呼び出された。数日前に提出した報告書について、説明を求めるというのが呼び出しの主旨である。

「よぉ、一ヶ月でここまで調べ上げたな。」

 開口一発、佐藤はこう切り出した。「・・・片手間でええ、言うたやん。」

 伊藤は頭をぼりぼりと掻いた。「そのもう片方の手も空いてたんですわ。あとは運が良かった」

「・・・ほぉ」

「エビで鯛を釣ろうとしたら本マグロがかかってきたんですもん、こっちがびっくりしました。」

 伊藤の言いぶりにウソはなさそうだった。森山信義という男の出現は本当に予想外だったらしい。

 実はあの日、ターゲットにしていたのは伊藤(二見)が座っていたテーブルのはす向かいにいたMorello社の平社員だった・・・まさかすだれの向こうにもう一人Morello社の人間がいたとは予想だにしなかったのである。

 ちなみに、あの時N経新聞の社会課の男を演じたのはよれよれのスーツに身を包んで眼鏡をかけた畑野だ。

「・・・そうか。」

 佐藤は手にしていた報告書に目をやり、「ワンマン経営はほんまやったんやな。」

「ええ。あそこは今、会長兼チェアマンのMarc Poznerマーク・ポズナーっていう男が実権を握ってる状態です。経営の手腕は確かに凄いですね、経済紙でもちょくちょく名前を見かけるほどですから・・・ただまぁ、ありがちな傾向として、その・・・現場を知らない、言うんですか。その・・・クリスタルガラスの作品をただの商品、売れたら金になるものとしか見てない所があって、職人が提示してきた希望価格のほぼ無視は当たり前ですよね。で、廃棄予定の物を勝手に引き取って世界各地の裏工場で表面加工してそれっぽく見せて、で高値で売りつけたりしてるようです。」

「この前のワイングラスもその類てことか」

「・・・おそらく。」

 伊藤は頷いて、「日本の裏工場は君津にあります。森山は去年からそこの工場長です。その前から勤務はしていたようですが・・・面白い経歴の男ですよ」

「うん、見た。」

 佐藤もにや、と笑って、「・・・好みやわ、こういう真っ直ぐな奴は。・・・って俺、ソッチの気で言うてるん違うで。」

「分かってますよ」

 伊藤は思わず失笑した。「僕、直接会いましたけど・・・佐藤さんのおっしゃる通りホンマ真っ直ぐな人でした。でも物静かで、でも奇抜なインスピレーションと凄まじい情熱を隠し持ってる・・・そんな男でしたよ。」

 伊藤はそこでややあってから話を戻した。

「・・・まぁ、そんな訳ですから彼は当然裏ルート、組織の実態はほぼ把握してますよね。彼はそれを洗いざらい、僕に話してくれました。僕はそれを元に裏づけ調査をして、でそれにまとめただけです。一ヶ月の期限付きやったんで、調べきれん情報もかなりありましたけど」

「それが、後ろについてたコレか?」

 佐藤は、資料の最後1頁をひらひらと見せた。

「ええ。そうです。」

「『会長とガラス職人の仲はかなり悪い。職人組合長にPabro Auteuilパブロ・オーテュイユ言う男がいて、こいつがストやら何やらやって抵抗してるけど、実際金で買収されてMarcの言いなりになってしもてる職人も少なからずおる』か・・・まぁ・・・容易に想像付くな。しかし、何でこんだけもめにもめてる会社の内情が外に漏れへんのや?」

 それこそ経済紙にスッパ抜かれそうなモンやけど、と佐藤は言った。

「・・・実はそれも調査途中なんですが・・・それも分かりやすい構図ですよ。マークは財閥の御曹司です。娘が3人いましてね・・・」

 伊藤はここで言葉を切って、「・・・一人はR通信の社長。あとの二人はW社のプレジデントの息子と取締役の息子。に・・・それぞれ嫁がせてるんです。」

 R通信もW社も、いずれも世界を股にかける大手国際経済紙である。

「・・・血縁と金でマスメディアを黙らせてる、っちゅうことか?」

「金の方の証拠がまだ上がってませんが・・・多分」

 伊藤は言った。

「ふん・・・」

 伊藤は資料に付いていたマークの写真を指ではじいた。「・・・気に入らんな。」




 "黄金世代"。

 黒ウサギ内で最近、流行語並みに耳にする単語である。

 実は2000年4月の時点で実行犯に在籍している人間のおよそ半分が昭和58年~59年生まれ。16~17歳の少女なのだ。

 勿論、その中で班長になっている人間はまだいない。しかし中には、すでにそれに近いレベルにいるのではないか、と言われている者も少なからず存在する。

 森雪乃もその一人だ。

 雪乃は元々児童養護施設にいた子供だった。それを引き取って育て上げたのが、当時30過ぎ、実行犯第二班班長だった畑野である。

 雪乃は畑野の厳しい鍛錬の末、わずか12歳という若さで実行犯入りした。

 それだけでも黒ウサギ内の話題をかっさらうには充分過ぎる出来事だったのだが、さらにその後同様にそれぞれの班長の下で育てられた子供達が、まるでいっせいに花が咲いたが如く実行犯入りし大活躍を遂げることとなった。

 そしてとどめが今年2月の塚本恵の実行犯入り、そしてほぼ完璧、見事と言って良いまでの立ち回り。

 これが決定打だった。"黄金世代"という単語は、組織内でにわかに脚光を浴びることとなったのである。




 佐藤とのやり取りを終え、河上商事の別荘を出ると、緑とかすかな潮を含んだ初夏の風がそよ、と伊藤の頬をなでた。

 ・・・やっぱり東京よりこっちのほうが暖かいんやな。

 伊藤は妙に実感して、車の運転席に乗り込み持っていた封筒をばさり、と置くと、キーを回して車を発進させた。

 と。

「何これ。」

 不意に後部座席からにゅっと手が伸びてきて、伊藤は危うく急ブレーキをかけるところだった。

 うわさをすれば森雪乃だ。いつからそこに隠れていたのだろうか。

「ちょお、アタシにも見せてぇなぁ!」

 隣には塚本恵もいる。

「あカン。私がさ~き~!」

「えー?!ケチやなぁ、そんなん言うてたらモテへんでー!!」

「うるさいわー!!」

 瞬く間に封筒の取り合いっこが始まり、後部座席が大わらわになった。

「うるっさいのはお前らや。封筒ん中には同じ資料が4部入っとる。仲良ぅ見ぃ。」

 伊藤のつるの一声で、後部座席戦争は一気に沈静化した。

 伊藤はああ言ったが心の中では一安堵していた。

 雪乃と恵。あまりに育った環境の異なる二人である。おまけに二人とも16歳、まだまだ難しい年頃でもある。畑野ともその辺りはよく話をしていて、その結果、日頃から二人についてはどちらかができる範囲でよく見守ること、もし何かあった際は速やかな情報の共有と対応策について相談し講じること、と取り決めていた。しかし幸い、まだ今のところ二人に何かあった、とかそのような兆候は見受けられていない。

「・・・で、二人揃って何やっとったん。」

 伊藤は二人に声をかけた。

「・・・ゲーム?」「うん、ゲーム。」

「どんなん?」

「まず、スタートとゴールを決めんねん。」

 雪乃が説明した。

 まず、ゴール地点を決める。今回は河上商事の別荘のある神戸市須磨区、高倉台の扇キ山だったらしい。

 次にスタート地点だが、これがユニークで、二人それぞれが自由に決められるのだそうだ。ただし、ゴール地点の半径1km。この線の上のどこかであればどこでも良い。二人はそれぞれで須磨区の地形を頭に入れた上で、より有利な場所をスタートと定めてお互い事前に報告するのだそうだ。

 あとはスタートする日時を決めて、その時間が来たらお互いに連絡を取り合って、ゴールに向けて出発だ。先にゴールした者が勝ちである。勝った方は負けた方に昼ご飯をおごってもらうのだそうだ。

 ただし、このゴールへの向かい方だが、いくつかルールが存在する。


 ・公共交通機関の使用はNG。自転車もNG。

 ・身につけて良い物は携帯可能な工具とワイヤーだけ。

 ・なるべく直線距離で移動すること。


 この直線距離で移動、というのがミソで、例えばその直線距離に建物があった場合でもこのルールは適用される。つまり・・・ピッキングをして建物の鍵を開け、また閉めてその建物内を通り抜けるか、またはその建物の外壁をよじ登って建物の上を通るか、そのどちらかをやらないといけないのだ。

 ゲームが終わると、二人は身に着けていたお互いのGPSからデータを取り出し、実際どのようなルートを通ったか見せあいっこするのだそうだ。

 ちなみに、今日のゲームは雪乃の勝ち。とは言え恵も雪乃の到着から5分くらい後に着いたそうで、これで痛み分け、お互い3勝3敗だそうである。 

「ゲーム、言うてるけど実際訓練に近いなぁ。っていうか、俺もやりたいわ。今度誘ってや。」

 と伊藤が言うと、

「えー???」

 恵があからさまにイヤな顔をした。「勝てる自信ないわー。絶対負ける。」

「私も絶対ムリ。カズさんにも勝てたことないのに」

 カズさん、とは畑野のことだ。雪乃も思わず笑って、「でもデータは見て欲しいかな。伊藤さんの意見は聞いてみたいわ。」

「あー、それええな。」

 恵もうなずいた。

「あと、伊藤さんやったらどういうルートたどるか、ってのも興味あるな。」

 雪乃が言うと、

「確かに!じゃあやっぱり3人でやってみる?か、勝ち負けなしで」

「そ、そうやね。」

 雪乃も恵のドモリに合わせたように言って、「一時間ぐらい待たせてしまいそうやけど」

「ええよ全然。ま、気ぃ向いたらさそってぇや。」

 伊藤は言って、「よっしゃ、じゃあ今日の昼飯は二人とも俺のおごりや!」

「やぁっしゃーーーーー!!!」「マージーでーー?!!やったーーーー!!!」

 後部座席はまたもハイタッチの大わらわになった。




 神戸、ハーバーランドから見える海は今日も穏やかだった。

 その海を望む、とある商業施設の2階レストランに、伊藤と恵、そして雪乃はいた。

 午後2時。平日なこともあり、店内は空いている。

「どないしたん。そんなそわそわして」

 伊藤は怪訝な顔で、目の前に座る雪乃を見た。

「・・・いやー。だって。なぁ。」

 雪乃はもぞもぞと恵を見た。

「そやね。」

 恵も苦笑いして、「うちら、昼飯おごってもらう言うてもいつもマクドとかやねん。まさかこんなレストランやとは・・・。」

 それもランチだというのに平気でフルコースが出てくるような店である。

「マクドか・・・。」

 いかにも高校生らしい、と伊藤は思った。

 とそこへ。

「ごめん、遅なった」

 畑野がやってきた。手にはでかいスーツケースを転がし、ノーネクタイのYシャツにスーツ姿。まるで出張帰り、といった風情だ。

「お疲れ様です。」

 伊藤はにこりと言った。

「・・・おぅ。何や、オマケが二つ付いてるけど。どないしたん。」

 畑野はここでようやく雪乃と恵に気がついたように、言った。

「オマケ、やて。」「失礼してまうわぁ。」

「訓練明けでお腹空かせてるようやったんで、連れてきました。」

 伊藤はぶつくさ文句を垂れている女子二人をよそに言った。

「そうか・・・頑張っとんな。お疲れ。」

 畑野は二人にニッと笑いかけ、伊藤の隣にどっかりと陣取った。

「・・・どうも。」「・・・最初からそう言やええのに・・・。」「まぁまぁゆきのん。」

 雪乃がまだぶつくさ言っているのを恵がなだめている。

「畑野さんも東京生活、お疲れ様でした・・・何か、面白い物があがってきたとか。」

「あぁ。」

 畑野はニヤ、と笑って、「これや。渡しとくわ。ここでは難やから、後で見たらえぇ。」

「ありがとうございます」

 伊藤はその茶封筒を受け取った。

「それ、何?・・・って、聞いてもええ?」

 雪乃が畑野を見た。

「何や急にしおらしなって」

 畑野は思わず笑って、伊藤を見ると「この二人、どこまで話知っとん」

「あらましはざっくり・・・。」

「そうか。」

 畑野は言って、「あの中身はな。通帳のコピーや。」

「・・・?」

 雪乃は恵と顔を見合わせた。二人の頭の上に?マークが点灯している。

「難しい話になるからはしょるけどな。あの中身持って出るとこ出たら、その次の日スーツ着たおっさんらが大勢、段ボール箱ぎょーさん持ってMorello本社に押し掛けるわ・・・アレは、そういう代物や。」

「まさか・・・。」

 恵は呟くように言って、「ニュースで見たことあるわ。ダツゼイがどうのこうのって・・・」

「ビンゴ。」

 畑野が指をパチンっと鳴らして、「アレは脱税の動かぬ証拠、ってやつや。」

(ダサっ・・・)(ダサイわ・・・。)

 今の畑野のリアクションに雪乃と恵の心の中が一瞬シンクロした。

「・・・で、それ、どうするん?。」

 恵が言った。

「・・・今のところは寝かせよう思てる」

 伊藤は答えた。「俺らの目的はあくまで宝物ターゲットの選出や。会社の不正を暴きだすことやない。」

「同感や。」

 畑野も頷いた。150cmと小柄なくせに手にしたワイングラスが似合いすぎだ。「それは切り札として取っといたらええと思う。」

 とそこへ。

「失礼致します」

 店員らしき男性が長方形の白皿を人数分持ってやってきた。「お待たせしました。前菜の盛り合わせでございます」

「・・・!」

 その顔を見て、雪乃の顔にみるみる驚きの色が広がった。

「どうも。」

 男がニコリと微笑った。

「ザキシマさん・・・?!」

「お久しぶりです、雪乃さん。」

 男の顔に笑顔が広がった。

「お?お前、知らんかったんか。ここはザキシマの経営しとる店やぞ。」

 畑野が言った。

「・・・誰?」

 恵が?という顔になっている。

「そうか。メグはオークションに出たことないから、知らんのか。彼はうちの人間や、売却班におる。」

 伊藤が紹介を始めた。

島崎正規しまざき・まさきと言います。塚本恵さんですよね、おウワサはかねがね。」

 男・・・島崎はそう名乗って、恵に握手を求めた。やわらかい口調とふちなしのメガネの奥の瞳がふわりと恵を包んでいる。

「ザキシマさんはオークションの司会者やねん。メグやんも一回見た方がええで。舞台上のザキシマさん、まるで別人やから。」

 雪乃が言った。

「はー、そうなんや。どうも。」

 恵は立ち上がって、島崎の手を握り返した。

「宜しくお願いいたします。」

 島崎は言った後恵の椅子に手をかけ、彼女を座らせると続けて伊藤に向かって、

「・・・ここは間もなく昼休みに入ります。他に客はおりません、スタッフもここの料理が出次第上で休ませるようにしますので店内は僕一人になります。」

 と手際よく言った。

「ありがとうございます。」「助かるわ。」

 伊藤と畑野がそれぞれ感謝の弁を述べた。

「・・・では、ごゆっくり。」

 島崎は会釈をすると音もなくその場を立ち去った。

「・・・で。」

 畑野はホワイトアスパラガスのマリネを飲み込んで、「そっちこそどうやった?佐藤さんの反応は。」

「マークの写真を指で弾いて、『気に入らんな』言うてはりました。」

 伊藤が言うと、

「アッハハハ・・・想像つくわ」

 畑野は思わず笑って、「てことは・・・調査は続行か?」

「ええ。そうです。」

 アイガモのスモークに箸をつけながら伊藤は答えた。

「それやったらこいつらも手伝わしたらどうや?」

 畑野の一言に、雪乃の目が輝いた。

「ホンマ?!やりたいやりたい!!」

 雪乃が言った。

「え?ゆきのんもやったことなかったん?」

 恵が意外そうに言った。

「うん。実行犯の手伝いだけで手一杯やったもん。うち、早いころから実行犯入ってたからやれ天才だぁ何だぁ言われてるけどさぁ。実際は全然やねんて。」

 だからうち、そういう根も葉もないことを並べ立てる上層部のやつらはキライやねん。と雪乃は口をとがらせた。

「まぁまぁ。」

 今度は伊藤がなだめにかかった。「じゃあ雪乃ちゃんは決まりやな。恵もやってみるか?」

「うん!」

 恵は強く頷いた。

「じゃあ決まりやな。」

 伊藤は言って、「二人にはまた詳しい報告書、送っとくわ。機密情報やからな。扱いには気ぃつけるんやで。」

「うん。」「分かった。」

 二人が引き締まった顔になったところへ、メインの一品目がやってきた。畑野と恵がパスタ、雪乃はピッツァだ。ここで会話は一旦中断され、やってきた料理の話にすげかわった。




「気に入らん、か・・・。」

 畑野が赤ワインを手に海を眺めたまま呟いた。「佐藤さんのカンは当たるんよなぁ・・・。」

 『気に入らない』というのは黒ウサギの内部でのみ通用する一種の隠語である・・・それは"ターゲットの匂いがする""何かきな臭いところがある"という意味となる。つまり佐藤はこのマーク・ポズナー、しいてはMorello Pacificの中に何かしらの不正とクリスタルガラスどころではない何かお宝が眠ってる、と言っているのである。

「とりあえず、不正については当てましたが・・・。」

 伊藤は言って、「佐藤さんはマークのことがいたく気になるようでした・・・特に過去。そして・・・これです」

 伊藤は畑野に資料を差し出した。

 それはさっき車の中で雪乃と恵が取り合っていた物だ。畑野はそれを受け取った。

 それは、新聞の切り抜きだった。



 恵比寿ガーデンプレイスとモレロパシフィックは16日、2000年11月3日(金)から2001年1月8日(月)まで、東京、恵比寿ガーデンプレイスにて『Morello ENERNAL LIGHTS -喜びのかたち-』を開催すると発表した。

 恵比寿ガーデンプレイスの年間コンセプトである『喜びのかたち』をテーマに、観る人が共に喜びを分かち合えるようにという想いを込めて、世界最大級のモレロシャンデリアとイルミネーションを展開する。

 メイン会場となるセンター広場には、高さ約10m、幅約6mのアルミケースとともにモレロシャンデリアを展示。シャンデリアはフランス、モレロ社の物でその政策には67名ものガラス職人が携わり、現在制作にあたっている。完成予定のシャンデリアは高さ約5m、幅約3m、クリスタルパーツ総数8500ピース、ライト総数200燈としており、会期中は世界最大級のシャンデリアが恵比寿ガーデンプレイスをいろどることとなりそうだ。



 『Morello ENERNAL LIGHTS -喜びのかたち-』

 期間:2000年11月3日(金)~2001年1月8日(月)

 会場:恵比寿ガーデンプレイス・センター広場

 主催:恵比寿ガーデンプレイス、モレロパシフィック株式会社

 後援:在日フランス大使館

 特別協賛:S株式会社



「ふぅん・・・。」

 畑野はワイングラスをくゆらせ資料から顔をあげ、赤ワインを口に含んだ。キャンティ特有の香りが前に座る雪乃まで届いた。

「・・・これを盗れって?」

「まさか。そこまでは。」

 伊藤は笑って、「まぁ・・・不正見つかった折はこれとか、どうや?とは言われましたけど」

「よう職人たちが作る、って言うたなぁ。内乱中やのに。」

「そのシャンデリアは元々、250周年を記念して20年前から職人たちの間で構想が練られていたものなんだそうです。マークがここの経営に手をつけだしたのが15年ほど前ですから・・・」

「ふぅん・・・。」

 畑野は資料をテーブルに置いて、「いただけんなぁ。」

 伊藤はここでようやく、コーヒーに口をつけた。

「・・・これ盗ったら、モレロ工房の歴史とか、職人のメンツとか・・・情熱、言うた方がええんか・・・それらを潰してまう気がするわ。あくまでその職人らの顔に泥塗って、不正働いてるんはMorello Pacificっちゅう"企業"。やろ?」

 畑野は言った。

「同感です。」

 伊藤も言って、「その旨は僕も佐藤さんに言いました」

「・・・何て?」

「『それもそうやな・・・やったら、マークとその一派の鼻をへし折るような象徴物。これやな。何かええ物やとええんやけど・・・。売れる物やないと意味ないしなぁ』言うてはりました。ただ、このシャンデリアは興味おありのようで、『これ、何かありそうな気ぃすんねん。片手間でええから調べてみてくれんか?』とも言われましたけど」

「何かありそう、か・・・。」

 畑野はなぜか、あちゃー・・・という顔になって、「佐藤さんのカンは当たるんよなぁ・・・。」とまた言った。

「ま、これは僕がやりますよ。」

 伊藤はニッと言って、「畑野さんはマークの周辺と過去を調べていただけますか?公式のんでも色々分かると思いますからそこからと、場合によっては出張も辞さず、で。通訳は必要あったら言うてください。手配します。」

「分かった。」

「それから佐藤さんからもう一点。"突っ込んでもかまわん"とのことです。」

「潜入調査のGOが出たか・・・。」

「ええ。これ以上は中入って調べんと。無理でしょう。」

 伊藤はそう言って、前に座る恵と雪乃に目を移し、言葉をつづけた。「・・・とまぁ、こんな具合や。メグは俺の下でこいつの調べ。雪乃ちゃんには畑野さんの下でマークの過去についてそれぞれ手伝ってもらお思てる。ええかな?」

「うん。」「分かった。」

 二人は頷いたが、不安と戸惑いが半分、楽しみ半分な顔になっていた。

 そんな二人を畑野は目を細め眺めていた。

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