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黒ウサギ  作者: 田中利佳
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第二章 黒ウサギ

 怪盗結社黒ウサギ。

 金品宝飾を盗み即座にそれを売りさばく強盗犯罪組織である。

 この組織は大きく三つの部署に分類することができる。

 1つが調査班。その名の通り、盗むターゲットの選定、調査をする部署である。調査範囲は多岐にわたる・・・ターゲットの置かれている状況、歴史。現在の持ち主の身辺も調査する。また、稀に闇のルートをつたって盗品を依頼してくる者もいるので、その場合はその依頼人についても持ち主同様、徹底的に調べ上げる。

 もう一つが実行犯。調査班の選定したターゲットの盗品を実行する。当組織の中では最もリスキーで、高い身体能力と精神力、洞察力等々が要求されるが花形とも言える部署である。ここは調査班と違い、人数もそう多くない。この部署だけが“犯”と呼ばれているのは、黒ウサギの象徴であると同時に少数精鋭であることを意味している。

 あとの一つは、売却班である。売り渡し班とも呼ばれている。これも読んで字の如し、実行犯からターゲットを受け取り売りさばく、又は依頼主に引き渡して報酬を受け取るという、これも組織内では重大な任務をこなす部署である。

 よって、ここには様々な人間がいる。

 まず通訳(兼営業)。これは取引をする相手の大半は欧米諸国の上流階級の人間(著名人や貴族、財界関係者等)であり、日本人はほとんどいないためである。

 次に調理/ホールスタッフ。売り渡しは取引先との直接交渉とは限らない。競合相手がいた場合は入札・・・つまりオークションにかけられる。大抵このオークションの後にはパーティーを開催しているため、そこで彼らスタッフが必要となるのだ。

 彼らは正式な組織の人間ではない。表向きは当組織の隠れ蓑である株式会社、河上商事主催のパーティーという扱いで、調理スタッフに関しては某一流ホテルメインシェフからの当日限りの引き抜き、ホールスタッフに関してはこれまた同様にホテルのホールスタッフ経験者からのアルバイト採用を行っている(これも英会話が堪能であることが条件である)。当然、オークションの参加も認められていない。

 もちろん、このパーティーには目的がある。情報収集の為だ。

 先ほどもお話ししたが、パーティーの出席者のほとんどは欧米諸国の著名人や貴族、財界関係者等である。彼らには共通した特徴がある・・・噂が大の好物なのだ。そして彼らも独自のネットワークを持っていて、その噂の質はかなり高い・・・つまり、事実である可能性が高いのである。

 なのでこのパーティーに目をこらすと、通訳や上層部が紛れ込んで客と談笑している光景を目にすることができる。

 なお、調理/ホールスタッフを除く売り渡し班メンバー、および実行犯メンバーはいずれもターゲットに関して熟知している必要があるため、調査班と兼任している場合が多い。2000年現在、組織の人間の全員が調査班と何かしらの部署とを兼任している状態である。


 その洋館は、神戸のとある山中、断崖絶壁にひっそりと建っていた。

 建物はボロボロで、管理している人間などいないように見える。

 が、周囲をよく見るとそこに向かう道は舗装こそされていないものの、雑草などは生えておらず手入れがされているようだ。

 伊藤は残暑厳しい木々の緑に目をやると、持っていた鍵で玄関を開け中へと入っていった。


 伊藤がその迷路のような廊下を抜け、まるで地下にたたずむスナックのような重い木の扉を開けてその一室にたどり着いた時、すでにその部屋には先客がいた。

「おっそーい!」

 振り向くと、恵より一回り身長の低い少女が一人、壁にもたれ腕組みをしていた。目も口も大きくて印象的だ。ニッと笑うとやえ歯がちらりと見える。年は恵と同じくらいだろうか。

「ごめん雪乃ちゃん、のんびりしとったわ」

 伊藤は笑って、「あとの二人は?」

「メグちゃんはお茶入れに行ったで。ハタノさんはあそこ」

 ユキノ、というらしいその少女は部屋の奥をアゴで指した。なんだか仕草がオヤジくさい。

 よく見るとランタンの光に照らされて男が一人、長いソファで寝そべっている。と思ったらパチッと目を開け、「よう。」と手を上げた。

「どうも。お疲れ様です」

 伊藤は頭を下げた。

「ほんまふはれたわ~」

 ホンマ疲れたわ、というつもりだったらしい。男は欠伸交じりに言った。

 しかしここは不思議な部屋だった。壁も床もゴツゴツした岩がむき出しになっていて、まるで洞窟のようだ。一応窓は二つあって、そこから絶景が見渡せるのだがサイズが小さく、そのままだと部屋が薄暗い。だから真っ昼間だというのに壁にランタンが灯されているのだ。

 男の名は、畑野和宏。実行犯第二班のメンバーである。確か今年で42、メンバー内では最年長と聞いている。

 ちなみに、今壁にもたれて髪の毛をいじっている彼女の名は森雪乃もり・ゆきの。彼女も第二班のメンバーであり、畑野の良きパートナーである。

「一体どうされたんですか?」

 伊藤が聞くと、調査の方がギリギリまで終わらんかった、と畑野は言った。

「四班候補のやつ手伝っててな。今年の四班は量が凄いわ」

 畑野は失笑した。

「そうですか・・・」

 伊藤は第四班班長の67歳とは思えない精悍な横顔を思い出しながら言った。

「ま、お前が他の班のこと気にすることないて。うちも質ではええ勝負や。な」

 畑野があわてて言った。

 この人は急に変な所で気を回すところがある。今度は伊藤が失笑して、「気にしてないですよ。それよか・・・」

 そこへ恵が雪乃にドアを開けてもらって中に入ってきた。お盆に人数分のコップと飲み物の入ったピッチャーが乗っている。

「どうやってあの暗号を解いてアレを取りだすか・・・今はそっちで頭がいっぱいですね」



 事の発端は、とある侯爵夫人のため息だった。

「ヒロ、私には最近嘆かわしい事があるの。聴いて下さる?」

 呼び止められた黒ウサギ上層部の一人、佐藤弘毅さとう・ひろきは振り返り夫人の姿を認めると、「勿論でございますMadam。いかがいたしました?」

「一つはミリィのことよ」

「えぇ。」

 ミリィとは夫人が文字通りネコかわいがりしている猫である。やんちゃなさかりらしく、屋敷に土の足跡を付け回って大変なのだと以前佐藤は聞いていたが、今夜もまた似たような話だった。畑野がこの場にいたらきっと大欠伸したに違いないが、そこはさすが佐藤である。親身に(多分演技だろうが)聴いていた。

「もう一つはうちのどら息子。どうしたものかしら」

「Scot様でございますね」

 Scot、という彼女の息子は今年で34になる。家を継いでもらいたいという彼女の意向に反して、彼は5年ほど前にその身一つでロンドンに飛び出し、コーヒーの移動販売を始めた。

 英国はご存知の通り"Cup Of Tea"の国である。コーヒーなど売れるはずもないという夫人の意見(というか猛反対)に反して、彼の産地、焙煎、豆の一粒までこだわり抜いたストレートコーヒーは口コミで広まりロンドンシティーでよく売れた。移動販売だったのも今ではCity Of Londonにほど近い一角に小さな店を構えるまでに成長している。

 実は佐藤をはじめ、売却班のメンバーはロンドン滞在の折、その店に足を向けていて常連客と化しているのだが、夫人に内緒なのは言うまでもない。

「あんな子に育つはずじゃなかったのよ、彼にはLuiz家の資産を運用してもらわないと。あの高校へやったのが間違いだったんだわ」

 また始まった。今度は佐藤が心の中でため息をついた。“かわいかった夫人のどら息子”がコーヒーにはまりだしたのは丁度寄宿学校に通い始めた16の頃からだったらしい。という話をすでに佐藤は6回は彼女の口から耳にしていたのだが、そこもさすがは佐藤である。親身に耳を傾けていた(多分これも演技だろうが)。

「あと一つはMorelloのことよ」

 夫人は今度こそ本当に翳りを帯びた表情になって、言った。

「モレロ・・・でございますか」

 聞き慣れない名前だ。佐藤は表情はそのままだったが今度は本当に耳を傾けた。

「あそこの質の低下は目を覆いたくなるわ、本当に」

「・・・」

 Morello。そうかあのクリスタルグラスのブランド、モレログラスのことか。しかし彼女がなぜモレログラスの事を?佐藤の頭はフル回転していた。

「実はね、私。Morelloに投資してるの。少し縁があって」

「・・・そうでしたか。」

 疑問は瞬時にして氷解した。

「投資自体はまずまずの成功だったわ。元金割れは起こしてない。業績は緩やかだけれども拡大の一途よ」

 でもね、と彼女の話は続いた。

「私はそのために投資をしたんじゃないの。あくまであそこのクリスタルグラスの完璧な美しさに磨きをかけてもらいたい、その一心でしたことよ。そのためだったらお金のことなんて構わなかった」

「・・・」

 ほう、と佐藤は心中驚いていた。彼女の資産運用はそれは堅実なものである。今の発言はそんな彼女には最も似合わない代物だったのだ。

「あれは20歳を過ぎた頃だったかしら・・・あのクリスタルに会ったのは」

 夫人の眼は目前に広がる夜景を飛び越え、はるかかなたを見ているようだった。話は続いた。

「それは大きな気泡の入った置物だった。圧倒されたわ・・・たかがガラスなのに、まるで周りの光をその気泡に集めてきらめいているかのようだった・・・完璧なまでの美しさだったわ」

 彼女が見たそれは、まだ世に出る前の試作品だった。父親の商談か何かに同行した際、Morello工房の見学をさせてもらえることになりその時に出会ったのだと言う。

「その置物はどうされたのですか?」

 買われたのですか、との問いに夫人は苦笑して首を横に振った。

「駄目だったわ。『これはいけませんお嬢様。これは粗悪品です、廃棄される予定の物ですよ』の一点張り。それなら譲って頂戴、と言ったんだけど今度はこのようなゴミをお渡しする訳には参りません、とこう来るワケ。あの頑固さには根負けしたわ。結局手に入れることは叶わなかった・・・」

 しかし夫人はその笑いを引っ込め、「今のMorelloにあの頃の面影はないわ。あの時に見た粗悪品以下の物がどんどん出回っているの。規模を広げ過ぎなのよ・・・そう何度も口出ししてるのにあのいまいましいフロントが聞く耳を持たないの」

「成程。お話を伺っている限りでは、そこは典型的なワンマン経営のようですね。そしてガラス職人の数が需要に足りていない、と」

「その通りよ!」

 夫人はExactlyのaに強い怒りを込めて発音した。


「・・・とまぁ、そういう話や。」

 ひと通り話し終えた佐藤はのどが渇いたのか、そこにあったワイングラスに口を付けた。

「興味深いですね。」

 伊藤はフォアローゼスのロックグラスに手を伸ばしかけたがやめて、口元に持って行った。伊藤は考え込むとよく右手を口元にやるくせがある。

 二人が話し込んでいるそこはイングリッシュパブだった。よく見ると二人とも立ち飲みである。

 ややあって伊藤は口を開いた。

「モレロクリスタル、というとフランスでは泣く子もだまるクリスタルガラスの工房です。MOFも50人強は出してると聞いた事があります。そんな急に質が落ちたとか・・・ちょっと信じられんのやけど」

 MOF、とはフランス大統領より与えられる最優秀職人の称号である。

「俺も同感や。ただ彼女の言動に嘘は感じられんかった・・・」

 佐藤は言った。

「なるほど」

 伊藤はあうんの呼吸のように頷いて、「分かりました、佐藤さん。ここは百聞は一見にしかず、です」

「は?」

「ここで話してても何も分からんでしょう。見てみましょう、現物を」

 伊藤の結論はあっけらかんとしたものだった。


 数日後。

 二人の目の前にはワイングラスが2つ置かれていた。

 どちらも重厚なデザインでオリエント急行の揺れにも耐えそうに見える。

「左側が、例の貴婦人が若いころ目にしたと思われる時期の物です。1970年代後半のル・クールシリーズの代表作ですね」

 ル・クールシリーズとはMorelloが持っているグラスブランドの一つである。

「・・・お前、これどこから持ってきた?」

 佐藤がちらと伊藤を見た。

「芦屋のお宅からちょっと拝借してきました」

 伊藤はにべにもなく言った。

「お前なぁ・・・」

 佐藤の顔に"やっぱりか!!"の7文字が刻まれた。が、

「・・・と言うのは半分冗談で、実際は理事長からお借りしてきたんです。了承も得てありますよ、なんなら確認取られますか?」

 理事長とは黒ウサギの実質上のトップ、河上利之かわかみ としゆきのことだ。組織の隠れ蓑会社、河上商事(株)理事長でもある。

「いつの間に・・・!お前はそういう事をなんで俺を通さんのや」

「すんません。何せ時間が惜しかったもんで。」

 伊藤はいたずらっぽい表情を浮かべぬけぬけと言った。

 佐藤は思わずため息をつきかけたがすんでの所でそれを飲み込み、「・・・それで?そっちのはいつの物や」

「これはさっき大丸で買ってきた物です。3万くらいやったかな。値段は当時の左側のやつとほとんど変わらんですね」

 大丸は神戸、元町にある老舗の百貨店である。

「そうか・・・領収書、後でもらえるか?組織の支出で出せると思うわ。で・・・」

 佐藤はあらためて、その2つのグラスをしげしげとながめて「見た感じ、そんなに差はないように・・・どうや?」

「おっしゃる通りです。ル・クールシリーズはMorello社の中では最も古いシリーズですから、おいそれとデザインが変わる事はありません。なので見た目は変わらない」

 伊藤は、"見た目は"にわざとアクセントをつけた。

「見た目・・・以外で問題があるんやな」

「・・・えぇ。結構歴然でしたよ。僕もびっくりしました」

 そう言うと伊藤はおもむろに理事長の私物のグラスを手に取り、いつの間にか右手に持っていた細長い金属棒・・・あれはマドラーか何かだろうか・・・で軽く叩いた。グラスはキー・・・ンと音を立てた。

「この音、特に長さ。覚えといてください。次・・・」

 続いて伊藤は3万円の方にも同じことをした。

「・・・ほう」

 佐藤は伊藤を見た。「言うてる意味、分かったわ。確かにそっちの方が音が長い。音色も何か・・・濁ってる、言うんか・・・」

 伊藤も頷いて、「クリスタルグラスの品質は一般に透明度の高さ、比重の重さで計られるんだそうです。透明度はちょっと見ただけでは分かりずらいんですが比重は重ければ重いほど、叩いた時の音が澄んで、長くなるんやとか」

「質が落ちたんはほんま、言う事か・・・」

「これ砕いて精密検査にでもかけたらおそらく、鉛の含有率が20%下回ってることあが分かるんちゃいますか。少なくともMorelloが公表してるフルレッドクリスタル30%とは天と地ほどの差ですよ」

「・・・。」

 伊藤の言葉に佐藤は2つのグラスを見たまま、ぐうの音も出ない様子だった。

「・・・どうします?調べるん、続けますか?」

 これ以上調べてもMorelloのスキャンダルが明るみに出るだけですよ、と伊藤の顔にはそう書いてあった。

 が、佐藤はしばらく考えにふけった後こう言った。

「あと1ヶ月、やってもらえるか。片手間でかまわん」

「・・・分かりました。」

 どうせ暇だったのだ。伊藤は本当に軽い気持ちで引き受けた。


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