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4.温もり

「やっぱり楽しんでるんじゃないか。ねえ一輝君~?」

 そこにいたのは洋介だった。

 けれども洋介であって洋介ではなかった。

 血走った目をして一輝を睨みつけてくる。そんな姿など想像したこともないほどに今の洋介はいつもとかけ離れていた。

 しかもなんだろう。どこか違和感を覚える。

 混乱したまま視線を下げていった一輝は、洋介の胸元が変に膨らんでいることに気がついた。

 そして気がつかれたことに洋介も気づいた。

「ああ、これか~?」

 言って制服のボタンをはずして前を開く。

 そこには化け物としか思えないおぞましい顔があった。

「な……っ」

 驚いて跳ね起きた一輝の両手をパタとシールが掴む。

「ニー様、あれがここにいた魔ですわ~」

「ですわ~」

「あれが……魔……?」

「です~。あれをこれから倒すのですわ~」

「ですわ~」

 一輝は勢いよくパタへと顔を向けた。

「倒す!? どうやって!?」

「こうやってですわ~」

「わ~」

 パタとシールは掴んでいた一輝の手を自身のお腹へと導いた。

 押し付けられた手が少女の体の中へと沈んでいく。

 もはや驚きの声すらあげることもできずに一輝は見開いた瞳で不可解な現象を眺めていた。あまりにも突拍子もなくて現実味がなかったことも事実だ。

 そこへぐふぐふと下卑てしわがれた声が笑声を発した。

 魔、だ。

 けれどそれは洋介でもある。

 魔と化した洋介は卑猥な笑みを浮かべながらすべての衣服を脱ぎ始めた。

「そんな奴よりも俺と楽しもうぜ。好きなだけイかせてやるからよ~」

 魔と洋介。二声が同時に同じ言葉をしゃべる。不気味さが増して一輝は思わず嫌悪感をあらわにした。

「おや~? 一輝君はお気に召さないようですね~。ひひひひひ」

 ふざけたときに洋介が一輝のことを『一輝君』と呼ぶのは前からだった。こうしたからかいの言葉自体は何度も聞いたことがある。

 けれども。この二つの口が同時に同じ言葉をしゃべるということが受け入れられなかった。しかも魔は洋介の胸元から生えているのだ。

 目の前にあるものを否定するように固く目を閉じて顔を逸らせた一輝にやさしい声をかけてきたのはパタだった。

「ニー様こちらを向いて。大丈夫ですわ~。わたくしたちがお守りしますから~。ニー様もご友人もどちらもお助けしますので、どうか信じてくださいませ~」

「せ~」

 ぽやぽやとしたほほえみが近づき、そして一輝の唇に温もりを伝えて離れていった。

 何も奪わないただの口づけ。

 その優しさに一輝は泣き笑いのような表情を浮かべた。

「よろしくな。パタ、シール」

 一輝の言葉にパタとシールはとてもうれしそうな顔をして彼の腕に抱きついてきた。

 そして。あたり一面を染め上げるほどの閃光がほとばしる。

 反射的に閉じていた目を開いた一輝は、右手に剣を、左手に盾を持ち、左右が黄金と紅蓮の二色に染まった衣装を身に着けていた。

 遠い遠い昔。卑弥呼がいたころに着用されていたようなどこかいにしえの神々を彷彿させる衣装。

 右手の剣は刀身が金色に輝き、一輝の拳を覆う籠手のような部分は羽のようにも見えた。パタのお腹に手を入れたから、これは彼女の腰にあった羽なのかも知れない。左手に持っている紅蓮色の盾の方にもよく見れば持ち手の反対側あたりに白い羽の図柄があった。

 それにしても。

「どうやったらこんな風に……」

 ぼうっと自身を見下ろしながらつぶやく一輝の意識に呼びかけたのはパタだった。

「ニー様、前を向いてくださいませ~」

「ませ~」

 盾を持った左手が勝手に持ち上がり何かを受け止める。

 その衝撃ではっきりと目が覚めた一輝は、その原因へと視線を向けた。

「……っ」

 盾が受け止めたのは洋介の腕から生えている剣だった。

 一輝とは違い憑りついている魔が無理やり体を伸ばして武器を作ったようで、あちらこちら皮膚を突き破っているところがある。

 そのおぞましさに一輝は息を呑みこんだ。

「本当に洋介は助かるんだろうな!」

 魔が剣を振るうたびに洋介からセイキが抜けていくように幽鬼めいた存在へと変貌していく。

 魔に襲われていることよりもそちらの方がより恐ろしかった。

「大丈夫ですわ~。完全にとりこまれる前に魔を倒しさえすれば元に戻ります~」

「ます~」

 一輝は顔をくしゃりとしかめた。

 ますます血走った瞳でねめつけてくる洋介。

 どうしてこんなことになったのか一輝にはわからない。それでも一輝にとって洋介は大切な友人だった。たとえ一輝が一方的にそう思っていただけだとしても。それでも友人としか呼べない存在だった。

「俺にできることなら何でもするからっ。だから洋介を助けてくれ!」

「ほんとうに~?」

「ほんとうに~?」

 にゅるりとパタの頭部だけが持ち上がり、ろくろく首のように伸びてきても一輝は逃げなかった。

「ニー様、ほんとう~?」

「ああ、ほんとうだ。だから助けてくれ」

 ますます近づくパタの顔。

 一輝はそっと目を閉じた。

 重なる口唇。そこから生気が抜き取られているのがわかる。

 そして左腕を伝い上ってきたシールの手が、胸を伝ってこれまでのようにとある部分へと降りていく様子がわかっても逆らわなかった。むしろ反射的に逃げ腰になりそうだった体を意志の力でもって必死でとどめた。

 そうしているあいだも一輝の左右の腕は剣と盾を振るって洋介――否、魔の攻撃をかわし、時に反撃もしていた。

「くっ」

 生気が抜き取られていくうちに一輝の呼吸が徐々に乱れてくる。

 生気は活力。吸い取られて失っていけば力がでなくなってくるのは当たり前だ。全て吸い尽くされてしまえば死ぬこともあるだろう。けれど大丈夫といったパタたちの言葉を今は信じようと一輝は思った。今頼れるのはパタとシールだけ。もしその判断が誤りで命を落としたとしてもそれはそれで仕方がないとさえ考えていた。

 目を閉じていても彼女たちにはなんら影響はないようなのでずっと閉じたままでいた。なまじ見えてしまうと反射的に洋介を庇ってしまって結果的に最悪の事態を招くことになっては困るからだ。

 だからなにも見ず、なにも聞こうとせずにただ洋介の無事だけを祈っていた。

 そんな洋介の右腕が肉を断ち切るような感触を伝えてきた。同時に空気を震わせた断末魔の叫び。

 恐怖からだろう。一輝の体は反射的にびくりと震えた。

 その直後、盾であるシールのこれまでとは違う庇い方と雰囲気で、返り血がかからないようにしてくれたのだろうと一輝は推測した。

 両腕にあたたかい温もりと柔らかさが戻ってきた。

「ニー様、もう目をあけられても大丈夫ですわ~」

「ですわ~」

 言われたとおりに目を開ければ、そこにはきちんと制服を着た洋介が倒れていた。

 セイキを吸われてかなり衰弱してはいるようだが生死に別状はないようだ。

 一輝はほっとして肩から力を抜いた。

「ニー様、この方のご自宅はわかりますか~?」

「か~?」

「え、ああ、わかるけど……」

 どういうことかと聞けば、一輝が洋介の自宅――できれば部屋を思い浮かべるだけでそこまで運ぶことができるということだった。

 まずは洋介を家へと運んで休ませてから一輝の元へと戻ってくるということだった。

 一輝は大きく息を吐き出して二人の少女を見返した。

 上から下まで視線を動かして見つめる。

 きゃっきゃうふふと少女たちが笑う。

「ニー様ったらどこを見てらっしゃるの~?」

「らっしゃるの~?」

 少女たちはただ笑う。責めているわけではない。ただ言葉のまま尋ねているだけ。

 一輝は再び大きく息を吐き出した。

「おまえらの体の構造を不思議に思ってただけだ」

 この言葉にようやくこれまでとは違う反応が少女たちに現れた。

 無垢なほほえみから妖艶な笑みへと。

「わたくしたちは人間ではないのですから考えたところで無駄ですわよ」

「わよ」

 その変化に一輝は目をしばたたく。そしてふっと息を吐いた。

「そうだったな」

 パタたちの笑みが深まる。

「約束を覚えていらっしゃいますよね」

「よね」

「もちろんだ」

 では。

「今宵いただきにまいります」

 この一言だけパタとシールの声が揃った。

 そうして一輝から洋介の家を読み取った少女たちは、その場から姿を消した。

 見送った一輝は己の体を見下ろす。

「ついでに俺の服も着せてくれればいいのに」

 恥ずかしそうに頬をわずかに染めた一輝はいそいそと制服を着込むと置き去りになっていた鞄を取りに教室へと戻る。

 何も問題になっていなかったことにほっと胸をなでおろしつつ一輝は今夜のためにスタミナのある食事をして帰ることにした。

「そういえば昼飯を食い損ねたな……」

 お腹を撫でながら一輝はぽつりとこぼした。

 応えるように腹の虫が早く食い物を寄越せと鳴いた。


 入浴まで済ませた一輝は全裸でベッドの上に転がっていた。

 最後は精気を喰らうのだといっていたのだからこれまでの経験からしてもそういうことなのだろうと考えた結果だった。

 そして突然彼の上に現れた少女たちもあたりまえのように裸だったため一輝はこれでよかったのだと安心した。

「覚悟はできているようですね」

「ですね」

「約束だしな。いいよ。好きなだけ喰っても」

 一輝はパタとシールへ向けて微笑んだ。

 あきらめではなく受け入れる。二人が言うように覚悟はとうにできていた。


 ゆるゆると浮上してきた意識に合わせて一輝はぼんやりと目を開いた。

 しばらくのあいだそのまま停止して乱れたシーツをただ眺めていた。やがて一輝はゆっくりと寝返りを打って天井を見上げる。

「とうとう童貞卒業か……」

 ぼそりとつぶやいた声には特に感情はなかった。

「初めてで一晩中喰われまくるって……これってどうなんだ?」

 ぼそぼそと不平をこぼすも後悔からではない。現実味がなくて記憶を漁ることで現状を把握しようとしているのだ。

 ちらりと窓に目をやるともう陽は高く昇っている。

「あー……、飯食わないと……」

 どんな時でも食事を忘れない。身についた習性になぜか笑えた。

 大丈夫。

 根拠もなくそう思えた。


 シャワーを浴びた一輝は、夜食にと思って買ってきていた焼きそばを食べていた。

 洋介が訪ねてきたのはその時だった。

 結局パタとシールからは状況を教えてもらえることはなかった。

 彼女たちは一貫して自分たちが言えることはなにもないという姿勢を崩さなかった。けれども洋介が教えてくれるだろうということだけは口にしたので待っていたのだ。

 いつものようにリビングのそれぞれの定位置に腰かける一輝と洋介。

 そうしてから洋介は持ってきていた袋を一輝に差し出した。

「俺を待っていて買い物に行ってないだろうと思って買ってきた」

「サンキュー」

 一輝がいつも買っているコンビニとは違う店で買ってきたようだ。普段見ない種類の弁当とおにぎりとサンドウィッチ。同じものばかりだと飽きるかもしれないと気を使ってくれたのだろう。店の名前を確認すると、この店は洋介の家から一輝の家までの道のりにはないところのものだった。

「サンキューな」

 一輝はもう一度お礼を言った。

「お礼を言うのも詫びを入れるのも俺の方だよ」

 ぽつりと洋介が口を開き始めた。

「俺……、西田のことが好きだったんだ」

「はい~!?」

 突然の告白に一輝は声を裏返らせてのけぞった。

 ようは自分が惚れた相手が自分の友人のことを好きだったからあきらめさせるためにあることないことどころかないことないこと吹き込んでいたというわけだ。

 一輝は拳を握りしめてこめかみに青筋を浮かべた。

(助けるんじゃなかった……っ)

 不穏な気配を感じ取ったのか、洋介は床の上に体を投げ出すとがばりと土下座した。

「すまん!」

 勢いがよかったのは最初だけで、あとはすまんじゃなかったすみませんだっただの、いやいやここはごめんなさいがよかったかだの言い始めた洋介を見ていた一輝は、脱力しながら息を吐き出した。

「もういいよ」

 そんなことよりも西田に吹き込んでいた数々の嘘だ。

「あ、それならもう西田に全部白状してきた。俺が今まで言ったことは全部嘘でおまえはずーっとフリーだって」

 それはそれで複雑です。一輝はがっくりと肩を落とした。

「それで……、西田から伝言。今日会いたいって」

「それって……」

「おう。たぶん告白だな。その前に今までのことの謝罪もあるだろうけど、メインは交際の申し込みってやつ」

 一輝は眉を寄せた。

「おまえはそれでいいのか?」

「言っただろう? 好きだったって。なんかさー、今回の件で吹っ切れたっていうかなんというか……。ま、そういうわけだから受けてやって? かわいいやつだよ、西田は」

「……受けるかどうかは西田次第だよ」

 洋介が薦めたからという理由だけで付き合うわけにはいかないと一輝が言うと、洋介はもちろんそれでいいと答え、さっそく待ち合わせ場所に向かうことになった。


 そして旧体育倉庫の前に一輝は西田と向かい合って立っていた。

(ここって滅多に人が来ないって言ってたけど、ほんとは頻繁に人が来てるんじゃないのか……)

 そんな風に一輝が考えてしまうほど最近はよくこの場所を訪れていた。

 思わず漏らしそうになったため息をこらえて西田を見かえす。

 洋介から事情を聞いた。なにもしていないのに責めたりしてごめんなさい。

 と、そこまでは難なく進んだのだが、そのあとの西田は口を開きかけてはとどまるということを繰り返していた。

「あの~、謝罪ならもう十分だから他に用事がないなら帰ってもいいかな?」

 埒が明かないので後日にしてもらおうと一輝がそう声をかければ、途端に西田が泣きそうな顔をした。

 さてどうしたものかと視線を逸らせば、隠れている洋介と目があってしまった。

 どうやら泣かすなと言っているようだ。ジェスチャーだけだとあまり自信はないが、たぶんそんな感じだろう。

 とはいえ一輝にはどうしようもない。

 西田へ視線を戻して再度今日はこれでと切り出せば、慌てて引き留めるように一輝の袖を掴んできた。

 必死な姿がなんだかかわいく見えてきた。なんとなく頬のあたりが赤いような……。しかし眼鏡が邪魔でよくわからない。

「なあ西田、ちょっと眼鏡外してみて?」

「え?」

「いいから」

 一輝がにっこりと笑って繰り返せば、さらに赤くなった顔。

(うん、かわいいなぁ)

 そんな風に思って一輝がさらに微笑むと、西田は照れながらそっと眼鏡を外した。そして上目づかいで恥ずかしそうに言った。

「これでいい、かな……?」

 赤く染まったかわいい頬がはっきりと見えた一輝は満面の笑みでうなずくと、すっと顔を寄せて触れ合わせるだけのキスをした。

「かわいいよ」

「え?」

 驚いた顔で両手で口を塞ぐ西田。そりゃそうだろう、と一輝も思ったが予想以上に唇がおいしくて再び欲しくなった。

「もう一度……いい?」

 すぐそばまで顔を寄せて、そう囁く。

 かすかに震えながらも手を胸元まで下して瞼を閉じた西田。

 一輝は嬉しそうに笑う。

 そうして今度は先ほどよりは少しだけ長いキス。

 一輝は壊れ物を扱うように西田をそっと抱きしめた。

「好きだよ……」

 無意識に言葉が零れ落ちたけれど、一輝は後悔しなかった。

 少しだけ体を放して顔を覗き込めば、西田は涙を浮かべていた。

「どうしたの? いやだった?」

 途端に首を振って西田は否定を返す。

「好き」

 小さな小さな声がようやくそう告げた。

 あとは流れる涙と一緒にどんどんと。

「好き。好き。二ノ宮君が好き」

 うん、と一輝が応えてもう一度キス。

「俺も優芽が好きだよ」

 そう一輝が言った途端、西田優芽は満面の笑みを浮かべた。本当にうれしそうな表情だった。

 つい一輝は優芽を抱きしめてしまった。

 私服越しに伝わる温もり。そして柔らかな……げふんげふん。

 まだ触っちゃダメだよね。

(わかってるよ。だから睨むな洋介)

 でも、いつかは。

 そんな風に思いながら一輝は温もりを堪能するように目を閉じた。

 パタとシールとのことはやはりただのセイキの供給と報酬の支払いでしかない。

 男だって、やるなら心がともなっている方がいいに決まっている。

 そっと背中に触れてきたやさしい温もり。

 一輝は嬉しそうに頬を緩めた。


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