3.俺はなにもしていない
しばらく休んだのちに起き上がった一輝はようやく己の食事にありつけた。
パタとシールには許可も得ずに先に食べたのだからもう邪魔はするなと言い置いてリビングにあるほかのソファーへと座らせた。
疲れていた一輝は買って帰った弁当や菓子をすべて平らげてしまった。これには本人も内心驚いていたが、よっぽど疲れていたんだなと適当に納得しておいた。むしろ考える気力すらなかったともいえた。
シャワーを浴びてすぐに寝室へ。
ふらふらとベッドに横になった一輝はパタとシールの存在をすっかりと忘れていた。
思い出したのは朝になってから。
目覚まし時計の音で起きた一輝は既視感を覚えた。
たしかにパジャマを着ていたはずなのにいつのまにか全裸になっている。両腕はやはり全裸のパタとシールに拘束済み。
一輝は天井に向けて大きく息を吐き出した。
「パタ、シール、朝だ、放せ」
朝はどうしようもない部分についてはもうあきらめて二人を起こす。
なんとなくそうなるだろうなと思ったとおり、二人は昨夜のようにそこへ口づけあっさりと寝かせてしまった。
もう乾いた笑いしか出てこない。
「おまえらいつまでこんなことやってるつもりなんだ?」
パタたちはきょとんとした顔で一輝を振り返った。
「全てが片付いてニー様の精気をいただくまでですわ~」
「ですわ~」
「あ、そ」
やはりそうなのかと思いながら一輝は考える。
そうしてこれだけは守ってほしいことを告げた。
「家の中でならこういうのもまああきらめてやるから、外では絶対にするなよ。とにかく人が見ている場所では服を着た状態でも抱きつくのも口をつけるのも禁止だ。いいな?」
「でもこれだけの生気ではわたくしたちは持ちませんわ~。肝心な時に力がでないようではニー様を守れませんもの~」
「もの~」
「守る?」
一輝は二人の瞳を順に見返した。
「誰から守るって? おまえたちはいったいなんなんだ?」
「魔から守るのですわ~。わたくしたちはニー様の護衛を務める矛盾ですの~」
「ですの~」
片眉を持ち上げた一輝は、いったん視線を落としてから再び持ち上げて二人を見返した。
「矛盾ってのがお前たちのチーム名か?」
「そのようなものですわ~」
「ですわ~」
ようやく一輝にもわかってきた。断片的なものではあったが。
髪を掻きむしった一輝はふと時計を見た。
「そろそろ学校へ行かないといけない。お前たちは……ああ、そういえば思うだけでどこにでも行けるんだったな。とにかくおとなしくしていろよ」
支度しているあいだも、実際に出かける際もおとなしくリビングのソファーに座っていたので一輝は安心して登校した。
そして教室に入った瞬間その場にしゃがみ込んだ。
「お~ま~え~ら~」
小さく小さく唸った声が聞こえたのはパタとシールの二人だけだった。
いったいどんな技を使ったのか。クラスメイトには誰一人として疑問をもたれることなく受け入れられていた。
黄金パタと紅蓮シール。
なぜ誰も変に思わないのか、このふざけた氏名を。いくらDQNネームとかキラキラネームとか呼ばれる変な名前が蔓延してきているとはいえ名字までこれでいいと思っているのだろうか。
いやしかし昔から小鳥遊とか四月朔日とか百目鬼とか九とか朏とか四十八願とか百千万億とかいろいろとあったわけだから、こうだと言われればそのまま受け止めるしかないかもしれない。こちらのほうがセンスが格段に高いが。
だからそういうことにしておこう、と一輝はそこでこの件について考えることをやめた。
「ニー様、おはようございます~」
「ます~」
髪と瞳の色を日本人らしいものに変えて腰の羽を隠す。そうすればどこからどう見ても女子高生にしか見えない。しかもとびきりの美少女。一般人だとは到底信じられないほど。が、彼女たちはモデルでもなければ女優でもアイドルでもない。
皆が皆美少女だと認識しているにもかかわらずそこで止まっていることが逆に異常だともいえよう。そのことを誰も不思議に思わないことも含めて。
いったいどんな技を使ったのか。
一輝はため息を一つこぼすと片手をあげてパタとシールに応えた。
「今日もモテモテだね一輝君」
がっしと一輝の肩を掴んでにやにや顔を近づけてきたのは洋介だった。セリフにものすごく棘がある。
こいつはこういうやつだと一輝は軽く受け流したが、そういうわけにはいかない人物もいた。
「二ノ宮君ったら不潔よ」
出た。
一輝は心の中でそう呟いた。
クラス委員の西田優芽だ。
西田曰く。美少女を侍らせていてなにもしていないはずがないということだ。
西田も眼鏡を外せばそれなりの顔をしている。スタイルも悪くはない。あくまでも制服を着た状態での判断でしかなく、もちろん実物など拝んだことはないが。
(まあ昨夜と今朝はやっちゃったというかやられちゃったけどな……)
けれども彼女が言うようなことは何もしていない。そもそもそうした会話はパタとシールが来る前から言われ続けていたのだ。
そんな相手などまったくいないにもかかわらず、なぜだか彼女はどこからそんな知識を仕入れているのかといったことまでやっていると思い込んでいるらしい。あくまでも洋介からの情報でしかないが。
疲れたように息を吐き出した一輝はただ一言「俺はなにもしていない」とだけ答えた。
クラス中が耳ダンボ状態の中で放置すると瞬く間に事実として広められてしまうのでそれはどうあっても避けたい。そうしてしぶしぶお決まりのように否定の言葉を返すことがこれからも続きそうだった。
「やっぱり一輝君はモテモテだね~、このこの~」
茶化すのはやはり洋介だった。彼だけが一輝の無実を知っているといってもいい。
けれどこれからは洋介を家に呼ぶことはできなくなった。
パタとシールに生気を与えなければいけない。そんな姿などもちろん見せられるはずもなく、そもそも同じベッドで寝ているなど知られるわけにはいかないからだ。しかも全員全裸で肌を触れ合わせているのだから。
これで身の潔白を証明してくれる存在がいなくなる。
そのことに思い至り、一輝は再度ため息をこぼした。
朝からなぜこんなことで疲れなくてはならないのだろう。
一輝は己の不幸を嘆いた。
「か~ずき~、飯行こうぜー」
ようやく午前中の授業を終えてお昼休みがやってきた。一輝に声をかけてきたのはもちろん洋介だ。
登校時の騒ぎはすぐに収まり、またパタとシールもそれ以上は話しかけたり近づいたりしてこなかったので一輝としては助かった。
もっともいつ何をやらかすかと冷や冷やしていたのでそういった意味での疲れはあったが。
「おう」
きちんと食べないと体が持たない。そんなことを思いながら洋介への誘いに応じた一輝だったが、席を立って今朝コンビニで買ってきた昼食を手にしたところでがっしと両腕を拘束された。腕に当たるのは暖かくも柔らかな弾力を持つ四つのふくらみ。そう気づいたときにはすでに一輝はパタとシールに連行されていた。
「お、おい! おまえらなにやってんだよ」
咎めたり、解放を求めたり。
けれど少女たちはいっこうに歩みを止めず、また一輝の腕を開放したりはしなかった。
むしろ一輝が騒ぐからこそ人目を集める結果となっているようだ。
そう気づいた一輝は仕方なく口を閉ざしてとにかく人気のないところまで我慢しようと考えた。
たどり着いたのは学校の奥にあるもう使われなくなった体育倉庫。一輝はほんの少しだけ顔をゆがめた。
実は一輝は以前にもここへ来たことがある。
幽霊が出ると噂されるこの旧体育倉庫には生徒たちは近づかない。けれどひと月ほど前に「真相究明」とはしゃぐ洋介に引っ張られてきたことがあった。錆びついていた鍵を壊した洋介は中を覗いてなにもないことを確認するとさっさと中へ入っていった。
積もったほこりの上に刻まれる洋介の足跡。
見ていると不思議な気持ちになった。
そんなことを考えていた一輝はふと洋介の様子がおかしいことに気づいて顔をあげた。洋介と一緒にいてこんなに静かになることがこれまでになかった一輝はもしや噂の幽霊が出でもしたのかと思ったのだが、洋介は拾ったらしき何かをじっと見つめていただけだった。
「なんだそれ?」
一輝が尋ねる。
「さあ、なんだろう?」
そうは言いながらも見せてみろと返した一輝に、洋介は口角を上げた顔を向けていやだと拒否を示して早々にポケットにしまいこんで隠してしまった。
そのあとすぐに形だけ鍵がかかっているように偽装してから帰宅した。
すっかりと忘れていたが、鍵はその時のままだったのであれから誰もここへは来ていないようだった。
結局あれがなんだったのかわからずじまいだ。
パタとシールが形だけの鍵を外して扉を開けた。
ほこりの上に残る洋介の足跡。
「そこ、ですわ」
「ですわ」
「へ? なにが?」
ぼうっと足跡を眺めていた一輝は二人がいっていることがわからなかった。反応さえ遅れて素っ頓狂な声で答える羽目になった。
「ニー様、残滓に憑りつかれてはなりませんよ~」
「よ~」
一輝は眉をひそめた。
「憑りつかれる? ほんとにここには幽霊がいたってことか?」
「幽霊ではありません~。魔、です~」
「です~」
「魔?」
「はい~」
「はい~」
魔といえば、悪魔に妖魔に魔物に魔王に睡魔に閻魔に……。思いつくままにあげていけば、少女たちは似たようなものでそうした中の一つだと答えた。
「とりあえず。ニー様、生気をくださいませ~」
「ませ~」
まじめな話から一転して能天気な要求を突き付けられた一輝はひくりと頬を震わせた。
「おまえら~、そういうことは学校ではやめろと言っただろう」
「ここには人間は近寄りませんわ~」
「ませんわ~」
「それに急ぎですの~」
「ですの~」
「ニー様のお命にかかわる事態が迫っておりますので、少々手荒になりますがご容赦くださいませね~」
「ね~」
一方的に宣言したパタとシールは言葉のまま強引に一輝を旧体育倉庫の陰に連れ込んで押し倒した。
「うわぁ」
一輝が悲鳴めいた声をあげるもお構いなし。
少女たちはあっという間に一輝の衣服を剥ぎ取ると、自分たちも制服を脱いで裸になる。
「死にたくなければおとなしくなさってくださいませね~」
「ね~」
どこか真摯な瞳で見つめてこられ、一瞬一輝の抵抗が止まる。その隙を突くようにパタとシールがのしかかってきた。
(お、おいっ、胸っ、胸~)
これまでのように腕にではなく、一輝の胸元にもろに押し付けられてこれまで以上の気持ちよさを味あわされた。
そちらへ意識が向くと今度は二人が揃って唇の両端に口づけてくる。
そうかと思えば一輝の目の前でパタとシールが濃厚な口づけを交わしあったり。しかも一輝の太ももあたりにまたがって座り込んだ状態で。
(こら、おまえら、なに考えてやがる~)
そう心の中で叫びつつ、時折一輝の膝が持ち上がったりしていたのはやむを得ない事情ということで。
そんなこんなの非現実的な状況に反応してとある部分が立ち上がるとすかさずそこへ口づけられて生気を喰われたり。
そんなことの繰り返しで一輝が息も絶え絶えになったころ、誰も来ないはずの場所に一人の人物がやってきた。