08 リケジョ
僕たちの2組と富樫たちのいる6組、この二つの物理クラスは教室もほぼ端と端で使う階段も違うし交流も少ない。そんな隔たりと交流の少なさから、じわじわとライバル意識みたいなものが生じ始めていると永田さんが言う。
「もともと理系女子って気が強いからね」
物理の授業の終わり頃、後片付け中に浜島の一言から始まった。
「それは浜ちゃん理論だろ? そんなこと決めつけたら全国のリケジョに怒られるぞ? うちのクラスはおとなしそうな子ばかりじゃん。永田さんも斉藤さんも浜ちゃんに反論しなよ」
ガクちゃんがふざけて斉藤さん永田さんの剣道部コンビを呷る。二人は顔を見合わせて「続きが聞きたいよね」と含み笑いをした。
「おとなしそうな──って、見た目が素朴な子の本当の気質が穏やかとか静かって思い込んでない?」
「そりゃ、おとなしい子はおとなしい性格だろう?」
「地味でおとなしそうな子に限って実は結構芯が強くて、“私はオシャレにばかり気を取られてる中身のない女になんてなりません”って頑なな考えを持ってたりするんだよ」
「そんなもんかなぁ?」
どう? 、と斉藤さんと永田さんに確認を取る。
「あんまり認めたくないけど、そういう所あるかもね。理恵ちゃんも若干ね」
永田さんをチラッと見てイタズラっぽく斉藤さんが笑うと、永田さんが斉藤さんの頭をノートで軽く叩いた。キャッキャと遊び始めた二人を余所に浜島談議は続く。
「全部とは言わないけどな。多いよ。女子力高い子に憧れつつも、どうせ自分は似合わないし…って諦めてコンプレックスにしちゃったり、自分は外見ばっかり飾る薄っぺらい女じゃないから、って自尊心を保ったり」
美帆みたいだ、と真っ先に思った。そう言えば美帆も理系だったな。あ、判事を目指しているらしいから今は文系か。
「じゃあ岩崎さんたちは? オシャレ女子だけど物理だろ?」
「岩崎さんたちは全然リケジョじゃないから」
岩崎さんたちとは、香水の香りがして化粧をしている大人っぽい三人組のことだろう。我がクラスで少し浮いている存在の彼女たちは、周りからどう見られようが関係ないようだ。肝心なのは周りの目ではなく、自分が自分にどう満足するか、といった雰囲気だ。
浜島が言うには、1年で女クラだった彼女たちは「三年間で一度くらいは共学クラスになりたい」と物理を選んだとのこと。
「岩崎さんたちみたいなタイプはリケジョから一番敬遠されるね。ね? 永田姐さん」
浜島に呼ばれて再び斉藤さんと永田さんが話しに加わった。
「岩崎さんたちね、確かにちょっと話しづらいわ。休み時間はいつも化粧直ししてるかファッション誌を読んでるかケータイいじってるかでしょー。嫌いってわけじゃないけど仲良いっていうほど接点ないの」
朝会えばどちらからともなく笑顔で挨拶はし合うけど、それ以外で特に向こうも話し掛けて来ることはないという。
「でも岩崎さんたち、まゆちゃんとは結構話してるよね」
「繭子だからよ。教室の隅に固まってる根暗っぽいヲタ男くんたちとも、菊地さんたちともフレンドリーだからね」
「永田さん、根暗っぽいヲタ男って谷口っちゃんたちのこと? そういう言い方はダメだよ。菊地さんたちだって真面目で親切だぞ? クラスの数少ない女同士なんだから仲良くしないと」
「あ、ここにもいたわ。オールマイティが」
誰とでも態度を変えずに話すガクちゃんのことをからかって永田さんが笑う。
「まゆちゃんも東堂くんも人間の好き嫌いないのかなぁって、思う時あるよ。理恵ちゃんなんか、ありまくりだもんね」
斉藤さんはエヘヘと笑って、また永田さんに小突かれていた。
「っていうか、ご存知ないのかしら? ただでさえモテないうちの学校の男子たちの中でも、物理クラスの男子は“リケヲタ”なんて呼ばれて更にモテないらしいわよ?」
そんなこと言われてるとは知らなかった。まあ、悪い評判というのは得てして当事者の耳には届きにくいもんだ。
僕などは間違いないなく“リケヲタ”に当てはまるのだろうけど、ガクちゃんのような体育会系の爽やか好青年まで僕みたいなのと一括りにされてしまうのは如何なものか。
終わりのチャイムが鳴り、授業の終わりとともにクラスメイトたちが続々と退室して行った。
理科係の僕は、最後に理科室の戸締まりをして鍵を準備室に返さなければならず、全員が退室するのを待ちながら、実験器具の片付けを始めた。
その時だった。
「たまには啓太もジュースくらい奢ってよね? 奢ってくれなきゃ、もうお弁当作ってあげないから」
富樫と女の子が笑い合いながら理科室に入って来て、退室しようとした平岡さんと見事に鉢合わせた。
きっとこの子が加納さんなんだろうとすぐに分かった。富樫の制服のブレザーの袖を引っ張って体を揺らす姿は、腕を組んでいるようにさえ見えた。
「……っと、彼女サン。私、お邪魔かしら?」
女の子の言葉に、平岡さんが首を横に大きく振った。何度も何度も。
「ううん、全然、そんな、全然。私、教室に戻るところだから」
明らかにうろたえた様子で、二人に会釈をしてそのまま静かに理科室を出て行った。
「追いかけて謝りなよ」
永田さんが冷たく富樫を責めた。
「待ってよ。どうして啓太が謝らなきゃならないの?」
「加納さんは口を挟まないでくれるかなぁ。自分が邪魔者だって自覚あるからあんなこと言ったんでしょ?」
「でも彼女サンは邪魔じゃないって言ったわ。啓太が謝るのは変よ」
「その“彼女サン”って言い方すっごく嫌味ったらしい! 私は認めてませんって聞こえるわ」
「もしそうだったとしたら、何か?」
後から理科室に来た6組の女子たちが永田さんの激昂と対峙している加納さんの姿を見てざわついた。
「永田さんが祐美に文句言うのってどうなの? 優等生の平岡さんはお友達に悪役を押し付けてご自分は悲劇のお姫様ごっこなの?」
「まゆちゃんは、そんな子じゃないから。それに理恵ちゃんから加納さんに文句言い始めたんじゃないわ。富樫くんに言ったのに加納さんが入ってきたのよ」
普段静かな斉藤さんが力いっぱいに両手で教科書を抱きしめた姿勢で反論した。
まだ残っていた2組の男子と後から来た6組の男子が、なんだなんだと女子たちの口論を野次馬した。
元凶の富樫は気怠そうに辟易した顔で棒立ちしたままだった。
「平岡さんみたいにちょっと可愛いからって思い上がってる子、大ッ嫌い。あの子、あざといわ。祐美の方が富樫くんとお似合いなのに、あの女が彼女ヅラしてるのが気に食わない」
「彼女ヅラって何? 彼女なの、繭子は。彼女ヅラは加納さんでしょ?」
「理恵さぁ、中学の後輩が佐々木先輩にフラれた時、新桜ノ宮中の平岡さんが好きだからって言われたって話しを聞いて “何で男ってああいう女に騙されるんだろう” って悪口言ってたじゃん。高校が一緒になったら手のひら返すとか調子良くない?」
「悪かったと思ってるわ…。高校で繭子と友達になって、繭子のこと知りもしないで悪く言ったこと後悔したわ」
「永田さんって、もっと筋の通った人かと思ってたけど、意外とブレブレなのね。そんな人に偉そうにされても、ちっとも響かないんですけど」
「まったく2組の女子ってどうなってるの? 永田さんもどうかしてるし、平岡さんは平岡さんで清純派ぶって男子の庇護欲をそそろうとしてるんだわ。ホント、あざとくて計算高い姑息な女」
女子の口論を端で野次馬していた男子も次第に固唾を飲んで静まっていた中にクスクスと笑い声が飛び込んだ。
「な、何がおかしいのよ?」
笑ったのは岩崎さんたち三人組だった。
「だって。……ねぇ?」
岩崎さんは長い髪を人差し指でクルクルと弄びながら、小首を傾げて艶やかに微笑んだ。
クラスの男子の誰だったかが、岩崎さんをフランス人女優のなんとかに似てると言っていた。残念ながらその女優を知らないので名前も覚えはいないけど、岩崎さんは見た目も雰囲気も大人びている。
「自分より可愛い子を姑息とかあざといとか、見た目も中身も残念な人の常套句すぎて」
岩崎さんの甘いウィスパーボイスに続いて他の二人も鈴の音のように笑った。
「世の中に男は腐る程いるのにどっちがマユの彼氏とお似合いとか、頭弱すぎて笑えてくるっての」
岩崎さんグループの松野さんがあくび混じりに言うと、三人はほぼ同時に席を立ち、香水の香りを漂わせながら扉の方へ進んだ。
呆気に取られた人たちが“モーゼの海割り”状態になった。
岩崎さんは一人の女子の前で足を止めて、すっと細い指を伸ばした。平岡さんのことを“あざとくて計算高い姑息な女”と言ったその人がビクッと体を硬直させた。岩崎さんは繊細なネイルが施された指先でその子の襟元を直して微笑んだ。
「そんなギスギスした顔してたら、あなた自身が可哀想」
岩崎さん自身は至極当然の行動だったのかもしれないが、辺りには緊張の後の安堵の空気が広がっていた。
すれ違いざま岩崎さんグループの松野さんが富樫を覗き込んだ。
「ホントこんなクソダサい男、熨斗付けてくれてやれば良いのよ。マユがこんなに言われてるのに庇おうともしないなんてサイテーよ」
松野さんはモデルの彼氏がいると噂で、制服を着ていなければ女子大生くらいに見える。顔なんか男子の握り拳くらい小さく見えるし、華奢な体格からは想像出来ないほど、睨んだ威圧感は凄かった。
「で、富樫くんはどう決着つけるのよ? 富樫くんの態度次第では、これからは道場へ行く時も稽古が終わって下校する時も、私から計らったりしない」
「そういうことも含めて、永田姐さんに甘えてたよな、ごめん」
「次、うちのクラス自習だよ」
ガクちゃんが言った。教室に戻ったと思っていたけど、理科室で2組と6組が揉めてると聞いて戻って来たのだろうか。それとも平岡さんの様子が違ったのだろうか。
「ありがとう。ちょっとアイツ借りる」
「啓太、もう授業始まるよ?」
「悪りぃ、俺サボるから」
呼び止めようとする加納さんや6組の女子たちをよそに富樫は理科室を出て行った。
ガクちゃんが扉の前に立って「ここからは富樫くんと平岡さんの問題だから」と富樫を追おうとする加納さんを言い含めた。
6組の理科係は、まいちゃんだった。
もうすぐ授業が始まるから戸締まりは必要ないと笑われ、僕はまいちゃんと交代して荷物を持って理科室を出た。
教室に戻る時に富樫に伴われて階段を昇る平岡さんを見掛けた。二人は屋上に行くのだろうと思った。
*必ずしも理系女さまが浜島談義に当て嵌まるわけではございません。




