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54 雪を溶かすギリギリの温度(後編)

「ホントですか? えーっと、なに先輩でしたっけ。卒業式の日、マユ先輩とイイ感じだったじゃないですか。彼女いるのにアプローチしたってことですか?」

「あ、あのっ、畠中です」


 いや、今僕が答えるべきはそこじゃないだろ。彼女いるのにアプローチって所? 違う違う、彼女なんていないってビシッと言う場面だろ。

 唐突に根も葉もないこと言われて僕自身が驚いているのに、その根も葉もない部分を質問されてもパニクるばかりなんですが。


「ああ、畠中先輩ね。マユ先輩がフリーだったら乗り換えたくなる気持ちは分かります。男子なんてそんなもんでしょうから」

「あ、いや、あの……」

「だけど、二股はダメです。倫理的にアウトです。いいですか、ここ神様のお社ですよ? バチ当たりますからね?」

「いや、だから……」

「違うの、アヅサちゃん」

 そうだ、平岡さん。平岡さんからアヅサさんに説明してやってくれ。

「誓って二股なんかじゃないから。私と畠中くんはお友達だし、畠中くんにはもうとっくに“会えない”って意思表示されてるの」


 最悪だ。何のフォローにもなってない。やっぱり彼女自身が勘違いをしているようだ。なんだか分からないけど、話しが進むにつれ本線を逸脱して一層ややこしいことになってる。



「ごめんなさい。今私、すっごく複雑です。二股は絶対ダメですけど、マユ先輩をフるって正気ですか? マユ先輩ですよ。一兆円をドブに捨てるようなもんですよ? 一兆円って、小さな国なら国家予算規模に近いですよ? 私の好きな人、マユ先輩に片想いなんでこんなこと知ったら発狂しますよ」

「何言ってるの、アヅサちゃんの勘違いでしょ。私、浜島くんからそんなこと一言も言われたことなかったよ」

「浜島先輩、可哀想。言えるわけないじゃないですか。あの気が小さくてプライドの高い人が、フラれるの分かってて告ると思います?」

 ……あのぉ、お嬢さん方、一旦話しを戻しませんか?



「ちょっといいかな」

 努めて控えめに話しに割って入れば、四つの瞳が“そうだ、この人いたわ”と言っている。ははは……。


「僕には彼女なんていません」

 そんなに喰い気味で驚かないでよ。

「……ホントです。事実無根です」

 どうしてそんな話しになったのか、こっちが訊きたい。

 だいたい、いるように見えないだろ。普通に考えれば可能性から簡単に答えは導き出せるはずだけど。

「じゃあ桜ノ宮の駅前で腕を組んでた女の子は……」

 腕を組んでた? 僕が? 女の子と? いや、男の子とも組みませんけどね。中学の時のフォークダンス以外で女の子の手を触ったのも今日が初めてなのに。皮肉にもその記念すべき初めての日に、こんな嫌疑をかけられてしまうとは。

「僕が?」

「うん」

「誰と?」

「女の子と……」

「どんな子だった?」

「短い髪の、活発そうな女の子」

 …………………………美帆か。あれ、“女の子”だったか。

「たぶん、それイトコ」

 予備校に行くのに腕を引っ張られていた時か。あれが仲良さそうに見えるものなのか。



「マユ先輩の勘違いってオチですか。気を揉んで損しました」

「ごめんなさい……」

「まあ、でも誤解が解けて良かったです。きっと誤解が解けたのもご利益なんでしょう。あとはお二人できちんと仲直りしてください。どう見てもイイ雰囲気でしたから」

 終始呆れ顔で淡々と言い放ったアヅサさんが去り際にニヤリと笑った。




「あの、ごめんなさい」

「いや、たぶん僕が悪い」

 大きな目をパチクリさせてポカンとしている彼女。

 やっぱりちゃんと言わなきゃな。

「僕の言葉が足りなかったせいだと思う」

 他に好きな人ができたとか平岡さんに愛想を尽かしたなんて類じゃない。むしろ、僕から言わせれば平岡さんの方にその可能性があると思っていた。

「余裕がなかった。器用じゃないから受験と他のことが両立できなくて」

 彼女の存在が負担になったと思われたくなかった。

「そうなのかなぁ、とは思ったの。切り出された時は。だけど、目処がついた頃には会えるって言ってくれそうもなかったし、待たれるのも迷惑そうだったから、てっきり私に愛想が尽きたのかと思ったの。そしたら桜ノ宮で女の子と腕を組んで歩いてて、好きな人が出来たんだなぁって納得したの」

 お願いだから納得しないで。美帆はイトコなんだ。生まれてこの方、恐怖しか感じたことがない。平岡さんだって、小学校の同級生なんだから、美帆の怖さを知ってるだろう。

 あれ……? そうだ。知ってるはずじゃないか。


「話の腰を折って悪いんだけど、有賀美帆って覚えてる?」

「有賀美帆? ……美帆ちゃん? 小学校に時に…」

 不思議そうに逡巡した彼女が、思い当たったように目を瞬いた。

「うん、あれ有賀美帆。イトコです」

「美帆ちゃんだったの!? 髪が短くなってて全然分からなかった!」

 興奮気味に嬉しそうな顔をする彼女にひとまずホッとする。

「美帆ちゃんと畠中くんがイトコだったなんて。美帆ちゃん元気にしてる? って、元気そうだったね。小学校の途中で転校してしまってもう会えないかと思ってた」

 ご覧になった通り無駄に元気ですし、フツーにこの街に生息してますんでいくらでも会えます。僕は好んで会いたいと思いませんけど。

 たぶん平岡さんが見た時は、予備校に引っ張られて行くところだったと思う。疚しい場面ではなかったけど、お世辞にも格好良いとは言い難い場面だった。



「私と美帆ちゃんが知り合いだって知ってるってことは、私の家のこと少しは聞いてるのかな」

「あ、えーっと、少し」

 知られたくないことだったのだろうか。彼女の言う“少し”と僕が美帆から聞いた部分がどれくらい合致するのかは分からない。

「そっか。それなら細かい説明は省けるのかな。家に遊びに来たことがあるのは美帆ちゃんだけだから」

 にっこりと笑った彼女の表情に曇りは感じられなかった。




「私の両親は私が四つの時に事故で同時に亡くなってしまったの。今の家は母の実家で、祖父と叔母が家族なの」

 美帆から聞いた話の通りだった。

「叔母の養女になったから、叔母が続柄上の母親になるんだけど、叔母は、私にとって叔母のままでいいって言ってくれてる」

「優しい人?」

「うん、とても。続柄は母親で、実際は叔母なんだけど、子供の頃からずっとお姉さんみたいな人なの。母親にしては若過ぎるから、学校の行事に来ると周りから好奇の目で見られてたけどね」

 少し肩を竦めて彼女は笑んだ。

「祖父は厳しい人で、孫の私でさえ笑った顔はあまり見たことない。剣道と居合道の範士なの。私を産んだお母さんが反対を押し切って結婚して、仕事中に夫婦揃って事故死してしまったからって、お母さんみたいにならないようにと祖父の言うことは絶対だった。東高を選んだのも祖父なの。先生に勧められた桜ノ宮西(サクニシ)には剣道部がないからダメだ、って」

 サクジョには弓道部、薙刀部、合気道部はあるが剣道部はないと聞いたことがある。サクニシにも剣道部はなかったのか。


「でも結局は祖父の心に背く形になっちゃった。私は両親と同じ道に進もうとしてるのだから」

「矢野……昌孝、さん?」

「どうして知ってるの? 父のことは美帆ちゃんも知らないはず…」

「偶然なんだ。図書館にあった写真集の末尾に家族写真があって」

 そこに幼い平岡さんも写っていた───


「そうなのね。父を……私を、見つけてくれてありがとう」

 今思い返せば、矢野さんに憧れていると言った徳山先生に対しても、彼女はあの眼差しでこう言っていたのかもしれない。

 “心の中でお父さんを生かしていてくれてありがとう”、と。



「両親が亡くなった時は、私もまだ小さかったし、今の家で生活するようになってからも両親の仕事のことや遺した作品のことも殆ど知らなかったの。知りたいと思ってはいけないと感じていたから、調べたりしなかった。父方の祖父母だって健在なのに、両親が亡くなって以来一度も顔を見せにもお仏壇に参りにも行かなかった不義理な孫なの」

「それはお祖父さんを悲しませたくなかったからなんでしょう?」

「そうだとしても、血が繋がってるのは一方だけじゃないのだから不義理には違いないよ」

 難しかった。だってお父さんの方の実家に顔を出しに行ったら行ったで、彼女は母方の祖父に対しても不義理をしたと自分を責めるだけじゃないか。


「小学校を卒業する時に叔母が内緒で父のお墓参りに連れて行ってくれたの。そこで両親が亡くなって以来初めて父方の祖父母に会った。父のせいで私や平岡家の皆さんに申し訳ないことをした、愛し合っていたのに一緒の墓に入れなかった、私の母にもすまなかったって泣いてた」

「……」

「その日、叔母から父の形見のカメラと母が編んでくれた手袋と、現像していないカメラのフィルムを渡されたの。父はフリーのカメラマンで、仕事の依頼中の事故だったから、最後にカメラに入っていた撮りかけのフィルムも依頼元に渡さなきゃいけなかったらしいの。でも叔母は誰かの手に渡る前に抜いて持って来たんだって。繭子のお守りにしなさい、って渡されたの」

 そう言って彼女はピーコートのポケットの中からストラップ付きのクリアケースに収められたフィルムを出して見せた。


「一時は富樫くんに取られてしまったけどね。畠中くんが持って来てくれるとは思いもしなかったから、本当にビックリした」

「富樫は、知ってたの? 平岡さんの、大事な、お父さんの形見だってこと」

「知らなかったと思う。知ってて奪う人じゃないもの。あの時は──あの修学旅行の時は──、私が2組の皆と仲が良いから、2組の人たちと撮った写真のフィルムだと思われたと思う」


 同じクラスになるつもりで選択科目を揃えて、自分だけ別のクラスになってしまった富樫。彼の目には自分とクラスが離れても2組で楽しそうに過ごす人気者の平岡さんに苛立って、同時に自分が欲しても手に入らなかった時間を享受している2組の男子が妬ましかったのだろう。

 今の僕なら少しだけ分かる気がする。大学で彼女の笑顔を毎日見ている男が羨ましく、そんな想像を掻き立てる度に自分だけが取り残された人間のように感じていたから。

「僕も富樫はそういうことをする人じゃないと思う」

 ちょっと捻くれ者で、だいぶ意地悪だけどね。



「中学生になってからも両親の作品は殆ど見ていない。でも写真っていうものを意識するようにはなった。そのことを叔母に話すと“繭子は言葉も喋れないうちから女の子が喜びそうなどんな玩具よりもカメラを弄るのが好きで、玩具を買い与えたかった私を失望させたのよ”って笑われたの」

 僕が図書館の写真集の末尾で見た幼い彼女と、話す彼女の顔との二つの面影が重なるのを感じた。

「祖父を説得するのは大変だった。覚悟はしてたけど、想像以上に手強かった。もうね、生涯座敷牢で暮らすことになるかと思ったくらい」

「座敷牢なんてあるの?」

「ないけど、それくらい怖かった。高校在学中に三段まで取ることと、最後の県大会で絶対に負けないことを条件にどうにか許してもらえたの。許してもらえたけど、制約は多くて、フォトジャーナリストの道には絶対に進まないことも条件になってる」

 要は、自ら望んで危険に飛び込むなということだろう。


「ちなみに今住んでいる所の大家さんは矢野の祖父母なの。自分の息子みたいに写真を志す若い人の支援になればって、旭大の近くでアパート経営してるの。フィルム派のために共同で使える暗室もあるの。機材置き場にもなってて、三脚やレフ板なんかも住人なら無料で使えるようになってる」

「桜ノ宮のお祖父さんは反対しなかったの?」

「祖父が矢野の祖父母に一年前から掛け合ってくれてたらしいの。卒業したら旭大に進学すると思うので一部屋空けておいてもらえないか、って」

「そうなんだ……」

「矢野の祖父母から教えてもらった。祖父はいまだに写真の道を完全に許したわけじゃないって顔してるけど」


「話してくれてありがとう」

 こんな大事なことを……。

「ううん、聞いてくれてありがとう。今まで誰にも言えなかったから、上手く話せたか自信ないけど、話せて良かった」

 心ならずも彼女は幼くしてご両親を亡くされわけだが、ご両親の死後、愛情を注がれていなかったわけではなかった。彼女がこれまで誰にも語ることができなかったのは、聞く側にとって“両親を失くした遺児”という印象だけを持ってほしくなかったのかもしれない。彼女は自分の胸中を言葉にするのが得意ではない人だから。




「傘持って来なかったから雪が止んで良かった」

 彼女の言葉で僕も空を見上げる。相変わらずの曇天ではあったけれど、家を出た時よりも明るい空色になっていた。

 不意に首元がふわりと温かい感触に覆われて、驚いて視線を正面に戻す。

「受験目前の人が風邪を引いたらいけないでしょ。畠中くん、寒がりやさんなんだから」

 彼女がぐるぐる巻きに巻いていた水色のマフラーだった。鼻を掠めるくらい幾重にも巻かれてると、彼女が移した体温と一緒にほんのりと甘い彼女の残り香に包また。

「受験が終わったらでいいから、返してね。必ずだよ」

 彼女はそう言って僕の髪の上で溶けかかっている雪の雫を払うと境内の方へと走り去ってしまった。

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