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53 猛者襲来

 “今の私たちには、別れるとか別れないっていう思いつめた間柄は時期尚早のような気がするの”


 卒業式の翌日に平岡さんが朱雀公園で言ってくれた言葉の意味を理解するには、僕は思い詰め過ぎていた。

 そうなんだ、答えは至極簡単なことだったんだ。

 彼女が「テストが近いので少し連絡遅れます」とメールを結んでくれていたのと同じ温度で、僕も「ちょっと勉強に専念しときます」とメールに書き添えればそれで良かったのかもしれない。

 だけど、解いたことのない問題の正解が導き出せるのはいつも頭の渾沌がリセットされてから。僕は昔から何をやらせても不器用で愚図だ。



 あんな風に間柄を断ち切るような言い方をして、今後どのツラ下げて再会をお願いできるというんだ。そんなことができるくらいなら、どうしても行きたいというわけでもない大学に固執して浪人なんかしてないけどね。

 もう、こうなったら開き直るしか残された道はないのだ。


 意地でも都工大に合格してやる。いつかは杉野か誰かの口から平岡さんにも伝わるだろう。

 その時彼女が「無事に受かって良かった」と思って肩の荷を降ろしてくれれば、それが僕のタイミング外れの不毛な恋への最高の手向けになるさ。



 新宿駅で彼女がゆっくりと離れて行ったあの時に、僕の初恋は終わったんだ。根暗な非リア充の地味男の初めての恋にしては、贅沢過ぎるほど幸せな夢の時間を与えてもらった。はっきり言って東高生が都工大に合格するより、僕が彼女に届く方がレベル的に難易度が高いだろう。それくらい高嶺の花だった。

 ビジュアル的にも勿論だけど、中身も優しくてマジメでしっかりした素晴らしい女の子だった。



 十月が終わり、暦は十一月になった。勿論防寒対策は万全だ。この頃になると図書館で自習する学生の数も増えてきて、僕は勉強場所を自宅に変えていた。

 変わりばえのない景色、変わりばえのない日常。一日一日がオートマチックに進んで行った。

 十一月の公開模試では、ギリギリのA判定。今は兄さんが大学の後輩からもらってきてくれた問題集と、都工大の赤本を反復している。

 都工大の赤本なんか、よれよれになった紙が扇型に広がるくらいやり倒している。それでも過去問はあくまでも“傾向”であって、やり込んだからと言って同じ問題が出題されるわけではない。本当に頭の良い人なら、二、三年分の過去問をそこそこやり込めば、その大学の出題傾向というのが分かってくるのだろうけど、僕のように不器用で要領の悪い人間はいくらやり込んでも傾向というものが分からない。だから僕の場合は、とにかく数をこなすこと、問題集で一度間違えた問題を二度間違わないこと、演習でもケアレスミスをしないこと。この辺りを徹底的に鍛えて行くしかない。



 彼女に最後に会ってからスマホの電源は落としたままだ。電源が入っていないと思えばスマホが気になることもない。もしかして彼女から何かまたメールが来るだろうか、なんて格好悪いことを考えずに済むし、自分がメールを打ちたくなる衝動も起きることはない。彼女から優しい言葉をかけてもらえるのではないかという調子のいい期待も抱かずに済む。

 そしてなにより、未練がましく今までに彼女からもらったメールを見ようとするなどという最悪に格好悪くて女々しい事態に陥らなくて済む。やっぱり僕にとってスマホはただの毒である。




 十二月も半分を折り返し、今年も残すところ僅かとなった。いよいよラストスパートかという頃になったある日のこと。

 僕はいつものように二階の自室で勉強をしていた。手元のマグカップには、平岡さんの影響ですっかりお気に入りになってしまった焙じ茶が僕の勉強のお供だ。さり気なく未練がましいぞ、自分。なんて自虐の突っ込みを入れながらお茶を啜れるくらい、僕のモチベーションは安定してきていた。もう今からどう足掻いたて、今までやって来た分の積み重ねが成果になるだけなんだ。だからといって怠慢をするつもりはないが、今からは成績向上という段階ではなく、総復習・総点検の段階だ。



 優雅にティータイムに興じる午前中のひと時を打ち破る雑音が階段にドカドカと轟く。

 一体なんの騒ぎなんだと頭の中で言い終わる前にノックもなしに乱暴に部屋の扉が開かれる。

「図書館にいないなら、いないって言いなさいよ!」

 いないものを、どう“いない”と伝えろというんだ? 唐突に現れた怖いイトコに、そんなことを言い返せるわけもないが。

「どうやって入ったの?」

 玄関の鍵だって閉まってるだろう。親戚ではあるが、家族ではない。そんな美帆が我が家の鍵を持っているとは考えにくい。不法侵入だ。この家のセキュリティはどうなってるんだ。

「桜ノ宮で大ちゃんに会ったのよ」

 へ? 兄さんに? しかも東雲じゃなくて桜ノ宮で?

「大ちゃんが車で送って来てくれたの。今からうちに行ってもらうの」

 兄さんは今年の春に自動車の免許を取っていた。でもまだ大学は休みになってないし、東京にいるはずだ。しかも免許はあるけど車は持ってない。

「あんた、本ッ当にぼーっとしてるのね。伯父さんの知り合いが桜ノ宮で中古車屋さんやってるから、試乗も兼ねて今日、大ちゃん帰って来るってあんたに連絡したって言ってたわよ?」

 あ、スマホの電源落としっぱなしだった。

 そういえば昨日の夕食の時に母さんがそんな感じのこと言ってたっけ。来週兄さんの誕生日で、本人がバイトで貯めたお金で中古車を買うとか行って明日帰ってくるとかなんとか。それでなんで桜ノ宮で美帆を拾って、これから美帆の家に送るんだ? そもそも美帆が桜ノ宮にいるという所から状況が呑み込めていない。

「それで、なんで有賀(ありが)の家に行くの?」

「私が予備校の申し込みに行ったんだけど手持ちがなくて、そこに偶然大ちゃんと出合ったら、試乗も兼ねて送るって言ってくれたの」

 それでそんなに急いでるのか……

「あんたも行くの」

「へ?!」

「へ、じゃないわよ。しょーもない声出してる暇があったら、とっとと支度してよ。大ちゃん待ってるんだから」

「いや、だって。行く理由……」

 恐ろしい目で睨みつけられて、ヒイッと息が詰まった。

「前に言ったでしょ。相手は“受験のプロ”だって。あんたみたいに学力あっても豆腐メンタルな奴は、そこんトコをキッチリとネジ巻いてもらってくるの。それくらいの利用価値はあるから素直に従いなさいよ」

「あ、その点ならお陰さまで」

「行くわよ!!!」

 渾身の力で机を叩かれて、湯気の立つマグが傾いて僕の手の甲は熱々の焙じ茶の頼りない受け皿となった。

「あッッッち!」

「なにやってるのよ、早く!!」


 なにやってるも何も、美帆のせいだろう。溢れた机の上を拭いてもいないのに、腕を掴まれて拉致された。なんとかコートだけは手に取ることができたけど、強引に引っ張られて階段を“転げ落ちる”という表現がギリギリ当て嵌らない状態で、無事に一階の地を踏めた。こんな時期に転げるとか落ちるとか縁起悪いから勘弁してほしいもんだ。しかもまた骨折なんかしようもんなら、豆腐メンタルどころか、一部豆乳化した崩し豆腐じゃないか。

 栗原さんといい永田さんといい美帆といい、なんでこうも東雲の女子は猛者なんだ。せめて熱々の焙じ茶が溢れた手の甲くらい冷やさせてくれよ。



 誘拐と訴えても棄却されない勢いで、玄関前に停まった車の後部座席に押し込まれた。

「よう、秀。久しぶり」

 運転席から降りた兄さんが家の戸締りを済ませて戻って来て、飄々と僕に声をかける。車を発進させる兄さんの隣の助手席では美帆が「大ちゃん、カァっこいい〜!」とウットリとした顔をしている。イトコだぞ、イ・ト・コ! 四親等ですよ! 分かってますかー?


 ……って、さぁ。今気が付いたけど美帆もこういう顔することあるんだね。いつも怪訝な顔で僕を見るから、美帆にこんな女子の顔ができるなどとは夢にも思わなかった。

 それから美帆の家に寄り、車は桜ノ宮方面へと走り出した。

「大ちゃん、この車買うの?」

「そのつもり。俺はニューモデルより前の型のフォレストが好きなんだけど、父さんの知り合いのところに状態の良いのがあったのはラッキーだった」

「最初の助手席が私だなんて、光栄ィィィ」

「ははは、まだ俺の車じゃないよ」

「いいの、そんなこと。大ちゃんの助手席の最初ってことに価値があるんだから」

「言うねぇ、美帆ちゃん。都合さえ合えば、いつでもお迎えにあがりますよ?」

「ホントぉぉ!? でも大ちゃんきっとモテるから、ほどほどにしとく」



 はいはいはいはい、ご勝手にどうぞ。僕と話す時より声のトーンがだいぶ高い。邪魔者なのに拉致られるってどういうことなんだ。っていうか、どうしちゃったんだよ、兄さん。今まであんなに美帆のこと苦手にしてたじゃないか。今年の花火大会の時だって、父さんたちが有賀家でバーベキューするって誘われた時も光の速さで断ってたじゃないか。欲しかった車をゲットするからって、そこまで上機嫌になることか?



「美帆ちゃん、ありがとな。秀を連れ出してくれて」

「いいの。私もちょっと気になってたから」

 え? どういうこと?

「母さんから、九月くらいから秀の様子がおかしいとは聞いてたんだ。十月になってますますヤバそうだっていうからさ、秀にメールしても返事ないし」

 あ……。

「しまいには図書館も行かなくなって、このまま引き篭もりになるんじゃないかって…。まあ、メシはフツーに居間で喰ってたみたいだけどな」

 前の席の二人が面白がって笑う。


「秀、美帆ちゃんに感謝しろよ? 秀の実力なら絶対に受かる、だからとりあえずその破滅的な自信のなさだけ受験までにどうにかしなきゃって、美帆ちゃんが父さんに電話してきたんだぞ」

「あ、ありがとう」

「お礼は出世払いでいいわ。私より出世できたら受け取ってあげる」

 このイトコに一生頭が上がらないと宣言されたようなものだ。



 予備校の前で車を降ろされて、美帆に強引に手を引かれる。

 兄さんは運転席の窓を開けて暢気に手を振りながら「父さんと戻って来るから適当に待っててー」と言い残して去って行った。

 いいですか、軽症とはいえ火傷の責任は取ってもらいますよ? 主犯は美帆だけど、兄さんも共犯だから覚えといてね。

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