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48 アドレナリンかエンドルフィンか

 桜が終わる頃になれば、真新しい制服に身を包んだ東高生たちとすれ違う。図書館と東高は逆方向なので、東高名物を目の当たりにする機会はなくなったけど、もうこの街にまいちゃんがいないことを意識すると、同時に通学途中に二人で目にしたあの光景を思い出す。


 まいちゃん、元気にやってるかな。

 メールすればいいのだろうけど、取り立ててメールしてまで訊く内容には思えず、今に至る。彼もまた同じように思っているのだろう。お互いさまだ。

 夏休みあたりに帰省することがあれば顔を合わす機会もあるだろう。



 卒業式の翌日に平岡さんと朱雀公園に行った後、ガクちゃんたちに「これからも時々会える時間をもらえそうです。僕は受験生継続中だし向こうは東京住まいなので、なかなか時間は合いませんが、一応そんな感じです。背中を押してくれた皆のおかげです。本当にありがとう。ご報告まで」とメールを打った。

 四人とも突っ込んだことは訊かず、「究極に困ったことがある時だけ頼ってくれればいい」とか「うまく行ってるなら報告は不要だ。逐一報告されてたら女子は引くからな」と彼女の立場を汲んでくれているようだった。

 尾崎は「どうしてもノロケを聞いて欲しかったら聞いてやるよ」と相変わらずの尾崎節を付け加えてきた。

 それから彼らとも連絡らしい連絡は殆ど取り合っていない。



 平岡さんとも週に一、二度メールのやり取りをするくらいで、最後に会った卒業式の翌日から既に一ヶ月が過ぎていた。

 彼女の近況はといえば、クラス内にはプロ志向の強い子たちがたくさんいて自分が遅れを取っていると痛感する一方で良い刺激にもなっているとメールに書かれていた。

 学内の掲示板から出版社のバイトを見つけて早々に開始したということがつい最近のメールの内容だった。

 慣れない学校生活と並行してバイトを始めて大丈夫なのかと返信すると、今まで剣道の稽古に充てていた部分がバイトになっただけだから体力的には全然問題ないとのこと。しかし、身の回りのことを全て自分でしなければならない生活で家族のありがたみを思い知ったという。

 なんだかんだで美帆や僕が想像するより家族仲は良好だったのかもしれない。



 ◇

 五月になり、大手予備校が主催する公開模試を受けた。結果は変わらずB判定。偏差値自体も高校在学中より少し上がってきたし一応合格圏内ではあるものの、同じところで足踏みしているようで成果に手ごたえが感じられない。B判定に到達するまでは、勉強量に比例して成果が伸びたので、行き詰まりを感じ出すとここが自分の限界値のように思えて来てしまう。そして“都工大じゃなきゃダメな理由なんてない”という息切れと“都工大しゃないなら浪人した意味がない”という叱咤が頭の中で葛藤を繰り返すようにもなった。

 それからまだ一ヶ月が過ぎた頃には、こんな雑念だらけで気持ちがグラつくのも、浪人するまで考えてもみなかった受験への重圧なんだろうと改めて元凶を知ることになる。

 足踏み状態のまま三ヶ月も過ぎてしまったことに焦りを感じ始めていた。

 高校在学中に進路を見繕うことより、もう一年かけて都工大に再チャレンジすることを選んだのは僕自身だ。目標が定まった上で一年間という期間があれば、今度こそしっかりと余裕を持って準備ができると思っていた。

 同じ場所で学んでいた周りの人たちは次のステージに進み、専門学校生や大学生としての新しい生活を始めている。けれどここに残った僕は何者にもなれないまま、いまだ納得のいく成果も感じられずに三ヶ月が経過している。このことが焦りや隔絶感を煽り、その流れの中に自分が呑まれるなんて高校時代には考えてもみなかった。

 覚悟が足りないといえばそれまでだけど、実際に経験してみて初めて分かったことだった。

 受験まで一年と分かっていながら、終わりが見えない錯覚に呑まれかけている。

 きっとこれは受験との闘いではなく自分との闘いだ。

 終わりが見えない霞の中で、足を止めてしまったり進んでいる先に躊躇いを感じたら負けなんだ。どんなに迷っても疲弊しても、足を止めた時点で僕は終着点を失うことになるだろう。

 先が見えないのなら足元を見ればいい。

 歩き続けていれば、その先に終着点はきっとある。終着点に到達する前に霞のない場所に出られるかもしれない。

 とにかく先の見えない現状を自分の心の弱さの言い訳にしては、たとえ最終的に“何者”かになれたとしても自分との闘いに勝ったことにはならないのだ。



 平岡さんはどうしているだろう。

 まるで自力で自分に打ち勝たなければならないこの状況を見透かされているように彼女からの連絡はない。

 もしかしたら彼女も今、新しいステージで自分自身と闘っているのかもしれない。

 もしそうだとしたら尚更この次に会える時に情けない姿は見せられない。きっと共倒れになってしまう。お互いを高め合える関係なんて高尚な域には爪先すら掠りそうもないけど、なんとか前進してる姿を感じ取ってもらいたい。そのことが微力でも彼女の支えになったら……、僕にとっても彼女の存在が支えになっていると思ってもらえたら良いのだけど。


 “好きな女と肩を並べられる男になりたいって思うのが男じゃない?”

 美帆が言った言葉の意味が次第に分かってきた。

 僕は今、自分との闘いの真っ只中で、弱気になっている情けない姿や余裕がない姿を彼女に見せたくないと思っている。どんなに会いたくても、そんな姿で彼女の前に立つことなんてできないと思っている。

 本音を言えば、平岡さんに会いたくて仕方ない。

 少し前にグループメッセージの方で杉野が尾崎に「大学生活どう?」と訊いたのに対し「マジ女子少ねえええ! 理系進むならやっぱ総合大学がいいぞ」と返事をしていた。

 平岡さんの可愛さからいえば、高校の時と同じくらい、いやそれ以上に彼女は大学内で注目を集めているだろう。高校三年間の代わり映えのないメンツの中では、富樫の後に好きになるような人はいなかったかもしれないけど、新しい出会いの中では彼女の心を惹きつける人が現れるかもしれない。

 大学が始まる前の時点で、僕にあんなことを言ってしまったと後悔していないだろうか。

 もし好きになれる人に出会ったのなら、友達のままでいい。まだ何も始まってないのだから気にすることはないよ。

 物事がうまく運んでいない時は、全てにおいてネガティブになる悪い癖だ。そうでなくても、自信がない分いつもネガティブなんだけど。

 悪いことを考えるループから抜け出すのは、そういうことを考える隙間を作らないに限る。

 今こそ勉強だ。コツなんて分からないけど、とにかくやる。頭の中がショートする寸前までやって、疲れきったら寝る。後は悪い夢を見ないように運に任せるだけだ。



 それからはしばらく猛勉強の日々が続いた。

 平岡さんからのメールが来れば、その時だけは喜びに浸る時間を設け、それ以外は一日も早く劣等感なく彼女の前に立てることを目標にひたすら勉強に励んだ。一日も早くって言っても、頑張れば頑張るだけ受験までの期間が短くなるわけでもないのだが。

 猛勉強の毎日が習慣化してくると、頭の中がショート寸前になることが快感になってくる。そのうち唐突に、刮目したまま涎を垂れ流して行き倒れてしまうんじゃないかと不安にもなるけれど、それさえもなんだか愉快に思えるようになってきていた。

 そんな暴走にブレーキが掛かったのは七月の公開模試だった。

 ついに安全圏とも言えるA判定が出たのだ。

 目指しておきながらこんなことを言うのも可笑しいけど、ついに都工大に触れることが出来た気がした。今までは、どんなに頑張ってもやっと指先が掠る程度だと思っていたけど、自分のやってきたことが成果になって追いつき始めたと実感ができた。そのことで憑き物が落ちたように本来のペースを取り戻せた。

 A判定が出たことを平岡さんに報告したくなったけど、上がった成績を報告するなんてまるで母親と息子みたいで恥ずかしく思えたのでやめておいた。

 そのかわりに「まあまあ頑張ってます」なんて格好つけてみた。本当はかなりナチュラルハイになってたくせに。



 “八月にたぶん三回くらい桜ノ宮に帰ります。一回は第二週に友達と花火大会で、もう一回はお盆です。畠中くんの都合が付きそうなら一日時間を取ってもらえませんか?”

 七月の終わりに来た彼女からのメールだ。


 三回くらいって、休みの間中帰省しているわけじゃないのか。都合が付きそうなら、なんて僕のことを配慮してくれてるけど、間違いなく彼女の方が忙しそうだ。

 それにしても、三回くらいしか戻れないうちの一回を僕に割いてくれちゃって良いんだろうか。もちろん嬉しい。嬉しいのだけど、女の子に楽しいと思ってもらえる過ごし方なんか知らない。前回会ったのは、平岡さんのナビゲートだったわけで、それが僕にとっての人生初のデートもどきだった。もし次に会う時には、どこへ行くとかどう過ごすなんてことをあらかじめ考えて臨まなければいけない。ノープランで、ただあてもなく新桜ノ宮駅のホームで突っ立っていても彼女は退屈してしまうだろう。いや、退屈どころか熱中症になってしまうかもしれない。


 なんて浅慮なんだろう。

 会いたい会いたいと思いながら、具体的なハウツーを一つも描けなかったなんて。

 ダメ過ぎるだろ。スペック低過ぎにも程があるだろ。

 僕は机に両肘をついて頭を抱えた。


 世の中の男子ってすごいよ。

 どんな所で会って、どんな風に遊んで、どんな会話をして、どんな店でご飯を食べて……なんて、好きな女の子が喜ぶために毎回考えてるんだろ?

 行く場所を予定して、雨になってしまって支障が出ても臨機応変に変更するスペックもあったり……。

 そんな高度なことが僕にできる?!

 今こそガクちゃんたちに泣きつきたい。

 いや、平岡さんを好きだったガクちゃんたちにそんなことで泣きつくことはできない。たとえ彼らが水くさいと言おうが何と言おうが、それは僕にとっての最低限のマナーであり僕の意地でもある。

 ……とはいえ、“そんなこと”とも言えないのが本音でもあるのだが。

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