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46 アディショナルタイム

 彼女が僕を連れて来たのは朱雀公園の敷地に隣接する神社だった。

 星座や六曜に興味があるわけではないけど、朝たまたまカレンダーを見たら今日は赤口だったからと彼女は言う。赤口とは午前十一時くらいから午後の一時くらいまでの、一日のうちの真ん中辺りにあたるわずかな時間のみが吉となる日で、祝い事や願掛けなどはその時間が良いのだとか。

「普段は興味ないのに、たまたま今日に限って六曜に目が止まったのだから、せっかくなら効果が高い時間帯にお参りしておこうかなって思って」

 サラサラと肩で揺れる彼女の髪に目を奪われつつ、言われるがままに彼女の後を歩いた。


 並んで参拝する彼女の小声が耳に入る。

 この人は、やっぱり純粋培養なのかもしれない。きっと本人は心の中で唱えていると思っているのだろう。

 ダダ漏れです。声に出してますよ。聴こえてますから。


 でも、どうしようもなく嬉しい。

 だって彼女、“畠中くんが来年絶対に志望校に合格しますように”なんて言うんだ。こんなの反則だよ。これ、わざとだったら相当タチ悪いぞ。神崎さん以上だ。

 だけど、わざとじゃなさそう。さっきから“こんな言い方じゃ失礼なのかな。合格させてくださいの方がいいのかな。でも畠中くんには自力で合格できる実力があるのに、神様の力で合格させて下さいなんてお願いしたら畠中くんに失礼だし……こんな時は何てお願いしたら良いんですか? 神様、どうか教えてください。あ、これが願いごとじゃありませんから”なんてブツブツ言ってるし。もう途中から笑いを堪えるのが苦しくなった。

 彼女が溜め息をついたタイミングで気が緩んでしまったのか、ついに吹き出してしまった。

「え、えぇぇぇ!?」

 横の彼女は盛大に吃驚して、手を合わせたままの状態で目を見開いた。

 その反応がまた可愛くてたまらなくて、僕はついにしゃがみこんで笑ってしまった。


 結局僕たちは最後の後の一拝もグダグダに朱雀公園へ戻った。道中、平岡さんは「こんな中途半端なお参りして神様の機嫌を損ねちゃったら畠中くんのせいだからね」と恨めしそうにプリプリと拗ねた。一度ツボにハマってしまうと、拗ねた姿さえも可愛くて笑ってしまう。

「その時は僕の自己責任ってことで」

 僕がそう言うと、彼女は少し考えてから急に飛び跳ねそうな勢いで驚いて慌てて口に手を当てた。なんだよ、この可愛すぎるリアクションは。今になって手を当てても遅いっての。もう可笑しくてたまらない。

 こんなに声を出して笑ったのはどれくらいぶりだろう。腹筋が痛くて、目尻に涙が滲みそうなくらい笑った。

「ありがとう」

 自分のことを祈ればいいのに、神様への頼み方まであれこれ考えながら、僕のことを祈ってくれるなんて。そのために今日ここへ誘ってくれたなんて。

 彼女に会えるのは卒業式で最後だと思っていたのに、彼女は僕に素敵なアディショナルタイムをくれた。これ以上の贈り物はない。本当に今度こそ、この思い出を胸に生涯片想いを続けていけそうなくらいだ。

 帰りの電車が新桜ノ宮に着く頃には、今までの感謝と一緒に「好きでした」くらい言ってもいいよね。

 言うのは恥ずかしいし勇気が要るけど、夢みたいなアディショナルタイムをもらったんだ、今日ならどんな勇気も出せそうな気がする。


 元いたベンチに戻り、彼女から再びマグカップを手渡され、温かいお茶が注がれた。散々笑った後の渇いた喉にはありがたい。湯気の立つお茶を啜る僕を横目に、彼女は蓋を閉じたステンレスボトルを両方で挟んで弄び始めた。



「昨日、帰ってから考えてました」

 突然姿勢を正しての、改まった言い方。何故かモジモジしている様子の彼女の視線は綺麗に手入れされた芝生の向こうの池の方に注がれていた。


「畠中くんが昨日なんであんな顔をして私の前に立っていたのか。私はその理由をもう少し前から、たぶん分かっていたんだと思う。違う、違う、そんなわけない、って頭の奥の方で否定しながら」

 彼女の言っていることがよく分からなかった。すごく言いにくそうで、核心を遠回しにしているような話し方だったから。

「でも昨日、あんな顔で私の前にいる畠中くんを見て、私もちゃんと畠中くんの目を見ないといけないって思ったの」

 彼女がまっすぐな視線をぶつけてくる。いつもの柔らかい表情とは違い、とても深刻な表情で。

「勘違いだったらごめんなさい。……あのっ、」

「は、はい」

「畠中くんは、その、もしかして、私に好意を持ってくれてた?」




 卒倒するかと思った。口の中にお茶を含んでなくて良かった。そんなこと言われるなんて思ってなかったし、図星すぎて言葉が出ない。しかも訊いてきたのは本人だ。ホント、今日の出来事は最初から全部夢じゃないか?


「ごっ、ごめんね。やっぱり勘違いだったね。今の忘れて」

「かっ……勘違いじゃ……ないよ」

「……えっ?」

「そう、全然、うん。勘違いじゃなく、当たり、です。……ごめん」

 まさかこんなタイミングで、こんな形で自白させられてしまうとは。非モテな地味男だけど、もう少し格好良い幕引きをしたかった。現実とはなんて無情なんだ。今すぐ消えたい。消えてなくなりたい!



「なんで、謝るの? 私は嬉しいよ?」

「え、だって……。騙してたのと同じ……友達のふりして」

 心の中ではいつだって好きだと連呼していたのに、彼女との関係を崩すのが怖くて、友達の仮面を被っていた。僕を友達だと思って信頼してくれていた彼女のそばで、信頼を裏切って恋愛感情を抱いていた。そんな狡くて気持ち悪い男なんだよ?

 友達だと思っていた男子たちに告られて、心を痛めてきたことだって知っている。嬉しいはずないじゃないか。

「友達のふり、してくれていたんだよね? 私のために」

「違う、自分のため。友達でいられなくなることが怖かったから」

 情けなくて格好悪くて仕方なかった。


「あんなに思いつめた顔になるまで友達でいてくれた。それがどんなことか、考えてみたの。考えれば考えるほど畠中くんの気持ちが嬉しかった」

 思いつめた顔ならストーカーにだってできる。本人に直接好意を伝えず思いつめた顔でガン見なんて、ストーカー確定だろう。

「畠中くんはいつも私のそばにいて、ダメな私に痺れを切らすこともなく歩調を合わせて根気強く寄り添ってくれた」

「ダメな要素なんてないよ」

 どこがダメっていうんだ? 僕なんかには高嶺の花すぎるくらいなのに。いつだって人気者で、男子たちの憧れで、剣道をしてる姿だってあんなにも格好良くて。ダメな要素なんて微塵もないのに。

 なのに彼女は首を横に振り続けた。


「優等生ぶっていて、そのくせ自分の意見さえろくに言えなくて、他人に迷惑を掛けて傷つけてばっかり。周りの人の流れにも全然ついて行けないし。だから私は、きっと畠中くんのことも傷つけてた。それでも畠中くんは変わらずそばにいてくれた。変わらずに……」

 いつまでもあのままそばにいられるのなら、高校生活が永遠に続いてほしかったくらいだ。あの日々が当たり前に享受できるなら、僕は何年だって本当の気持ちを押し殺して友達を演じ続けただろう。



「でもこれからは別々の道に進んでしまうから、今までとは同じってわけにいかないんだよね」

 昨日まで同じ学校にいた“ただの友達”とは違う道を歩き始める。それがゲームセットを意味していることくらい僕にも分かる。

「でも私は、卒業を区切りに畠中くんと会えなくなるのは淋しいって思った。昨日一晩考えて、畠中くんの思いつめた顔を思い出して、本当に会えなっちゃうんだってようやく実感したの。その淋しさが自分にとってどんな種類のものなのか、じっくり考えてみたの」

 彼女は肩が上がるほど大きく深呼吸した。そして自分に何かを確認するように頷いて、突然頭を下げた。



「畠中くん、時々でいいからこれからも私に畠中くんの時間を分けてください」

 信じられない言葉に僕は絶句した。



「今はまだ、曖昧なことしか言えなくてごめんなさい。でも聞いて。畠中くんに会えなくなる淋しさは、他の人たちに感じるのとは全然違う種類のものだったの。この人を失いたくないと思う淋しさで……、だから私はこれから新しい間柄を築いていきたいと思ってる。歩みが遅いから今度こそ本当に愛想をつかされてしまうかもしれないけど、畠中くんの受験が終わるまで待っててほしい。私も畠中くんの受験が終わるのを待つから、畠中くんも私が前に踏み出せるのを待っていてほしい」

 慎重に一つ一つ言葉を選びながら、彼女は言葉を紡いだ。




 これは一体どういうことなんだ。目の前で起きていることが夢なのか現実なのか、ますます区別が付かなくなっていた。夢でもこんな都合の良い展開なんかあり得ない。だからと言って現実として受け入れるには無理がありすぎる。

 僕のスペックでは理解できないようなすごいことを言われてる、……いや僕のスペックで理解して良い内容ではない。僕みたいな非モテな地味男が彼女からもらえる言葉であるはずがないんだ。



「進路が決まらないと、気持ちが不安定になる時もあると思うの。だから、どちらかが“もう会うのをやめよう”って言ったら、その一言が終わりに直結してしまう可能性だって充分にあると思う。そんな悲しい別れ方したくないの。今の私たちには、別れるとか別れないっていう思いつめた間柄は時期尚早のような気がするの。少し会えなくても都合がつけばまた普通に会えるような、友達の延長線上の段階でいたい。いいかなぁ?」

 自分の気持ちの核を口に出すことが苦手な彼女が、僕なんかのために一生懸命に言葉を紡いでくれている。夢にも出てきたことがないくらいの嬉しすぎる言葉を。


 もう充分すぎるほど充分だ。これが夢オチだったら、さすがにショックだけど、それでもいい。目が覚めたら真っ先に平岡さんに会いに行く。家がどこかなんて杉野にでも訊く。たとえこれが夢でも、彼女と会えなくなる淋しさを増幅させてしまった以上、何もしないで終わることなんてできない。

 現実の彼女は僕の本当の気持ちを聞いて、困惑したり傷ついてしまうかもしれない。

 だけど、もう無理だ。このままフェードアウトなんてできない。



「今は……、今の私にはこれが精一杯なんだけど、ああ、どうしてさっきこのことも願掛けしなかったんだろう」

 僕に向かって話しているはずが途中から独り言になってる平岡さんに、少しだけ緊張の糸が緩む。


「その願掛けは必要ない……です、たぶん」

 あの時、僕がお願いしたのは“またいつか彼女に会えますように”だったから。彼女は僕の合格祈願をしてくれたというのに、当の本人は合格祈願よりも縁結びなんて不謹慎だけど。

 平岡さんにまた会えるなら、今から神社に戻ってお礼を言ってくるよ。お賽銭だって追加する。あんなグダグダな参拝だったのに、バチが当たるどころか想像すらしなかった展開になっているのだから。

「僕でいいの? って、こっちが訊きたいくらい」

 一気に頭部に熱が集まって、強烈に顔が熱くなった。

 彼女はオリンピックの表彰台で国歌を聴く選手のように右手を胸に当てて目を閉じた。それから深い息を一つしてゆっくり目を開けると最高の微笑みでこう答えた。



「私は、畠中くんがいいの」

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