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45 夢の続き

 卒業式から一夜明けて、僕の肩書きは「十八歳(無職)」になった。

 昨夜充電したままだったスマホを朝になって起動させると、アドレスを交換した四人からのメッセージの見出しがずらずらと画面に表示されていた。

「ううっ……」

 全文に目を通すまでもなく、彼らの勘違いが見て取れる。



 ―尾崎博文

 “何年後か分からないけど結婚式の招待を楽しみにしてる(笑)”


 ―東堂学

 “ハッピーエンドに感動しました。いつでも相談のるからな”


 ―杉野遼平

 “平岡さんを射止めるのは畠中ちゃんしかいないと思ってたよ。お幸せに!”


 ―米原薫

 “親友の告白シーンを生で見るとは思わなかった。おめでとう。格好良かったよ”




 ……勘違いです。完全に勘違いされてます。

 結局告白なんてできなかったし、ハッピーエンドでも何でもない。


 近くにいたアヅサさんも見切り発進で騒ぎ始めたし、彼らの位置からではこちらの話しが聞こえてなかっただろうから、あの状況でそんな風に解釈されても仕方ないけど。

 彼らが称賛してくれたのは、彼女に挨拶をすることを諦めていた僕が挨拶しに行った勇気にだと思っていた。なのに何故か、告って、しかもうまく行ったと思っているようだ。

 困った。非常に困った。


 勘違いだと気付いてもらうには、どう弁解したら良いのだろう。平岡さんにどこかに誘われたと言って、通じるだろうか。

「どこへ?」「なんで?」と返信が返ってきても、答えられない。本当に何も知らないのだから。

 なのに漠然としたことだけ伝えたら「それデートだろ」と言われるに決まってる。ますます弁解がややこしい。恋愛キャリアが皆無なんだ、こういう状況は何というのか僕のスキルでは説明しようがない。



 “剣道部の送別会の前で急いでいたみたいです。用件も言わずにモタモタしていた僕を見かねて、改めて時間を取ってくれたんだと思います。ちなみに告ってません”

 それだけ一斉送信すると、矢継ぎ早に返信が返ってきた。

 なんなんだ、早過ぎるぞ。ケータイやスマホを使う人たちって、これが普通なのか?



 教室でガクちゃんが勝手に入れていたアプリと思われるメッセージが表示されて「ガクさんからグループチャットに招待されています」と書いてある。

 指示通りにタップしていくと尾崎と杉野とまいちゃんの名前もあり、会話の吹き出し風の画面から次々に文字が飛んできた。

 つ、ついて行けない!!

 口頭以外で込み入ったことを説明するなんて文系が不得意な僕には無理だ。しかも証明問題や数式の説明ではなく、昨日の経緯となればこれ以上の難問はない。



 “あの場は立て込んでたから仕切り直しってことか。卒業後にまで会いたくない相手にそんな提案しないよ。とりあえず縁を繋げてこい”

 僕が言葉が苦手なことを知っているガクちゃんが、前文から状況を察して要約と一緒に助言をくれた。

 お礼を打とうとすると、僕が一文字目を入力するより早く、他の三人が次々に“頑張れ”とメッセージを入れてきた。

 最後に僕が“ありがとう”と打って、やり取りが終わった。

 科学の道に進もうとしている人間が言うのもナンだけど、文明の利器について行くのはハードだ。

 皆、なんであんなに入力が早いんだ? 頭で考えた瞬間にスマホが文字に起こしてくれてるんじゃないかと疑いたくなる。実はそんなアプリがあったりして。……ないか。僕が置いて行かれているだけだ。頭が痛くなりそうだ。




 いつの間か天気予報が終わり、九時になりましたと男性アナウンサーの声が告げる。ハッと我に返り、部屋の壁に掛けたコートを慌てて羽織って財布とスマホをポケットに突っ込んだ。


 電車に乗るのは久しぶりだ。

 通学ラッシュの時間を過ぎて乗客が疎らな車内には、明らかに遅刻している学生が惰性でスマホをいじっているくらいで、自分が制服も着ずにこんな時間に外にいることが悪いことでもしてるような気分だ。

 幾つかの駅を過ぎて電車が減速を始め、車内アナウンスが桜ノ宮駅に着くことを告げると落ち着かない心地になった。

 生真面目な平岡さんが来ないはずなんてない。分かっていても、もしかしたら約束自体が僕の夢か妄想だったのではないかと思えてくる。自慢じゃないが、僕は一度だって休みの日に待ち合わせなんてしたことがない。女子はもちろんのこと、男子ともだ。そして休日を誰かと過ごすなんて考えたこともなかった。待ち合わせた後、一体どうしたら良いのか過ごし方が分からない。だから自分から誰かを誘うことなんてなかったし、誘ってもらえる日が来るとは思いもしなかった。その相手が平岡さんだなんて、いくらなんでもでき過ぎだ。

 今だってやっぱりこれは何かの間違いではないかと思えて仕方ない。

 会えなかったらそのまま帰るだけだ。


 電車を降りるとホームの階段の傍に平岡さんが立っていた。車内はガラガラだと思っていたけど下車すると階段に向かって歩いている人は多く、その中に紛れてもすぐに彼女の姿を見つけることができた。

 そしてそれと同じように、彼女もまた人波に呑まれているはずの僕をしっかりと見据えて笑いかける。

 裾と袖口にベージュ色のラインが入ったチョコレート色のコートを着てグレーのバッグを持っている。優しいフォルムの踵の低いスウェードのショートブーツも彼女によく似合っている。清楚で可愛らしい初めて見る彼女の私服姿にドギマギと目が泳いでしまう。


 何を話せばいいのか分からない。でも何か喋らないと変だ。相変わらず言葉を探すことしかできない僕に彼女は笑顔で駆け寄る。

「おはよう。少し寒いね」

 昨日までと違う格好で、昨日までと同じ笑み。彼女が僕のためにここに立っているのかと思うだけで、気が変になりそうなくらい頭の中がグラグラ揺れた。

「畠中くん、切符ちょうだい」

「これ?」

「うん、こっちあげる」

 彼女は僕の手の中から東雲発の切符を抜き取り、代わりに桜ノ宮からの切符を差し込んだ。

 もうなんというか、一つ一つの仕草が可愛くて、悶え死にしそうだ。これが俗にいうところの“萌え”とか“キュン死”の気分なのかもしれない。そういう言葉が存在する意味が今ハッキリ分かった。

 次に来た電車は急行だったせいか、混雑とまではいかないものの座れるほどの余裕はなかった。このくらいの時間になると僕たちのように卒業式が終わった人たちが多いのかもしれない。

 車内では扉の脇に立ち、昨日の剣道部の送別会の話になった。

 後輩たちの涙につられて永田さんと斉藤さんが号泣し、三年生一同が驚いたという。

「浜島くんが笑ったらね、理恵ちゃんピタッと泣き止んで猛烈に怒り出したの。それ見て今度は柳瀬くんの笑いが止まらなくなっちゃって」

 おかしそうに目尻を拭う平岡さんを見て僕も笑う。永田さんはどうにか想像がついたけど、斉藤さんの号泣と柳瀬の笑いの虫はどう頑張っても想像がつかなかった。



 それから二回乗り換えて、「朱雀公園前駅」という小さな駅で彼女に続いて降りた。

 駅前には噴水を囲んで小さなロータリーがあり、コンビニとベーカリーが一軒ずつとバス停と交番があるくらいだった。

「ちょっとここで待っててね」

 そう言って彼女はベーカリーの中に入って行った。少しノスタルジックな佇まいのベーカリーのガラス戸が揺れてドアベルかカラカラと鳴った。

 彼女はまっすぐにレジカウンターに向かい、そこにいた三十代くらいの女性が最初に驚いた顔をしてからすぐに破顔して出迎えていた。どう見ても顔見知りの反応だ。

 ベーカリーの女性はカウンター横のショーケースの奥から手さげの紙袋を持ってきて彼女に手渡した。お金を払った彼女がベーカリーの女性に挨拶をしながら外に出てくる。

「ごめんね、待ってもらっちゃって」

 言うなりテンポよく歩き始めたので僕もそれに従った。

 彼女の両手が荷物に占められてしまったので、手さげの紙袋を持とうかと申し出たのだが、目的地はすぐだからと遠慮された。

 二分と歩かないうちに、なだらかな丘陵のような広々とした緑地が広がり、彼女が歩調を緩めた。

 パノラマの緑地側の奥の方に目隠しのように並んだ金木犀の隙間から重厚な建物が見える。彼女はその近くの一番陽当たりのいいベンチを指差して「あそこに座ろう」と言った。

 建物に近づくにつれ、大きな足音やパチパチと豆を煎るような音が無数に聴こえてきた。

「あれは武道館。今もどこかの団体が稽古してるみたいね」

 先にベンチに彼女が腰掛け、僕も後に続く。

「剣道の昇段審査や中学生以下の県大会はここが会場に使われるから、よく来てたの」

 僕の知らない彼女の話。僕は、その懐かしむような遠い笑顔の横顔を盗み見る。昨日までの彼女は高校生で今日からの彼女は大学生なのではないかと思うほど、何かを懐かしむ彼女の表情は大人びて見えた。表情一つでガラリと雰囲気が変わるから女の子って不思議だ。

 電車の中で話している時は高2の頃に戻ったような身近さで舞い上がっていた。

 けれど違う。もうすでに大学生の雰囲気を纏いつつある平岡さんと、その隣にいるのは何者にもなれない男。



 彼女はベーカリーの紙袋を座った真ん中に置いて、僕にパンを勧めた。

「ここのパン、結構美味しいんだよ」

 あらかじめ店の人に取り置きしておいてもらったらしい。

「いつかのお返しになってるといいけど」

 手渡してくれた楕円形の揚げパンをかじるとトマトの爽やかな酸味とオリーブオイルの風味が口の中に広がった。

「美味しいでしょう。一見カレーパンだけど中身はラタトゥイユなの。私のお気に入りなんだけど、売り切れちゃうことが多いの」

 具がしっかりグリルされているのかやや大きめにカットされている野菜の一つ一つが甘い。同じものを食べている彼女が僕と目を合わせて微笑んだ。

 彼女の言った通り、次に手に取ったドライトマトとキノコのソテーを挟んだカスクードもその次に食べたクイニーアマンも東高の売店のパンとは比べ物にならないくらい美味しかった。東高の売店にこんな洒落たパンはなかったけど。それにしても、東高の売店のパンだって工場生産品ではなくきちんとしたパン屋でその日のうちに作られた物で評判は良かったんだけどな。


「今日は大きめのを持って来たので遠慮なく飲んでね」

 いつも学校に持ってきていた物より大きめのステンレスボトルをバッグ取り出した。

「重かったんじゃない?」

 1リットルサイズのボトルに液体を入れて重くないわけがない。

 どうして今まで気づかなかったんだろう。もっと早く荷物持ちを名乗り出るべきだった。

 やっぱり僕は全然なってない。

「大丈夫。剣道部なんて防具一式持って移動するから、これくらいならお箸を持つのと同じこと」

 得意げに笑って片方を押し付けた。

 中身は焙じ茶かと思ったが、玄米茶だった。

「またパンにミスマッチなお茶持って来ちゃったね」

 彼女は申し訳なさそうに笑ったけど、全粒粉の香ばしいパンに玄米茶の香ばしさが意外と馴染んだ。

 なにより三月中旬の屋外で湯気の立つ飲み物はありがたかった。

 カップ一杯分のお茶を飲み干すと、彼女はコートの膝の辺りを簡単に払い、立ち上がる支度を始めた。

 どうやらこのベンチが最終目的地ではないようだ。

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